03
とりあえず、プラータが来るので帰らねばならない。パウラは他にも何か別件で支部に残っているらしく、彼に付き合ってくれながらもあちこちと連絡を取り合うのに忙しそうだ。
「十分気をつけてくれ」
帰りがけに、それでもわざわざ下のフロアまで見送ってくれた。
「いざとなったら、オマールを頼め。アイツはシゴト以外の用事は何でもこなしてくれる」
「わかったよ」
外は真っ暗で、首都の都心にほど近い、というのにどこか裏さびれてみえた。
彼は足早に駅へと向かった。
近くのSバーン駅から電車に乗り、三つめのシャルロッテンブルク駅で降りる。
ホテルは駅からも見えるような場所だった。
建物が目に入り、なぜか、急に背中がうすら寒くなる。
改札を出てから時刻表を確かめているところで、女性が脇に立った。背が高い。
ドイツ語で話しかけられた。「今から帰るの」
「ああ」
商売の女か? 一緒に時刻表を見上げたたまま、あまり口を動かさないで話す。聞きとりにくい。
「アオキさん、よね」急に名前が出る。彼はぎょっとして、女を見ようとして止められた。
女は英語に変えた。「別れたら、すぐホテルに入って。誰が来ても入れてはダメ。これ直接パウラに渡して」
さりげなくつなぎにきた手に何か握っている。受け取ると、彼女は足早に改札の中へと消えていった。
ホテルにいったん入り、片隅に申し訳程度にできているロビーでしばらく待つ。
先ほどのメモらしい紙が手のひらの中に転がっている。
ここで拡げてみてみたいが、部屋に帰るまで待ったほうがいいだろう。
なぜかプラータには話してはまずいような気がしていた。
ギャラリーでの彼の言動、やはり気になる。
最初はただの親切心か、と感心しただけだったが何がおかしいのか気づいた時、唐突に冷や汗が出た。
眼鏡を使わずに、あの暗い場所で、あのパンフを読んでいた。目を近づけず。
サンライズですら、あの位置では字は見えないだろう。
ましてや裸眼視力0.1以下の男が読めるか? 眼鏡を手に持ったままで。
かなり待たされてから、ようやくプラータが現れた。
「警察に届けを出してきました、すみませんお待たせして」
珍しいドイツ人の詫びをようやく聞く。
「こちらこそ悪いな、せっかく来てくれたのに」サンライズも立ち上がった。
「副支部長からの命令だ。ホテルではなく支部に泊まるように、と」
「ああ、そうですか」しごくあっさりと、彼は了承した。
「ボクも慌てちゃって……最初からそうすればよかった。ありがとう、待っててもらってたんですね」
「いいよ、ところで」ファン・ドールンの件はもちろん耳に入っていないだろう、こちらからショッキングなニュースを知らせることもあるまい。
「明日は何時にする?」
「そうですね……」彼は少し遠くをみてから「10時に、ここで」
あっさりと帰って行くのを、拍子抜けしながら見送った。
やはり、あれは天然なのだろうか。
階段を四階まで上がり、ドアの下に挟んだ紙を確認してからドアを開ける。今度は誰も入っていないようだ。
通信機を使って、支部に連絡を入れる。すぐパウラに代わってもらえた。
「プラータが今ホテルから出た。そちらに向かっていると思う。紛失届は出したそうだ」
「15分かそこらで着くな、来るのならば」あまり期待していない言い方だった。
「ファン・ドールンが殺されていた事は話してないから、それと」
サンライズは慎重に言葉に出した。
「駅で女から紙を預かった。直接キミに、と」
「何が書いてあった」ようやく、メモを出した。
「歯が立たない。ドイツ語だろうなこれは」
「ふむ……プラータには話したのか」
「ナイン」答えてから、ずっと気になっていたことをぶつける。
「ヤツは本当にプラータなのかな」
今から支部に行くとは言っていたが、サンライズにも本当だと思えなくなってきた。
「キミたちと、プラータが直接話しているところを見てもいないし、聞いてもいない」
もしかしたら、実はファン・ドールン殺害の一味なのかも知れない。
「あり得るな。そこに押し入ったのも一味かも……何かを探していたのか」
パウラはゆっくりと彼に言った。
「よく聞いて。まずメモだが、コピーは取るな。カプセルは持って来ているか?」
不溶性のカプセルはエージェントの常備品で、それは各国共通のようだ。
ある、と答えると「メモが入るカプセルがあるか」と聞くので
「一番大きなヤツなら」
と答えながら、バッグから取り出してみる。
折りたためば、楽にいけそうだった。そう伝えるとまたゆっくりと指示を出した。
「それを飲んだら、部屋で静かにしていろ、誰が来ても中に入れるなよ」
「そのつもりだ」
「朝、誰かを迎えにやる。合言葉を決めよう、何して遊ぶ? と聞いてくれ。チェスのチャンピオンだと答えさせる」
「チェスのチャンピオンだったら、中に入れる、了解」
「ホテルを引き払って、あとは支部内でシゴトをしてもらう。二日もすれば帰れるだろう、日本に」
ためらいがちにつけ加えた。
「めんどうなことに巻き込んでしまったようだな」
どこにいても一緒さ、と答え、彼は通信を切った。
やはりぐっすり眠ってしまったようだ。激しい胸苦しさを覚え、目があいた。
「チェックメイト」
いつの間にか、プラータがいた。胸のすぐ上に。




