一騒動
朝の鍛錬の後、俺は部屋に戻った。
シャワーを浴びて食堂に向かうためだ。
ムツミからメッセージが来ていて、朝食の準備ができたのこと。
朝の鍛錬はそのメッセージの受信で終了となった。
鍛練の結果としては覚えが早い、とナナミに言われた。
単に俺は彼女と打ち込みしかしていないけど、剣筋が打ち合う度に良くなっていったらしい。
恐らくスキルのお陰だな。
鍛えれば成果が出る。嬉しいことだ。
次は反撃の練習でもしようかな。
今後のことを考えながら部屋に入ると人の気配。見るとムツミがベッドに座っていた。
食堂にいたんじゃないのか?
「よお、ムツミ」
「セタさん。ナナミの朝の鍛錬に参加していたのですね」
「おう。ヴュルテン剣術の基本を教えてもらって、打ち合いをしていた」
「そうですか」
じっと見つめられる。
「死ななかったのですね」
「死なねーよ」
勝手に殺すな。
手加減をしてもらったし、死ぬことはない。
確かにこの世界に来て死にかけたことは何度もあるけどな。
「これから朝食だよな?」
「はい。朝の鍛錬に参加しているとは思っていなかったので、部屋へ呼びに来た次第です」
そう言うムツミの手には昨日寝起きに使われたマジックナイフが握られている。
ボタン一つで本物の刃が引っ込むナイフ。
ボタンを押さなければ刺さって死ぬという優れものだ。
俺を亡き者にしようとしていたのはムツミのほうじゃないのか?
だけどそのことを尋ねる気力もない。
「行く前にシャワーを浴びてもいいか?」
「いいですよ。一緒に入りましょうか?」
「おう……じゃなくて、一緒に入らなくていいから」
自然な流れで言ってきたから、うなずきかけた。
何を言いだすんだ、ムツミは。
警戒していたけど、彼女は何もせずベッドから立ち上がり、部屋の出口へと向かう。
「そうですか。では食堂に行ってますね。二十分以内に来ないと食べてしまいます」
「おい」
「冗談です。でもなるべく早く来てください」
ムツミは部屋を出ていく。
温かいうちに食べてくれ、とのことなのだろう。
じゃあ、急いでシャワーを浴びて食堂に行こう。
脱衣場で服を脱ぎ、風呂場へと入ろうとする。
「忘れていました」
「うお!?」
急に部屋へと繋がる扉が開いた。振り向くと、部屋を出ていったはずのムツミがそこにいた。
「何しているんだ!」
「いえ、石鹸を持ってきていたことを忘れていました。これを使ってください」
「お、おう」
「では、失礼します」
石鹸を俺に渡してムツミは出ていった。出る瞬間に横顔が見えたけど、笑っていた。
これを狙っていたんだな。
ここまでからかうことに徹することができるムツミに俺は感心してしまう。
とりあえず、石鹸を持ってきてもらったことには感謝しよう。
時間もないことだし、さっさと洗って食堂に向かおう。
カラスの行水のごとく高速で体を洗い、替えの服を着て部屋を出る。
――メッセージを受信しました。内容を確認してください。
食堂に移動しながらメッセージを展開する。
ナナミからだった。
一体どうしたのだろう。
本文を見ると「石鹸返せ」と書いてあった。
「……ムツミ、ナナミの部屋から取ってきたんだな」
一言なのに高圧的な内容に見える上にこの文言。ムツミは俺のせいにしていないか?
――メッセージを受信しました。内容を確認してください。
今度はムツミからだった。内容を見る。
こちらには「石鹸なんて渡さなくていいので、朝食を食べましょう」と書いてある。
ムツミよ。何を楽しんでいる。
愉快犯とは彼女のことだ。
ナナミには「すぐに渡しに行く」と返信、ムツミは……無視だ。
あとで食堂で文句を言ってやる。
部屋に引き返し石鹸を取り、ナナミの部屋へ向かう。
「ナナミ、いるか?」
扉をノックをする。するとドタバタと足音が聞こえて、扉が少し開いた。
その隙間から殺気のこもった紅い目が俺を睨んでいる。
濡れた髪からは湯気が出ている。メールや今の状況からして、風呂に入っていた途中だったのだろう。
本来なら色気がある状態なんだと思うけど、今はその湯気が怒気に見えて滅茶苦茶怖い。
「どうして取ったのよ。石鹸を返しなさい」
「待て、これはムツミの策略だ。俺は何も悪くはない」
無罪の主張をするとナナミの視線がさらに鋭くなった。
「ムツミと手を組んで石鹸を取ったんじゃないの?」
「そんなことするか」
あの愉快犯と手を組んだら何が起きるのか分からない。
そもそも手を組んだら俺がムツミの手足となり矢面に立つことになりそう。
今も似た状況だろ。
俺にとってメリットがないし、むしろ被害者だ。
……よく考えたら、昨日もムツミと一緒になってナナミをからかったっけ。
今回は違う、と視線で訴える。
ナナミは俺の目をじっと見たあと、ため息をついた。殺気も霧散させている。
良かった。俺の主張が通ったようだ。
「分かったわ。あとでムツミに文句を言いましょう」
「そうだな」
「とりあえず石鹸を返して」
「はいよ」
扉の隙間から出てきた手に石鹸を渡す。
ん? ナナミの腕、傷だらけだ。
切り傷にミミズ腫れ。古いものから新しい傷まである。
俺の視線に気づいたのか、ナナミは石鹸を受け取るとすぐに腕を引っ込めた。
視線も逸らされる。
「……この傷は見なかったことにして」
「分かった」
ナナミがそう言うなら、誰にも言わない。
自分自身の傷を他人に勝手に広められても気分は良くないだろうから、彼女の気持ちも分かる。
傷があることは気になるけど、根掘り葉掘り聞くものでもない。
「じゃあ食堂で待っているから、早く来いよ」
「……うん」
扉が閉まった。これからナナミがシャワーを浴びると十分はかかるだろう。
女性の風呂は長いって聞いたことあるし。
俺はムツミから言われた制限時間とナナミの風呂の推定時間を考え、時計を見る。そしてゆっくりと食堂へと向かった。





