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けむり

作者: 富岡 蚕

2012/9/17 一部修正、改変しました。



心がちょっときゅんってなるような小説が書きたいです。







 「ずっとこうしてたいなあ」

 彼女は、穏やかな顔で呟いた。

 その小さい頭は、隣の彼の肩によりかかる。

 彼は、それに少し驚き、少し戸惑う。

 「そうだな」

 そして優しげな、しかしどこか悲しそうな表情で呟いた。

 錆びたベンチに腰掛けた彼は、雨の降る空をぼんやりと見ていた。

 そして少しすると、言葉とは裏腹に彼はどこかに消えてしまった。

 彼女を一人、ベンチにおいて。




□目を覚ましたら、そこは知らない街だった。




 貴方は死んでしまいました。

 唐突に、そんな事実を突き付けられたとして、はたして「はい分かりました。」と受け入れられる人間がいるだろうか。

 とある交差点。

 いつも通勤に使っていた、都会人には馬鹿にされるであろう、それでも地方の街ではおそらく一際スクランブルなやつだ。

 スーツに身を固めたサラリーマンや、惜し気もなくその美脚を晒したOL。おめかしをした女子高生や、講義でも終わったのか、嬉々とした表情で街を闊歩する大学生。

 その人間達全ては、俺をすり抜けていく。

 比喩や抽象ではない。本当の本当に、俺をすり抜けていくのだ。

あ、ぶつかる。と思って避ける必要などない。むしろ誰かしらぶつかってくれれば、それが俺の生きている証拠になるというのに。

 この時点で、だ。

 もしかしたら俺は生きているんじゃないかという極めて楽観的な希望的観測はできなくなった。

 いや、もしかしたら、噂に聞く幽体離脱とやらかもしれないので、案外まだ希望は潰えていない。

 『あー、どうしよう』

 俺は呟いた。

 理屈っぽい言葉を並べても、結局そうである。

 とりあえず、人混みから離れようと思い、歩きだす。ふと、いつもの習慣なのだろうが、人混みをかいくぐって、周りの人に肩がぶつからないように歩く自分に気付く。しかしそれも、なんだか馬鹿らしくなってやめた。

 すれ違った、というよりすり抜けた誰かが『あれ?今、なんかすごい寒気がしたんだけど』と言っているのが聞こえ、「ああ、心霊現象ってこういう仕組みなんだな」と実感した。実感してしまった。あんまりしたくはなかったが。

 俺は案外、「あなたは死んでしまいました」と言われたら「あ、そうなんですか」と言えてしまえる人間らしい。生まれて初めて。否、死んで初めて気付いた。とんだ皮肉だが。

なんとなくこの体にも慣れたころには、人気のあまりない、割と自然の多い地区へとやって来ていた。小一時間経ったか経っていないかぐらいだ。その時間が長いのか短いのかの判断は、受け取り手にまかせることにしよう。

 そしてそこは、俺の住む二階建木造アパートの近くだった。

 大学生の時分にサークルの仲間と食べに行ったラーメン屋や、頻繁に煙草を買いに行ったボロい食料品店、初詣にはそれなりに地元民で賑わう神社や、あまり客足の芳しくないコンビニなどが近くにある。

 そういえば、彼女の家もそれなりに近い。二回生の時から交際が続いていたので、今年で交際3年目。髪の長い、活発そうな雰囲気の子だ。そういえば彼女は今どうしているのだろうか。

 思えばこの時さっさと家に帰っていれば、という情けない文を後々書かないためにも、早々に自分のアパートの部屋に向かう。部屋の鍵は───開いているのだろうか。まあ、とにかく行ってみてからの話だ。

階段を踏みしめるたび軋んだあの危なっかしい足元の感覚さえも、今では恋しく感じる。

 ん?

 俺の部屋は、階段を上った、手前から2番目だ。

 気持ち、足取り早めにその部屋の前に向かい、ネームプレートを見る。

 『ない・・・・・・』

 想定していなかった訳ではないのであまり驚きはしなかったのだが、そこに俺の名前の入ったネームプレートはもう既に存在しなかった。

 とうとう、頭の隅で頑張ってへばりついていた、まだギリギリで残っていた希望も、潰えてしまった。

 アパートの部屋が、引き払われている。

 ということは、俺の葬式はとうに終わり、俺の身の回りのあれやこれやが済まされた後だ、ということだろうか。となると1・2週間は確実に経っている。化けて出るのが遅すぎやしないか、俺。いや、こんなものなのだろうか。

 そんな塩梅で、俺はそのアパートの部屋の前で頭を抱えていた。

 すると、階段の方からギシギシと、聞き慣れた軋む音が聞こえた。誰か帰って来たのだろうか。今の時間帯なら、お隣の片岡さんだろうか。

 階段の方を見てみると、買い物袋を抱えた、独身三十路のバーテンダー、片岡さんの頭が見えた。仕事の時間帯が夜なので、基本的にこの時間はよく見かける。

 咄嗟に身を隠そうとして、そういえばその必要がないことを思いだし、ちょうどいい踏ん切りがついたと思い、俺もその場から立ち去る。勿論階段から。

 片岡さんとすれ違った時「うう、寒い。なんか気味悪い」と言われた。生前それなりに仲が良かったからか、かなり傷ついた。

 『どうしよう』

 俺は呟いた。

 やっぱり結局そうである。

 途方に暮れ、階段に座り込む。

 『そっか、俺死んだのか』

 後ろの方でアパートのドアが閉まる音がしたので「ああ、今ちょうど部屋に入ったんだなあ片岡さん」とか思ったりして、現実逃避をする。

 逃避する現実なんてもう終わっているなんて、思いたくもなかった。




□悲しくない。




 「俺、思うんだよね」

 片岡と名乗った男は、ほんのり赤らんだ顔で俺に言った。バーテンダーをしていると聞いたが、どうやら酒には弱いらしい。

 まあ、ここはバーではなく居酒屋なのだが。

 「何がですか?」

 「女ってよ、どうやったらオチるかってこと」

 「ああ、はい」

 まだ会って間もないのに、よくこんなにも馴れ馴れしく喋れるなあと、感心する。まあ、なんだかんだ言って俺もそれなりに気を許してしまっているんだから、どうとも言えない。きっとこの人は、知らない人と仲良くなる天才なのだろう。この人は、越してきて早々、俺の部屋に押しかけて、「DVD鑑賞しようぜ!」と5本の18禁を含むDVDを持ち込んでくる人だ。俺には絶対に真似できない。普通そんな隣人がいたら、倦厭するか通報するかだが、どこか嫌いになれない雰囲気なのだ。これを天才と言わずして何と言おう。

 「自分の弱いとこを見せんだよ。分かるか」

 「ええと、ちょっと分かんないっす」

 「お前、今好きな奴いるんだろ?里原だっけか?里原麻衣ちゃん。そいつにちょっと甘えてみるんだよ。今から会っていいかなー、とか、な?」

 「な、って・・・・・・言われても・・・ね」

 「ほら、携帯貸せって」

 「あ、ちょっと待」

 強引にポケットに手を突っ込まれ、携帯電話を奪われる。抵抗すれば出来たものだが、結局奪われてしまったのは、俺自身が「そういうキッカケ」を待ち望んでいたからだろう。

 片岡さんは器用に携帯電話を弄り、里原さんの携帯番号が表示された画面を出し、俺に突きつけた。

 「麻衣ちゃんのこと好き?」

 オヤジ臭い、からかうような声を作り、片岡さんは俺に言う。表情もどことなく俺のことをバカにしている。

 「とりあえず、あなたをすごく、はっ倒したいです」

と、言えるはずもなく。

 「・・・・・・・好きです・・・・・・けど」

 気恥しさで片岡さんの目を見ることができず、下をむいてしまった。すると聞こえなかったのか、

 「ごめん、もう一回いいかな。麻衣ちゃんのこと好き?」

 と言われる。俺は、さっきので吹っ切れたようで今度は大声で

 「好きですけど!」

 と、顔を上げて言った。

 『え、えっと・・・・・・ホントに?』

 顔を上げた先には、したり顔の片岡さんの顔と、片岡さんの手に握られた携帯電話の画面。

 その画面には、「通話中」の文字。携帯電話から聞こえた声は・・・・・・間違いなく里原さんの声だった。

 「あ、えっと」

 『ホントに?』

 「はい!」

 『じゃあ、あたしたち、付き合っちゃおうか』

 「はい?」

 『好きなんでしょ?あたしのこと』

 「・・・・・・はい」

 『よろしくね』

 「・・・い」

 いよっしゃああああああああああああああ!と、居酒屋の中で、大声で叫んでしまった。片岡さんは自分で仕掛けておいて、なんだか信じられないという顔をしていた。あと、すごく悔しそう。

 ちなみに俺はその時、嬉しさのあまり泣いていた。




□彼女は言っていた。これは夢じゃないと。




 『麻衣』

 彼の声が聞こえた気がして、振り返る。

 そうと知ってはいるものの、当然ながらやはり彼の姿はどこにもなかった。そこにあるのは、雑多な喧騒と人の波だけだ。

 ・・・・・・どうやら少し疲れているようだ。

 「どうしたの、麻衣」

 「ううん、別に、なんでもないよ」

 「なんか、雨降りそうだね、ほら」

 友人が話題を切り替え、上を指差す。

 「ああ、ホントだ」

 空はいつのまにか曇り、あたりは少し薄暗くなっていた。

 「傘ないや、麻衣どうする?」

 「うーん・・・・・・今日はもういい時間だし、帰ろっか」

 「そうだね」

 友人は、快活そうな笑顔をつくりそのまま、じゃあね、と手を振りながら駅の方へと歩いていった。

 同時に、鼻の頭に水の冷たさを感じた。ぽつり、ぽつりとそれを合図に雨が降り出してくる。

 「やば」

 私も自宅の方角へと、足を走らせる。

 少しすると、雨の強さが一気に増した。

 髪や服に水がしみ込む。季節が冬じゃなくて本当によかったと思う。この暖かい季節でさえ、今は少し肌寒い。

 自宅に帰る途中で、雨宿りできるようなところを探してみる。すると、くすんだ赤い看板が目印の、小さい食料品店の屋根が目に入った。この店は、優しそうな70歳くらいのおばあさんが店を切り盛りしている。彼はこの店をよく使っていたから、一緒に立ち寄ることが多かった。店のおばあさんとも顔見知りなので、店先で雨宿りをしたところで怒られたりはしないだろう。

 「おあばさん、いないのかなぁ」

 中を覗くと暗くて、そこに人がいるかどうか分からなかった。

 雨はまだ止む気配はなく強さを増す一方だ。無駄な抵抗だとは気付いているが、水を払うように肩や腕ををはたく。やはりそれは無駄な抵抗で、気分的にも物理的にも水分が散らされる事はなかった。

 「たばこ」と書かれた看板の下にベンチがあり、そこに腰掛ける。

 なんだか、ノスタルジックな雰囲気がとても落ち着く。自分の家の自分の部屋にでもいるような安心感が、そこにはある気がした。なんだか背中が温かくなるような、お腹の奥の方が温かくあるような、懐かしい匂いがする。

 「ふう・・・・・・」

 そういえばここに来るのも久しぶりだ。

 そう。彼が死んでからは一度も来ていない。

 いくらでも、思い出せる。

 だけど、

 「思い出してみても、やっぱりなぁ・・・・・・」

 感慨に耽ろうと思い出に浸ろうと、何故だか溢れてくる涙はない。

 きっとまだ夢でも見ている気分なんだろう。まるで実感がない。そんなんだから、こうして彼が死んで2ヶ月経った今でも、彼に街中で鉢合わせる妄想をするのだ。

 「あら、麻衣ちゃんじゃあないかい?」

 独り言を呟いていると、それが聞こえでもしたのか、店の中からおばあさんが出て来る。

 「おばあさん。お久しぶりです」

 「本当にねぇ、久しぶり。今日はお兄ちゃんいないのかい?」

 「ああ、それが、彼。2ヶ月前に事故に逢っちゃって・・・・・・」

 「あらぁ、亡くなられたの?」

 「えっと、・・・・・・はい」

 「嫌な事聞いちゃったねぇ。ごめんね」

 「いいんです。気にしてないって言ったら嘘ですけど、まだあんまり実感がなくて」

 「そうかねぇ、無理するんじゃあないよ」

 と言うと、おばあさんは一度店の中に戻る。

 そしてしばらくして、また店から出てきて

 「はいこれ、サービス」

 と言って、駄菓子が沢山入ったビニール袋を渡してくれた。

 「いいんですか、こんなにたくさん」

 「いいよいいよ、もっていきんさい」

 「あはは、ありがとうございます」

 「あとこれ、身体拭いて。風邪ひいちゃいけないからね」

 おばあさんはそう言って、私にタオルを渡す。

 「何から何まですみません」

 「持って帰って良いから、また返しに来てね」

 「はい」

 「ゆっくりしていくといいよ」

 「はい」

 上着は濡れていたので脱いだ。それだけでも、幾分か気分はいい。

 そしてその後10分ぐらい、私はベンチに座っていた。

 そのまま居眠りしてしまいそうな、そんな心地よさがあった。というか多分ほんの数分だけど、実際に居眠りしてしまった。

 しかし、雨は止みそうにない。止みそうになってくると、雨雲はすぐにまた威勢を取り戻す。

 結局、私の意識は再びまどろみ、眠りに入っていった。




□それが特別なことではないことを、気づかないことができない。




 コンビニで、日付を確認してみる。そこに行くまでに、とりあえず自動ドアのセンサーがちゃんと反応してくれたことが嬉しかった。レジの店員の顔が若干引きつっていたが。

 会社帰りなのか、サラリーマンが週刊誌を立ち読みしていた。俺はサラリーマンの顔を覗き見るように、その表紙を見てみる。

 その日付はというと、記憶に残っている日付よりもかなり月日が経っているものだった。

 自分の死んだ日にちははっきり覚えていないのだが、多分2ヶ月ぐらい経っている。やっぱりなんとなく化けて出るのが遅い気がする。化けて出たところで、誰にも触れなかったり、見られなかったりするのだから、俺が今こうやって「ここにいる」事に意味があるのかどうかすら分からない。もしかしたら意味すらなく、案外これはただの夢だったりするのかもしれない。たとえそうでなくても、自分の生きていない世界など、夢と同じだろう。

 まあ、今この状況で誰かに見られることで得することなんて何一つないわけで、むしろ雨が降ったときは透けてるほうが濡れないから得するっていう、なんとも便利な体だ。と、現在進行系で降る雨を眺めながら思う。

 俺は行く宛もなく、近所をぶらぶらと歩いていた。

 歩きなれている道のはずなのに、そこはどこか知らない町のように思えた。




□潮騒は近い。




 ぶらぶらと足が身体を運び、行き着いた先は、とある食料品店。

 ここには生前お世話になったものだ。

 大学に通うために一人暮らしを始めたとき、ふらりと立ち寄ったのが初めてだった。俺は、小学生の頃を思い出すようなノスタルジックなこの店の空間が気に入り、よく通ったものだ。俺はこの空間で過ごす時間が大好きだった。

 行ってみるか、と一瞬躊躇し、やはりその手を止められず

 『お邪魔します』

 礼儀と思い、ちゃんとガラガラ戸を開け挨拶をする。

 「いらっしゃい」

 返事が返ってきたのにちょっと驚き、しかし向こうもちょっと驚いているようで。

 『おばちゃん、セッタ』

 と、ちゃめっけたっぷりを演じて、笑いながら言ってみる。

 ついでに手に握った小銭をおばちゃんに差し出す。

 「・・・・・・あいよ」

 おばちゃんはなんだか悲しそうな顔で、俺がいつも買う煙草を差し出してくれた。俺はそれを受け取る。受け取ってから、煙草の箱に触れられたことに気づき、安心した。そういえば、と思い直せば、ちゃんとガラガラ戸にも触れることができた。もしかしたら、何に触れるか、触れないかというのには、何かしらの法則性でもあるのかもしれない。

 『おばちゃん、俺のこと見えるんだ』

 「・・・・・・もう死んじまってる客は、初めてじゃないんでね」

 随分と言葉が出てくるまでに時間がかかった気がするのは、気のせいではないのだろう。なかなか興味深いことを言ってくれるじゃないか。おばちゃんはニヒルを気取ったように、ついでにライターも貸してくれた。

 「お金はいいよ、あたしからのお供え物って事で。お兄ちゃんのお墓行けそうにないからねえ」

 『ん?いいの?』

 俺は入口近くにある小さな木の椅子に腰掛け、薄い板でできた壁に背中をあずける。

 その箱を覆っているビニールの切れ目を探し、紙の蓋を裂き、ゴミをポケットにしまい、白いスティックを一本取り出し、その先に火を点ける。

 「いいよいいよ、たまにはサービスしなくちゃあ」

 『さんきゅー』

 おばちゃんにそう言い、口と肺の中に溜まった煙を吐き出す。そういえば、この煙や嗜好品は今どういうふうに見えているのだろうか。宙に浮いてでもいるのだろうか。だとしたら、なんとも滑稽だ。ふとそう思い、おばちゃんに聞く。おばちゃんならそれの答えを知っている気がしたからだ。

 『ねえ、おばちゃん。今の俺、どんなふうに見える?』

 「いつもどおりのお兄ちゃんじゃぁないのかい?」

 『そうじゃなくってさあ、こう・・・・・・うーん、なんていうの?霊感?がない人が今の俺を見たら、煙草だけ浮いて見えてんのかな、って』

 「ああ、そういうことねえ」

 おばちゃんは、質問の内容を理解したようで、言葉の調子を明るくした。

 そして、自分も棚の中から取り出した嗜好品に火を点け、一服する。それ売り物なんじゃ・・・・・・いや、なんでもない。そして、紫煙を口の端から吐き出しながらおばちゃんは言う。

 「お兄ちゃんがそこにいるって知ってる人にはね、お兄ちゃんとお兄ちゃんを取り巻いてるものがちゃんと見えるの。だから、お兄ちゃんがそこにいるって知らない人にはね、何も見えない」

 『じゃあ、なんでおばちゃんは俺が見えたの?俺が死んでここ来るって知ってたの?』

 俺は軽い調子で聞く。

 「あたしは知ってたの。この世界には死んだ人もちゃんとそこにいるって。だからお兄ちゃんが見えたの」

 しかし裏腹に、おばちゃんの声の端々には、何かを思い出すような懐かしげな思いと、分類のつかないような寂しさとが感じてとれた気がした。その言葉の後ろにどんな出来事や思いが秘められているのか、俺には想像がつかない。いや、きっと進んで想像すべきでは、ないのだろうけれど。

 「あたしは知ってるから、今もこうしてお兄ちゃんの服も煙草も煙も、目で見て、身体で感じることができるの。たとえば、そう。鼻とかでね」

 『ふーん』

 おばちゃんがいうなら、多分そんな風な仕組みなんだろう。

 俺は、店内に充満する煙を眺めながら相槌を打った。この噎せ返るような空気は、俺とおばちゃんにしか見えて感じられないわけなんだ。例えば、霊感?の強い人だったりとかも、この場に連れてこれば一言「タバコ臭い」と言い放つのだろう。いやしかし、思い直せば、今はおばちゃんも煙草を吸っているので、誰が来たとしても、「タバコ臭い」と言い放つのか。まあ、例えばの話だ。

 「知っている」というのは、いいえて妙というか。多分それは「信じている」と紙一重なものなのだろう。単なる推測なんだけどな。

 鰯の頭もなんとやらというが・・・・・・それだと全く意味が違うかな。どうやら、死んでも馬鹿は治らないらしい。

 「ふう」

 と、ふと自分の真後ろから、ぼんやりとした声が聞こえ、壁が少し軋んだ。

 表のベンチに誰か座ったのだろう。外はちょうど雨が降っていたので、ここに雨宿りにでも寄ったのではないだろうか。

 『おばちゃん、お客さ』

 数少ない来客を、まだ気づいていない様子のおばちゃんに知らせようとする言葉の途中

 「思い出してみても、やっぱりなぁ・・・・・・」

 聞こえたそれは、聞き覚えのある声だった。

 『・・・んだ、よ・・・・・・』

 とてもとても、聞き覚えのある。

 「はいはい、出ますよお」

 煙草の火を灰皿に押し付けて、ゆっくりと横を通りすぎて店の外へと出ていったおばちゃんが、会話を始めた。ずいぶんと俺の時と口調が違うもんだ。俺が思うおばちゃんは百戦錬磨、波乱万丈をステータスに持った肝っ玉ばあちゃんだが、おばちゃんをあまり知らない人にとっては、ただの優しいおばあちゃんだろう。

 「あら、麻衣ちゃんじゃあないかい?」

 おばちゃんはそう言ったが、その言葉を聞くまでもなく。

 「おばさん。お久しぶりです」

 その言葉の主が、俺の彼女だった、麻衣であることを知っていた。

 知っていたんだ。




□喧騒は遠い。




 しかし、そこにいると知っていても、俺に出来ることなど何もなかった。

 話しかけることも、触れることも、できない。壁を隔てたすぐそこに、彼女はいるのに。

 「本当にねぇ、久しぶり。今日はお兄ちゃんいないのかい?」

 そんな声が聞こえた。

 『おばちゃん、性格悪いなぁ・・・・・・今の今まで俺としゃべってたのに』

 俺はそれを聞きながら、おばちゃんに聞こえないように一人呟く。別にそこまで可笑しいわけじゃないのに、自然と笑いがこみ上げてくる。

 「・・・・・・ああ、それが、彼。2ヶ月前に事故に逢っちゃって・・・・・・」

 「あらぁ、亡くなられたの?」

 『俺、事故ったんだ・・・・・・』

 そういえば、と思い出そうとするけど、なかなか思い出せない。

 事故、か。多分原付で事故を起こしたのだろう。

 俺が純粋な被害者であるなら、加害者に申し訳ない。俺のせいで一生人殺しの汚名を背負わければならないだろうからだ。俺が誰かを怪我させてしまったり、死なせてしまったりした事故であるなら、なおさらだ。俺が一人で勝手に事故っただけなら、それはそれでいいだろう。

 「いいんです。気にしてないって言ったら嘘ですけど、まだあんまり実感がなくて」

 『・・・・・・』

 「そうかねぇ、無理するんじゃあないよ」

 おばちゃんは、そこまで話すと店の中へ戻ってきた。

 店に入って、すぐに俺の方を見て

 「麻衣ちゃんだよ」

 『うん。知ってる』

 それだけ言うと、店の奥の方へ行ってしまう。

 おばちゃんは見た目の割に動きが機敏だ。数秒経つと、すぐ店の方へ戻ってきた。

 おばちゃんは手に白いタオルを持っている。

 雨が降っていたので、服なんかが濡れているであろう、彼女に貸してあげるのだろう。

 “雨宿りをしてタオルを貸してくれる”みたいなハートフルな食料品店ないし、駄菓子屋さんなど、俺はこの店に来るまで、映画やドラマの中でしか見たことがない。なんだか、心があったまる。

 そういえば、あの映画にも幽霊が出てたっけな。片岡さんと一緒に見たやつだ。確か幽霊が主人公にどうしても伝えたいことがあって・・・・・・

 『おばちゃん、ちょっと待って』

 「ん?」

 『さっきの煙草のお金分の駄菓子、あいつにあげてよ』

 「・・・・・・うふふ」

 おばちゃんは、一瞬何を言われたか分からないような顔をしたあと、小さく笑い、まるで乙女のような顔で「アンタ、小粋だねえ」と、言った。その顔は、しわくちゃなのに、どこか若々しかった。きっとおばちゃんは若い頃美人でモテモテだったに違いない。そう感じさせる表情だった。

 『あと、これ借りるね』

 「何するつもりかい?」

 おばちゃんは、俺が何をするのかワクワクしているようで、楽しそうに聞いてくる。

 『これ、ついでにあいつに渡してよ』

 「ああ、分かったよ」

 おばちゃんは、白いビニール袋に駄菓子を詰めている作業の最中で、俺が頼むとその駄菓子に混ぜて、折りたたんだ“それ”を袋の中に入れてくれた。

 『扱いが雑すぎやしないか』

 俺は苦笑しながら言った。

 「このぐらいが現実味があってちょうどいいんだよ」

 おばちゃんは、快活そうな笑顔で答えた。




□みんな夢だったらいいのに。




 「はいこれ、サービス」

 おばちゃんは店の外へと出ていった。

 俺は、煙草が短くなっているのに気づき、おばちゃんの定位置の机まで歩き、その上にある灰皿に押し付ける。

 「ゆっくりしていくといいよ」

 「はい」

 後ろでそんな会話が聞こえる。

 会話を聞いているだけじゃ手持ち無沙汰な俺は、たまたまポケットに入っていたライターを、カチカチと鳴らす。

 会話を終えたのか、おばちゃんが外から戻って来る。

 来るなり一言

 「一目だけでも、見なくていいのかい」

 と、小さく言う。声が小さいのは、外にいる彼女に気を配ってだろう。ガラガラ戸は開けっ放しになっている。

 『・・・・・・』

 見ると、どうしようもなく悲しくなると思う。見ると、この上なく切なくなると思う。

 俺はおばちゃんの言葉には敢えて答えず、すでに開けっ放しになっている扉をくぐった。

 店の中は暗かったので、外がとても明るく見えた。しかし空はまだ雲に覆われ、普段に比べれば、それでも薄暗いほうだろう。雨の匂いに混じって、草の匂い。そして、煙ったいぐらいに強烈な煙草の臭い。その全部が心地よかった。

 すぐ横を見る。

 彼女がいる。

 勿論、その横顔はこちらに気づくはずもない。ただ、誰も通らない寂れた道を、見ている。

 『髪、切ったんだな』

 『ちょっと痩せたんじゃないのか』

 『今日の服、可愛いな』

 『なあ・・・・・・麻衣』

 話しかけても、やはり、気づく訳がない。問いかけても、彼女は振り向かない。

 息が詰まりそうになる。声を出したいのに、一瞬にして喉のあたりで噛み殺される。それでもかろうじて、言葉を紡ぎ出そうとするが、汚らしい喘ぎのようになるだけだった。

 『・・・あ・・・・・・・・・・・・・・・ああ』

 そして、それまであまり感じていなかった感情が、一気にこみ上げてきた。

 おそらく「悲しさ」に分類されるであろう感情の波が、押し寄せる。それは、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられていて、なんで泣いているのか、いちいち考えないと分からないぐらいに、感情のコントロールができない。もう彼女と思い出を積み重ねられないという「実感」が、彼女と触れ合えないという「実感」が、彼女と言葉を交わすことができないという「実感」が、俺を押しつぶす。

 自分が死んでしまったという実感。

 『ここに、いるのに・・・・・・なあ・・・・・・?』

 俺はついにうずくまってしまった。足に力が入らない。喉や頭を掻きむしりたい衝動にかられるが、思いとどまる。情けないほどに、口から嗚咽が漏れる。泣いているようだ。泣いたのなんていつぶりだろうか。確か成人式の時に、同級生で集まった時以来だ。

 『はは・・・・・・笑えねえよ』

 そんな言葉も、自分の中にしか響かない。

 そういえば、店の中にはおばちゃんがいるっけな。ちょっとだけ、恥ずかしいや。




□トンネルを抜けても、景色は変わらなかった。




 隣には彼がいた。

 なぜかそれは当たり前で、いつもどおりのことだった。

 いつもの食料品店のベンチで、二人で並んで腰掛けていた。

 世界はとても暖かい色をしていて、肩に触れる体温が心地よかった。

 時間が止まったように、雨は輝いて、彼の香水のいい香りがした。

 「ずっとこうしてたいなあ」

 ふと呟いた。

 隣の彼の肩に寄りかかる。

 彼の顔は見えなかったけど、ぼんやり(・・・・)と声が聞こえて、安心した。




□夢を見たの?




 そう。

 そんな夢を見た。

 目が覚めると勿論彼はいない。

 でもなぜか、心持ちは軽かった。

 ふと、空を見ると雨はほとんど止んでいた。日が当たってくると同時に、私はベンチから立ち上がる。

 私は店の戸を開けて、

 「それじゃあ、雨止んだんで帰ります。タオル、また返しに来ますね」と言った。

 おばあさんは「はいよぉ、またおいでね」と、とても優しい顔で言ってくれた。

 ありがとうございました、と最後に一言残し、私はそのまま、ゆっくり歩いて帰った。

 ほんのり香る雨の匂いの中に、煙草と香水の匂いがした。




□彼の初恋




 家に帰る途中、おばあさんがくれた駄菓子の袋の中身が気になり、漁ってみる。

 棒状のスナック菓子や、お金の形をしたチョコレートなどが入っていて、久々にこの類のお菓子を食べるなあ、と楽しみになる。

 そんな大量の駄菓子の中に、小さく折りたたまれたメモ紙のようなものが入り込んでいた。

 ぱっ、とレシートかなと思い浮かんだが、貰い物なのでそんなはずがない。

 持っていた袋を腕に通し、そのメモ紙を開いてみる。




 菓子食って元気出せ

 俺は駄菓子よか、おまえのほうが「好きですけど」(笑)

 あと、そのボブ似合ってる



 そんな殴り書きが書いてあった。

 ちゃめっけたっぷりに、私の大好きな彼自身のセリフを引用して。

 「はは・・・『好きですけど』って・・・・・・もっと気の利いたこと、書けなかったのか、馬鹿」

 気付けば、涙が溢れていた。道路の真ん中、公衆の面前も関係なしに。

 だけど、そんなの気にならないくらい、可笑しかった。

 「それじゃあ、あそこにいたのかなあ・・・・・・寝顔間抜けだったろうな・・・あはは」

 顔をグシャグシャにしながら、それでも彼が近くにいたことが嬉しくて嬉しくて。

 私は泣いていた。

 顔を真っ赤にして、目を真っ赤にして。

 泣いたんだ。




□死んでも




 数日後、借りたタオルを返しに、あの食料品店に立ち寄った。

 心持ち、割と清々しく。

 「こんにちわ、おばあさん。タオル返しに来ました」

 店のガラガラ戸をあけ挨拶すると、カウンターにおばあさんがいた。「おお、麻衣ちゃん。風邪はひいてない?大丈夫だったかい?」

 「ええ、おかげさまで。これ、ありがとうございました」

 「どういたしまして。はい、受け取りました」

 そんな、ごくありきたりなやり取りをして、無事、タオルを返す。

 ふと、横目で、店の前のベンチを見る。そして、

 「おばあさん、あいつがいつも吸ってたの、なんだっけ?」

 と、若干唐突だったが、おばあさんに聞いてみる。おばあさんは、一瞬、とても意外そうな顔をしたあと、人のいい笑顔で、「セブンスターだよ」と言った。

 「じゃあ、それください」

 「あれ?麻衣ちゃん煙草吸うの?はい、410円」

 「ううん、あいつの。はい、丁度」

 「はい丁度。お墓に?」

 「はい」

 私がそう言うと、おばあさんはとても嬉しそうな顔で「いってらっしゃい。お兄ちゃんもきっと喜ぶよ」と言った。

 「それじゃあ、いってきます」

 そう私は、おばあさんに手を振ってお店を出た。

 そして店を出てすぐ横にあるベンチを見る。そこに彼の体温が残っている気がして、掌でそっと撫でる。しかし、当然といえば当然、ざらざらとした、ペンキの剥げた木の感触しかしなかった。

 それがおかしくて、ほんの少し、声に出して笑った。

 多分気のせいだったけど、笑い声の反響が、一人分多かった。




□ほんの少し昔の内緒の話




 「ずっとこうしてたいね」

 麻衣が、俺の肩に頭を預けながら、そんなことを言った。

 「そうだな」

 俺は、そう言ったが、応えが返ってこない。顔を覗いてみる。どうやらうたた寝しているみたいだ。

 そんな彼女の寝顔を見ていると、自然と顔がほころぶ。

 暖かい日差しの中、おばちゃんが店の中で吸っている煙草の匂いがほんのり香ってくる。

 「ずっと、こうしてたいな」

 なんだか、いつもよりもその顔が愛おしく思えて、俺は彼女の頭を優しく撫でた。

 今だけは、世界が蒼く輝いていて、時間が止まったように、温かい気持ちで満たされていた。

 その時、こっそりおでこにキスしたのは、この先ずっと内緒だ。

 その時、死ぬほど好きだって思ったのも、この先ずっと。





~あとがき~


どうも。

はじめましてな方は、はじめまして。

六角レンチを知っている方は、お久しぶりです。

菅原蚕と申します。


時系列がバラバラであったり、説明が足らなかったりと

わかりにくい部分が多いかもしれません。


それでも、ここまで読んでいただいた方には、ありがとうございます。



誤字・脱字等ありましたら、ご報告して頂けたら嬉しいです。

心がちょっときゅんってなる小説を目指して頑張りました。


感想いただけたら、泣いて喜びます。



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― 新着の感想 ―
[一言] かなり素晴らしかったぜ 小粋な短篇集とかいう本出たら真っ先にこれを載せたいって感じに面白かった やっぱ幽霊物は良いね
[良い点] 主人公と麻衣ちゃんとおばちゃんと、みな好感がもてました。 [気になる点] ご自身でも書かれているように最後のは「蛇の足」だったかなと(笑)。 [一言] 雰囲気が良かったです。 > □それ…
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