今、という場所
「魔法ってすごいな」
「魔法のない世界から来たらそうかもしれないわね」
感動している俺とは対照的にナナミは冷たい。
そりゃ魔法が当然なこの世界で俺の感動は些細なことかもしれないけどさ。
誰かとこの感動を分かち合いたいなぁ。
「それでまとめると……」
展開していたホワイトボードにナナミは記載していく。
「魔法を使うためには漢字の知識と媒体のミズカネが必要。またミズカネは毒性が強いから手袋が必須」
「分かった」
「質問は?」
「魔法についてはないけど……」
魔法については理解できた。
ミズカネで漢字を書いて魔力を注ぐ。それだけだ。
魔法が使えた感動にナナミが淡々と説明をしてくれたせいか、冷静になった俺に別の疑問が浮かぶ。
「普通の文章を書くときに漢字は使わないのか?」
「どういうこと?」
「だって平仮名とカタカナだけだと読みにくいだろ」
俺はホワイトボードに近づき、漢字を書く。
「この「マホウについて」も漢字で書けば「魔法について」になるし、「バイタイ」も「媒体」になるだろ」
「セタさんの世界では「日常」の文字としての漢字は廃止されていないのですか?」
聞いたことがあるな。漢字廃止論だったっけ。
江戸時代から唱えられている運動。
結果的には廃止にはならず、ただ覚える漢字が減ったんだよな。
常用漢字という範囲に収まっている。
「廃止にはなっていないな」
「この世界では「日常」で漢字を使うのは禁止。今は「魔法」で使う文字として確立しているわ」
「なぜ廃止されたんだ?」
「えっと……」
どうしてだっけ、とナナミは唸る。
「もともとは使っていたんだけど、魔法が発見されて……ああ、そうだ」
思い出したらしく、手のひらをポンと叩く。
「消滅事故があったの」
「消滅事故?」
「うん」
俺の疑問にナナミが板書しながら説明を始める。
ホワイトボードに平行辺形のような図が描かれる。その図を破線で切り分けていく。
破線で分けられた範囲の中に次の言葉が書かれた。
ヴュルテン
アキツ
セイカ
ベーエル
ホラズム
国名かな。ということは平行四辺形は世界地図だろうか。破線は国境線。
領土の大きさからして「セイカ」の国が一番大きく見える。
「魔法が発見される前様々な資源が枯渇していて、各国境で小規模な戦争が絶えず起きていた」
破線の上にバツ印を書きこむ。
「そんな時、漢字大国「セイカ」がミズカネの研究をしていた際に魔法を見つけた」
「さっき実演した、漢字を描くと魔法が使えるやつだな?」
「そう。魔法を用いてセイカは軍事力が増して隣国を支配すべく侵略を開始。いくつもの国が滅んだらしいわ。そんな矢先……」
言葉を切り、ナナミは書いていた「セイカ」の文字にバツ印をつけた。
「セイカで魔法の暴走が発生し、首都近辺が消滅」
「……消滅」
「原因は分かっていないわ。だけど魔法の実験中だったことは分かっていたの。それで魔法に使う漢字の中に危険なものがあるだろうということで、日常での使用が禁止された」
「ミズカネの使用を禁止しようとは思わなかったのか?」
「ミズカネは簡単に入手できるから、禁止はできないのよ」
「なるほど」
「だから日常の文字から漢字を無くして、勉強した人しか魔法が使えないようにしたのよ」
今から数百年前の話だけどね、とナナミは付け足す。
数百年かけて漢字が日常から淘汰されたのか。
「今はその名残りで漢字を使っていたと思われる箇所にカタカナを、そうじゃない箇所にひらがなを使っているの」
「別に使ってもいいんだよな」
「いいけど、誰にも伝わらないと思うわよ」
そうか。魔法を学ばなかった人は漢字が使えないのか。
そうなると逆に漢字を日常で使うと、魔法を使おうとしていると間違われる可能性もあるな。
怪しまれる可能性もある。
それはそれで面倒臭い。
「理解した」
「ちなみに地図を描いたついでだけど、私たちがいるのはこの国」
丸をつけたのは「アキツ」と書かれた国。
ホワイトボードの上が北なら東方に位置する国だ。
「その地図で言うとどの辺りだ?」
「そうね……この辺りかしら」
そう言って指したのは「アキツ」の領土の中心辺り。
「この辺りに山があって、その山頂付近」
「山頂、ね」
「フヨウって名前の山よ」
「フヨウ、か。麓に町はあるのか?」
「あるわ。そこからたまに食糧を買っているの」
とんとん、とホワイトボードを叩きながら説明をする。
「山を下りたいの?」
「今は下りたくないな」
仮に下りても、何も知らないから路頭に迷う。
右往左往するなら今は研究所にいたほうがいい。
それに今は下りれない。オハバリがあるから。
「そう」
ほっと息を吐くナナミ。息を吐いたあと、展開していたホワイトボードを閉じる。
「それじゃあいつか山を下りる時に備えて、色々教えてあげる」
「いいのか?」
「構わないわよ」
「ありがとう」
下山するまでは何か手伝わないとな。居候の身になるんだから、ただ居るだけじゃ駄目だろう。
「一通り説明も終わったし、研究室を出ましょうか」
「次は隣の実験室か?」
「……あー、行かないほうがいいわよ」
尋ねると言葉を濁した返事が返ってきた。
「動物実験とかをしているから、結構エグいわよ」
「……止めておく」
そう言われると行きたくない。また吐いても迷惑をかけるだけだし。
気になるけど、別の迷惑や醜態を晒したくない。
(にしても……)
ナナミの話を聞いて改めて実感したことがある。
やっぱりここは異世界だな。
魔法が使えるし、国が知らない名前だ。
心に余裕ができているからこれは夢じゃないのか、と思うときがある。
だけどそれは違う。
魔物と戦い、痛みや死の淵を見た経験があるから、夢じゃなくて現実だということも理解している。
無知のままだったり、適当なことをすると確実に後悔する第二の人生になる。
後悔なんてしたくない。
だから今は……
「次行くとしたら、模擬戦場かな」
「おう」
だから今はナナミの言葉に甘えて研究所で様々なことを知り、後悔しないように歩みを進めていこう。





