#4
翌朝、始業前の教室はいつもと変わらない様子だった。
早めに登校する人、チャイムギリギリで駆け込んで来る人、顔触れはいつも決まってる。だからこの時間帯に教室にいる人達も大体普段と同じメンバーだった。
私の左隣、克之の席もいつも通りまだ空っぽ。ちなみにみっちもチャイムギリギリ派なのでまだ姿は見えない。
その時、教室の後ろの扉が開く音と共に、「うーっす」というダルそうな声がする。
あれ?この声は…。
目を扉の方にやると、克之がいかにも眠気が覚めてないような、フラフラした足取りでこちらに歩いて来るところだった。
どうしたんだろう?いつもより来るのが早い。
「うっす」
克之が私の方も見ずにそう挨拶して席に着く。
「おはよ」
これで学校での私と克之の会話、3分の1は終了なんだよね。
私はチラリと克之の様子を盗み見た。克之は眠そうなトローンとした目をしながら、教科書とノートをカバンから机に入れ替えている。
「どうしたの?今日早いね」
私は思わず克之に声を掛けた。
「ん」と言いながら、克之はこちらにノロノロと顔を向ける。そして大きなアクビを一つすると、ゴニョゴニョと元気のない声で言った。
「今日父さんが会社代休でさ、朝早く父さんが釣りに出掛ける物音で起こされちまったんだ」
ははあ、なるほど。そういうことか。
私は思わずニンマリと意地悪な笑みを浮かべて考えた。まあせっかく早めに登校したんだし、たまには自分の彼女の話相手にくらいなってもらいましょうか。
克パパ、グッジョブ!!!
「ねえ、いず…」
上機嫌で話し始めた私の言葉に、クラスの男子の声がかぶさって来る。
「おーい、和泉。お客さんだぞ」
その声に、イラッとするより前に意外な気がした。克之にお客さん? 誰?池中君?
克之も不思議そうな顔をして私の肩越しに声の方を見やる。
私はそっと克之に声を掛けた男子の方に目を向けた。
彼は克之が自分の声に気付いたことを確認すると、扉の脇に立つ女子生徒に会釈をして自分の席に戻る。
女子生徒はその男子に「ありがとう」と言って頷いた。
あのヒト? あのヒトが克之のお客さん?
「何だ?」
克之がそう呟いて席から立ち上がり、女子生徒が待つ扉へと歩いて行く。
女子生徒は克之に手を振りながらニッコリ笑いかけ、何やら話を始めた。
ちょっと何? 何なの?
私は2人が何やら話しているのをイライラしながら見守っていた。話の内容が周囲の朝のざわめきに掻き消されて聞き取れないのが、私をさらにイライラさせる。
うーん! ちょっとみんなウルサイ! 少し静かにして!!!
もう一つ私をイライラさせたのがその女子生徒の外見だった。
背中まで届く長いキレイな黒髪。何時間かけて手入れしたらそうなるの、っていうくらい見事なカーブを描く長い睫毛と、それに縁取られる瞳の大きなキラキラした目。健康的な桜色の唇はつやつやしてるし、スカートから伸びる脚はスラリとしてるのにどこか肉感的だ。
そして何よりケシカランのはその胸元。何を話しているのか、彼女が楽しげに笑うたび、それに合わせてたわわなムネが上下に揺れるのが制服の上からでもはっきりと見てとれた。
むう、あのサイズは明らかにみっちをも凌ぐ…。
その時、私は女子生徒の胸元のリボンタイが赤なのに気付いた。
うちの学校は、上履きと女子のリボンタイの色が学年で区別されている。私達1年は緑。赤は2年生の色だ。
「…あのヒト、先輩?」
私は思わず呟いていた。
気付けば私だけでなく、その時クラスにいたほとんどのメンバーの視線が扉の2人に注がれている。
会話はその場で完結するのかと思っていたが、2人はそのまま一緒に廊下へと出ていった。
ちょ、ちょっと! 2人きりでどこ行くのよ!
思わず腰を浮かせそうになったが、ギリギリ周囲の目を思い出した。
2人と入れ替わるように、みっちが扉から教室に入って来る。
みっちは一瞬振り返ってさっきの2人を目で追ったが、私と目が合うと2人が消えた方を指差して首をかしげて見せた。
私は笑って肩をすくめながら、両手のひらを上に向けるゼスチャーを返した。頬が引き攣るのを感じながら。
結局、克之が教室に戻って来たのは始業チャイムギリギリで、授業前に尋問するチャンスはなかった。
一時間目の古文の授業中、私は何度もチラチラと隣の克之の様子を伺った。克之は私の視線に気付くと、慌てたようにパッと目を伏せる。
ちょっと克之。何なのかしら?そのあからさまに怪しい反応。
古文の宮下先生が黒板に一首の和歌を書き付ける。
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
人の命の 惜しくもあるかな
「川原、この歌を現代文に訳せるか?」
先生に指名される。
「はい」
私、古文はすごく得意だ。黒板の歌をスラスラ現代文に訳す。もちろん隣の克之を時おり睨むことも忘れずに。
克之、後で任意同行を求めるわよ?…ちなみにあなたに拒否権はないから♪
克之の肩が心なしか震えている気がした。