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1.『庭』

 





 ぐずついていた雲間が晴れ、廊下に柔らかな陽が差しこんだ。

 それは、姉さんの居室の扉を前に佇んでいた僕の足元も照らしはっとする。


 春らしい穏やかな陽の光に反して、廊下には冷たい空気が滞留していた。

 優に30分はこうして立っていただろうか。そのせいで足元から体を冷やされ、軽く握りしめる指先が自分のものじゃないように冷たく硬く感じた。

 ふっ、と息を吐いてノックする形で固まっていた右手を緩ませる。

 姉さんに声をかけるのは、もう少しこの日差しで手を温めてからにしよう。

 意気地なくも、そう考えて扉の前から離れて窓際へと寄り陽の光の下へと手を翳す。窓を通した飴色の光は、僕の手をゆっくりと温めてくれる。

 熱を戻す自分の右手をグーパーしながら、なぜ彼女の部屋をノックすることができずに固まってしまったのだろうかと、首を傾げる。



 このウェストリンド公爵家に引き取られ、もう8年だ。その間、幾度となくこの扉を叩いて姉である彼女の名を呼んだ。慣れている、というより、当たり前のことだ。今更躊躇うようなことではない。

 けど、振り返って彼女がいるその部屋の扉を肩越しに見て、自分がその扉を叩くのを想像するとどことなく居心地が悪くなり、視線を窓の外へと移す。

 雲の合間から差し込んだ光が煙る庭を明るみへと(さら)け出していた。


 大きく息を吐いて、光彩を取り入れるために作られた美しい窓とは別の、換気用に作られた窓を開ける。

 すると、すぅーと開けた側から健やかな空気が滑り込み、メイドたちにより塵一つなくきれいに磨き上げられた廊下に流れていった。

 廊下に残っていた冷ややかな冬の気配を追い払うような、春の甘さを含んだ爽やかな風が緩やかに、だが確かに流れ入るのを感じた。

 その入れ替わっていく空気が、自分の中にある理由のつかない濁った感情を洗い流し消し去ってくれるようで目を瞑って深呼吸する。



 まぁ、まだ時間はある。

 4時までに家出れば、間に合うのだから。




 窓に体を寄せて眼下を眺めると、庭師のジルがせっせと肥料らしきものを台車に載せて運んでいく。

 例え騎士と言われても納得するような屈強な体つきをした彼が、昨日その大きくてごつい手に似合わない小さな苗を手にして、

『いい花の苗が手に入りましてね、こいつは小振りながらいい香りがするんです、お嬢様がお好きそうな花でして。咲くのが今から楽しみです。』

と、ほくほくとした笑顔を見せていたのを思い出す。きっとその花を植えて手入れしているのだろう。


 眺めていると、僕が見ているのを気がついたようで、彼はぺこりと頭を下げてから、力こぶを見せるような真似をする。それはいつものことで、今となっては挨拶のようになっている。

 ここに来た頃に、姉さんとよくジルのあの太い腕に掴まって振り回して遊んでもらったものだ。ジルは人が良く断ることが苦手だから、もう一回もう一回とせがむ僕らを何度だって腕に吊ってぐるぐると回ってくれた。

 だが子供の体力は侮れない。楽しくてジルが腰痛を悪化させるまで突き合わせ、メイドたちに見つかりこっぴどく怒られたことを思い出して、くすっと笑いが漏れた。

 僕もジルほど立派ではないがあの頃より筋肉のついたその腕を曲げて、同じ力こぶを見せるポーズをすると、彼は白い歯を見せて深い皺をもっと深め、にかっと気持ちの良い笑顔を見せた後、元の作業へと戻っていった。


 春が近づき、ジルが冬の時期にも甲斐甲斐しく世話をしていた庭の草木がいっせいに芽吹き始め、冬の間どこか靄がかっているように見えた庭がベールを脱いだように明るく、そして瑞々しい色を放つ。

 先ほど一時的に降った小雨の粒が新芽の先にしがみついているのだろう、柔らかな日差しを受けてきらきらと輝いて見える。


 ジルが丹精込めて作り上げる庭は、まさに彼の性格そのものだ。大胆で繊細。一途で、健やか。細部のこだわりが、全体の纏まった美しさを作り上げる。そして、住む人の好み、例えば姉さんの好きな香りのよい花をたくさん、そして交じり合わないように風向きすら考えて配置するところや、僕が来た当初に記念として植えてくれたオリーブの木をひと際大事にしてくれる気遣い。

 人を思いやる心から生まれる美しい庭は、いつだって安らぎをくれる。



 ぼうっと庭を眺めていると、後ろから軽い足音がとたとたとやってきてボスンと僕の足元へとぶつかった。思ったとおり、義弟のアランだった。


「アラン。お昼寝から覚めたの?」


「うん。それより、兄さま!すごい、かっこいい!」


 アランが姉さんと似た淡いブルーの瞳をきらきらと輝かせてそう興奮した様子で言う。

 今日のパーティーに合わせ作った衣装に賛辞をくれる弟に、ありがとうとお礼を伝え、その柔らかな栗色の巻き毛の頭を撫でると彼は嬉しそうにきゃきゃと笑う。


「申し訳ありません、ハルディン様。でも、まだこちらにいらっしゃったんですか?」


 メイドのメアリがくすくすと笑いながらアランの後から現れる。そのからかうような口調に、思わず苦笑いしてしまう。

 半刻ほど前にも同じように姉さんの部屋の前にいる姿を見られていたのだ。

 使用人らしからぬ物言いではあるが、彼女に悪意がないのはわかっているし、この家での僕ら貴族と使用人たちの距離は近いのでいつものことである。


「庭が美しくて、見ていたんだよ。」


「ああ、そうですね。春めいてきましたから。もう少し温かくなりましたら、お庭でお茶もよろしいですね。エレナ様のお好きな木苺のケーキも……」


 はずむような声が姉さんの名を出した辺りで失速していき、途中でメアリがしゅんと肩を落とす。

 ……今日の卒業パーティーを終えれば、そう時期をあけず姉さんは城へとあがるだろう。寂しい、と口にはしない彼女を気遣い、


「そうだね。お茶もそうだけど、お花見もしようね。姉さんが楽しみにしているし。」


そう楽し気な声を出して笑いかけると、はい、とにっこり笑う。


「ぼくもお花見たのしみ!お菓子をいっぱい食べてもいい日!」


 アランの『お花見=お菓子をたくさん食べられる日』という認識に僕とメアリは目を合わせて笑ってしまう。



 お花見、という他の貴族の館では例を見ない催しは我が家では毎年恒例の一大イベントと化している。

 お花見は、使用人たちの慰安も兼ねておりその日は仕事もそこそこに、父様からのたくさんの差し入れを囲んで宴となる。

 使用人たちがこの時期になるとうずうずとしだして、花が芽を膨らませいくのをつぶさに観察し、今か今かと綻ぶのを気にしている様子を見ているとなんとも微笑ましかった。



 お花見というのものを最初に言い出したのは、姉さんだった。



お読みいただきありがとうございます!

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