ショッピング
しかし沙里は俺に気付かないようだ。
沙里はニット生地のインナーにロングスカート、そして全体的にモコモコとしたファー付きの長めのコートを着ていた。まるで小動物を思わせる風体だ。
気付かずに立ち去ろうとするので、仕方なく声をかける
「佐t…あ、いや、沙里?」
「え?あ、"俺"さん。早いんですね。私ちょっと買い物があって。"俺"さんもですか?」
仄かに感じていた、沙里も俺に早く会いたかったのか…という淡い期待は一瞬で裏切られた。
「あ、あぁ、そうなんだよ。」
なるほど、買い物か。俺はどこかで時間を潰すとするか…と思っていた矢先
「一緒に行きますか?」
と誘われる。
自分の凡人根性に恥ずかしさすら感じる。そうだな、知り合いと買い物に行くのは自然なことだ。たとえ相手が美人でも。
「服が欲しくて。そういえば、"俺"さんの私服ってそんな感じなんですね。意外でした!私の友達もそういう人多いんです!」
"友達"というのは二丸グループの商社マンや証券マンのことだろう。
「あ、あぁ、Giorgio Armaniなんだ」
沙里と話す時はどうしても言葉が詰まってしまう。動揺が隠しきれないという感じだ。
「へぇー。そうなんですね。私ブランドとか詳しくなくて。詳しいんですか?」
そうなのか。Giorgio Armaniには女性服もあるはずだが、まぁいくら「ゆるふわインスタグラマー」こと佐藤沙里でも縁がないのだろう。
そう思うと、俺はあるアイデアを閃いた。
「いや、そういうわけじゃないんだけど。よかったら一緒に行く?女性服もお洒落なの多いんだ。」
俺の目的は2つ。沙里の"友達"にも手が出ない値段であることを知らしめること。そして、それを沙里に貢ぐことだ。これほどの美女なら多少貢ぐのも悪くない。
「本当ですか?それじゃ、案内お願いしますねっ」
と微笑む。
よかった。もし目当ての店など決めていたのなら余計なお世話だっただろう。
xx駅は周辺の駅の中で最も栄えている駅だ。あらゆる高級ブランド店や大企業の事務所、会員制のバーなどもあれば、一本通りを入ると怪しい店やホテル街も存在する。
沙里を案内しながら、会社を辞めてせいせいしただとか、課長がハゲだとか、くだらない話で盛り上がった。共通の話題なんてこれくらいしかないから、沙里が仕事を辞めたのはちょうど良かった。
10分もせずGiorgio Armaniの独立店舗に到着した。店の外壁には大きくブランド名が掲げられている。単なる服屋のはずだが、その店の存在が街の景観を構成している言えるほど、存在感がある。
店に入ると店員が
「いらっしゃいませ、"俺"さま」
と出迎えてくれる。確かに訪れたのは最近だが、名前まで覚えてくれているとは。
世界一の企業の力を見せつけられた気分である。
沙里は何も言葉を発することなく、目を輝かせて店内を見渡す。その顔からは、期待と驚き、少しの気後れが読み取れる複雑な表情だ。
「き、今日は、、彼女の服を見に来たんです」
少しぎこち無く、店員にそう告げる。
「かしこまりました。それではこちらへどうぞ」
と、女性服が売られているエリアに通される。
どうやらレディースは2階にあるようだ。
無駄に洒落た階段を上がると、目の前に奇抜な色のドレスを纏ったマネキンが堂々とポーズをキメている。
ーーこ、これは…少し前衛的過ぎる服だな…レディースはチェックしていなかった…
店員が俺の反応に気付いたのか
「カジュアルなものはこちらにご用意しております」
と笑顔で案内してくれる。
そこに陳列、いや、展示とも言うべき見事な様子で服が並んでいる。
以前気に入ってたショップとはまるで別世界だ。
沙里は店内に入り初めて口を開き、気まずそうに小声で俺に囁く
「お、"俺"さん?すっごく綺麗な服ですけど、私…」
初めて沙里が何かに臆するところを見た。
誰にでも見せている笑顔意外の表情は新鮮だった。
「いや、俺がプレゼントするから大丈夫だよ。ほら、クリスマスも近いし」
この言葉は流暢に言えた。店の雰囲気を味方につけたような気分だったからだ。
「ほ、本当ですか!?」
と沙里は満面の笑顔を見せる。
いつもの社交辞令のような笑顔ではなく、心からの笑顔という表情に、俺は満足した。
それから俺は、目に付いた黒いカジュアルな、それでいて上品なデザインのワンピースを手に取り、試着するように促した。
沙里は、
「あ、分かりましたっ。似合いますかね…?」
と言いながら無駄に広い試着室に入り、無駄に分厚いカーテンを閉めた。
試着室の前のソファに座り待っていると、中から沙里が服を着替える衣擦れの音や、チャックを閉める音などが聞こえてくる。
ーー……この中で今着替えてるんだな……。
そう思うと、何とも言えない恥ずかしさがこみ上げてきたが、悪い想像を振り払うように目の間をつまんだ。
そうしていると、サッとカーテンが開いた。
そこには俺の選んだワンピースを着た沙里が立っている。モデルだと言われても信じてしまうような美しさだ。
「すごく似合うね!じ、じゃあこれはどうかな?」
と、気分が昂った俺は、目に付いた少し派手な赤色で、ウエストのシルエットが美しいコートを手渡す。
黒いワンピースに赤いコート。無難な組み合わせだが、Giorgio Armaniのデザイン力と沙里の美しさが相まって、感動さえ覚える輝きを放っている。
俺は、本当に美しい人を見ると胸を打つような感情がこみ上げてくることを初めて知った。
「よし、これを買おう!」
と俺は言ったが、不運にもさらに似合いそうな服を視界の端で捉えてしまった。
次は茶色のスエード生地のジャケットで、沙里の「ゆるふわ」感とは少し違うが、甘すぎる沙里の雰囲気を中和してくれると確信した。
当然、それも大当たりだ。
さらに次から次へと目に付いた服を沙里に手渡し、全部で5つほど試着した。
沙里は、最初のうちは次々と手渡される服に戸惑っていたが、後半になると、カーテンを開ける度モデルのようにポーズを取って、俺はそれに拍手した。
その様子は誰の目にも、若い成功者と美人な女性のカップルがクリスマス前に買い物に来たのだと映っただろう。
結局試着した服は俺が選びきれずに全て購入することにした。その総額は650万円ほどしたが、支払いの時は上手く沙里をトイレに誘導し、見せずに済んだ。