第2話 謎の女
草の騒めきが漂う森の中、耕太は重い足を引きずっていきながら探索していた。最初こそ、彼は幻想的な光景だと感動はしていたが、植物が入り乱れた道を見ていると流石に鬱陶しく感じていた。
何時間経ったんだ。
元の世界では、時計を見て生活していた耕太にとっては、時間の把握をする事ができないのは苦痛だった。
森の深奥まで来てしまったのか、日光が巨木の葉っぱに遮られて薄暗い。最初の明快な雰囲気とは一変した、不気味な光景。こうなるなら、森なんか行くんじゃなかったと、彼は今更後悔した。
化け物…いやモンスターに危惧して森を探索するのはやめておこうと考えていたが、ウサギの事もあって食料は森の方が確保しやすいと耕太は判断した。その代わりに巨大トカゲみたいなモンスターに遭遇する危険性を伴う。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
耕太はそんな諺を思い出すが、この状況ではそれはとても当てはまるものではなかった。視線を移すと、紫と青のシマシマ柄の毒々しいキノコか目に入る。あれはどう考えても毒ですと言っているようなもの。
彼は溜息をついて、巨木の根っこを椅子代わりにして座った。深い森では、静かに巨木の間と間から風が吹いて静かな音色を奏でている。
その風の音に浸りながら、不意に真正面にあったき巨木の間の深淵を見る。この静けさの中、勘が鋭くなっているのか、その暗闇から気配を感じていた。
暗闇の中に橙色の光がぼやけて見える。その光は踊る様に揺れ、その方向からコツコツと足音が聞こえた。現状1人の耕太にとっては恐怖の何者でもない。
徐々に大きくなる音…耕太の方へと近づいている様であった。
またモンスターか?
耕太は冷や汗を額に垂らす。もしそうだとしたら、彼は逃げ切れる自信がなかった。恐怖で足が震えており、思う通りに動かないからだ。
今度こそ早く逃げなければ。耕太は自分の身体に言い聞かせ、後ずさりする。もしモンスターだとすれば、目にした瞬間に走り出さないといけない。
「…ここに何の用?」
彼の予想は良い意味で外れた。
暗闇から現れたのはランプを持った女性だった。全身を黒ローブで包んでおり、あまり顔が見えない。辛うじて女性とだけわかるだけだった。手に持っているのはランプ。あの暗闇の光と同じ色。足音の主は彼女のものだとわかった。
見る限り魔女…としか思えない。場所が場所で、暗い緑がこれ程までにマッチしており、それを助長させていた。
「…え、用?」
「用も無しに来たの?…ここに?」
彼女は眉をひそめて、耕太へと問いかける。
彼はここは変に繕っても怪しまれるだけと思い、正直な話すことに決めた。別に嘘をつく必要性も無い。
「迷子なんです。とんだ一文無しでして…」
「…」
フードのの下から蒼い瞳が耕太を覗いている。その瞳に吸い込まれる気がして、何か疑っているのだろうかと不安になる耕太。
あの真っ直ぐな瞳を見て何も隠しているわけでもないのに、彼は緊張を感じてしまう。
「旅人さんね…いいわ、私の家へ連れてってあげる。これも何かの縁という事だから、食糧ぐらいは分けるわ」
すると彼女は黒ローブを揺らしながら小さく、来てと喋った。
服装とは一変、親切な人である事にギャップを感じた耕太は目を丸くさせる。
人を見た目で判断するもんじゃないな。
彼は反省しながら、暗闇へと溶け込む彼女に着いて行った。
◆◆◆
耕太が彼女に着いて行ってると、一際大きく複数の穴が空いている巨木へと辿り着いた。木の麓には片開きの扉がある。
ここが彼女の家という事がわかる。
木の家などファンタジーでしか…。
彼はまた自分の中の常識に基づいて考えていた事に気付き、その思考を捨てようと頭を振り払う。
そんな事をしていると、黒ローブの女性は扉をゆっくりと開き、巨木の中へと入って行く。すると耕太を見つめ、入れとばかりに顎をしゃくる。
耕太は不安げに彼女の家へと入った。中は本、本、本…とそればかりが机にあちこちで積み上げられていたり、床に落ちていたりした。彼は無数の本棚を見ていると、自分の祖父の家にあった地下図書室を思い浮かんだ。
「お邪魔します」
「そこに座って」
彼女の指差す方向にはポツンと、がらんどうに置かれているロッキングチェアがある。
あそこだけ本などが置かれていないのは何でだろうか。
耕太は疑問を抱きつつも、休みたいという身体の欲求が強く、ゆっくりと椅子に座る。ギシリと軋みの音が聞こえた。彼は壊れるんじゃないかと不安になる。
すると彼女は耕太の前へと、小さなテーブルを運んで来た…と思いきや、
「…ええ!?」
彼女ではなく、翼の生えたトカゲ…が空中へと飛びながらテーブルをぶら下げて運んで来ていたのであった。
初めて見るドラゴン。本の挿絵で見たおどろおどろしさは無く、小さく首をかしげる愛嬌さがあるドラゴンであった。
しかし、その顔立ちは自分を襲っていた巨大トカゲに似ている事に気付き、あれはもしかしてトカゲではなくドラゴンだったかもしれないという推測が飛び交う。
もしドラゴンならば、初っ端に出会ってしまった自分は何て運が悪いんだ。
彼はそう悲観した。
「…」
黒ローブの女性は両手にティーカップを持ち、テーブルに置いた。コトッという音に少しビクつきながらも、耕太は会釈をするが、彼女の瞳は未だに彼を凝視していた。
「すいません、有り難く頂戴します」
「どうぞ」
耕太はティーカップを手に取り、口にする。ほのかな甘さを感じられ、紅茶の様であった。
異世界に紅茶なんて存在するかはわからないが、味的には似ている。材料もその類のものを使用しているんだろうと耕太は考える。
しかし…
耕太は気まずい空気に、頬を掻きながら、彼女の方に視線を移す。
「…」
彼女は壁に腰掛け、耕太をずっと見つめている。あんなまでに視線が突き刺さると、背中がむず痒く感じた。何故彼女はこんなにもこちらに視線を送ってくるのか、彼はそんな疑問を抱くばかりであった。
「あ、あの」 「メチラ・カバサル」
「へ?」
「私の名…メチラ・カバサル」
「あ、ああ!はい、俺の名前は土田耕太です」
耕太の返事に、小さくそうと答えたメチラは紅茶を飲む。1つ1つの動作が流暢で、華麗であった。彼はその動作に見惚れてしまう。
「君、ここに来るって事は冒険者?」
「…え、冒険者?いえ、俺はただの一般市民です」
異世界でよく聞く冒険者。耕太は異世界だと確信した時、その言葉がまず最初に思い浮かんだ。色んなところに旅するという浪漫は男なら誰でも憧れるもの。耕太もその1人である。
「…一般市民なのに、この禁忌の森に何で来ているの?」
自分の歩いていた場所が禁忌などと、物騒な言葉で呼ばれる森だった事に耕太は驚愕した。今更ながら、何で俺は生きていたんだろうと彼は不思議に思う。
半目で耕太を見ているメチラ。明らかに耕太を怪しいと思っている。
この事を言っても、信じてもらえるはずがない…が、言わなければ何も始まらない。そう決心し、耕太は口を開いた。
「あのですね…」
元の世界の事。そしてこの世界に来た経緯をメチラに話した。
メチラはその話を聞いていると、鳩に豆鉄砲を食らったような顔をしている。
やはり信じてくれないか…。
彼女の反応を見ていた耕太は、半ば諦めがついていた。ここがドラゴンが至極当然に存在しているこの世界でも、こんな事はあり得ない話なのだろうか。
耕太の話しが終わると、さっきまでの表情は消え失せ、いつものポーカーフェイスに戻る。メチラはティーカップをテーブルに置いて、こちらへと近づいてくる。
「何を…?」
問いかけようとする前に、メチラは耕太の首筋にそっと手をかける。冷んやりとした彼女の手が触れて、彼の心臓がビクリと跳ねた。体温的な意味でも、異性的な意味でも。
数分が経つと、その手が離れてしまう。何とも女性経験が皆無な耕太にとっては、刺激が強すぎた。
女性については、父親の事があるだけに碌なもんじゃない奴だと思っていたが、耕太も男。ボディタッチが終わるのを名残惜しんでたのもまた事実。
「…なるほど、嘘はついていないね」
「…?」
確かに本当の事を話したまでだが、何故彼女はそう言い切れるのか。何か根拠でも言わないと、その疑念は振り払えない。不思議な雰囲気のメチラに対して、耕太は神妙な気持ちになる。
そんな中、メチラはフードをパサリと外し、髪を振り乱す。その髪は漆黒で艶があり、ロングヘアーだった。先ほどの姿とは思えない程に女性の華やかが醸し出されている。
しかし相変わらず表情は仏頂面で、何とも愛想がない。耕太はあの表情だと会話する上で相手に誤解を生みかねない、と余計な心配をした。
「君の言った事は信じてあげる。だけど世界がどうかなんて、私じゃ解決しようがない問題だね」
「そうですよね…」
「君はこれからどうする気?帰る方法がないなら、この世界に滞在するしかないよ」
彼女の言っている事はごもっともであった。ここに来てしまった以上、耕太はこの世界での生活を、最低限送らなければならない。しかし、草原の集落に追い出されるわ、モンスターに追いかけるわと、彼に度重なる不幸が起こったこの世界で生きていく自身が無い。どうすればいいんだと、彼は頭を抱える。
「…その反応だと、何処も行く宛がないようだね。貴方、冒険者になった方がいいんじゃない?」
耕太にとって、冒険者という言葉はいい響きだが、自分が身体能力が高くなく、まして技能が無いそんなものになれる道理はない。
というか軽くなれば?とか口にしているが、そんな軽い存在なのか冒険者って。
メチラの言い方は、バイトでもすればみたいな軽い仕事を奨める様で、彼は冒険者がそんなに上等な仕事ではないという事に少し失望する。
「だけど、この世界の住人じゃないから…」
「冒険者なら、プライベートな事は一切関わらない。金貨5枚あれば子供でも、老人でもなれる」
「そ、そうなんですか…」
メチラのハキハキとした喋りに耕太は思わずたじろぐ。
貨幣だけで仕事に就けるのは異世界に来て間もない彼にとって好都合であった。しかし、その金貨をどうやって手に入るか、そこが問題であった。彼は唸りながら考える。
「…困っている様だから金貨…貸してあげようか?」
悩んでいる耕太を見かねたのか、メチラは助けの手を伸ばした。
「え!?」
メチラの発言に、耕太は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。初対面の人に金を貸してあげるなんて、とんだ聖女である。
…だが、ここまで親切だと何か裏があるのかと、耕太は勘繰ってしまう。
「…その前に。冒険者は戦う力が必要だから、君がどんな魔法に適正があるか調べるよ。…この世界の人間じゃないとしたら、それが使えるかは知らないけど」
「どわっ!?」
そんな事を言いながら、メチラは指をパチンと鳴らした。テーブルの上から、燃え上がる炎と水の塊、そして氷と、チリチリと音を鳴らしている…雷、小さい竜巻。そして土が空中に突如として発生した。
耕太は驚愕して椅子から転げ落ちてしまう。
なんてドジなんだ…
彼は尻をさすって立ち上がる。メチラは目の前でこけていても尚、無表情のままである。
ココで彼女にリアクションがあった方がまだ良かった。無反応というのが一番彼を辱めるからである。
今のは無かった事にしようと、咳き込んで耕太は空中に浮いている炎達を真剣な眼差しで見る。
これが魔法。彼女がこの現象を起こしたのは鈍感である耕太でも直ぐに分かる事であった。
「今から1つずつ、この浮いているものを凝視して動けと心の中で念じて。それでこの中のどれかが動いたなら、君はその動かした物の属性である魔法を使える」
「なるほど…」
冒険者になるためには魔法とやらも使用しないといけない。耕太の希望は思い込みだが、火力が高そうでそれなりに派手な炎である。その次に応用力のありそうな雷。別にどうでもいい、とにかく魔法が使えればいいと彼は属性に対して関心が薄かった。
「じゃあ始めに炎」
メチラの指示通りに、炎に近づいて睨み据える。熱気が立ち込め、耕太は目を閉じたくなるが、これも忍耐と思って目に力を込める。そして頭の中で動けと呟いた。
しかし、炎は何も変化せず、そこでチリチリと燃え続けている。この結果は、炎の敵性が無かったということだ。
「次」
横にある水へと視線を移し、さっきと同じように睨む…が水も反応しない。
氷、雷、風…と次々と行うが、それら3つはうんともすんともいわない。それにより、耕太は不安を感じていた。
元々、世界が違うならば、ここの人とあちらの人の身体の構造は違うのではないか。この世界に来たからといって、魔法が使えるわけがないのではないか。
最後である土への前と立つ。ふんわりと土の匂いを鼻に感じながら、見つめる。ここで動かなければ、どうすればいいんだ。耕太は今までよりも強く真っ直ぐに見る。
すると、土が左右に揺れて力無く崩れ落ちた。テーブルに落ちた土は細かに砕ける。
耕太は一部始終を見て、驚きのあまり膝をついた。そしてテーブルへと散らばった土を摘んでまじまじと見る。
「なるほど」
するとメチラが耕太へと駆け寄って、顔を近づける。
「君の適性は、土だ」
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