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病院の重苦しい雰囲気で潰れそうになりながら考える。
あの時僕が横断歩道を渡ればよかったんだ
あの時僕が寝るって言わなければまだ由美子さんは帰らなかったんだ
僕が、僕が、僕の、僕の、
「僕のせいだ。」
呟いた僕の頭を兄は撫でた。兄は何も言わなかった。
家に帰るやいなや兄は葬儀の準備を始めた。喪主は由美子さんの弟だが、今まで家族同然だった兄も同じくらい手伝うみたいだった。無知な僕はただそれを眺めているだけだった。
「お前のせいじゃないよ」
兄は準備をしながらぽつりといった。どんな顔をしていたのかは見えなかった。
「ほら、そんな顔すんなって。お前顔だけは綺麗なんだから勿体ないぞ。」
そういって振り返った兄は、今にも泣きそうな下手な作り笑顔だった。
葬儀は意外にも明るい雰囲気だった。叔母の人柄上、重苦しい空気はやめてやろうとなったそうだ。しかしみんながみんな、無理して明るくしているようで気持ちが悪かった。兄は下手な作り笑顔で献杯をした。
「翔もう成人したんだって?何歳だ?」
「はい。ことし二十歳になりました。」
「ホヤホヤじゃねえか!酒は飲めるか?」
「少しだけ…。」
親戚に促されお酒を煽る。隣でもう酔いが回ったのかふわふわしている兄が心配だ。
「それにしても翔くんは美人だねえ、背は圭介の方が高いみたいだけど。」
「そうなんですよこいつ顔だけはよくって。せめて身長を抜かされるわけにはいかないっす」
「圭介くんは遠くから見たらイケメンだよねえ」
「うわー!嬉しくないです!」
そんな風に貶されているがみんなが兄のことを好いていることは伝わってくる。兄は人の懐に入るのがうまい。天性の人たらしだ。
少し居心地の悪い空気で僕は隅で静かに酒を飲んだ。そんな僕を見つけた兄が手招きをしたから、僕は兄の方へ近づいた。
「イケメンつれてきましたー!」
近づいたと同時に肩を組まれ、酒くさい兄は心底自慢気に叫ぶ。親戚の女性陣がまじまじと僕の顔を見て美人だ芸能人みたいだなんて言うからやはり居心地は悪かった。
お開きになった時兄はだいぶフラフラしていて、僕が支える形になった。
「すみません、兄が」
そう言いながら僕もかなり酔いが回っていた。
タクシーに兄を詰め込み、次に僕が乗る。タクシーに入るやいなや眠ってしまった兄を横目に僕は住所を伝える。
「お友達?ベロベロだねえ」
「はぁ。兄です。」
「お兄ちゃんか!しっかりした弟さんだね。」
「はぁ…。」
人見知りな僕はこの会話すらも苦手で、タクシーの運転手と喋るのは兄の役割だった。今日は寝かしといてやろうと気を遣ったが、まともな会話にならなくて自分にがっかりした。運転手もそれ以上話そうとしなかった。
「ついたよ。」
運転手にお礼をいいお金を払って兄を起こす。
「ごめん、ありがとう」なんて呂律の回らない句調でいって笑う。兄は少しだけ酔いが覚めたようで自力で冷蔵庫に行き水を飲んだ。
「いる?」
「うん。」
「翔ももうお酒飲めるんだもんなぁ。」
「うん。」
「強いのかぁ?」
「多分、兄貴よりはね。」
そうかぁ、なんて可笑しそうに笑った兄に苛立ちを覚えた僕はお風呂入るから、もう寝てなよなんてぶっきらぼうに言う。それに対しても可笑しそうに笑って行ってらっしゃい、と手を振っていた。
この人はなんで由美子さんが死んだのにヘラヘラと酔っ払っているんだ。
兄は火葬の時も泣かなかった。明るい雰囲気で見送ろうと言っていた親族もさすがにこの時だけは泣いていたというのに。
兄はもともと涙脆い方だった。ドラマで泣いて、ドキュメンタリー番組で泣いて、それこそ酔っ払った時なんて勝手に熱く語って勝手に泣くような人だった。なのに。
「寂しくないのかよ。」
シャワーを浴びながら呟くと涙が込み上げてきたから、そのままシャワーの水で流した。
お風呂を上がった時まだ兄はリビングに座っていた。
「まだ寝てなかったの。」
「うん。」
「泣いてたの。」
兄の目と鼻は真っ赤になっていた。
「うん?酔っ払っただけだよ。」
また可笑しそうに笑って言う。そうだった、この人はこういう時だけ兄貴面するやつだった。弟に泣いてる姿を見せまいとしていただけだった。そんな気遣いいらないのに。むしろ、一緒に泣いて欲しかったのに。
ゴミ箱にいっぱいになったティッシュを指差す。
「ティッシュ。」
「うん?」
兄はヘラヘラとなんとも言えない顔で笑った。
「ねえ。」
この時僕も酔っ払っていたみたいだった。
「ねえ、あのさ。」
涙が込み上げてきている。それを堪えながら続ける。
「今日、一緒に、寝てほしい。」
兄は一瞬ぽかんとしたが、すぐに「うん。」と笑顔を作った。もう可笑しそうには笑わなかった。
どうやら僕は、かなり酔っていたらしい。