初めての従魔
「それでは授業を開始する」
従魔術学科の担任であるスコット教師が一抱えもあるケースを持って教室に入ってきた。スコット教師は神経質そうな顔つきに刺々しい声の三十歳前後の男性で、近寄りがたい雰囲気をしているというのが生徒たちの共通の認識だ。
スコット教師が持ってきた透明な箱型のケースの中にはこぶし大の大きさの透明な不定形生物スライムが山となって入っていた。
「お前たちの最初の従魔になるのはこのスライムだ。見たことがないという者はいないだろうが改めて説明する」
生徒の反応を確かめることもせずスコット先生が説明を続けていく。
「スライムという魔物はあらゆる物質を魔力に分解し吸収する魔物だ。無機物、有機物関係なく、生物でなければ何でも溶かすし、生物の死体も消化する。過去の実験では布、紙、木、石、鉄、ガラス、はてにはミスリルやオリハルコンと呼ばれる希少な金属まで全てを消化し吸収した。生物に対する殺傷能力はないが、あらゆる物質を溶かすことが可能な恐ろしい魔物だ。
――そして、この恐ろしい魔物がただ一つだけ溶かすことができない物質がこのケースにも使われている物質だ」
スコット教師の手がコンコン、とガラスのように透明なケースを叩いた。その振動でケース内部のスライムたちの山がぷるんと揺れる。
「このケースはスライムの核を取り出した後に残される粘液だまり、スライムジェルを錬金術で処理して作っている。
この物質は加工次第でこのようなガラスに似た質感にすることが可能で、また処理の仕方を変えると布のように薄く柔らかく加工することも可能という、非常に優れた物質だ。
下水処理に用いられているスライム処理装置の中にはこれと同じ材質の容器が入っているので容器の底や壁を溶かしてスライムが逃げ出すということはないようになっている」
「へえ……、あの透明な箱ってスライムからできてたのか」
ソラの隣の席でシドが感心したように呟いた。他にも数人が感心した顔でスコット教師の話を聞いていた。スライム処理装置がどんなゴミでも溶かすというのは庶民の間でも有名だったが、スライムを入れる容器のことまでは知らないという人間も多かった。
「この物質は気密性、防水性に優れていて耐久性もそれなりに高いので水筒などに使われることもある。この利便性に注目して我が国でもスライム養殖用の用地が設けられており、この学校の従魔学科の卒業生が就職してスライムの繁殖を担っている場所も多い。卒業後の進路としてはもっとも無難な選択の一つだ――」
スライムの性質から始まってスライム由来の素材の用途、さらには学園の卒業生がスライムの養殖に携わっていることなど、スライムと人間社会と従魔術師の関係を交えたスコット教師の話がしばらく続く。
身近にいるスライムの意外な事実や、自分たちの将来の進路に関わる話なので生徒たちも熱心にスコット教師の話を聞いている。
スコット教師のとっつきにくそうな態度から、難しくくてわかりにくい授業になるかと思っていたソラだったが、スコット教師の話は意外なことにけっこう面白かった。嬉しい誤算というものだろう。
そのまましばらくスコット先生の解説が続いた後で、いよいよ実践が始まった。
「それでは一人ずつ前に来てスライムを受け取るように。最初はインター。前へ」
「は、はい……」
茶色の髪の少年が名前を呼ばれて前に出る。
緊張している様子のインターを気にすることなく、スコット教師はケースの中から無造作にスライムを一匹掴み上げて手渡した。スライムジェル製の物質以外は全部溶かしてしまうので皿や手袋などはない、素手で直接渡している。
「う、うわ、柔らかくてなんかひんやりしている……」
「早く席に戻れ。邪魔だ。次の生徒もさっさと来るように。時間の無駄だ」
「ご、ごめんなさい」
「は、はい! お、お願いします」
きゃあきゃあわあわあ言いながら生徒たちの手にスライムが渡っていく。すぐにソラの順番も回ってきて、スコット教師から手渡された後怒られないようにすぐ離れた。
「これが、スライム……」
自分の席に戻ったところでソラは手のひらの上に鎮座する丸い魔物をしげしげと観察した。
自重で潰れているが本来は球形に近い形だろう。中心が盛り上がった饅頭のような形で、色はほんのり青色がかった透明。体の中に急所である核があるが、ソラが目の前に持って来て近くで観察しても核らしきものは見当たらなかった。肉眼では見えないようだった。
触れた感触はしっとりとして吸い付いてくるような触り心地。軽く突けばぷるんと震えるくらい柔らかく、他の生徒が言っていたようにひんやりしていた。もしでっかいスライムがいたら夏に抱き着いたら気持ちいいかもしれない。
「あっ!! だ、だめ!」
突然悲鳴が聞こえた。
何かあったのかと声の主を見てやると、女子の一人がスライムを机の上に置いてしまったらしい。
「あ、ああ……ご、ごめんなさい……」
慌ててスライムを持ち上げたようだが、スライムを置いていた部分だけ変色していて違いは一目瞭然だった。どうやら机の上に置かれていた僅かな間に机の表面部分を消化してしまったらしい。
「スライムは生物以外の全ての物質を溶かすと説明したばかりだろう。注意しなさい」
「あぅ……す、すみませんでした……」
スライムの扱いに注意をしている間もスコット教師は手を動かして配り続け、クラス全員にようやく行き渡った。
「では、これからスライムとの従魔契約を行う」
スコット教師がクラスの全員に見えるように右手を持ち上げ、手のひらの上にスライムを乗せた。
「方法は単純だ、手のひらから少しずつ魔力与えながら『従魔になれ』と念じるだけだ」
スコット教師の右手から魔力が放出された。魔力は目に見えないが、クラスの全員が魔力感知の訓練を積んでいるのできちんと認識できていた。
「今回は魔法陣や呪文は使わない。あれはより高度な魔物に使用する技法であり、スライム程度なら直接魔力を送り込むだけで事足りる」
手のひらと触れている部分からスライムの内部へスコット教師の魔力が染み込んでいく。下から上へスライムの体全体が染められていくのがソラにはよくわかった。
「この魔力を送り込むときに注意が必要だ。魔力を一度に大量に送り込むとスライムの核が耐え切れずに死亡する。だが弱すぎると弾かれたりスライムに魔力を食われるだけで効果がない。強すぎず、弱すぎず、スライムの中を魔力で満たすつもりで送り込むんだ」
じわじわと込められていた魔力がついにスライムの頭頂部に達した。ソラの感覚でスライムの全身がスコット教師の魔力で満ち溢れた次の瞬間、スライムが一瞬だけ淡く輝いた。
「……よし。これで従魔契約は完了だ。これで魔力のパスを通じてこのようにスライムに命令ができるようになる。食べるなと命令すればこうして机の上に置いても勝手に食べることもなくなる」
スコット教師が命令したのだろう、スライムが手の上で二、三回ぽよんぽよんよ跳ねた後に自分から机の上に飛び乗ったが、机の天板を溶かすこともなくその場で大人しくしている。
「以上が従魔術の基本だ。魔力を送り込み魔物を支配下に置く。魔力のパスを通じて命令を出す。これができなければ話にならない。今後学習していく魔法陣や呪文といったものも、今言った基本を補助する為のものでしかない」
全ての基本はこのスライムの従魔契約から。
そうスコット先生はしめくくり、ようやく初めての従魔契約が始まった。
◆
「ダ、ダメぇぇ、食べないでぇぇ……」
ソラの近くに座っている女子生徒――ソラと同じグループのミーファという女子がわたわたとスライム相手に慌てていた。手から放出魔力が少なすぎてスライムに食べられてしまい、全然スライムの体内に浸透していなかった。私の魔力を食べないで、と必死にお願いしているがスライムはまったく気にせず、元気に魔力を食べ続けている。
「あっ! し、しまった! 大丈夫か!?」
逆にシドは魔力を大量に与えすぎてしまったようだ。大量の魔力がスライムの体を通り過ぎてあふれ出ていた。ぶちゃっと潰れてしまったスライムはどう見ても手遅れだった。
(……魔力か)
近くで悪戦苦闘している友人たちを横目に見ながら、ソラは先ほどのスコット教師の講義の内容を考えていた。
核を魔力で染め上げて支配下に置く。
魔力のパスを繋げてパスを通じて魔物に命令を与える。
言ってしまえばこれだけの内容だった。
(……魔力を通して命令を出せるってことは、魔力に意思を乗せることができるってことか? 言葉じゃなくて、魔力で会話をするってことだよな?)
スコット教師に言われた内容から更に一歩踏み込んで考えてみる。
ミーファがさっきからスライムにお願いしているが、スライムに人間の言葉が通じるのか。通じないと思う。スライムだけじゃなく、そもそも魔物に人間の言葉が通じる気がしない。
だからテイマーは人間の言葉が通じない魔物に言うことを聞かせて命令を守らせるために、魔力のパスを通じて命令をするのだ。
(魔力の感知の練習も放出の練習もしてきた。だからきっと大丈夫なはずだ)
体内に流れる魔力を操作して手から少しずつ放出する。最初は弱く。ソラの魔力をスライムが感じ取って吸収しようとするのに合わせて、スライムの体内に自分の魔力を送り込んでいく。
目を閉じてよく感じてみると、自分の魔力がスライムの体内で吸収されて消えていく不思議な感覚がした。
この吸収される量より少しだけ多いくらいの魔力を送り出してやると、吸収しきれなかった分の魔力がスライムの中に入り込んで溜まっていくのが理解できた。
(……スライムの中ってこうなってるんだ)
スライムの体内を魔力の手で撫でるように動かす。
目で見ているような、耳で聞いているような、鼻で嗅いでいるような、舌で舐めているような、手で触れているような……そのどれとも違う六つ目の感覚。
魔力感知と魔力操作を合わせた第六の感覚でスライムの核に触れる。
『――――!』
(これは……?)
スライムの核に触れると、魔力を通してソラに訴えてくるものがあった。空気を振るわせることもない声なき声。
――空腹
――美味
――歓喜
――悲鳴
――困惑
――恐怖
むき出しなままの感情の波。肉眼で見ることのできない核の中に納められたスライムの意思が、言葉にならないままぐるぐると渦巻いていることが感じられた。
スライムが空腹を感じていること、魔力を食べれて喜んでいること。
同族のスライムの音なき悲鳴が、断末魔の意思が届き、困惑して恐怖していること。
ソラの手のひらの上に丸まっている小さな魔物がこんなに多くの感情を抱きながら、間違いなく生きているということを感じる。
(……断末魔の悲鳴って、シドとか他の生徒たちが失敗して殺してしまったスライムたちの声か……)
同時に、クラスメイトたちの失敗によって多くのスライムたちの命が失われていったことも理解した。
中には2回も3回も失敗して、その度にスコット教師から新しいスライムを貰っている生徒までいる。あの生徒たちにとってはスライムの命など意識するほどの価値もないんだろう。
スライムたちの命が風の前の塵のように消えていく教室の中で、ソラは手の中にいるスライム話しかけた。
(――従魔契約を結ぼう。俺の従魔になったらお前を守ってやる)
たったそれだけの、交渉ですらない一方的な宣言に、スライムは震えた。
――歓喜
――歓喜!!
――歓喜!!!!
ただ一言、守ってやると言っただけでスライムの意思は喜び一色に染まった。
ソラがこのスライムを騙そうとしているとか、そういうことを疑うことすらできないのかもしれない。スライムたちは悲しいほどに愚かで無力な小さな存在だった。
(……でも、今の俺にはこのくらいでちょうどいいかもしれないな)
万人を守る英雄に憧れているだけの見習いテイマーのソラに人々を守れるような大きな力はない。だけど、非力なソラにお似合いの非力なスライムくらいなら守れるかもしれない。
英雄への第一歩としてまずは手の中にいる小さなスライムを守ってみせる――その決意がソラのはじまり。
英雄を夢見る少年の長い道のりは、この瞬間から始まったのだった。