11.『答え合わせ(後)』
「それで、エレナ、君は何を考えていたんだい。随分シルビア嬢を構っていたけど。それに今日のあの茶番はなにがしたかったんだい?」
「ユリウスがシルビアのことを好きなんだろうなってとこは、ハルと一緒ね。」
どいつもこいつも、とぼそりとユリウス殿下が呟いたが恐ろしくて積極的に聞かなかったことにしようと思う。
「シルビア嬢は先ほどの不敬な二つ名をつけただけでは飽き足らず、吹聴して回っているようだったからね。あまりに不敬だと何度か忠告に訪れたことはあった。けれど、僕はシルビア嬢に特別な感情は持っていない。」
「ですが、側室とかおっしゃっていませんでした?」
「あれはハルを叱咤するためだけの虚言だろうが。」
そう僕が言うと、ライナス様が殿下の後ろから呆れたように言う。
「それで、勘違いしたエレナはシルビア嬢をどうしたかったの?」
「ユリウスの好きな人を虐めれば、この卒業パーティーで婚約破棄を申し出てもらえるはずだったの。」
「はず?」
「(ゲームの)筋書きでは。」
「ずいぶん雑で現実味のない筋書きだね。エレナという侯爵家の令嬢を捨て、言っては悪いけど後ろ盾もなく資産もないシルビア嬢を?」
「それが愛なのです。」
「愛、ねぇ。」
ユリウス殿下が、シルビア嬢へと一瞥をなげ、そして大きく嘆息した。その吐き出された透明なはずの息の中に、“このシルビア嬢にそんな感情を抱けるわけがないだろう?”みたいな思いが透けて見えた。
シルビア嬢はまったく気にした様子がない。心の強い方だ。
「シルビア嬢にも、話を聞こうか。エレナにいじめられていたということだったけど。」
「いじめ?ありません。」
「え、いや、あったよ、結構頑張ったよ!水かけたりしたよね、ね、シルビア!?」
「ああ、あれですね。殿下に近づくなと全く心に響かない上っ面の言葉を口にしたと思ったら、水を被せようとしたけど何度も躊躇いまくって、私も周囲も思わず、頑張れエレナ様って応援しちゃったやつ。しかも、結局私じゃなくてそのときたまたま通りかかった殿下にかかってたじゃないですか。」
「あはははは、あったな、そんなこと。夏だからすぐ乾いてよかったなぁって言ってたんだよな。」
ライナス様が呑気に笑う。
「あの階段から突き落としたり!」
「え、知らないです。あ、あれかな。ハルディン様に呼ばれて振り返ったら、なんでかエレナ様が殿下を突き飛ばしていたやつ。でもあれ、階段3段くらいでしたよね。」
「ああ、俺に待機させたやつだろ?でも、ユリウスを突き飛ばされるとは流石に考えてなかったから、一瞬焦ったわ。まぁ3段くらいじゃあ何かあったとしても擦り傷くらいだろうけど。」
「え、あれすぐに逃げちゃって知らなかったけど、私ったらユリウスを突き飛ばしちゃっていたの!?」
そんな姉さんをユリウス殿下が白い目で見る。
「あと、僕、以前姉さんがシルビア嬢を床に座らせてフランスパンをそのまま齧らせながら、ひどく叱責したのを見たことがありましたけど。」
「ああ、それはあれじゃないですかね。うち貧乏なのでご飯を抜いていたら貧血で階段から落ちそうになっちゃって。そこをエレナ様が助けてくださったんです。命を大事にしろって、とりあえずこれでも食べなさいってパンとチョコをいただきながらだいぶ怒られました。それからは差し入れを下さったり、色々食べられる野草を教えてくださったり、安くてボリュームのあるお店を教えてくださったりして本当に助かりました。エレナ様は命の恩人です。エレナ様には絶対に幸せになってほしいから、本当今日は良かった。ラブ・ストーリーここに完結☆ですね♡私の執筆もひと段落です!」
いい話のはずなのに、間に入っていた食べられる野草をなぜ姉さんが知っていたんだろうとか気になってしまう。いや、ジルの庭でもどれが食べられて食べられないかをよく聞いていたけど。
あと、シルビア嬢の執筆がやっぱりどうしても気になる。
……コツコツコツ、と爪でテーブルを叩く音で僕らはユリウス殿下へ視線を集中させた。
殿下が伏せていた瞳をすぅっと上げると、ぞくりと背筋を冷たいものが駆けあがっていった。
ぷつぷつと肌が粟立っていく。まるで、部屋の温度が一瞬で10℃くらい下がったように、冷たく感じる。
「……良かった、ね。なにも解決していないけど。ね、エレナ、ハル。」
殿下が口元に手を置きくぐもった低い声で僕らの名を挙げ、なんの感情も読み取れない虚ろな昏い瞳で、上目遣いで僕らを嘗めるように見る。
そして、その後ろに控えていたライナス様が、いつもののんびりした調子を消し去り、殺気立ち、威圧感を湛え、凄みのある殿下の懐刀へと姿を変える。
その二人の姿に、冷や汗が流れた。微かに震える手をぎゅうと握り歯をくいしばる。
「さて、話をまとめよう。エレナ、君は婚約解消を画策していたわけだが、シルビア嬢は僕の想い人ではないし、さらに言えば君はシルビア嬢を虐めてもいなかった。よって、この件での婚約解消はない。君は僕の婚約者のままだ。」
息をつめて俯く姉さんが目の端に映った。
「そして、ハル。君は僕の婚約者に対し懸想しただけではなく、公衆の面前であろうことかその想いを口にした。それ相応の罰を受けるのは、覚悟の上、だよね。」
「……はい。」
自分の中にしまい込んだ姉さんへの想いを、伝えることにはなんの迷いもなかった。
それこそ、殿下の相手へ懸想した罪で死刑になろうとも。それでも、僕は姉さんを愛しているとただまっすぐに伝えたかった。けど、それで姉さんに寂しい思いをさせると思うとひどくつらい。
「ちょっと、ユリウス!ハルには……、」
「黙っていろ、エレナ。」
ライナス様が、席を立って口を挟もうとした姉さんを押し殺した声で一喝した。
険しくなった彼の視線に姉さんは眉を下げて、がたりと音を立て椅子に座りなおす。
「2年間の国外退去かな。そうだね、レムリア皇国にでも追い出そうか。」
「ユリウス!」
「エレナ!黙っていろと言っただろう!?」
再度席を立つ姉さんの肩を押さえつけるようにライナス様が手をかけようとした。だが、その手を振り払って殿下へと噛みつくような強い視線を向ける。
「なんでレムリア皇国なの!?あの国と我が国はまだ難しい状況だわ。そんなところになんでハルを!納得いか、」
言い終わる前に、ねぇ、と殿下がその言葉に被せる。
「僕は今、それほど非常識な話をしている、エレナ?」
「っ、」
殿下の相手への懸想、そして人目を憚らずした告白。王家への侮辱だ。
また、僕の今回の行動により、姉さん自身には何の落ち度もなくても、あらぬ噂をたてられ嘲笑されることだろう。
僕を国外追放することで噂の風化を早めることができる。そして、2年という期限付きであり、追放されるだけで命に関わるわけでもない。恩情のある処分だ。
「僕は、常識にとらわれずに話ができる君を気に入っているよ、エレナ。そして、常識が通じる君を、僕は信じている。」
それ以上の反論を封じるような殿下の言葉に、俯く姉さんが歯を噛み、怒りに手を強く握り震わせていた。その僕のために手を痛める姉さんに、大丈夫だから、もういいから、そう言って声をかけて抱きしめたくなる。
「納得したようだね。さてそれでは次に、エレナ、君だけど。」
虚ろな目がまっすぐに姉さんを見据え、冷ややかな声を向ける。
「え?」
「シルビア嬢に対する虐めなんてものがあったとしても、侯爵家の君が下位の階級の彼女に教育が必要だったのだというなら多少は目を瞑ろう。けれど、君は僕への不敬が過ぎる。水をかけるくらいなら、僕も笑って済ませてあげられる。多少の暴言も許そう。けれど、階段から突き落とすのはやりすぎだ。ライナスを待機させていたと言っても、万が一のことがあればどうなっていたか。君は、王族への敬意が足りていない。」
吸い込まれるようなその昏い目を姉さんは真意を測るようにじっと見つめた。
「そんな君を、僕は王太子妃として迎えることはできない。」
「……え?」
「……エレナ、君との婚約は解消だ。そして、僕に婚約破棄された令嬢なんて噂や嘲笑の的となってこの国には居づらいだろう。噂が下火になるまで2年間ほど、君にはレムリア皇国へ使者として立ってもらう。」
「「……え?」」
今度は、姉さんと僕二人の声が重なった。
「君と婚約を発表したのは、レムリア皇国からの縁談除けという意味も含まれていた。けれど、彼の国が今、内で手一杯なのであれば僕が婚約を解消してもそれほど強引な手は使ってはこないだろう。そして、君も言っていたけど、皇国と我が国はまだ難しい関係にあり、外交手段を取り誤れば戦争という最悪の事態にもなりかねない。そうしないためにも、我が国と彼の国を繋ぐ優秀な人材が欲しい。できれば、彼の国の内側に入りこみ、情報を得て、動き回り、我が国に有利になるように仕向けてほしい。第二皇子派は、戦争を嫌う穏健派だ。できれば彼に皇帝の座を取ってもらいたい。まぁ、そこまでは高望みだし、手を出すのは危険かもしれないが。できる限りでいい。二人で皇国に行って手を尽くしてほしい。」
「「……。」」
僕らは呆気に取られて殿下を見つめていた。
「まぁ、早い話が婚約解消するから、二人でレムリア皇国に行って僕の手足として馬車馬のように働いてきてよってこと。」
シルビア嬢が、にまにまと口元をにやけさせる。ライナス様も、口元を手で押さえて、肩を震わせている。
「処分とかでは、なくて……?」
そう、尋ねるとユリウス殿下は思いっきり嫌そうな顔をした。
「君たち二人を処分してなんの得があるの。回りまわって、僕の仕事が忙しくなるだけだ。僕はもうこれ以上働きたくない。無理。過労で死にそう。というわけだから、君たちは国外から僕が少しでも仕事が減ってゆっくり眠れるように、援護してよ。」
かくんとユリウス殿下が首を傾げながらそう言う。
「言っておくけど、これはお願いではない。王太子である僕の命令だ。さて。僕はこれから王城に戻って陛下に婚約破棄の件を伝えないといけないから失礼するよ。」
「よかったな、ハル。」
ライナス様、いや、ライ兄さんがどん、と力強く背中を叩いていく。
「なぁ、これ結局、陛下には事後報告なのか?」
「当たり前じゃないか。」
「廃嫡とかないのか?」
「は?あの人の仕事の大半を誰がこなしていると思っているの。そんな権限はあの人にない。」
「ははは。」
そんな軽口を叩きながら、ユリウス殿下とライナス様が部屋を出ていく。
シルビア嬢も、私もせっかくなので残りの時間パーティーに参加してきます、と言って出ていく。
「ハル?」
「ごめん、姉さん。ちょっと僕行ってくる。」
「うん!あ、ハル!」
「え?」
「ユリウスは、顔には出さなかったけどお兄ちゃんって呼ばれるのがすごく嬉しいかったのよ。」
そう言われて、僕は相好を崩して兄さんたちの後を追った。
「ユリウス殿下!ライナス様!」
回廊を抜けていく二人の背に声をかけて、駆け寄る。
「どうしたの、ハル。」
「あの……!色々、ありがとうございました!」
頭を下げると、しばらくして、殿下がふ、と小さく笑う声が聞こえた。
「当たり前でしょう、僕は君のお兄ちゃんなんだから。本当、手のかかる弟だ。」
顔を上げると、殿下、いや、ユーリ兄さんに頭をぐしゃりと撫でられた。
「ほら、エレナが待っているよ。」
ゆったりとしたその低くて優しい声に、涙が浮かんで鼻の奥がつんとした。
ユーリ兄ちゃんたちの後を追って回っていた日々を思い出す。
口数は多くないけど、いつだって僕のことをユーリ兄ちゃんは気にかけてくれていた。
初めての日、靴擦れして足が痛むのを気づいてくれたように、苦手なものや、熱が出たりケガをしたりしたとき、落ち込んでいるとき、まっさきに気づいてくれるのは、いつだってユーリ兄ちゃんだった。
「……ありがとう、ユーリ兄さん、ライ兄さん。」
本心から、そう笑顔で言うと、ユーリ兄さんは眩しい……、と言ってよろめいた。
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