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 05

「絵を探してるんだ、一枚」

 へええ、オマエが絵? 総一郎が笑いだした。


 小学校二年の時、お話の絵を描こう、という授業があって、タカオはどうしても学校で仕上がらず、家にまで持って帰らされたことがあった。

 絵心がない上に、やたら登場人物の多い「桃太郎」の一場面を描こうなどとしてしまったせいで、家でも父親には小馬鹿にされるし、兄にも大爆笑されたのだった。


「あのモモタロー、傑作だったよなあ」

 急に思い出してしまったらしく、総一郎は腹を抱えた。

「運動会の小僧が、ケツマークの幟持ってさ、ハトと小人とマングース連れて、ロックグループの人たちと踊ってる絵だったよなあ」

 貴生は答えなかった。というより、答えられなかった。幼少時代のイヤな思い出はいつの間にか心から締めだしていたらしいので、全然覚えがなかっただけだが。

「オマエさ、すげえ怒っちまって、絵筆投げてマジックで全部、矢印と『ももたろう』とか『サル』とか説明書いちまってさ……」

「そんなん知らねえ」

 きょうだいの言い争いが少し、穏やかになったのをハナはミルクをすすりながら黙って眺めていた。


 一つだけよかったかも知れない。今の話のもろもろで、ホテルでの出来事がすっかり遠い昔のことに思えてきた。

 ホテルに帰ってまたあの臭い匂いを嗅げばいやでも思い出してしまうだろうが。それでもシゴトはちゃんとケリをつけなければ、とようやく立ち上がる。


 車で送るよ、と言ってくれたのでありがたく従う。地下鉄の駅も近くにあったが、こんな夜中にひとりではさすがに乗る気がしない。今夜のようなこともあるし。

「ハナ」

 ソファに座って温めたミルクをすすっている少女に、総一郎は声をかけた。

「おじさんをホテルに送ってくる」

「すぐ帰って来るの?」

「30分くらいで戻るから……それを飲んだらすぐ、寝るんだぞ」

「パパこれ甘くない、砂糖入れたい」

 甘えた声でそう言っている。こういう時は日本語を使っていた。

「もう寝るからダメ」

「入れる、ちょっとだけ。いいでしょ?」

 総一郎はため息をついて、キッチンから角砂糖をひとつ、とってきた。

「いやだ、二コ」またため息をついて、総一郎はもう一つとってきた。

 ハナは当然のように甘くなったミルクをすすり始めた。

 昔から甘ちゃんだなあ、アニキは。あきれながらも、もしこれがまどかだったら、オレも砂糖持って来てやるんだろうな、とつい考えてしまい、心の中で苦笑する。

「じゃあ行ってくる。すぐ寝ろよ」

「やー」可愛い声も、やはりまどかに似ている。急に目をぱっと見開いて、

「ねえタカオ」

 まじめな口調で、最後にこう言った。

「絵がほしいの?」

「ああ」

「私このあいだ、学校で絵を描いたのよ、先生にほめられた。それ、おみやげに持って行っていいよ」

「ありがとう」


 もう一枚の絵も、さっさと戻ってくればいいのだが。

 そう願いながら最後にふり向いてさよなら、と手を振り、また冷たい夜へと帰っていった。


 車で送ってもらう間中も、兄弟はとりとめのない話を続けていた。

 近頃ドイツであったエアフルトの学校での銃撃事件が話題が出た時に

「高校生が大量殺人だぜ、おっそろしいよな」

 と言いながらちょっとだけ面白がるような目になったのが、唯一昔の彼を思い起こさせるくらいだった。

 それでもすぐに眉を寄せて

「うちもハナがいるから、銃撃とかそんなニュースには敏感になるよ」

 と保護者めいた言い方になった。

 そんな彼の横顔を、貴生はちらっと見ながら思う。

 オレもアニキから見たら、世情に無関心な高校生からもう少しはまともにオッサンらしく見えているのかな。

 少しお互いに黙っていたが、総一郎がぽつりと言った。

「オヤジのこと、まだ許していないんだろう」

 アウトバーンの白い光に時々照らされ、総一郎はまるで全然見も知らぬ人物にみえた。

「許すも何も」苦々しい口調にならないよう、細心の注意を払った。

「向こうがオレのことを許せなかったんじゃないのか? 歯向かってばかりだったし、可愛げなかったしな」

「そうかな……」総一郎は、ちらっと弟をみた。

「オヤジ、心配で仕方なかったんじゃあないかな? ヒロママが出て行っちまって、いつか、オマエまで出て行っちまうんじゃないか、って」

 そんなふうに、思ったことが全然なかった。彼は座席の上で固まった。

 総一郎が続ける。

「あの人、不器用だったからなあ……気持ちを伝えるのが、すげえ下手だったよな」

 それは、今になってわかる。彼もようやく言った。

「自分も父親になってさ……たまに気がつくことがあるけどね」

「だよな、俺もだよ」

 ふわりとみせた総一郎の笑顔に、なぜか自分の母・ヒロコの面影を認め、彼はかすかに痛む胸を軽く押さえてから窓の外に気をとられているふりを続けた。

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