身辺整理
翌日、新しいホテルに移った。スイートのある有名なホテルだ。
これで人間らしい生活ができる。
一ヶ月の契約で50万円だ。前金で全額支払う。カードじゃないのが少し成金っぽいが、住所不定無職であるため社会的な信用はゼロだ。クレジットカードは作れないだろう。
部屋にはキッチンがついており、居間と寝室に分かれている。
なるほど、これがスイートというやつか。
しかし、未だに最も高揚感があったのは当選を知った瞬間だった。
というのも、今感じているのは浮遊感だ。
まるで、夢であるかのような、現実離れした感覚。
俺には次にすべきことが明確に見えていた。
仕事という足枷を断ち切ったことで、判断力や行動力が戻ってきた、と言えるだろう。
まずは服、髪型、身体。とにかく身だしなみをすべて整える必要がある。
サラリーマンをやっていると、どうしても他人の財力を見た目で判断するようになることが痛いほど分かる。
社長が、金のロレックスをつけ、上等そうな紺色のスーツに身を包んでいるのはそのためだ。一種の心理戦略とでも言えよう。
まずは街の中心部の百貨店に行き、ブランドの店を物色する。
BVLGARI、HERMÈS、LOUIS VUITTON、Giorgio Armani……見知った、それでいて遠い名前が連なっている。
やはり、男性ものはGiorgio Armaniで揃えるべきだろうか…
俺はブランドなどまったく詳しくないが、店の概観を見ればさすがに何となく分かる。
店内は白基調でシンプルだが、どこぞの芸術家が設計したであろうインテリアで美しくまとまっている。
安物の服で行ったにも関わらず、店員は非常に丁寧に接客してくれる。
やはり世界トップレベルの企業は違うというわけだな。
俺は鞄に百万円を2つ忍ばせ、店内を見回す。
値札がかなり小さい。一つ一つのタグを確認しなければ分からないではないか……
ふと目についたジャケットを見ると、¥790,000の文字が見える。
ジャケット79万円?持ってきた200万円などあっという間だ…
自分の世界の小ささを思い知らされる。
しかしここで引くわけには行かない。
というのも、ここで帰ってしまえば、俺は2度とここに来る勇気が出ないだろうから。
同じような顔をした美人の店員に相談しながら、何とか、79万円よりは幾分か安いジャケットとセーター、スラックス、そしてコートを購入した。会計は198万円だった。
ギリギリだ…
しかし、俺がより強く感じていたのはそれ以上の高揚感だった。
なんせ自分の年収の7割を、たった1日で使ってしまったのだ。
金を使うということは何と気持ちの良いことだろうか。
俺は待ちきれず、百貨店のトイレで買ったばかりの服に着替えた。小綺麗なトイレの鏡で確認すると、悪くない。
Giorgio Armaniのしっかりとした作りの巨大な紙袋に、今まで着ていた安物の服を入れる。
これでは、まるで服が紙袋でオシャレしているようではないか……
残りの2万円で学生時代以来の美容院に行き、ホテルに戻る。
…さすがに疲れたな。金を使うことがこれほどまでに楽しく、しかし精神を消耗することだとは思いもよらなかった。
あぁ、200万円か…
これだけあれば1年生活できたのではないか?と考えると一抹の罪悪感をも感じた。
服に費やす200万円と、1年のニート生活。どちらに分があるだろうか。
だが、前者はそう多くの人間が体験できるようなものではない。
そうだ、きっと価値があるはずだ…
そう言い聞かせながらその日は眠りについた。
翌日も買い物だ。1晩眠ると感情はリセットされた。10億あるのだ。たかが200万使ったくらいどうということはない。
その日は一気に1千万をおろし、特に興味もない300万円の金の時計を買い、70万円の最高級の靴を買った。
「ここまで身なりを整えれば、一流に見えるな」
先週までブラック企業社員だったとは思えない風体だ。
きっと、誰が見てもどこかの経営者や投資家だと思うだろう。
だが、所詮は付け焼き刃。なれない高級な場所ほどボロが出るのだ。