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僕が物心ついた頃に、父は死んだ
兄と母との間で寝ている僕の手を両端の二人が繋いでくれた。
その記憶だけはまだ残っている。
僕が小学生に上がりたての頃、母は死んだ。
もう一人部屋ができていた兄だったが、その日は、寝る時だけ、僕の手を繋いでいてくれた。
「おい、翔」
7時30分、スーツ姿に着替えた兄の圭介がドアを叩く。
「今日由美子さんが来てること忘れたのか?朝ごはん出来てるから。」
由美子さんとは僕らの叔母で、両親が死んだ後世話をしてくれていた。圭介が社会人になってからは由美子さんの手を離れ二人で暮らしているが、こうしてたまに様子を見に来てくれるのだった。
「そうだったね。」
眠い目を擦りながら、僕の悪い寝相で落ちてしまったチンアナゴの抱き枕を拾いリビングへ向かう。「おはよう翔くん」と笑う由美子さんは、僕らが一緒に暮らしていた時より随分小さく見えた。僕の背が伸びたせいなのか、それとも歳をとったせいなのか。
由美子さんは僕らに会うたび「こんなに小さかったのにね」と5年以上も前の話をする。それが鬱陶しくもあり、温かくもあった。「もう聞き飽きたよそれ」と無愛想に返す僕にも嬉しそうに笑うのだった。
「じゃあ俺もう出るから。翔ちゃんと学校行けよ。」
「今日は休講でーす。社会人はせいぜい頑張って働いてきてくださーい。」
僕はそこそこに名の知れたN大に通う二年生だった。講義はそこそこにフットサルのサークルに入り、居酒屋とたまにキャバクラのボーイのバイト、最近彼女もできてまあまあ楽しい生活を送っている。会議、残業、商談なんて小難しい話ばかりしている兄を、大変だな社会人、一生学生でいたいな、なんて呑気に考えながら少し尊敬している。ちなみに彼女はいないそうだ。
両親はいないけれど、由美子さんがいて面倒見のいい兄がいる生活に不自由はなかった。
「ごちそうさま、僕もう一回寝るけど由美子さんどうするの。」
「翔くんまた寝るの?じゃあ私は帰ろうかな、とりあえず様子見に来ただけだし。ついでに夕飯作っておくから圭ちゃんと一緒にチンして食べてね。あんまり寝すぎちゃ夜ねれなくなっちゃうからね。」
「わかってる。」
僕は自分の部屋に向かって、由美子さんは帰る支度をした。
「じゃあね、なんかあったらすぐ言うんだよ。」
「わかってる。」
空返事で見送ったあと、台所に携帯が置いてあるのに気がついた。