01
兄の椎名総一郎は大学卒業後、外資系の石油化学関連会社でずっと働いていた。
西ドイツに正式に異動になったのは15年前、それからこちらで結婚もして、ドイツ統一後もずっとベルリンに住み続けている。
「クーダムで一回見かけてさ、警察に引っ張られる時」
兄は相変わらず、のんびりした口調だった。
「あっ、もしかして、と思ってでかい声で呼んだんだけどさ、タカオ、タカオって」
あの時どこかから聞こえたような気がしたのは、空耳ではなかったのだ、とようやく気づく。
「警察に行って聞いたけど、そんな名前の日本人は入ってない、って言われてさ。でも顔写真みたら やっぱりオマエだろ? とにかく身元を引き受ける、って言い張って」
案外粘り強いんだな、さすが地元。
「アオキ? 婿に入ったのか? オマエ、でも結婚した時は苗字変えてなかったよな」
「話せば色々長くなる」
「再婚したのか?」
「手紙出したろ? あの嫁さんだよ、今でも」
「あの人……ユリカさんだっけ? ミヤギシマって言わなかった?」
「よくそんなコト覚えてるなあ」
「取引先にいたんだよ、宮城島つう人が」
言いながら笑って弟の顔をまじまじとながめている。
「ずいぶんふけたなあ」まあ確かに、前回最後に会った時には自分はまだ高校生だった。
「兄貴もだよ」このオッサンだって大卒ホヤホヤだったし。
「オマエさあ……ドイツに何しに来たんだ」
「シゴトだよ、一応」
「相変わらずヤバイことやってるのか?」
ギクリとするような事を平気で言うのは相変わらずだ。
「な、何言ってんだよ」
「だってさ、いつだったか」思い出すように遠くをながめている。
「ヤクザ相手に身体売って五万稼いだ、って。パチンコ屋で拾われたってさ」
「あれは……」確かに父親らの前でそう言ったことがあった。
学校をさぼって、パチンコ屋に寄ったのが学校にも家庭にもバレてしまった時だ。
たまたまヤクザっぽい男に声をかけられ、危ない目に遭いそうになった時、彼は初めて自らの『力』でその男を追い払ったのだった。
忘れたくても、忘れられない記憶だ。
その時も頭痛がひどく、翌日、父に詰め寄られた時もまだ動揺が残っていた。それでなのか、売り言葉に買い言葉的なケンカでつい、衝動的に言ってしまったことばだった。
兄は本気にしていたのだろうか? サンライズは溜息をつく。
「オヤジを驚かすために言ったんだ、嘘だよ」
「えっ? ウソなの?」
心底びっくりしている。サンライズはしみじみと言ってやった。
「オレがそんなコトすると思う?」
「そりゃあさ……人は見かけによらないからなあ。それにドイツでも留置所にいたし」
「手違いだよ、街なかで急に他人どうしのケンカに巻き込まれた。見ていたんだろう? 身元引受人にも来てもらえるよう頼んであったんだけど、兄貴に会ったのが早かったんだ」
「そうか。誰が来てくれる予定だったんだ? 会社の人か?」
「下請けの人。トルコ人」
「ヤバいなあ」
「だからそんなことないって。トルコ人けっこう真面目だぜ」
どこまで話していいのか迷うところだった。身内には本当のことを言っておいた方がいいのだろうか。いざ何かと言う時に、あまり驚かせたくはない。
「それにオレ、一応コウムインだから」
へええ、と総一郎は素直に感心してくれた。が、すぐに
「どんなコウムイン?」と聞いてくる。
「ええと……ROCKERって知ってる?」
「駅のロッカー?」
「う……ん」説明が急にめんどうになった。「そんなもんだね」
「鉄道関係か? 何だか全然分かんねえ」
そう、兄貴は笑っている。やはり、詳しい話はしない方がよさそうだった。




