10億
月曜日、俺は朝イチで銀行へ向かった。
頭からは訴訟のことが離れない。
まさか…いいようにやられて10億取られるとかないよな?
有り得ないと言ったら嘘になる。
実際、ネットで調べると、宝くじ当選者が悪質な訴訟で殆ど全額奪われたという事件があったらしい。
当然、警察は民事不介入なので、大きく表沙汰にはなっていないが。
銀行に入るとまっすぐ宝くじ当選者用の窓口に向かうと、受付は同じ綺麗な女性だった。
「少々お待ちください」
と言うと支店長の小林が出てきて応接室に通される。
前回と同じように座ると、
「こちらが当選証明書です。まぁ急に金遣いが荒くなると税務署に目をつけられるので、その時にこれを見せる必要がありますね。税金はかかりません。」
なるほど、金遣いまで監視しているとは、税務署は優秀なもんだな。
「それから、こちらがハンドブックです」
と、冊子を渡される。
「これは突然大金を手にして破滅しないよう、注意事項が書かれています。」
開くと、《仕事を辞めない》《生活レベルを上げない》《家族にも、誰にも言わない》《詐欺に気をつける》《むやみに現金をおろさない》など色々書かれている。
こんなものが貰えるとは。凡人の俺には丁度いいな。
「それから、こちらは我々が用意した投資案件です。多くの方は投資用の不動産を購入して家賃収入で暮らすパターンが多いですね。毎月キャッシュフローがあるので、派手な生活にもなりませんし、相続も楽です。まぁ、ご検討ください」
やけに落ち着いているな。10億も持っていればもっと積極的に投資案件を売り込んで来るのかと思ったが。
実際、資産10億程度の小金持ちの顧客はそこらじゅうにいる。ということか。
一通り説明を受け、最後に10億円入った通帳を受け取り、持参した印鑑を登録する。この日のために印鑑は高級品に新調したのだ。
帰り際に窓口で百万円をおろしてみる。
窓口で大きな金額をおろす時には理由や目的まで聞かれるということも、初めて知った。
たかが1cm程度の厚みしかない札束。
しかし俺は初めて見た。
たったこれだけで、大抵のものは変えてしまう。
辞書で調べると「お金」というのは「価値を保存するもの」だそうだ。
俺はこの金に、どのような価値を保存するのだろう……
鞄に百万円を入れると、鞄がとても重く感じる。これが金の重みだ。10億のたった0.1%でこの重みだ。
俺は、これから待ち受ける金の魔力に気付きはじめていた。
会社は完全に無断欠勤だ。電話も着信拒否している。
いわゆる「飛んだ」というやつか。
不思議と、心は落ち着いていた。
10億を手にしたが、心の準備は充分にしていた分、さほど舞い上がることもない。
これからするのは、まず身辺整理。
手始めに家だな。家を引き払うため、管理会社に電話し、割られた窓の修理費用を余分に支払い、その日のうちに引き払う。
家具などの荷物は業者を使い、月数千円のレンタルボックスに移した。
ポストの中には内容証明郵便で社長から訴えられたとの旨の書簡が届いていた。
本当に訴えられてしまったようだな。参ったな……
それに損害賠償は謎の計算により2800万円に増えていた。
間違いなくこれはブラック企業社員の俺には弁護士を雇うほどの資金がないということを見越してのことだろう。
現金で払えずとも財産、給与を差し押さえられ強制執行される。
つまり、理不尽だろうが、金がなければどう足掻いても勝てない裁判なのだ。
金が、なければ。
裁判は来月のようだ。それまでに社長に話をつけるとして、まずは身辺整理の続きだ。