02
「黙っていてくれ」記憶を頼りに、サンライズは紙に写していく。シェーンブルクはその手元に見入っている。
意味は全然判らない文字の羅列。しかし単なる暗号文としてならば、少しは頭に残っている。
たぶん八割くらいは、復元できたはずだ。一息に仕上げた紙を渡すと、シェーンブルクは黙って読んでいたが、やがて感心したように顔をあげた。
「ドイツ語が判るのか?」
「ナイン」ただの記号の暗記だ、と答えたが、シェーンブルクは何度も何度も読み返している。
「デッサンに見つかったメモ書き、真筆と……裁判で誰を証人に呼ぶかという意味か? これは。競売で手に入れた品のリスト……絵の部分と木炭の成分が一致。絵はカクタスを経由してローマで保管」
カクタス、というのは誰か知らなかったが、シェーンブルクには思い当たる節があるようだった。
「カクタスは、ファン・ドールンの友人で、骨董品のバイヤーだ」
だが、にやりと笑って顔をあげる。
「と、いうことになっている」すぐに脇の通信機をセットし、どこかに連絡を入れる。
「カクタス、TGH‐002シェーンブルクだ」すぐに、英国式発音の大声が響いた。
「こちらPKK9602カクタス、いたのか、オマエ。今度は何だ」
「この間、お友だちから預かっただろう? 絵を」
「パウラにはちゃんと話したぞ。あれがどうかしたのか? 火でもついたか?」
「大火事だ、中身は知らなかったんだろう?」
「詳しくは、な。知っていても言わんぞ。死にたくない」
「あれは、レンブラントの」
「バカ、オレに話すな。絶対聞かないぞ」
「向こうにオマエのコード名とローマに隠した件がばれてしまった」
「バラしたのは誰だ」静かな言い方だったが、かえってぞっとした。
ありがたくもシェーンベルクはこう続けてくれた。
「不可抗力だ、それは仕方ない」
どうしてバイヤーが通信機を使っている? 聞いていてはっと気がついた。
相手はROCKERのエージェントなのだ。
「取りにいくはずのタウンゼントは、いなくなっちまったし、プラータはヒヨコだし」
「ライモントが死んだ」その言葉に、通信機がいっしゅん沈黙した。
「いつ」静かに問いかける。
「昨日の昼過ぎらしい、殺された」
「ヤツは、たぶん本物だから大事に扱ってくれ、と。中身は言わなかったが、オレの身を心配してくれたんだ」悔しさがにじんでいる。
「オレが無理に勧めたんだ、ここで狙われているものなら、いったん国外に出した方が安全だ、って。美術館の受付に渡すようオレが言ったんだ……こんなことなら、アイツにも身を隠すよう忠告すべきだった」
しかもあのデッサンには、もう一枚の大作の命運もかかっている。工房の作品だということで、黄金の兜の男は資産としての価値がずいぶん下がってしまった。
他国への貸出にも影響が出る。統一後の混乱はまだ続いている現在、少しでも外貨を稼ぎたい時にレンブラントの真筆だと再判定が出れば、美術館側はどれだけ心強く感じるか。
デッサンの価値もさることながら、これはドイツの美術界を揺るがす大問題だ。
「オマエにはまだショックだろうが、プラータが入れ換わっていた」
これには口汚い言葉が返ってきた。
「いつからだ」
「一昨日にはすでに。支部に個人調書を取りに来たのは本物だから、その後短い時間に攫われて入れ換わったのだろう。偽物はライモントの居場所を知っていた。本物のプラータに吐かせたんだろうな」
「オレはどうすればいい?」相手はすでに冷静さを取り戻している。
「ローマに飛んで、絵を持ちかえってくれ。オマエの身元は割れていないはずだ」
「誰にそれを渡す? オレはそこには出入りしないことになっている」
「サンライズに渡してくれ」
ヴァス? そしてヴァルーム? すぐその2単語が喉まで出かかった。
まだオレが働かなくてはならないのか? それにカクタスというヤツはオレのことを知っているということか?
「オレやあの日本人を使うほど切羽詰まってきたんだな、所長があんなだから」 そう言ってから、急に聞いてきた。
「彼はそこにいるのか? 今」
「サンライズ? ああ、一緒に聞いているよ。ホテルはさっき引き払ってきた」
「無事だったんだな、ならいい」
やはりオレのことも知っているんだ。
「手に入れるのは今日中でいいな、手に入り次第すぐ連絡する」
「頼む」
通信が切れてから、シェーンブルクは静かに息を吐いた。
「キミにもう一働きお願いしたい。
今日の日中にはメディアに連絡して発表の手配をかける、再調査委員会にも連絡をとるので、プラータのニセモノをおびき出すのを手伝ってくれ」
ヤツと直接対決できるのならば、手伝う価値は十分にある。彼は静かにうなずいた。




