情報整理
日記を閉じて俺は天井を見上げる。
「……はぁ」
ため息が漏れる。ムツミが日記を読ませた理由が分からない。
確かに日記を読んでいい印象はない。むしろ知りたくないものだった。
だけど「ナナミに勝って欲しい」というムツミの想いは分からなかった。
「はぁ」
もう一度ため息。腑に落ちない。モヤモヤした感じ。ムツミの想いが気になる。
もう少し整理しよう。
まずナナミ。
ヒゴの領地の城主の娘だった。
フヨウで魔剣の研究の手伝いをしている。まあ、勉学がもともと苦手な感じだから「助手」というよりは「手伝い」に近いだろう。
ナギ所長は研究者だから、魔剣をナナミに使わせてその結果を確認しているのだろうか。
「……いや」
なんだかそれ以外のこともある気がする。
ナナミが別の魔剣を使っているところを俺は見たことがない。
それにフルンティングの研究なら俺が来るまでの三十日ほどでできるだろう。
ナナミが俺に他の魔剣を見せていない可能性はある。
出会って十日も経っていないから、知らないことがあっても当たり前だけど。
次にムツミ。
彼女はナナミの下女みたいなものだろう。ただ仲も良さそうだし、幼なじみみたいなものだろう。
またヒゴでは周囲から信頼も得ていたように思える。そうじゃないと領主から呼ばれたりもしないだろうし。
「七の月三十の日」
日記を見直して、ポツリと呟く。
この日はムツミがナナミのことについて何か気づいた日だ。
「ヒゴの城下町で嗅いだものと一緒」とは何のニオイだろうか。
とりあえずヒゴという言葉が出てくる場所を探す。
直前にあるのは十五と十八の日か。
そして間の十七の日は何かに後悔している。
この時に起きていたことは……
「……想像できない訳がないか」
後悔をした原因のヒントはその十八の日に書いてある。
ナナミのヒゴの民衆を殺戮。
ムツミの統王に対する侮辱罪および傷害罪。
ナナミは精神剤を飲むことができないままフルンティングに精神を呑み込まれた。その間にヒゴの領地に連行され、城下町を占領しているホラズム軍を民衆ごと斃していったのだろう。
ムツミはそれと止めることに間に合わず後悔し、怒りの矛先を統王に向けた。
そんなところだろう。
そしてその時のニオイと三十の日のものが一緒だという。
「……いくら日本で平和に過ごしていたからといって、分からない訳がないか」
血の臭いだ。
衣服が真っ赤だったのは血の色。
俺も異世界に来た直後に血の臭いを嗅いだ。
あの臭いは悪い意味で忘れることはない。
だったら三十の日はなぜ、血に染まっていたのか。
ナナミの片手にはムツミが見たことのない魔剣を所持。
「そういえば……」
ナナミと初めて出会った時のことを思い出す。あの時彼女は何を言っていたか?
『……そう言えば、見慣れない顔ですね』
『は?』
『何でもないです。それで聞きたいことは多いですか?』
『そうだな。色々ある』
とか、
『もしかして、転送されたのですか?』
『転送?』
『はい。罪を犯して追放されたとか。たまにここに転送されてきます』
って会話をしたよな。
よく考えたら「見慣れない顔」って言われても、こんな山中だったら当然だ。
見慣れた……見知った顔の人物が来ることがあるのだろうか。
「会話や日記からして、罪人……だろうなぁ」
罪を犯して追放されたとナナミが言っていたし、フヨウが流刑地とムツミが書いていた。
見慣れた顔とは罪人の顔を事前に何かしらの方法でナナミに通知されているから、そんな言葉が出て来たんじゃないか?
流刑地のフヨウにいる処刑人ナナミ。
それにムツミは日記に明示的に書いていないけど、魔剣は罪人が所有していたものだったんじゃないか?
出来すぎた推測だと思う。
「ってか、俺が罪人だったら、あの場で殺されていたのか?」
考えただけでもゾッとする。そしてその仮説に否定できない自分自身がいる。
「推測出来たことはナナミの現状ぐらいか。ムツミの考えていることが分からないな……ん?」
――メッセージを受信しました。内容を確認してください。
通知が届く。送り主はムツミ。
朝に送った内容の返信かと思い、俺はメッセージを展開する。
【件名】
時間ありますか?
【本文】
話したいことあります。研究室まで来てくれませんか?
朝のメッセージに対する返信ではなかった。別の件名、内容だと。
時計を見る。十二時過ぎ。ナナミとの勝負までまだ時間はある。
気になることもあるし、ムツミと会うか。
【件名】
RE:時間ありますか?
【本文】
了解。今から向かって問題ないよな?
返信をする。すぐにムツミから「待っています」と返ってきた。
俺は立ち上がり、部屋を出る。
研究室に着くまでの間に頭の中を整理する。
とりあえず聞きたいことがある。
日記から俺が推測したことが正しいかどうか。
ナナミとの勝負でムツミが何を考えているのか。
「おーい、ムツミ。来たぞって……いない?」
ムツミは研究室内にいなかった。辺りを見渡すと、壁に紙片が貼ってあることに気づいた。
それを手に取り内容を読む。「実験室の中にある階段を下りてください」と書いてあった。
どうしてこんな手間のかかることをしているんだ?
今考えても仕方のないことか。
「実験室、ねぇ」
そこには入ったことがなかった。以前ナナミに案内してもらった時は「動物実験をしているから見ない方がいい」って言っていたっけ。
「……開けるのが怖いな」
開けない訳にはいかない。
覚悟を決めて俺は実験室に繋がる扉を開く。同時に照明が点き、中を明るく照らす。
実験室の中は……普通の場所だった。
研究室とさほど変わりがない。違うとすれば実験で使うと思われる道具が多いことか。
動物実験はしていなさそうだ。
ナナミは俺に嘘をついていたのか?
「これは?」
階段が見つからず見渡していると、部屋の中央にあった机の上に黒光りするものがあった。
瓶ではなく、ビニールのような素材の袋に入っている。手に取ってみると、液体が中で揺れ動いていた。
色合いからしてミズカネだな。机の上に同じものがいくつも置いてある。
勝負の時に使えそうだ。ムツミと戦っていた時は瓶を腰に付けていたけど、いつ割ってしまうかハラハラしていた。
これをミズカネを持ち出すか。使い勝手が良さそうだし。
勝手に使って怒られたらその時はその時だ。
ミズカネをポケットに入れもう一度辺りを見る。やっぱり階段は見当たらない。
「まぁ、こういう時は壁に沿って並んでいる棚を……」
手にかけて棚を動かしてみるが微動だにしない。
机の下を見る。床は白いタイルで隙間なく覆われていて、違和感ない。タイルを剥がすことは無理だ。
「一度研究室に戻るか……って」
研究室へとつながる扉の横に怪しげな壁と同色のボタンを発見。横には「カイダン」と書いてある。
明らかに階段に関連するボタンだ。
扉のあるほうの壁は見ていなかった。周囲を見渡すことが足りていなかったことに反省。
気を取り直して俺はそのボタンを押す。すると鍵が外れるような音がし、次に重低音と細かな振動とともに棚がスライドした。
俺が動かそうとしても動かなかったのはしっかりと固定されていたからか。
棚のあった場所には人が一人入れそうな穴が空いていた。そこを覗くと下へと続く階段が見える。
この先にムツミがいるのか。
俺は階段を下りていく。





