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奴隷

 ミスド王国、王都ミスド。

 高い城壁に囲まれたその都市にはおよそ500万人もの人間が暮らしている。それだけの人間が住む都市だ、混雑した大通りを歩いていると人にぶつかりそうになる。避けて、避けて、避け続けると舗装されていない道になってくる。先日雨が降ったせいで、歩けば泥まみれな道が靴を汚す。

 そんな泥だらけの道の先、王都ミスドの一角にある宿屋の扉を一人の男が開けた。粗末なマントをまとい、フードを深くかぶったその姿は、見るからに金など持っていそうにない。だが、こじんまりとしたカウンターで、頬杖をついてあくびをしていた宿の親父は、その男を快く向かい入れた。


「おお、今回も死ななかったか、レェン! ガハハハハハ!」

 

 宿屋の親父に名前を呼ばれ、レェンはフードを下ろした。取り払われたフードから現れたのは、ぼさぼさの黒い髪と眠たそうな黒い瞳。この男を初めて見て勇者だと信じる人間はいないだろう。


「吐いてしまって、お腹すいてるんだが、なんか食べ物ない?」

「おう、どうせお腹すかしてくると思って、サンドイッチを作り置きしといたぜ」

 

 皿の上にこんもりと盛られたサンドイッチは、柔らかそうなパンに、ハムやレタス、トマトなどがこぼれ落ちそうなほど挟まれていて、見るからに美味しそうである。手に持つと、微かにマスタードの香りが鼻腔をくすぐった。


「うん、うまい、うまい。作ったのは娘さん?」

 

 レェンの問いに親父は顔しかめた。


「あ? 何回も言ってんだろ? くそ野郎、マリネの手料理をお前ごときに食わさねぇよ」


 酷くドスの効いた声だった。とても客に聞かせていい声ではない。


「ごときって……俺、一応、勇者よ? 世界最強よ?」

「メンタルは最弱だろ」

 

 何が面白いのか、腹を抱えててげらげらと親父は笑い出した。


「つーかよ、気になってたんだが、今回は何狩ってきたんだ?」

 

 涙が出そうなほど笑った後、親父はレェンが背にせよったもの指差した。黒く歪にねじ曲がった巨大な角を、親父は見たことがなかった。


「ん? これはカオスドラゴンの角」


 レェンはサンドイッチを咀嚼しながら、こともなげに言った。


「ああ、カオスドラゴンの角かどうりで、でけぇわけだ……」

 

 そのあまりの平然さに親父は、危うく聞き流すところだった。


「んあ!? カオスドラゴン!? なんつーもん倒しやがった!!」

「いや俺だってあんな強敵を倒しに行きたくなかったよ。でも被害にあってる地域があるから、仕方なく」

「仕方なくで倒せるほど! 死の谷の主は甘くねぇよ!」

「今はもう谷じゃなくて湖だけどな」

「はぁ?」

「新しく覚えた魔法が津波を発生させる魔法でさ、効果がわからなくて試しに連発してたら……沈んだよね」


「おいおい、いかれてんのかよ」親父は目元を抑えて天を仰いでいたが、何かに気づいたのか急にレェンを見つめてくる。「そんな強面で睨むなよ。サンドイッチがまずくなるだろ」とレェンは口を尖らせた。


「つーことはだ。またレベルが上がったのかレェン」

「今はレベル87だな」

「ちっ、くそがっ」

「くそがって……生きてることを喜んでくれよ」


 親父は歯を食いしばって、悔しがる。宿屋の親父が悔しがるものにも理由がある。その昔、親父は大槌のガンツとして名の知れた冒険者だった。命などお構いなしに笑いながら魔物に突っ込んでいくその姿は冒険者のお手本のような存在だった。だが娘ができたことによりガンツは冒険者を引退した、娘を残して死ぬのが怖くなったのだ。

 しかし、またひとつレベルを上げ、強敵を倒した男を前に、冒険者だった頃の血が滾った。


「ああ、くそっ! おい! マリネー! マリネー!」

 

 ガンツが冒険者をやめる原因となった娘を大声で呼びつけた。


「はいはーい、そんな大声で言わなくても聞こえてるよ、お父さーん」


 名前を呼ばれて、廊下の奥から、パタパタと走ってきたのは17歳ぐらいの少女。


「ってレェンさん!? 帰ってきてたの!?」


 ガンツ・クライツの娘、マリネ・クライツ。

 レェンをまっすぐに見つめてくる澄んだ瞳は驚きに染まっている。

 完璧といっていいほど整った輪郭。

 腰の辺りまで伸びた鮮やかな金髪のストレート。

 正常な男であれば、十人いれば十人とも可愛いと絶賛しそうな美少女が、この熊のようにごつい親父からから生まれたとは、レェンはとても思えなかった。


「あああ!!! ちょっと待って!!! すぐに着替えてくるから!?」


マリネは真っ赤な顔を手で覆って、何故かすぐに引き返していった。


「……なんで店の服から着替える必要があるんだ?」

「……ったく、本当にこんな男のどこがいいんだ。うっかりで谷を湖にする頭のいかれたやつだぞ」


首を傾げるレェンに聞こえるように、ガンツは露骨に舌打ちをし、サンドイッチを無造作に掴むと、大きく口を開いて頬張った。こんもりと盛られたサンドイッチがあっという間に消えていく。


「あ、おい! サンドイッチ!!」

「なんだ? 俺が作ったサンドイッチを俺が食べることに、文句あんのか!? ああぁん!?」

「文句あるわ! 客だぞ! おい!」


 レェンが叫ぶのと同時に店の扉が開いた。この宿屋を訪ねるのは道に迷ってたどり着いた客か、勇者に用事がある人間ぐらいだ。


「こんちわーす。おやっさん、店の外まで響てるよ」


 果たして今回は後者だった。 

 レェンが軽薄そうな声に振り向くと、くせっ毛をした緑の髪が目に入った。それからヘラヘラした笑顔が張り付いていた顔が見える。


「あ? ジンてめぇ、貴族が宿屋に冷やかしにくんじゃねぇ、家で寝てろ! 俺は今機嫌が悪い!!」


 ガンツの言葉が聞こえてないのか、ジンと呼ばれた男は飄々とした態度でレェンの近くに寄ってきて、馴れ馴れしく肩に手を置いた。


「やぁやぁ、親友。無事に帰ってきてくれて嬉しいよ。報酬はたんまり貰ったんだろ? 実は紹介したい商品があるんだ」


 ジン・タラッターがにんまりと笑った時は、何かよからぬ事を企んでいる時だとレェンは身に染みて知っている。

 だが、色々と疲れて、お腹の減っていたレェンは気が緩んでいた。


「……商品? 食べ物か? 今、お腹すいてるんだが」


「まぁ、食べれなくもないけど、オススメはしないね」とカラカラと笑った後、「おーい、入っておいで」店の外に向かって呼びかけた。


 数秒して扉を開け、おずおずと入ってきたのは、レェンのように薄汚れたマントに身を包んだ少女だった。だが、レェンが入ってきた時とは違ってガンツは苦々しい顔で呟いた。


「……奴隷か」

「正解~」


 パチパチと拍手を送ってくるジンに、ガンツはより眉を歪める。少女の首に巻かれた、奴隷の証である鉄の首輪が痛々しい。少女の肌は病的なほど白い。ろくにご飯を食べていないのか、酷く痩せこけている。銀色の髪はくすんで汚れており、瞳は暗く、生気を感じれない。

 レェンは思わず言葉も忘れて、凝視してしまった。


「お、お嬢ちゃんの名前はなんてぇんだ?」


 途端に流れ出した暗い空気を打ち消すように、ガンツは努めて明るい声で少女に尋ねた。


「フィーネだってさ、彼女らしい、いい名前だよねぇ?」


「なんで、てめぇが答えるんだよ」

 

 ガンツが睨むと、ジンは自分の喉元をトントンと何度か叩く。


「彼女、喋れないんだ」 


 ぱっと見ただけではマントと首輪に隠れてわからないが、少女の細い首には凄惨な傷跡が刻まれていた。


「しかも驚くことに彼女のレベルは27だよ」

「はぁ!? レベル27ぁ? 高すぎるだろ!?」


 ずっと黙っていたレェンが、自分がレベル87であることも忘れて、驚きの声を上げた。

 レベル27を超える人間は王都でも数えるきれるぐらいしか存在しないだろう。大量の魔物を狩り、圧倒的な運がないとたどりつけないレベルだ。


「ッ!?」


 レェンの声にびくりと体を跳ねらせ、伺うような上目遣いで見てくる、少女の小さな肩はがくがくと震えていた。


「ああ、ごめん、ごめん怒ったりはしてないから……」


 嘘だ。やり場のない怒りが腹の奥底で渦巻いていた。

 自分は何のために恐怖を押し殺しながら、戦っているのか? こういう不幸な人間を一人でも減らすために戦うと、あの人と約束したではないか? 同じ考えが自分の中で堂々巡りする。

 気がつけばいつの間にか拳を握っていた。


「奴隷は魔物と戦わせられるからねぇ」


 この世界で進んで魔物に戦いを挑むのは冒険者ぐらいだ。だが、冒険者の数は少ない。魔物との戦いに負ければそのまま死に。勝ったとしても運が悪ければレベルアップして死ぬ。その志願者の少なさと圧倒的死亡率から、魔物を狩るものは一握りしかいない。しかし、魔物の被害は増える一方だ。被害を抑えるにはどうしたらいいか答えは簡単だ。ミスド王国の王は人権のない奴隷に魔物と戦わせた。


「奴隷を買う人間は大抵が、魔物と戦わせるためか、愛玩用かのどちらかだけど。この娘はそのどちらの需要を満たしているんだよ。おかげで高くてさぁ……」

「……」


 行き場のなかった拳を、饒舌に語るジンの頭に振り下ろしてから、


「――――いたっ!! いきなり何!? 親友の拳骨はしゃれにならないって!!!」

 

 レェンは中腰になってフィーネと視線を合した。光のない瞳と視線が絡み合う。


「……少しでだけ、じっとしといてくれるか?」


 身をすくませる少女に、レェンは出来るだけ優しい口調で語りかけ、軽く少女の喉元へと手を伸ばした。


「……ッ」

「エクス・ヒール」


 エクス・ヒール。それはレェンが使える中で最高位の回復魔法だった。死んでいなければどんな大怪我や病気も治す奇跡の魔法。自分の中から魔力がごっそりと減るのを感じる。


「あ、おい! 回復魔法を使うなら僕に使ってくれ!」


 涙目になりながら頭を手で抑える、ジンを無視して、少女の喉元へと集中する。


「え?」


 自分の中に暖かい何かが巡っていく感覚に、瞳を大きく見開き、フィーネは思わず声を上げた。


「え……え?」


 そう、声を上げたのだ。そのことに困惑してフィーネはまた声を出した。


「あ……れ……」


 わなわなと震える唇で、


「い……ま……こ……え……」

 

 ただ呆然と呟く。


「こ……え、が…………こえが……でるよ……」

 

 酷く掠れた声を出しながら、フィーネの形のいい顎をなぞって涙がこぼれ落ちた。瞳から大粒の涙がとめどなくあふれ出す。目尻が熱くてしかたがない、いくら拭っても涙が止まらない。


「うおおいい! 何泣かしてやがるレェン! 女の子を泣かせてた宿屋って噂がたって客足が遠のいたらどうしてくれる!?」

「ええ!? 俺のせい!? 俺は良かれと思って! それにどうせ噂が立たなくても客こないだろ‼」

「ううぅ……ぐすっ……ひくっ……」

 

 自分喉を抑えながら、啜り泣くフィーネにどうしたらいいのかわからず、レェンとガンツはあたふたと手を走らせる。


「え、え!? これ今、どういう状況!?」


 お気に入りの服に着替え、軽く化粧を施して、戻ってきたマリネが驚きの声を上げ、


「ううっ、絶対にたんこぶになるよこれ!! 経験上分かる!!」

 

 ジンはまだ涙目だった。


次回から動き出します。

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