断片・鋼色の魚
「生まれ変わるとしたら、何になりたい?」
バスルームから彼女が言った。彼はベッドの中で応える。
「女だな」
ハンブルクの港に近い、こじんまりとしたホテルの一室での会話だ。
「どうして」彼女の名はニカ。夕べホテルのロビーで会ったばかりだった。
「さあ……分からないね。なんとなくだよ。君は」
「私? 魚かな」
「魚? それも変だね。なぜ」
「全速力で泳ぐのよ、水の中は冷たくて暗い。息は楽にできるし、身はピンピンに張りつめていて、体中、キラキラ光っている」
「釣られちまうのが、オチさ。網にかかるとかね」
「それまでは力強く泳ぐわ。毎日」
「卵から産まれてすぐに、他の魚にほとんどが食われてしまうんだってさ。でかくなれるのはほんとにわずかだから」
「私は生き残る」まるで歌っているようだった。
彼は、ベッドから起き上がる。
ここに来たのは元々は仕事だったが、無駄足だったようだ。もらった情報は完全にデタラメだった。
カクタスには支部通しで一応連絡を入れたが、今の状況ではちゃんと伝えてもらえたかどうか。直接連絡を取れないこともなかったが、がっかりさせたくないし、黙っていよう。どうせ土日も入るので、遊んで帰ることにしていた。
窓の外の景色をカモメがふわりと横切っていった。
続いてもう一羽。暗い鈍色の空は、今にも嵐を呼びそうだった。
「鳥だ」彼は、ベッドから降り、タオル一枚腰に巻いた裸のまま窓際に寄った。
「キミが泳いでいるのが見えたのかな、でかい金色の魚がね。狙っているよ」
「鳥が狙うのはね」声がすぐ近くしたので、彼ははっとなって振り向いた。
「窓際に裸で立っている男なのよ、もうじき女に生まれ変わる。手をゆっくり上げて」
「タオルが落ちる」
「今さら恥ずかしいこともないでしょ」
「元気がないのは見せられない。信条でね」
そう言いながらも、彼は手をあげた。
闇に沈む前に思う、全世界の中でそれでも数万人くらいの男は、こうして命を落とすのだろう、と。痛みはわずかだった。




