第1話 異世界転移
「…んぅ…?」
小鳥の囀る音。その音に呼ばれたかの様に耕太は重い瞼を開ける。葉と葉の間から、差し込む太陽の光が瞳を照らした。あまりの眩さに手で遮る。
そこは溢れんばかりの緑一色。森の中で倒れていたらしい。
いや、森の中?
眉を顰めて、腕組みをする。何故自分はこんな所にいるのだろうと疑問を抱き、空を見上げた。空は雲が1つもない快晴。耕太は記憶では梅雨真っ盛りの時期だったが、この光景を見ると自分の記憶に自信が持てなかった。
何だここ…。
土の匂いと草の匂いが合わさって、とても心地が良い。少なくともさっきいた場所よりは。梅雨の湿った匂いは何かが不快であった。
歩いていくと、森の開いた場所の先に草原が見える。風に揺さぶられている草達は、海の小さな波の様だ。何とも幻想的な雰囲気と言ってもいいのか、その光景に見惚れてしまった。
いや。何見惚れているんだ。そもそも此処は何処なんだ?
手を顎に携えて、耕太は自分自身の記憶を辿る。
爺さんの葬式の日、地下図書館へと向かって…そして謎の本を読んだんだ。そしたら、魔法陣?的なものに吸い込まれていった。本には確か、ドラゴンとかのファンタジーの言葉が書かれていた。
まさか…ファンタジーの世界に来たと言うのか。耕太はあり得ないと言いたいが、彼には思い当たる節があった。
祖父が若い頃に行方不明になっていた事があったのだ。発見された場所はわからないが、祖父の供述によると王国が何やらこうやらと架空の国や人物を口にしていたらしい。流石に彼でもボケたんじゃないかと擁護ができなかったが、あの魔法陣の出来事やこんな所にいるという事実は異世界に来たのではないかと、信じる他ならない。
もし異世界だったしたらどうするか。生憎と耕太はは何も持ち合わせていなかった。売るとすれば、今着てるパーカーとダボダボのズボン。下着でどうすれば…この世界の常識が元の世界と同等なら、確実に変質者扱いをされてしまう。
というよりも、まだ町すら見つけていないのだから、この問題は尚早とも言える。
耕太は草原へと歩んで行く。流石に一般人の彼でも森は危険しかない事はわかる。元の世界でも熊や猪がいるのに、こんな何処とも知れない世界じゃ化け物ばかりだろう。食べ物はあるかもしれないが。
草原では強い風が吹いている。少し風の音が耳障りではあるが、涼しいから良しとしよう。見渡す限りの大草原、この光景は日本じゃ中々無いだろうなと、東京のコンクリートジャングルを彼は思い出す。
何時間か草原を渡っていると、近くに小さな集落を見つける。その集落は四、五軒と小規模なものだ。
あそこで何か情報…いやできれば食べ物や服なども欲しい。耕太は自分自身が厚かましい人間だなと自己嫌悪するが、生きる為には仕方ない。そう説得しながら集落へと走り出した。
「すいませーん!!」
集落の入り口へと近づき、彼は喉から勢いよく声を出す。久し振りに声を出したせいか、むせてしまった。
その声に応じてくれたのか、手前の木造の家から人が出てきた。それに続いて他の家からもぞろぞろと人が出てくる。声がみんなに届いてくれて安心した耕太。
だが…
「…あれ?」
「オメェ…何もんだ?」
「ここら俺らの家だ!怪しい奴を追い出せ!!」
集落の住人達は、耕太を完全に敵視していた。その手には鎌やクワなどの農具を持っている。彼らは耕太を路頭に迷った人じゃなく、ただの不審者としか思われていない。
いや、不審者と思われるのは必然じゃないか。
住人達からすると、このパーカーは奇怪な服としか認知されていない。行動する前に考えるべきだった。
彼は思わず頭を抱えてしまう。後悔しても遅い…誤解を解かなければならない。
「い、いや!俺はそんな者じゃありません!」
「うるさい!!テメェは魔女の従者だろうが!!」
魔女だのと叫ぶ住人達。何を言っているのか見当もつかず、言ってる間に耕太へとジリジリと迫ってくる。その気迫は並ならぬもので、身体から変な汗が出てきている。
これは誤解を解く事ができない。下手に説得しようとすると、あれで撲殺される。そう思って、耕太は通っていた道を振り返り、全力疾走する。
「一生来るんじゃねぇ!!!」
背後で住人達の怒号を耳にする。こんなにも変な奴と思われるのはショックであった。震える手を掴み、歯をくいしばる。
もう彼処には近寄る事ができない。こんな世界で、俺はどうすればいいんだ。
何でこんな事になってしまったんだ。爺さん、あんたに一体何が起きたんだ。あの本…もしかして爺さんもここに来ていたということか。
考えながら走る事はとても辛く、耕太は息が荒くなってきているのを自覚する。運動をあまり行なっていなかった自分を恨みながら、猪突猛進に走って行った。
疲れ果てた耕太は地面に倒れ込む。土に口が入ってしまい、またもや咳き込む。このデジャヴ…最初の森に来てしまった。しかし木の間から騒めく音は、昂ぶっていた彼の心臓を鎮めるには丁度いい塩梅となった。
腹は空いたが。
「…はぁ…!?」
溜息をついた瞬間、小さな茂みからガサガサと音が聞こえてくる。重い体に鞭打って立ち上がる。まさかじゃないけど化け物か。耕太は逃げようと走る構えをつくる。
彼はゴクリと息を呑んだ瞬間、茂みから何かが出て来た。やばいと走ろうとしたが、その姿を見てホッと安堵する。
何だ、ウサギか。
白い毛並みのウサギが飛び跳ねている。
そのウサギの頭には角が生えており、やはりここは異世界だと確信する。
それによって、二度と帰れないかもしれないという悲観と、養母に会わなくていいんだという歓喜が頭に駆け巡る。
俺はこれからどうすればいいんだろう。
先の事で不安になっていくと、腹がぎゅるると叫び声を上げる。腹減ったな…。そんな事をぼうっと考えながら耕太はウサギを見る。
ウサギって食べられたっけ?
ドス黒い食欲が湧いて出る。ウサギは確か食用のもある…そして、偶然にも遭遇してしまった。動物愛護団体が憤怒をしそうだが、捕らえるしか選択肢は無い。
耕太は忍び足でウサギへと近づく。ウサギは能天気な性格だったのか、彼が捕らえようとしている事も気づいていない。これならいける。
そーっと両手を伸ばし、胴体を掴もうとした、その瞬間。
「うおおおおっ!?」
突如地響きが起きた。耕太の足元がふらつき、地面へと尻餅をついてしまう。ウサギもパニックに陥って何処かへと走って行った。
「あああ!!」
後少しで食料が手に入ったのに…。
手を伸ばすものの、耕太の手は届くはずもなくガクリと項垂れる。
何という不運続きなんだ。何か俺は悪い事したのか神様。
耕太は空を見上げて話しかける。…自分で何を言っているんだと彼は馬鹿馬鹿しくなった。立ち上がり、尻ついた砂を払う。
さっきの地響きは何だったんだ。あれのせいで捕まえられなかった。地響きの原因を起こした奴の顔をブン殴りたい、ボッコボコに。
耕太は苛つきで掌に拳をパンと叩きつけると、背後から冷たいものが伝う。
何だこれはと、手でそれを触れてみた。粘りがあって気持ち悪く、そして醜悪な臭いだ。
顔をしかめて、後ろを振り返ると、
「キシャァァ…」
「え…うわぁぁ!!」
巨大なトカゲが耕太の顔に近づいた。この粘着性の液体は、このトカゲの仕業だと気付く。
特大のトカゲの顔を見てしまったせいで、再び尻餅をついてしまった。
トカゲが鋭い牙を覗かせ、見ている。口の大きさは等身大の人の身体ごと丸呑みできる程にはある。
…何で冷静に分析しているんだと、耕太は首を振る。そんな事より早く逃げないと食われてしまう。
しかし彼の腰は抜けている。これじゃ逃げようにも逃げられない。
「あ、…あ」
獲物が逃げられないとわかったのか、巨大トカゲはゆっくりと口を開ける。
本当に死んでしまうのか?
彼は無意識に土の塊握り締める。
「う、あああ!?」
その時だった。
耕太の足元に地面が隆起して、巨大トカゲの腹を押し出す。隆起した勢いが強く、トカゲを空中に打ち上げる。突然の出来事に彼は目を見開いてしまう。
「キシャァァ!?」
足をバタバタさせて抵抗するが、そんなものは意味がない。トカゲは自身の大きさも相回って地面に強く叩きつけられる。
トカゲの口から泡が溢れている。身体が痙攣している事から、どうやら危険は回避できた。地面の土が山みたいに盛り上がっているのを耕太が目にする。
…これは何だ?
異世界の自然現象か何か。自然現象といってもこんなタイミング良く起きるのか。しかも丁度自分を巻き込まない程度の大きさで。
次々と起こる出来事は、耕太を混乱するばかりである。
無い頭で考えても仕方ないと、彼はこの場から立ち去る様に走り去った。
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