ホテル
スイートに戻ると、部屋が綺麗に清掃されていた。
二丸ホテルは名高いホテルだが、むやみに部屋に入られるのは危険だ。
一応清掃は週一程度にしてもらおう。
そう思いながら、買ったばかりの金時計を外し、お堅い服を脱ぎ、家から持ってきた三流ブランドのジャージに着替える。
クローゼットに服を掛け、鏡の前に立つと、今までと変わらない俺がいた。
【金は己の能力を上げてくれない】
その通りだ。
10億持っていようが、金時計を買おうが、それは俺の能力で得たものではない。
ふと俺の頭に一つの考えがよぎる。この場合恐怖と言った方が適切だろうか。
仮に俺がこのまま金を使い切った時、必ず破滅する。2日で600万円を使ってしまった。今までの年収の2年分だ。
つまり、自分の能力を底上げしなければならない。これが俺の天命なのかもしれない。
そのために、自分で会社を興すのは通らなければならない道だ。
俺はアキにメッセージを送るため、LIMEというチャットアプリを開いた。
そこには既にアキからのメッセージがあった。
「何かあった?変な人に騙されたりしてないよね?」
とある。
なるほど、俺の身なりの変化は投資詐欺にでも手を染めたと思われたのだろう。
俺はメッセージで全てを打ち明けようと思ったが、周囲に誰かいないとも限らない。
俺はアキに電話をかけた。
「あ、"俺"くん?」
「あぁ、実はな……たかr…」
「待って!詐欺とか言わないでよ?」
だからそうじゃない
「いや、宝くじが当たったんだ」
言ってしまった。
こうして、銀行でもらったハンドブックにあった《仕事を辞めない》に続き《誰にも言わない》を破ったことになる。
「………っ!」
アキが言葉を詰まらせ息を飲んでいるのが電話越しでも伝わってくる。
「ついでに聞くけど、いくら?」
10億。とは言えない
「えーーっと、2千万くらい」
と敢えて少なめに言った。
「2千万でそんな時計買ったの?」
と怪訝そうに聞いてくる。
「あ、あー、起業しようと思ってさ。それにはハッタリが必要だろ?」
「まぁ…なるほど。って起業するの!?何の会社?」
「一応飲食系かなぁって思ってる。前の会社の後輩も来てくれるかもしれない。」
無論、佐藤沙里のことだ。
「そ、そうなんだ。」
「そうだ、アキって法学部だったよな?そういうのに詳しい人とか知らないか?」
「先輩に司法書士がいたはずだけど…紹介しようか?」
「あぁ、頼む」
その後は、俺が社長になるなんて、と半分からかわれながら軽く世間話をして電話を切った。
アキからメッセージが届いた。どうやらその司法書士とやらの連絡先のようだ。
アキの知り合いなら騙されるなどの心配は不要だろう。
【Misa】というアカウント名だ。
ミサ、女性か…
俺はそのアカウントを友達登録したが、もう夜遅い。メッセージを送るのは明日にしよう。
そういえば、弁護士を聞くのを忘れていたな。まぁ、この"Misa"とやらに聞いた方がいいかもしれないしな。
Misa…か。アキは先輩って言っていたな。どんな人だろうか。司法書士って言うくらいだから35歳くらいにはなってそうだ。
10歳上かぁ……
何やら10億当ててからというもの、女性との縁がとても深いため、嫌でも少し期待してしまう。
だが10歳上は気後れしてしまうな。年上は嫌いではないが…
と自分が馬鹿なことを考えているのに気付き自然と笑みが零れる。
気が抜けたら腹が減っていることに気付く。
そういえば、寿司屋を"追い出されて"から何も食べてなかったな。
ホテルのルームサービスでディナーを済ませる。
ルームサービスには予約が要らない。何となく自分がホテルに馴染めているような気がした。