#10
その日の夜8時半頃、私の部屋のドアがノックされた。
「はい?」
克之との時間を邪魔されて不機嫌だった私は、低い声でノックに応じた。
ドアが控えめに、20センチほどそっと開かれる。
「瑞季、電話よ」
お母さんがドアの隙間から顔を覗かせて声を掛けてきた。夕方私の部屋の様子を窺って、それがバレたことが気まずいらしく、引き攣った愛想笑いを浮かべている。
まったく、智也と一緒になってお母さんまで!!!
「誰から?」
機嫌が悪いのに加えて、携帯でなく家電に掛けてくるような相手に心当たりがないのもあって、私の声はさらに低くなる。
お母さんは急に悪戯っぽい笑みを浮かべて、電話の子機を差し出しながら言った。
「いいから、出てごらん」
私は不承々々ベットから這い出ると、お母さんの手から電話を受け取る。
「もしもし?」
私は電話の相手を確かめもせずに、これまた不機嫌な声で応じた。
「やあ、瑞季か?」
電話の相手は私の不機嫌な声に気を悪くした様子もなく、明るい声でそう言った。
この声 ………お、お父さん!!!?
私は慌ててお母さんの顔を見る。
お母さんは私に向かってウインクすると、ドアを閉めて部屋を出て行った。
「お、お父さん、どうしたの?一体」
「い、いや……… お前がトラウトのルアー釣りを覚えたいらしいって聞いたから………」
電話の向こうから、お父さんの困ったような声が聞こえる。
「誰から聞いたの、そんな話?」
そう質問した後で、お父さんがその情報を入手する経路が1つしかないことに自分で気付いた。
「………和泉君からさっき電話があったんだ。瑞季が困ってるみたいだから、助けてくれって………」
お父さんが照れくさそうに言う。
胸の中がポッと暖かくなった。
克之、あのおせっかいめ!
「うん、そうなの……… お父さん、私にニジマスのルアー釣り、教えてくれる?」
「もちろん、教えてやるよ」
お父さんの優しい声が、体中に染み込んで行くみたいだ。
克之は私がお父さんと過ごせる時間を少しでも作ろうと、お父さんに連絡してくれた。お母さんは笑ってそれを許してくれた。
突然、目の前の風景が川の中を覗き込んででもいるように滲み出す。
「………ありがとう、お父さん。大好き………」
私の突然の言葉に面喰らったのか、電話の向こうでお父さんがしきりに咳払いをするのが聞こえた。
克之もお母さんもありがとう。
みんなみんな大好き。
両目から涙が溢れて、頬を伝って落ちて行った。
次の土曜日、私はお父さんの運転する車で成田目指して走っていた。
私はハンドルを握っているお父さんの横に座り、お父さんの真後ろ、後部座席の右側には当然のごとく付いて来た智也がはしゃいで座っている。
そしてもう1人、左側の後部座席に座っているのは、智也と対照的に借りてきたネコみたいになっている我が彼氏、和泉克之だ。今日のセッティングのお礼も兼ねての強制連行だった。
「な、なあ川原。オレ、今日ホントに付いて来てよかったのか?」
背後から克之がオドオドした声で訊いてきた。
私はニンマリ笑って克之をからかう。
「なあに克之? いつもみたいに『瑞季』って呼んでよ」
「ば、ばっか………!!!」
後ろでは克之が大慌て、隣ではお父さんがしきりに咳払いをしていた。
「いいじゃないですか、お兄さん。どうせもう半分夫婦みたいなもんなんだから」
智也の言葉にお父さんがビクリ、と反応し、車の進路が一瞬わずかに右に逸れる。
「やだ! お父さん危ない!!!」
思わず大きな声で叫んだ。
「す、すまん」
お父さんの声は動揺を隠しきれていない。
ふうっと息を吐き出し、ふと克之の智也に対するツッコミがないことに気付く。
そっと後部座席を窺うと、克之が顔を両手で覆って座席の上をのたうち回っていた。
やだ、克之ったらそんなに嬉しいの? …私の彼氏、可愛過ぎる♪




