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〜前編〜

太陽は山の稜線から少し顔をのぞかせた程度で、空には灰色の雲が浮かぶ。

ニット帽とマフラーの隙間から頰にあたる風は冷たい。

いつもの習慣で駅には来たものの改札の前で立ち止まり、いつもの電車に乗り遅れた。

「よし、決めた。」

全てに飽きた僕は今日、本当に突然にこの街を出ることを決心した。


いつもと逆方向の郊外へと向かう電車に乗る。

車内はこの先の高校に通う学生がわずか数人。

テニスラケットを持っているから部活の朝練だろう。

彼らも次の駅でいなくなり、最後は僕だけになる。


終点までそのまま乗り、そこで2両編成の電車に乗り換える。

山あいを進む列車は、観光シーズンともなれば沢山の外国人や家族連れで賑わうのだが

冬場のしかも平日早朝の今は閑散としている。

5つ目の無人駅で降り、美名山と書かれた案内板に従って山の方へと進む。

車の通れないほどの細い道はやがて舗装も途切れデコボコの土道となり、霧が僕の姿を隠していく。


「はて・・・・」


前方に山小屋が見えた。

観光客相手の店か何かだろうか。電気がついているので営業中だろうか。

そこにいけば何かあるように感じて、僕は久しぶりにわくわくした。


店の入り口には大きく”忘帰堂”と書かれた木の看板がぶら下がっていた。

引き戸をそっと開け、暖簾の隙間から中を覗き込む。

いかにも田舎風の食卓にベンチ椅子がひとつだけ置かれていて

食卓の上にはポットに湯呑みを伏せたお盆がある。

どうやら何かものを食べさせてくれる店のようだ。

朝から何も食べていないことに気づいた。


「すいません。いらっしゃいますか。」

しばらくして店の奥から声がした。

「いらっしゃいませ。おはやいことですね。」

店の有り様からてっきり老婆でも出てくるかと思っていたが

若い女性が出てきたのにはびっくりした。

僕と同世代くらいだろうか、薄化粧で地味な服装をしているが、かなりの美人だ。

「ここ、飲食店・・・ですよね。おなかがすいちゃって。何かできますか?」

そう訊ねると、女性は申し訳なさそうに言った。

「あいにく、何もお出しできるものがなくって・・・・。あ、そうだ。」

女性は何か思い出したように奥へと戻ると皿の上にいくつか饅頭を載せて戻ってきた。

「こんなものでよろしければ、どうぞ召し上がってください。お代は要りませんので。」

「ありがとうございます。でも、ただというわけには・・・。おいくらですか。」

「本当にいいんですよ。残り物なので。」


そんな会話がしばらく続いた後、僕はお茶代として少しばかりのお金を受け取ってもらった。


「お客様は、いったいどうしてお山にいらっしゃったのですか。」

考えてみればスーツに革靴で山登りなんてふざけた格好である。

僕は温かいお茶を飲みながら答えた。

「なんでかなあ。なんとなく・・どこかに行きたくなって・・・。気がついたらここにいたんです。」

女性は優しく微笑みながら言った・

「お山の蛇様に呼ばれたのかもしれませんね。」

このお山の元々の名前は”蛇縄山”と書いたらしい。

昭和になり周辺が観光地化したときに蛇の縄ではウケが悪かろうと美名に変えたとか。

女性の家はこの山の麓にあった蛇神を祀る神社の宮司の末裔だそうだ。

僕は饅頭を一口食べた。美味しい。

「このお饅頭は昔、神社で作っていたものなんですよ。」

”忘帰餅”と言って、秋祭りの後氏子に振る舞われたものらしい。

「なるほど、それで店の名前も・・・。」

「そうなんです。でもあなたが最後のお客様です。」

「もう父も亡くなってだいぶんと経ちますし、そろそろ潮時かなとは思っていたんです。」

女性は、今日で店を片付けて都会の縁者のところに身を寄せるらしい。


話し込んでいるうちに眠くなってきた。

「特にご用事がないのでしたら、どうぞゆっくりしていってください。」

「私はちょっと麓まで用事をしに行きます。こんな山奥ですので戸締りは大丈夫ですのでそのままで。」


どうやら僕はそのまま椅子から落ちて眠ってしまったらしい。

目を覚ますと地面に這いつくばっていた。

しかし、おかしなことにおき上がろうとしても起き上がれない。

手足の自由が全くきかないのだ。

僕は、入り口まで這っていき、ガラスに映る姿を見て気づいた。

僕は一匹の白蛇になっていた。



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