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12.『幸せの国』

 







「お帰りなさいませ!」


 家令のオーウェンやメイドのメアリたちが出迎えてくれて、僕らは帰途につく。


 馬車の中ではまだ今日の出来事が夢みたいで、頭がふわふわとしていた。姉さんをちらりと見ると、目が合って勢いよく逸らされて、僕はその様子が可愛くてくすくすと笑った。

 無言なのは往路と一緒だけど、馬車の中の空気はただ心地がよかった。まるで春の雨上がりみたいに、空気が澄んで、深く息ができるような、柔らかくて心がどこか浮かれてしまう、あの感じ。

 躊躇いがちに手を差し出すと、向かいで姉さんが少しだけつり上がった目を下げてそっと手を重ねてくれる。

 僕らは、ただ黙ってお互いの手の温かさを感じていた。


「今朝の蒲公英占いって、」


 もうすぐ家に着くというタイミングで、姉さんが思い出したようにそう呟く。


「もしかして……」


 なんとなく、姉さんが言いたいことが分かった気がして、先に口に出す。


「姉さんのことを考えていました。占い、当たってますか?」


 一度に全部綿毛が飛べば、想った相手から『とても愛されている』らしい。

 尋ねると、姉さんは頬を染めて、こくりと頷いてくれる。その薄紅の頬に、僕は素早くキスを落とすと姉さんがますます真っ赤になって俯いた。




「お早かったですね。あら、お顔が赤いですね。お疲れで熱が出たのでは!?お部屋へホットミルクでもお持ちしますから早めに寝てください。」


 メアリに背を押されて部屋へと戻る姉さんの姿に、離れ難さを感じて後ろ髪を引かれるが僕も着替えのために部屋へと戻ろうとする。

 だが、姉さんが二階に上がる途中のところで、発表があります!と片手をあげた。


「あのね、ユリウス殿下と婚約破棄した。」


「は!?」


 姉さんの重大発表に誰もが眉を顰めて不安そうな顔をする。


「でもね、ハルが私を好きだって言ってくれた。」


 僕は姉さんの突然の発表に思わずごほごほとむせて咳をする。咳をしながら周りを見回すと、なぜかメアリも、オーウェンもその場にいた誰もが目が零れるくらいに見開き信じられないことを聞いたように静止し、しんと静まり返った。


「ね、ハル。」


 そう問われ僕は困惑と、それでも貴方に面と向かって愛を囁いていいのだと思うと嬉しくてこくりと頷く。


「……大好きです、エレナ姉さん。」


 ただまっすぐに姉さんを見て、熱に浮かされるようにそう言った。


「……ハル。」


「はい。」


「……あの、あのね。」


 何度か口に出そう逡巡した姉さんが、階段手摺の陰に身を隠していった。


「どうされました、エレナ姉さん。」


「……もう少しだけ、でいいの。もうちょっと、一緒にいられないかな。」


 階段の手摺から、ひょっこりと目だけ覗かせてそう可愛くおねだりをする。

 その時、僕を含めオーウェンもメアリも、そこにいたすべての人間が床にひれ伏し『なんだこの天使は』と思い、その瞬間を絶対に忘れまいと脳に焼き付け現実に戻るために要した時間は30秒。


「え、え、大丈夫、皆?」


 そう姉さんに問われて、僕らは息を整える。


「大丈夫です。……あの、姉さん。それなら着替えてから、一階の応接室で一緒にお茶でもしませんか。」


 そう言うと、姉さんはぱぁっと目を輝かせて着替えてくる!と階段を楽しそうに昇って行った。

 姉さんの可愛らしさにほんわかしたのも束の間、残された僕は、隣に立つオーウェンの地獄の使者か悪魔かゴーストか、それとも暗黒面に落ちたオーウェンなのか分からないが、どちらにしても目を見たらきっと瞬殺されるだろう、その視線からぎぎぎぃと錆びた人形のように顔を背けた。


「ハルディン様。」


「はい!」


 殺される!?ばっと身を守ったが、数秒経っても何もなくてそうっと目を開く。

 そこには、オーウェンが頭を下げる姿があった。


「……お嬢様をどうぞ、よろしくお願いいたします。」


 真摯な言葉と深々と腰を折ったオーウェンの姿に、僕は驚いて目を見開いた。呆気に取られていると、ぽたり、と床に雫が落ちて、それが彼の目から流れているのだと気がつく。


「オーウェン!?どうしたの、大丈夫!?」


 その伏せた顔を上げさせると、オーウェンは申し訳ありません、と涙をぬぐう。


「ハルディン様、いえ、ハル様。貴方様が初めてこの侯爵家に来られたのは、もう春も近いというのに雪が舞うような凍える日でした。今でも覚えています。表現は悪いですが、骨と皮の、お年の割にずっとずっと小さなお体でした。貴族でありご家族もいらっしゃったというのに、街中で目にする身寄りのない子供より小さく痩せ細り、誰も信じられないと世界を拒絶し、ただあるがままの地獄を受け入れようとする昏い瞳をしていた。」


 そう、オーウェンが急に過去の話を持ち出したことに、僕はおろおろとする。


「エレナ様が……。貴方様と出会われるずっと前、物心つく頃から、ずっと『ハルを助けたい』と泣いていたのです。お昼寝していても『ハル、ハル!』と飛び起きて、『あの子の心が死んじゃう、早く助けてあげて』と泣いて喚いて、いつも『私はなんにもできないのだ』と血が出るまで強く自分の指を噛んでおられた。私たちは何のことかわかりませんでした。泣き喚き指を噛むお嬢様を、ただ『それは夢ですよ』と(いさ)めるしかできなかった。成長していくにつれ、お嬢様は生き急ぐように知識を吸収し体を鍛え危ないのに外へ飛び出て、強くなろうとなさいました。そして、夢であるはずの貴方様のことを探し続けた。それに加えハル様を迎えるはずのこの館が少しでも貴方様にとって良いものであるよう、冷えきっていた侯爵閣下と奥方様の仲も取り持ち、私ども使用人たちへ笑顔を絶やさずにいてくださり、徹底して温かくて幸せな館としていったのです。いつかハル様、貴方様が来られたら、皆で幸せにしてあげてほしい、と。いつしか、私どもは『ハル様』を夢とは思わなくなりました。ハル様はどこかにいらっしゃり、エレナ様と出会うのだと。お二人は運命のように出会い、恋をして、幸せになるのだと。……私、ども、は、彼女のその愛の深さに心酔し、エレナ様とともに貴方様が来られるのをずっと待っていた……!」


 言葉を繋げず、オーウェン目を瞑り鼻をすすった。


「……全部、全部、貴方様のためだったのです、ハル様。エレナお嬢様の作るこの幸せの国は、すべて貴方様のためだった。だから、」


 子どもの頃から知っているオーウェンが、子供のように顔をくしゃりと歪ませる。


「……よかった。お二人が、幸せになれるのなら、本当に、良かっ……っ!」


 言い終える前に涙を堪えきれずに崩れるように膝をついたオーウェンの言葉に、僕の頬からぽろぽろと涙が流れた。





 ……僕は姉さんからの愛情を気づきもせずに、どれだけ甘受してきたのだろう。


 ……姉さんは、どれだけ強く僕のことを想ってくれていたのだろう。




 今まで見てきた姉さんの、笑顔も、俯く顔も、繕うような笑顔も、夜叉のような顔、何を考えているのか分からない横顔も。すべてのエレナ姉さんが。



 僕の頭に溢れてきて、魂を、揺さぶった。








 **********








 涙をぬぐうオーウェンに促されて、僕は顔を洗い姉さんと一緒にお茶をするために準備をした。


「え!?あれ、目が赤い!?」


 姉さんの待つ応接室に入ると開口一番にそう指摘されて、僕は恥ずかしくて目を反らす。


「姉さんのせいです。」


 不貞腐れてそう言うと姉さんがあたふたとするので、僕は冗談ですと微笑む。

 オーウェンに聞いてそれほど深く愛されていたのだと思うのに、胸が痛くなるほど貴方が好きなのに、どうしたらいいのかわからずに今までのように貴方の弟として振る舞うしかできない自分が本当に情けない。

 ソファに座る貴方と一人分ほど間を開けて僕は腰を掛ける。


「紅茶、でも淹れましょうか?」


 そう尋ねると、姉さんが小さく首を振り、


「メアリが、夜だからホットミルクの方がいいだろうって。もう少しで持ってきてくれるはずだよ。」


「そうですか。ありがとうございます。」


 そういうとすぐ、こんこん、とノックの音が響いた。


「失礼いたします。」


 メアリがホットミルクを入れてきてくれて、テーブルへと静かに置く。


「春と言えどまだ晩はお寒うございます。ひざ掛けをお使いください。それと一応毛布も置いておきますね。」


 そう言って、ささっとひざ掛けをエレナ姉さんへと手渡し、それ以外の毛布をソファ脇へかけてぺこりと頭を下げた瞬間。


「姉さまと兄さま帰ってきたのー?」


 と扉の奥でアランの声がした。


(ちょっ、シー、ですわ!アラン様!)

(しー?)

(そうです、アラン様!恋人同士の語らいを邪魔してはいけません!)

(あ!ばか!)

「え!?姉さまと兄さまこいびとどうしなの!?そうなの!?」

(あーっ!!!お静かに!お静かにしてくださいー!見つかっちゃう~!)

「え?あ!」(……見つかっちゃあだめなの?)

(だめなんですぅ。)

(そうなんだぁ!わかった!)「あっ!ねぇねぇ、姉さまと兄さまって姉弟だけど結婚できるの!?」


「「「「「「ああああああ!」」」」」」


「アラン様!もう行きましょうか!?特別に今日はホットチョコレートを入れて差し上げます!」


「え!?いく!ホットチョコレート飲む!」


 頭を下げていたメアリはだらだらと汗をかきながらも、では失礼いたします、と言って顔を上げた。けれど、右手と右足が同時に出しぎくしゃく動き、扉の存在を無視し顔を扉へとぶつけながら、それでも平然と何事もなかったように笑顔を絶やさずに出ていった。


「こらー!貴方たち!気になるのはわかるけど、今はお二人にして差し上げなさいー!」と外にたまっているらしき使用人たちにメアリが声を上げると、どたばたと普段ではあり得ない足音を立てて走り去る音がして、やがてしん、となった。


 その一部始終にぽかんとしていたが、僕らは目を合わせて吹き出して笑った。

 一人分くらい空いていた隙間は、いつの間にかなくなって僕らは触れるか触れないかくらいに近づく。


 メアリが用意してくれたホットミルクを飲みながら、僕らは他愛のない話をした。

 アランが元気で僕ら以上にやんちゃなこと。

 ジルが姉さんの好きそうな花の苗を植えていたこと。

 シルビア嬢の書いている恋愛小説が学園内で大流行していること。

 殿下が当て馬王子なんて呼ばれていたことが不敬だけど面白いと笑ってしまったこと。


 離れ難かった。お互い、そうだったんだと思う。

 次から次へと、くだらないことや、思い出話を、尽きることなくしゃべり続けた。





 **********






 時計の針が日付が変わり更に短針がもう少しで一の数字を指そうとしていた。姉さんが俯くのを見て眠いのかなと思い、


「そろそろ、寝ましょうか。」


そう声をかけた。

 けれど、姉さんは小さく首を振って、あのね、とか細い声を上げた。


「私、ずっと貴方が好きだったの。」


 びっくりした。そういえば、まだちゃんと姉さんから好きだと聞いていなかったな、と思いだした。嬉しくなって、僕は頬が緩む。


「ありがとうございます。僕も、エレナ姉さんが好きです。」


 そう答える。だが、姉さんは真剣な顔をしていた。


「貴方と出会う前から、ずっと好きだったの。……、あのね、」


 姉さんが俯いて唇を噛む。

 出会う前から、と姉さんは言った。先ほど聞いたオーウェンも、同じようなことを言っていた。疑問には思ったけれど、揺れる姉さんの瞳を前にすると聞くのを憚られて僕は口を噤む。


「……あの、私。」


「……姉さん?大丈夫、どうしたの?」


 辛そうにする姉さんの肩にそっと手を置くと、彼女は意を決したように顔を上げた。その目には涙が浮かんでいた。


「初めて会った時、傷だらけで昏い目をしたハルを見て、本当に後悔した。私、貴方と会う前から、貴方が苦しんでいたの知ってたのに。もっとちゃんと私が覚えていたら、もっと早くに、貴方が傷を負う前に助けられたのに。結局、私はなにもできなかった。だから、せめて良いお姉ちゃんにならなくちゃって、貴方のことを好きな自分は封印して、貴方の幸せだけを考えようって……。」


 彼女の瞳から、膨らみ耐えきれなくなった涙が、雫となり一粒、落ちていった。


「でも、貴方が一緒にいて、って言ってくれて嬉しくて。約束って。」


 ボロボロと彼女の大きな瞳から、涙が零れた。


「でも貴方はそんな約束忘れて、きっといつか他の女の子を好きになって、私の前から去っていくから。姉としての私は、それをちゃんと祝福しようって思っていた。だから、あの日の約束も忘れた方がいいって思った。でも、貴方が言ってくれた言葉も、絡めた小指も、薬指に嵌めてくれた蒲公英の花の指輪も、ずっと忘れられなかった。」


 思わず、姉さんの体を抱き寄せた。その体は、僕の腕の中にすっぽりと納まった。胸のあたりに、彼女の涙がしみ込んだ。抱えた姉さんの頭は、ひどく熱くなっていた。


「流星群のあの日に、ハルがキスしてくれて。奇跡が起きたんだって思った。流れ星に、ずっと一緒にいられるようにお願いした。でも、やっぱり補正力なのかな、ユリウスの婚約者になっちゃうし。でも、ハルが好きだから、どうにか婚約破棄しようって頑張っている間に、貴方はシルビアのことを好きになっちゃうし。」


 シルビアを好きに、のところで背中に回された手に力が入った。僕は、なんて愚かなんだろう。姉さんが、そんな風に想ってくれていたのを気づきもせずに、貴方のためだなんて思って、シルビア嬢に言い寄って。


「ごめん、誤解させて、ごめんね。」


「……でも、約束を覚えてるって聞いてくれて、私、嬉しくて。」


 エレナ姉さんの声が、震えた。

 ぐしっと手で涙をぬぐうと、彼女は顔を上げて微笑んだ。


「あのね、ハル。私、ずっとハルが好き、」


 僕はそれ以上は聞けなかった。

 唇からは、しょっぱい涙の味がした。


「好きだよ、エレナ。好きだ。」


 何度も、キスを落とした。

 覚束ない様子で呼吸する様子が、潤んだ瞳が、上気して桃花色に染まった頬が、汗ばんで白い首にひっつく髪の毛が、僕の理性を奪う。

 少し乱暴に、噛みつくようにキスをすると彼女の体が小さく震えた。


「……調子に乗りました、ごめん、なさい。」


 そう僕が反省して言うと、彼女は呼吸を整えながら真っ赤になった顔を両手で隠す。


「うちの弟の手が早すぎる!」


「なにそれ!?」


 手で顔を覆ったまま、彼女はぽすんと僕の胸の中に体を預けた。


「恥ずかしいから、もうちょっとだけこうしててください。」


 もうなんなんでしょうか、この天使な姉さんは。

 僕も顔を覆って空を仰ぎながら、動悸を収めるために領地の今年の収穫高の予測を計算してみたりする。


 ソファの端に置かれた毛布をエレナにかける。

 温かなその体を抱きしめながら、柔らかな髪の毛を梳いていたらすーすーと寝息が聞こえてきた。

 もう少ししたら、起こさないと。

 でも、寝顔が可愛くて見ていたくてなかなか起こせなかった。










お読みいただきありがとうございます!

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