心
「おままごとをしよう」
食べるつもりで近づいた公園の片隅にいた、小学生高学年ぐらいの、私の見た目の年齢よりちょっと上ぐらいの女の子にお誘いを受けた。
「あたしがママで、あなたが子供ね。パパは、この子」
彼女は抱えていた人形を両手で掲げた。汚れがあちこちにあり、目の部分のフェルトがとれかけている。古い物のようだった。
「どうゆうこと?」
「だから、あたしがママで、あなたが子供ね。パパは、この子。決まりなの」
彼女は先ほどの言葉を繰り返した。
それは、どうやら、家族の真似をする遊びのようだった。
「……よくわからないけど、やってみようかな」
私はその提案を承諾した。食べ歩きにも食傷を感じていたし、それに『家族の真似』というフレーズで、何故かお兄ちゃんと過ごしていた日々を思い出して、それを追体験したい思いが芽生えたから。
「うん!」
彼女は満面の笑みを顔に浮かべた。
「ただいま、ママ。ここちゃん」
人形を動かしながら声のトーンを低くして、こころと名乗った女の子は言った。
でも今は私がこころちゃんで、こころちゃんがママ。で、いまのこころちゃんの発言は人形扮するパパの台詞。かなりややこしい。
「ただいま、パパ」
お父さんとお母さんと自分、という家族形態を体験したことがない私は、ちょっと間をおいて
「えっと、おかえりなさい、パパ」
と返した。
「パパ、もうご飯できてるわよ。パパとここちゃんの大好物」
「なんだろう? ママの料理は全部鉱物だからわからないな」
「ふふ、カレーだよ」
カレーというものを食べたことがなかったけど、私は喜んでみた。
その後、一緒にカレーを模したものを食べるふりをして、三人でお風呂に入って、同じ部屋で布団に入った。
それを色んな状況で繰り返した。お正月には凧揚げて駒を回して遊んだあとお年玉をもらった。
節分には豆まきをした
ひな祭りには人形を並べた。
入学式には桜の木下で写真を撮って。
ゴールデンウィークにはキャンプに行って。
梅雨の日には照る照る坊主を吊るして。
夏休みには海で泳いで。
秋にはいたずらしておかしをもらった。
クリスマスには、サンタさんがやってきた。
おままごとをしているときのこころちゃんの顔は、楽しそうだった。
でも、ふと昔を懐かしむような、哀愁が漂っていた。
幸せそうには見えなかった。
「……ありがとう、遊んでくれて」
ありがとう。と言われたのは初めてだった。
有難う。
有ることが難しいから、ありがとうなんだよ、って、お兄ちゃんが言ってた気がする。
「あたしね、今日、お母さんとシンジュウするんだ」
不意にあらゆる表情を失った顔をして、こころちゃんはそう言った。
「シンジュウ?」
「一緒に死ぬの。怖くはないよ。お父さんのところに行くだけだから」
「どうして?」
「幸せだったころに戻れないから。そして、違う幸せを手に入れることが出来なかったから。この後にあるのは、不幸だけだからって、お母さんが言ってた。あたしも、そう思うから、一緒に死ぬの……ごめんね、こんなこと言ってもわからないかな」
ふと、こころちゃんの瞳から、雫が流れ落ちた。
「でも、初対面の女の子におままごとした挙句、こんな重いこと言っちゃうなんて、変だよね。……やっぱり、怖いんだよね」
怖くないと言ったり怖いと言ったりこころちゃんの発言は矛盾していた。
「……でも、もう、引き返せない。ママは、もう、覚悟、決めてるし、やっぱり、ママも、パパも、大好き。……だから」
嗚咽をあげながらそう告白する彼女の涙は、
今まで口にしたものの中でも屈指の美味しさを持っていた。
どうしてだろう。死が近づいているというのに。
とても美味しい。
でも、今ここでこころちゃんを殺して食べようという気にはなれなかった。