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迷宮の春 ―後編

 鳥篭の牢獄に男がたくさん集まっていた。

 その男たちはアリスを拘束している。身動きが出来ないように鎖で関節を押さえ、それを鳥篭の柵にまきつけて押さえていた。

 アリスは羞恥心をかき乱される格好を強制されていた。両足を開かされ、陰部をさらけ出されるような格好をさせられている。両手は鎖に囚われ、隠すことが出来なかった。

 そのアリスの目の前にガルダスがいた。

 そのガルダスの手には緑色で丸い鳥類の卵ほどの大きさがある種子を持っていた。その種子は三本の触手を有し生き物のように蠢いている。その緑色の中は光で透き通り、中に得体の知れない子どもの影が見えた。


「離せ! この!」


 アリスは金色の瞳から流れる涙を拭うことすら許されなかった。

 服は全て取り払われる。背筋の領域にある王族の痣が熱くそして痛い。背中の痛みに手首を締め上げられる痺れ。そのほかにも感じる感覚と羞恥心と感情。それらに混乱するばかりだった。


「神よ。今ここに神の子を授からん」

「刈り取るものが、なに聖職者面をしている。貴様の手など人を救う手などしておらぬ!」


 アリスは涙を流しながらも口先だけは達者に動かした。だがそれは虚勢にしか過ぎない。その姿を見たガルダスはアリスの鳩尾に拳を付きたてた。

 アリスは苦痛の声を漏らし、咳き込む。


「少しは黙らぬか。貴様は世界樹の碧子(みどりこ)を授かる素質を持っているのだぞ?」


 彼はその種子をアリスの股間へと誘導する。アリスは泣き叫ぶ。ずるりと中に入った種子は中で蠢くように奥へ奥へと侵入して行く。

 中で蠢くのを感じたアリスは涙を流しながら叫ぶしかなかった。

 そして子を宿す扉に触れる種子は強引に体を押し付ける。外見からはアリスの下腹部が膨れ上がっているのが分かった。目の前でガルダスがその行く先を見つめている。

 プライドの高いアリスにはその光景が恥であった。ひたすらその進入を拒むアリスを見たガルダスは指を股間の中へと突き入れた。

 ひぐっと横隔膜をひくつかせるアリス。それを見たガルダスはにやりと笑い種子を押し込んだ。


 扉が開かれる。


「やだ……やだやだやだ! 助けてよ! ロラン!」


 彼女は彼の名を呼ぶ。光が見える。しかしその光は太陽の光ではない。

 誰も助けに来ない。空間に響く彼女の悲痛な声。

 彼女は諦めるしかなかった。


 しかし、こんなところで彼女は負けるわけにはいかない。

 私は彼らの仲間なんだ。敵になって彼を悲しませるような目にあわせたくない。その信念を貫くアリスは種子の受け入れを拒んだ。


 だが、体力は持たない。


 ぐぐぐと着実に中に入り込んでゆく種子にアリスは口から涎が出ようとも応えた。触手の一本が子を宿す部分に入り込む。


 もうだめだ。と彼女はふと手の力を抜いた。


「軍隊長! 伝令です!」

「今手を離せない。申せ」


 伝令係の顔は青ざめていた。そして忠誠の姿勢をとることを忘れガルダスに言う。


「敵襲です! 数は三人! 聖炎の騎士らです!」


 戦いの狼煙は今上がる。






 戦場にはたくさんの人外が蠢いている。体を擦り付けあいながらいるその人外の群れは例えるならハチの大群だ。ざっと千体はくだらない。


「……勝てると思うか?」

「さあ、やってみないと分からないだろう?」


 ロランはハイネの不安げな声をなだめるように言った。ノタンは右腕と左足に布を巻きつけている。人外がそこに存在していたという戒めを隠すためにノタンは自ら隠したのだ。


「ノタン。何かいい手は無いか?」

「あるというなら正面突破しかないと思う」


 ノタンは白い髪をなびかせロランに言う。ロランとハイネはやっぱりかと憂鬱そうな顔をした。天気は生憎の雨だった。空気は湿気立ちロランの力は十分に発揮されない。ロランはため息でどうにかなるかと思ったがどうにもなるわけが無かった。

 この場所に来る前、ロランはタクンに重要なことを聞いた。


『私赤い髪を有した女性と話したことがあります。何でもその女性は母体という性質を持っているらしくて……』


 ロランは唇を噛む。あの城の中にアリスがいるんだと確信をする。かの迷宮の春は森林のように深く、そして生い茂る草木を枯らすことなく栄えていた国だった。しかし今目の前にあるのはまったく逆の存在だった。

 草木は枯れ、黒々とした城壁に囲まれたその国はもう迷宮の春と言う顔をしていなかった。

 左手から炎がにじみ出る。その炎は光り輝き、紋章を作り出した。


「行くぞ。アリスを助けるために」

「おう」


 三人は走り出す。それぞれがそれぞれの意味を持ち、それぞれの意味を成し遂げようとする。ハイネはハイネ自身を負かせた者を倒すために、ノタンはタクンを護るために、そしてロランはアリスを助けるために。

 人外はその三人のほうを見る。そして常人離れた速さで向かうその三人に向かって咆哮する。

 そして千もある人外は三人の元へと走っていった。

 最初に先手を打ったのはノタンだった。右手を右方に伸ばし、巨大な青い電力を発電し、魔力の導きにより巨大な槌を作り出す。

 息を抜き、跳躍をした。綺麗な前転宙返りから振りかぶる。


粉砕(ミョルニール)!」


 地面は盛り上がり巨大な稲妻が落ちたかのような衝撃が走った。ロランとハイネはその衝撃から逃げるように跳躍をする。


「ここは私に任せろ! 人外は私一人十分だ!」


 ノタンは槌を振り回し、人外を殴り飛ばしてゆく。玉突きのように次々と人外を巻き込んでゆく粉砕は百戦錬磨の武器で違いなかった。


「おおお!」


 唸り上げ、人外を三体上に切り上げる。三体は宙に天高く上がり、その間にノタンは槌を分解し、体に走らせる。


臨界(メギンギョルド)


 体の活動限界を数段跳ね上げるその能力で人外を四十体殴り潰す。大地は血で塗り潰された。

 そして三対の人外が落ちてくる瞬間にノタンは右ストレートを構えた。右手に集中する電力。その電力は膨れ、右手を覆うほどの電力を放電した。


雷撃砲(フィスト)


 ドンと人外を殴る。綺麗なストレートが入った人外三体はレーザー砲になった。直線状にいた人外は黒焦げになり消し炭になる。

 ノタンは体からまた電力を生み出し、青く光る槌を作り出した。


 そのときだ。天上から数多の矢が落ちた。その殺気に反応したノタンは槌を上に振り上げ、矢を弾く。何本かは手に、足に突き刺さる。他の矢は人外に突き刺さり、ほとんどが痛みにもだえ苦しんでいた。

 しかしノタンはそれに負けずしっかりとたった。

 足に刺さるものを確認する。それは水晶のように光り輝く矢だった。

 いや、水晶ではなかった。


「あははー? どうですか私の矢のお味ハ?」


 人外の命が一瞬にして百は消え去った。その中に立つ青い服をまとう軽薄な笑みを浮かべる女性。

 その女にノタンは見覚えがあった。その女はノタンの村を襲った女だったのだ。


「……っ貴様!」

「あらら? 貴方誰でしたっケー? 私ぜーんぜん知りませーん! あはは!」


 まるで狂ったように笑うその女左頚部には紋章が描かれていた。


「貴様も契約者……」

「そうですよー。私も貴方とおなじ契約者ですー。びっくりしましたかー? そんなわけ無いですよねー? あんなに能力を使い果たしたんですからーあ、そうだった。私ツァエリって言います。この国の隊長をやらせてもらってイマース」

「忘れたよ。お前のことなんざ」


 殺気まで狂ったように笑っていた女は突然無表情になる。そして突然切れた。


「ふざけてんじゃねえぞ! このメス豚! てめえ何ざひき肉にして私が食い殺してやる!」

「同感だ」


 ノタンは微笑、しかしその微笑みは復讐の敵だから出来る笑顔だった。


三叉槍(ハルバード)!」


 大きく唱えた武器は大きな刃物を携えた武器だった。その武器を右手で振るうと、刃物に突き刺さる人外の腹から貫通した刃が現れた。ハイネはその腹に突き刺さった刃を柄を軸にして捻った。腹は抉れるようにして内臓は流れ出た。人外は体を支える骨がなくなり、成長を途中でやめたイモ類の蔓のように倒れた。


「おぉぉぁぁあ!」


 鎖を握り締めると、五体の人外を鎖で呪縛し、その捕まえた人外に目掛け遠心力で威力が増したハルバードが襲ってくる。首を綺麗に切り落とされた人外は力なく潰れた。

 血にまみれたハルバードを払い次の人外へと向かう。人外は融合の力を使い、巨人へと変貌していた。


「ロラン!」


 ハイネは彼の名を呼ぶ。しかし彼は振り返ることもせず左手に纏わせている炎をその巨人の足につける。炎は一気に燃え上がり、巨人を苦しめる。

 ロランは身を翻し、ハイネを横切った。

 ハイネは息を呑む。

 これが本当にロランなのか? 聖炎の騎士と呼ばれたロランの力なのか?

 そう、思うたびに恐怖に包まれた。ほんの一瞬だけ見えるその姿。まるで戦場で屍を燃やし尽くすような炎。


 悪魔だった。


「邪魔だ……」


 左手を目の前に突き出し、篭手を拡散、分解する。その範囲は今までの拡散率とは違う。もっと後ろに引き伸ばされる弓の弦のように篭手の一部一部は大きく花のように広がった。

 人外はそれにもかまわず、襲い掛かる。ハイネは叫んだ。

 ロランにではなく、『人外』に向かって。


投槍撃(ジャベリン)


 キュンと物質が動く音が響く。その音は空気をも燃やし引き裂き、焦がす。そして篭手の一部一部が掌の目の前にぶつかると同時に一本の熱線が放出された。衝撃は後ろへと行く。炎は前へと人外へと向かう。ロランは人外が叫ぶことを許さなかった。

 体を燃やしつくすその姿。攻撃をかすめた人外も黒く炭へと変貌する。呼吸器が熱で焼ききれ、目が、口が、耳が、炎で焼かれる。熱線が通った先は陽炎がたたずむ。その光景はまさに死だった。


「ロ、ロラン?」


 白銀の髪は揺らめき、そしてその声に反応するように振り返る。ハイネは背筋を凍らせた。

 無邪気で邪悪な笑顔。

 ロランはいつも戦うときは笑う。それがどういう意味か良く分かった。


 楽しんでいるのだ。この戦いに。

 アリスを助ける前に殺すことがすきなんだ。

 ハイネは悲しい顔をするしかなかった。後ろから人外が襲い掛かる。ハイネは目もくれず、ハルバードを大地に差す。


処刑杭(ニードル)


 その声に反応し、襲い掛かる人外は串刺しになった。槍ではなく、処刑杭として大地から生えたのはハルバードだ。顔が潰れ、胸が貫かれ、その切っ先にある心臓がまだ脈打っている。しかしいつか死ぬ運命だ。ハイネはハルバードを大地から引き抜く。


「行くぞ」

「うん」


 ロランとハイネはこれで九百体の人外を倒したところだった。






「人外部隊……全滅です」


 それは聖炎の騎士が報告されてわずか三十分の事だった。ガルダスは冷や汗を流すことなくそのことに驚きを表すことが無かった。

 ガルダスはそれを予想していたのだ。あの二人なら必ず全滅させると。

 そもそも人外は世界樹の使徒であっても『完全体』ではない。全てが失敗作なのだ。


「軍隊長どうしますか!」

「黙れ……」


 伝令係は焦りのあまり、ガルダスを問い詰めてしまったことに反省をする。すみませんと謝罪をした。ガルダスはふふふと笑い、ゆっくりと王座から立ち上がる。その王座はかつて迷宮の春の国王が座っていた王座。その椅子から立ち上がったガルダスはフェールの名を呼んだ。物陰から現れたフェールはガルダスの前に立つと、ゆっくりと頭を下げた。


「フェール、貴様はあの二人を蹴散らして来い」

「は」


 短く言った言葉に何が入っていたのだろうか? それはフェールしか知らない。しかしガルダスはそのフェールが言ったその言葉の意味を知っていた。


「お前は、アルトスの元へ向かい紅炎の緋女を人質としてつれて来いと伝えろ」

「は!」


 伝令係は走り出す。

 フェールはその後姿を見た後、髪をゆっくりと撫でた。


「楽しくなってきたね。軍隊長?」

「ああ、やっと俺の無念が晴らされるときが来た……!」


 ガルダスは王座の手すりを握り締めた。そして笑った。その笑い声はどこまでもに響く大きな声だった。






 城に入ったロランとハイネが待っていたのは兵士だった。ロランが見たところそれらはただの人間にしか見えない。いや、人間だ。


「悪いがお前らどいてくれ、アリスを助けるために」

「ガルダス軍隊長の命令だ! 二人を殺せ!」


 覚悟を決めたものたちの雄たけび。ハイネはその気迫に気圧された。

 ハイネは人を殺したことはない。そのため、槍を握り締めることが出来なかった。それを理解したロランはハイネを背後に送り、剣を構える。


 ロランはいとも容易く人間を切り刻んだ。

 ハイネは彼を見つめるしか出来なかった。綺麗だった白銀の髪は深紅に燃え上がり、頬を血で濡らす。その流れた血をロランは手で拭い、その血を舐めた。

 その姿を見た騎士は息を引きつかせた。


「化け物!」

「悪いがお前らの軍隊長が屑で化け物だ。俺の大切なものを返してくれさえすれば何も危害を加えない」


 騎士は顔を見合わせ、その大切なものを理解する。


「だめですよ。そんなことをしては」


 騎士の腹から槍が生まれた。騎士たちはうめき声を漏らし、激痛に悶えた。ロランは突然のことに驚き、その騎士の後ろに立つものを見る。

 そのものは小人だった。ハイネはそれを見て声の主を言い当てる。


「ナルシスト!」

「おや? ナルシストとは失敬な……私はフェールと言う名前があるのですよ」

「ナルシストにナルシストといわなくて何が悪いのか教えていただきたいものだね!」


 ハイネは槍を掴み、ロランの目に立つ。


「ハイネ……」

「悪いがここは私の出番だよ。ロランはアリスを助けにいきな」

「ほう? そう簡単に私が行かせるとでも?」


 そう言ってハイネとロランの背後からノームを生み出し襲い掛かる。


「邪魔だ!」


 その一言で背後にいたノームを串刺しにした。処刑杭。周囲に生えた杭はどこまでも黒々としており、杭に突き刺さったノームは砂になり消え去った。


「早く行け!」

「勝てよ……」


 ロランはそう一言言うと、ハイネはふと笑う。そこにはもうロランはいなかった。


「貴方一人で私に勝てると思うのですか?」

「っは、知ったこっちゃ無いね」

「軍神の力を力任せに使う貴方が勝てるなんて」

「ないと思っているのか? ナルシスト」


 そういうと、ハイネは槍を放つ。フェールはふと笑い、土塊の盾を作り出した。


「何度やっても同じ……」


 では無かった。その目の前にはちゃんと作り出した盾がある。普通ならば必中は砕け散るのが普通だった。

 だが、目の前にある盾には槍が貫いた穴があった。


「矛盾って知っているか?」

「なに?」


 フェールは眉をひそめる。


「最強の矛と最強の盾、その二つをぶつけたらどうなるかという話。その話はどうやら矛のほうが強かったということになるな」

「……侮辱ですか。良いでしょう。このフェールを怒らせた罪、ちゃんととってもらいます」

「上等!」


 お互いが敵をみなした瞬間。


「軍神の戦乙女(ワルキューレ)ハイネ!」

「妖艶の玉燐フェール」


 お互いが攻撃を仕掛けた。


 場所は城外、人外が死屍累々としている戦場。二人の騎士と、一人の刀鍛冶が全滅匂い今場所は四年前ロランが戦った戦場と良く似ていた。血の匂いと、死の匂いが漂うその場所はまるで例えようのない地獄だった。死体に氷の矢が突き刺さる。たたたとリズミカルに突き刺さる音が響く先には走り反撃を伺うノタンがいた。ノタンの背後には雷神の紋章が現れている。右手には大槌が構えられている。しかしノタンは有利ではない。思わず舌打ちをする。

 この戦場には矢から逃げる影が無かったのだ。


「あはは! どこに逃げるというのですカー? まったく惨めな姿ですネー!」


 笑いながら弓を引くその姿は聖女とはいえない。ノタンは一旦足を止める、砂埃が舞いその砂埃をの中、いくつかの球体を作り出す。

 砂埃が急速的に晴れ、そして撃ち放った。しかしそこには誰もいない。そして続けるようにノタンの脹脛に矢が刺さった。


「っつ!」

「不死身の英雄はどこを刺されても死ななかっター?」


 ツァエリの声が響く。ノタンは膝を地につけ、矢を引き抜いた。クスクスと笑う声が嫌に響いた。ノタンは息を上げ、その声のするほうを見る。ツァエリは弓を持ち優雅に立っていた。


「だが、その不死身の体にはちゃんとした弱点はあったんですヨー。貴方とて同じ、どんなに威力が高い技であろうと、どんなに体が傷付いてもくじけることの無いその無敵な体はちゃんと弱点はあるんですよ? あはは! でも貴方は不死身というより……ただの弱者ですが?」

「っち……」


 ノタンは紋章から電力を体に入れ、立ち上がる。

 ツァエリはじりじりと甚振るのが好きらしい。出なければ普通に心臓を射抜かれているに違いないのだ。


「さて、もうそろそろ終わりにしますカー?」

「っは、さっさと終わらせたかったとこだ。こんなつまらん戦い何ざやっても意味無いからな」

「さっきから口が減りませんね」

「あんたもな」


 ノタンは挑発する。ツァエリは軽薄な笑顔を怒りへとかえる。どうやらツァエリは挑発すると激昂する性格らしい。ノタンはそんなことを考えた。


「ウンディーネ!」


 ツァエリは咆え、弓を構える。左腕から青い紋章が浮かび上がりその紋章が青く光る。

 天候は雨だった天気が今は曇りである、ノタンは天を仰ぎ眺める。ツァエリの構える弓には矢が装填されていない。ごうと風を纏わせるような音が響いた。ノタンはそれをただ見つめるだけだった。


「射手座の(サジタリウス)!」


 その矢は雨だった。雨は投石の如く重力の力を使い威力を強めてゆく。一個一個の威力はそんなに無いが広範囲かつ避けれない技だった。まだ鳴り響く矢が刺さる音は砂埃ですら射抜き、消してゆく。それほど緻密な矢を打ち込んだツァエリの顔には疲れが出ていた。しかし、勝ったという確信があった。


「……っは! こんなものが必殺技? ふざけんな」


 後ろで聞こえたその声にツァエリは顔を青くする。そして後ろを振り向くと背中に矢が数多に突き刺さったノタンが居た。


「どうしてそんなに受けることが……!」

「射手座の矢だっけ? その技は一度雨雲に水をためるという作業をしなければならないんじゃないのか? そのために貴様は小さい小回りの聞いた矢を放つことにした。その間雨雲が一時的に止んだというのを見せただけだ」


 ノタンは背に刺さった矢を抜くことをしなかった。若干からだが動かしにくかったがそれほどでもない。首をこきこきと鳴らし、解説を続ける。


「残念だけど私は魔力の軌道が分かる。ツァエリの意識が私ではなく、空に向いていた事も知っていた。だからそれくらいの対処はするつもりだったが、数が多すぎてはこちらも手が出まい」

「ならどうして!」

「だから言ったじゃないか。それを必殺技といえるのなら私のは全滅まで追い込むことが出来る世界を破壊する技だ。そんな技で私を殺せるなら人外は私の平手で消し飛んでいる」


 ツァエリは確信した。格が違う。この目の前にいる幼い少女はまるで本当に雷神のように強い意志を持ったものだと思った。

 恐怖。その一言で尽きるなら使う。

 だが大きく右手を振り上げたその姿は恐怖ではなく。

 その後の言葉は続けることが出来なかった。

 右頬を殴り飛ばされ、吹っ飛ぶツァエリ、城壁に衝突し、赤い花のように血をぶちまけた。


「弱いことありゃしねえ」


 ノタンはそう呟き、頭をかく。白い髪は雨の矢をかわすように流れていた。

 しかしそこで終わるようなものではなかった。


「まだだ……」


 城壁に貼り付けのように張り付いていたツァエリは言う。ノタンはその声を聞き振り返った。ツァエリの腹には城壁の杭が貫いているそこから脱しようとも無理な話だ。ノタンはいつか死ぬだろうと推測し死ぬ間際を見届ける。それがノタンが出来ることだと思ったからだ。


「まだ私は死んでいない……!」

「そのほかに何の手があるというのだ。貴様はもう死ぬ。それは紛れもない真実だ」

「うる……さい!」


 ツァエリの脳裏にある場面が浮かび上がる。それは両親が切り刻まれて綺麗だった壁が血で芸術的に彩られた光景。

 砂嵐にかき消され、言葉が浮かび上がった。


 殺せ。


 ツァエリの青い水の紋章が大きく揺らめく。体の目の前で発動した紋章は彼女の叫び声を誘った。ノタンは異変に気づき粉砕を手にする。あの紋章はツァエリの体内に存在する魔力を搾り取られたものだ。紋章に当たる雨が魔力を纏いあるものを形成し始めていた。ノタンは分からない。ただ紋章から感じるその魔力はツァエリのものではないということが分かる。


「私の、私の両親をかえせええええええええ!」


 そんな意味の分からない言葉を発し、ツァエリの体は飲み込まれる。その雨で作り出された何かは徐々に姿をかたどってゆく。

 ノタンは昔タクンに聴いた事があった。


『井戸の水を綺麗にしてくれるのは水の精霊、ウンディーネだよ。だけどウンディーネは別の顔があるんだ。ウンディーネの体は上半身は人間で下半身は魚といわれているけど、本当は龍だって言われているんだ。女性の体を持つ龍。いや、愛情の中に悲哀が混ざるくらいの怨念があるんだろうね』


「じゃあ、今目の前にいるのが……」


 恐ろしく巨大な姿。その姿はまさしく龍である。紺と赤の彩色。深海にすむ巨大な魚と同じような姿。がけのように鋭く頑丈に見える背びれ、顔は精霊と言えんばかりの顔立ちだった。その額には女性の姿が。そして甲高い声が張りあがる。


「ツァエリ!」


 ノタンは敵の名を呼ぶ。体の一部となったツァエリの姿が、衣服は消え去り全てさらけ出していた契約者が、血の涙を流す。


「コロシテヤル! ゼンブホロボシテヤル! ワタシノリョウシンヲコロシタモノモ! ゼンブ! ゼンブ!」

「……」


 おそらくウンディーネはツァエリの何かに引かれて契約者になった。ということはノタンの背中で眠る雷神もノタンの何かに引かれて契約者になったのだろう。

 私にもそのような負の感情があったのだろうか……。

 歯をぎりぎりと食いしばり、青く迸る紋章を作り出す。


「ばかばかしい! 何が全部滅ぼすか!」


 ノタンは粉砕を掲げウンディーネの元へと走り出した。


 彼女は夢を見ている。

 それはまだツァエリが幼い頃の話だった。彼女は笑顔が美しい可愛い少女だった。

 誰にでも笑顔を振りまくその姿は一輪の花だ。誰にでも同じ笑顔を振りまく。それが彼女の自慢できる笑顔だった。

 しかし母親には好かれていなかった。

 母親はツァエリにいつも暴力を振るう。

 その所為なのか、幸か不幸か、それはもう叩かれても泣くことをしなくなったツァエリにとってはどっちだったのだろう? いつまでも笑うその顔に恐怖を感じたツァエリの母親は包丁でツァエリの顔を刻んだ。びくびくと足を震わせながら暴れるツァエリは笑っていた。


 今でも笑っていられる! ええ!? 応えろ!


 怖いよ。ママどうしてそんなことするの? 私は……


 命が切れる寸前に桶にあった水が落ちると契約の交渉が行われた。それは半ば強制的で、彼女を救うにはそれしかない契約だった。

 そして彼女は意識を取り戻すとそこは惨殺の場所だった。

 母親は顔を切り刻まれ、皮膚を削り取られ、目が垂れている。それに折り重なるように父も倒れていた。顔の下半分が削ぎ落とされ、顎がなかった。


 なんで……なんでこんな……。


 それを知るのは自分の姿を映した鏡だけだった。






 瓦礫の中にノタンは落ちる。それを追撃するように雨の矢は追い続けた。


「粉砕!」


 雨の矢を打ち返し、電撃を含ませる。帯電した電気はウンディーネの元へと向かい爆発を引き起こした。ウンディーネは金鳴り声を咆え、痛みを消そうと叫ぶ。ノタンはウンディーネへ跳躍する。右手には粉砕を構え振り落とす。しかしウンディーネの体表に付いた水が槍の様に伸びる、ノタンは一本を叩きおったが、もう一本は左脇を抉った。


「おおお!」


 そのまま粉砕を頭部に叩き付けた。

 ごいんと重い衝撃を鳴らし、ウンディーネを地面に叩き落す。ずずんと大地が響く音が大地を揺らす。しかしノタンはそれで終わりだと思わない。空中で紋章を作り出し、距離を置く。

 後方へと飛ぶと紋章があった空間は雨の剣が現れた。その剣はノタンへと倒れる。ノタンはその剣を受け止めんと粉砕を前に出す。

 剣は粉砕に触れると蒸発した。しかしその水蒸気はまだ生きている。水蒸気はまた水として集まりだし、小振りの剣となってノタンの体を貫く。

 しかしノタンの体は電気だった。

 貫いた瞬間ノタンのかたどった電気は膨大な爆発で剣を全て焼き払う。ノタンは後方へと離れていた。その背中に青白い閃光を迸る紋章があるのならばそれは臨界を使ったということになる。

 攻撃の命中はノタンのほうが勝っているが、ウンディーネにはダメージが届いてなかった。そして臨界を行うのは良いが欠点がある。

 それは魔力の消費が大きすぎる事だった。ノタンの体は疲弊し、魔力もそれほど残っていない。対しウンディーネは顔を上げ、ノタンの状態をうかがう。


「っは、まったく契約者と似たものだ」


 ウンディーネはまた雨の矢を作り出す。ノタンは走った。

 それを打ち落とさんと矢を放つ。ノタンはその矢を叩き落とし、よけるものは避ける。

 そして跳躍をした。


「この機会を待ってた」


 目の前には滝のように矢がある。右手には紋章が作り出されている。

 ノタンはこれを狙っていた。サジタリウスは攻撃範囲が広いが弱点はあることを判断していた。一つは一本一本の攻撃は低い。殺傷能力も無いのだ。そのためツァエリの矢もダメージが残らなかった。ウンディーネになってダメージは残るもののそれほどの大きなダメージは無かった。

 そしてもう一つは、矢の数の多さによる視界の妨げである。

 サジタリウスは矢を億単位の束にして攻撃する。ノタンはそれを逆手にとったのだ。


「頼む後一発だけでも耐えてくれ……」


 右腕は今にも燃え上がり、黒炭になって捥げる寸前だった。右腕はそもそもノタンの一部ではない。グランシードが作り出した模造品だ。そのグランシードは完全に活動を失っている。そのために自由がきいているのだ。


雷撃砲(フィスト)!」


 目の前にある滝のような矢を殴打する。その殴打によって矢は方向を変換しウンディーネのほうへと向かった。

 臨界を使用した上に雷撃砲を使用すればそれは雷の増幅である。

 青く光るレーザー砲は矢の本数分のレーザー砲。その雷撃砲は全てウンディーネへと被弾した。


 ノタンは着地に失敗する。体の魔力を使い果たすと体の言うことはきかなくなる。体のバランスも保つことも出来ずにただただ落ちるだけの着地。前から落ちたノタンは土埃を舞い上げ、ぼんやりと横に広がる世界を見ていた。

 空は止みつつあった。


「タクン……やった…勝ったよ」


 一言漏らし、彼女は立ち上がる。


 しかし体は吹っ飛んだ。瓦礫の壁に激突し体に激痛が走る。ずるずると落ちる四肢に水の杭が刺さった。


「ぁ……が!」


 激痛が走る。水の杭は植物の根のようにノタンの体内を張り巡ったのだ。血管に水の針が刺さり溶解してゆく。

 血液は水に触れると赤血球は膨張し、そして破裂する。ということは血液としての酸素供給が不可能となる。

 徐々に薄れてゆく意識の中、体に鉄槌が落とされた。その鉄槌も水で出来上がっており、胸郭を砕かれる。叫ぶことなど出来なかった。

 その鉄槌はノタンの体を肉にするまで続く。一回殴られるたびに必ずどこかの骨が砕かれてゆく。右腕は魔力に耐え切れなかった上に鉄槌に叩き潰されたため、ずるりと捥げた。離脱した右腕は力なく腸の標本の千切れた片羽のように垂れている。


「……」


 もう息が出来なかった。胸郭は潰された時点で呼吸は出来ない。肺も潰され、脳へ行く酸素も存在しなかった。唯一動くのは脳と心臓だけだ。

 最後だろう? もうこれが最後の……。


「…召……」


 ノタンは血が溢れる口でゆっくりと言葉をつむぐ。その言葉がなにになるのかもちろん目の前にいるウンディーネは理解しない。


「………還……雷帝(トール)


 雷が落ちる。その雷はノタンの体に目掛け落ちた。その雷は強制的にノタンの体を動かす。

 杭に刺さった左腕が息を吹き返す。バキバキと骨が砕けながらも動くその姿はウンディーネにとって恐怖でしかなかっただろう。

 気管に詰まる血を吐き出し、ノタンは呟くように言った。


「これが、本当に、最後だ」


 左腕をウンディーネの体に向ける。


「よかったな、道連れが……出来て……よ」


 雷に呼応するように紋章が大きく作り出された。その紋章はウンディーネより大きく描かれる。その紋章はノタンの後ろにある契約の紋章とは少し違った。

 その中心にある円形の穴がある。


 その円形の穴から産声を上げる契約者。


 雷帝。目覚めた闘神。


 ウンディーネは攻撃を仕掛ける。しかし雷帝は左腕でウンディーネの頭を掴む。バキバキと頭が砕け散った。そして右腕を天へと掲げた。


 その右手にあったのは巨大な鉄槌。その鉄槌は大きくゆっくりとおろされ……。



 ツァエリとウンディーネの存在を消した。


 天上が崩れる。石造りの天井は水に濡れた紙の様に引き裂かれ、埃と砂埃を舞い充満させる。その砂埃を書き分けるようにハイネはフェールに向かって突進した。


「わが子どもたち、行きなさい」


 フェールとハイネの間にノームが割り込む。数は五体、右から二体と、左から一体の計八体。ハイネは鎖につながれた槍を短く持つと、左のノームを突き刺し、前に放った。右のノームが襲い掛かるのを同時に右足を撫で、神速の蹴りを繰り出した。二対のノームの腹部は減り込んで壁に衝突する。一体目は斧を振りかざしハイネにふりぶったが、速くなる軌道の前に槍で軌道を止め、左腹部を叩き込んだ。額目が槍を突くと腹を殴ったノームを盾代わりにし、槍を封じる。そして槍を横に薙いで三体を切り倒した。その間たったの三秒。

 ノームの体は二つに分かれ、土に変わり果てた。その向こう側でハイネは凛と立って槍を構えている。


「ほう、少しはできる様になりましたね」

「弱点が大体分かっているからな」


 ハイネはにやりと笑い槍を武器変形させながらフェールに走りこんだ。ノームは無限大に製造できる。しかしその上限は九体であり、そのうち一体は本体であるゴーレムだ。そして八体の撃破は製造に時間がかかる。

 それを理解したうえでハイネは八対をほぼ同時で倒した。

 そしてフェールが土塊の壁を作り出すのも予測していた。


「しかし、貴方も単純ですね」


 フェールはそう言って、右手を左肩に触れるような体制をとる。股間から紋章の光が現れた。ハイネは紋章が発動する前に槍を放とうと前へ突き出す。


「私がいつ攻撃ができないといったのですか?」


 砂埃が急速にフェールの両腕へと集まりだす。左手にはバックラー、右手には一振りの短剣が、火花が散り、槍は弾かれた。ハイネの腕が上に上がった隙を突いてフェールは懐に潜り込み短剣を突き出す。


「っく!」


 苦し紛れに避け、後ろへと跳躍する。その間にフェールの左腕を鎖で巻き取り、一気に引っ張った。

 ハイネは低い声を上げ、振り回す。そしてフェールを壁に叩きつけた。しかし、そう簡単には死なない。ハイネは鎖を引き上げさせ、槍を放った。

 ドンと砂埃が次々と舞う。破片は飛びハイネは腕で口を塞いだ。


「まったく手荒な女性ですね……」

「じゃじゃ馬で悪かったな」


 槍はフェールの横に刺さっていた。どうやら避けたようだ。しかし頬には一本の赤い線が引かれている。それを見てハイネは手ごたえを感じていた。


「大地の風はご存知ですか?」

「あ?」

「その様子だと知らないようですね。砂漠地方で起きる風のことで砂嵐というんですよ」

「それがどうした」


 フェールは笑う。砂埃がゆっくりと吹き始めた。ここは地下の部屋。この部屋に風は吹かない。それなのに砂は動いていた。


「その砂は暴風にさらされ、そして鑢のように削り取るそれはどんな痛みなんでしょうね?」


 ゾリとハイネの隣にあった柱が削れる。擦過傷がひどく抉れたような跡を残した。ハイネは思わず跳躍をし、距離を置く。砂埃は一つの蛇に見えた。くねくねと蠢くその姿は大蛇のようだ。


「さあ、貴方はどれだけ生き残れますか?」


 っはと息を吐くように笑う。不適に笑うハイネの微笑みは勝てると確信した顔だった。


「はあっ!」


 フェールは気合の声を上げ、大地の風をハイネへと向ける。ハイネはその大蛇のような風を避けた。服の袖が削り取られる。まるで食いちぎられたかのような削り方だった。その風の横を走り、槍でフェールの顔に目掛け突く。槍で貫かれた顔は砂で作られていた。

 後ろにフェールの気配がし、槍の持ち手を引いて腹に目掛け攻撃を仕掛けた。しかしそのフェールの体も偽者である。


「っち、きりがねえ」


 呟き柄から手を離すと、鎖を握り締め、一閃した。壁のレンガは削り取られ、砂埃をまた生産する。大地の風を発動させる悪循環だ。

 しかしその技を使用するには自分の体が安全な場所にあることを条件とするとハイネは予想していた。それはいつも直線的な攻撃しかしない。部屋全体を風で吹き荒らせばハイネもひとたまりなかった。しかしそれをしないということは自分にもダメージが来るということだ。

 だから、砂を充満させても大丈夫だとハイネは確信していた。

 砂埃の中で人影を見つけたハイネはそれに目掛け槍を放った。

 衝撃音が響く。どうやらそこにいるのが本物だと分かったハイネは鎖を巧みに扱い、フェールの体を拘束した。


「っぐ!」


 フェールの声がもれる。フェールはその鎖を解こうとしたが、槍は壁に突き刺さり、解放を許さなかった。

 目の前にはハイネが拳を構え殴りかかる。

 一発腹部に拳が突き刺さった。

 フェールは苦痛の顔をし、痛みにこらえる。


「エリス!」


 その言葉に反応する地面は大きく揺れた。そして地面が盛り上がると大きなゴーレムが現れる。そのゴーレムは大きく右からの豪腕を振り回した。ハイネは右足に触れ、スレイプニールを発動する。足を拳の目の前に突き出し、空気の壁を作った。大きく振るわれた腕の威力は落ち、そして止まる。ハイネは空気の壁を蹴り、距離をとった。


「鈍間」


 挑発をし、攻撃を単純化させる。フェールは怒りの素振りを見せず、冷静にハイネを見ていた。


「ふふ、確かに短い間に上達はしましたね。しかしそれで何が変わっていませんよ?」

「ふざけるな。貴様とて何も状況が変わっていない」


 攻撃はこっちのほうが多い。命中もする。

 このまま攻撃をすれば、命中し続ければ活路は開く。しかしハイネは一つだけ疑問があった。フェールの衣服には汚れがひっつもついていない。

 これまで拳を叩き込んできたはずが、傷一つすら入っていなかった。


「……っち」

「攻撃しないのですか? ではこちらから攻撃します……エリス」


 巨人は両腕を地面に叩きつける。土が舞い、目くらましになる。ハイネは目を細めその目の前の状況を見る。目の前に何かが放たれた。ハイネはそれに向かって槍を放った。岩が砕け散る音が響く。


「翡翠の(ジェドアロー)


 その砕かれた岩は緑色の宝石。その宝石は砕け散ると硝子の破片のようにハイネへと向かう。ハイネは鎖を巻きつけるようにまく。全てが弾き落とされた。


「巨人の(タイタフィスト)


 今度は宝石で固められたゴーレムの腕が振り落とされる。ハイネは槍を前に出し受け止める。火花が散る。槍が削れて行く音が嫌に聞こえた。

 このままじゃやばい。そう思ったハイネはこの状況を脱する方法を模索する。しかし懐が開いた場所にフェールが入り込み、短剣を突き出す。

 ハイネは左に避ける。しかしその短剣の切っ先が脇腹に触れた。

 血は出ない。パキンと鳴り響くと、脇腹は石に変わり果てていた。


「その剣……」

「蛇神の(メズサソード)。これに触れたものは石化する能力です」


 ひゅんひゅんと扱いなれたような身振りを見せるフェール。ハイネは脇腹を触れると砂に触れたような感触に襲われた。


「まだまだ行きますよ」


 地面からノームがあらわれ、ハイネへと襲い掛かる。振り返ることに制限が疲れたハイネには苦戦を強いられた。ゴーレムの目くらましに隠れ襲い掛かるフェールの戦い方はハイネにとって苦手なものだ。ハイネは逃げるのを諦めた。フェールの前の前に立ち、力を抜いたような体制をとっている。フェールからではハイネの顔を知ることができなかった。


「もう逃げないのですか?」

「自惚れるな、私は逃げるのをやめただけだ」


 なに? とフェールは眉をしかめる。ハイネは笑う。高らかに笑うその姿はまさに狂ったかのように見えた。ハイネは右手に所持していた槍を離し、武器を解除する。槍はただの柄になった。


「武器変形」


 柄は地面に落ちると同時に黒い気を放出した。右腕の紋章が輝きだしその黒い気を形作るように魔力で武器を形成する。

 その武器はハイネの体に覆い始めた。ハイネの体を覆った黒い気は徐々に姿を見せる。右腕から西洋の甲冑を想像させるようなものだった。フェールは驚きの顔を見せる。


皇帝(エンペラー)


 その姿はハイネの契約者。黒い甲冑を着込んだ軍神。オーディンそのものだった。


 シンと空気は澄んだ。空気が一気に清潔になったような感覚。戦争の空気が森林の生い茂る植物の空間に連れ込まれたような……違うと推測を立てフェールは凝視をした。目の前にいる全身が甲冑で纏った姿。雄々しく、槍の様に鋭利な気配を宿すその威厳の立ち姿。

 最初に感じた感情は恐怖。そして脅威。

 その兜の隙間から見える眼光はフェールの背中を凍らせ汗を噴出すものだった。


「大地の風!」


 風は動き砂を巻き取り、ハイネへと放つ。ごうごうと耳元で聞こえるような轟音を鳴らしハイネの体を襲った。

 最後まで見ていたフェールは命中したことに確信をする。後は砂に任せ、甲冑が剥がれるのを待てばいい。


「……こんなものか」


 ハイネの声が聞こえると同時に剣が気を切り落とす音が響く。大地の風は霧散した。その中心にいた甲冑は傷一つついていない。フェールはそれに追撃するようにエリスを召還する。そしてノームも呼び出した。


「巨人の(タイタフェイスト)!」


 エリスは腕を振り上げ、ハイネに岩石でできた腕を振り落とした。砂埃が舞う。その砂埃の中にノームが突っ込む手に砂埃は集まりだし、急速に形作る。

 その手にあったのは石で作られた槍だった。その槍を構え、ノームはあるものは跳躍し、あるものは突進するように振りかぶる。


「串刺しにして殺せぇ!」


 荒い言葉がフェールの口から漏れ出していた。その言葉のようにノームもあせっているような行動を引き起こしている。すぐに殺さなければ自分の身が危ないという判断をしているのだろう。

 ドンと槍が刺さる音が響いた。これではさすがに軍神であれ何者であれひとたまりもない。フェールはそう思った。

 フェールは勝利を確信するとエリスを見た。エリスはフェールの支持がない限り動くことはしない。エリスの胴の部分を撫でようとしたとき異変に気づいた。


 腕がない。


 一体何が起きたのか最初はまったく分からなかった。そしてすぐにその元凶を理解する。

 砂埃が晴れるとそこにハイネは立っていた。ハイネの右手にはエリスの腕だった岩石が手掴みされていた。ノームもその場で倒れている。そして一匹だけはひどく残酷な状態でいた。

 左手でつかまれているそれ。頭部を鷲づかみされ、そしてそこからぶら下がる脊柱。まるで鞘から引き抜かれたような脊柱はぶらぶらと揺れていた。風に靡かれた風鈴の紙のように揺れるその石柱は砂になり消え去った。


「あ、ああ……」


 フェールは恐怖で染まった。

 勝てるわけがない。どうしたらこんな化け物と戦えるのだ。フェールはあのときの残酷な場面を思い出していた。

 妻を殺された時の男たちの顔。

 無力な指揮官だった自分が部下に犯されて殺された妻。


 許せるわけがない。


 『この体』は妻エリスの大切な体。


「ふざけるな! 私はここで死ぬわけにはいかないんだ!」


 フェールは蛇神の牙を振りかぶりハイネへと向かう。雄たけびを上げ、突き出す剣は左胸へと吸い込まれてゆく。

 しかしその剣はいとも容易く砕かれた。右手で先端から砕かれた。牙は脆くそして弱い。その音はとても軽い音だった。パキンと乾いた木を踏んだ音と変わらないくらいに。


「……私は……負ける……わけには……」

「悪いが私も負けるわけにはいかない……。

 私の力はロランのために使うのだ。この醜い戦争を終わられる事ができるなら……私はロランの剣となって折れてやる」


 その一言、兜の隙間から見える赤い瞳。

 フェールはその瞳をみてどこか神秘的な気持ちに覆われた。

 ああ、あの眼は……まるであの春駆ける獅子のような目ではないか。

 春駆ける獅子は契約者もなしで軍隊長の座までのぼりつめた。あの力、比類なき人望と情熱。あの力を火に入る蛾のように飛び込んだフェールはこんな目にあった。


 いや、本当はこれでよかったのかもしれない。フェール自身の体はノームに食い殺され、魂と性器だけは妻の体に定着し生きている。

 自分の体は妻。肉体は生きていたとしても妻の精神はもうどこにもないのだ。


「殺せ……私の負けだ」

「……やめだ」


 ハイネは拳を解いた。フェールは膝を地面につけハイネを見るだけだった。


「なぜだ……なぜ私を殺さない!」

「私はロランの剣になるといった。剣になって私が折れ、この身が滅びるまで彼の剣であるといった。だが、無意味な命を殺す必要はない。彼の手が汚れるだけだ」


 それは完全なる忠誠。フェールは依然春駆ける獅子に言った言葉を思い出した。


 己の身はすべてあなたの鎧となり、武器となりこの身を果たすと。


 守るものを間違えた。それだけだったのだ。


「……完全に負けました。力も技術も、そして主に対する忠誠心も……」


 フェールは微笑むとノームを呼び出す。

 ノームは心配そうな顔をしてフェールを見つめる。


「ノーム最後の命令です」


 そして彼は言葉を放つ。すべての柵を解き放つために彼の口が何回か動いた後ノームは斧を取り出し、フェールの首を断ち切った。

 ハイネは驚きの顔をする。フェールの体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちると地面に寝転んだ。顔は微笑んだ顔のままハイネを見つめた。

 大地からノームが何体か現れると、フェールの体をばらばらに引き裂き、そして地面へと連れ込んでいった。


「……契約破棄」


 それは契約のときに軍神から教えてもらったものだった。契約を破棄するということは己の体を契約者に空け渡すということ。フェールがノームに対して言った言葉は契約破棄の言葉だった。


「……」


 もっと別の方法があったはずだとハイネは思った。しかしこれがフェールなりのけじめだったのかもしれない。


「ナルシストのくせに……かっこいいじゃないか」


 そう一言言ってハイネはロランが進んだ道を歩いて行った。






「はあっ…!」

「どうしたもう終わりか?」


 そこは王室の間。赤く染められた絨毯の上でロランは剣を杖代わりに体を支えていた。

 ガルダスは右手に裏切りの(レーヴァテイン)を握り、立っていた。衣服には切られた跡すらなかった。ロランは荒く肩で息をして、歯をぎりりと噛み締めた。


「おおお!」


 雄たけびを上げ、剣をガルダスへと振り落す。その斬撃は渾身の一打で神速の域を達していた。

 しかしガルダスはそれを紙一重でよけ、裏切りの枝をロランに向かって切り上げる


「っ!」


 ロランはその剣を剣で受け止めると左手に作り上げた炎の籠手で殴りつけた。


手甲弾(ガントレット)!」


 強烈な一撃がガルダスの目の前で爆発した。確かな手ごたえがあるとロランは確信する。黒い煙が湧き上がるその中から現れたガルダスは傷一つ付いていなかった。


「……何故だ……」

「この四年。俺はお前を殺すためだけに力をつけてきたのだ。貴様は何を手に入れた? 貴様は何を見た? 貴様は何をしてきたのだ?」


 ガルダスは裏切りの枝をふるった。その剣圧で床に亀裂が走る。


「俺は貴様を殺すために力をつけた。貴様の内臓を食い殺すために、貴様の大切なものを目の前で握りつぶせるようにただただ貴様を殺すために……そして今、目の前にいる!」


 ガルダスは笑った。その邪悪な笑顔にロランは無表情で剣を構えた。


「そうだ! その顔だ! もっと楽しもうじゃないか!!」


 ガルダスは走り出す。


 城外でノタンはゆっくりと目を覚ました。右腕はまだ捥ぎれ、その痛みが体中を襲っている。

 激痛にこらえながらノタンはゆっくりと立ち上がった。目の前に隕石が落とされたみたいなクレーターが作られている。何が起こっていたのかまったくわからなかった。


「すげーな。お前」


 少し離れたところからノタンに向かって誰かが言った。ノタンは痛む右腕の成果てを左腕で押さえながら振り向くとそこには体中が漆黒で覆われた男が立っていた。それは太陽の光ですら届かない心の闇のようだ。

 低い音が脳内で響く。ノタンはその低い音が何故鳴るのか分からなかった。

 いや、その前にこの男がどうしてここにいるのか分からなかった。


「だれだ……あんた」

「俺か? 俺は……まあここにちょっと用事があった者だ。気にしないでくれ」

「ふざけるな。あんたの体から魔力が溢れているのは分かっている」

「……お前俺が何物か知っているようだな?」


 だから? とノタンはいう。彼女は漆黒の男の髪を括っている物をみた。りんとなる鈴。その鈴の音はどこかで聞いたようなものだった。


「すまんな。俺はお前の敵ではないんだよ」


 その声はノタンの後ろで聞こえた。振り返ることもできず首に伝わる衝撃。その衝撃は強烈な一撃だった。ノタンはただでさえ体力が尽きている。その状態の一撃は意識が飛ぶほどのものだった。

 ノタンは目を閉じゆっくりと倒れる。漆黒の男は彼女の体を支え、ゆっくりと倒した。


「さーて……ガルダスはいるかな?」


 にやりと笑った口はガルダスの笑顔と良く似ていた。






 ガルダスは裏切りの枝を振り落とす。ロランはそれを紙一重に避け、カウンターを狙った。袈裟切りで心臓を狙った一撃は剣を持つ持ち手からの攻撃。逆の手はまだこっちには来ていなかった。

 しかしその剣は簡単に弾かれ、剣をつかんでいた右手は痺れ、剣を落としそうになる。


「はあ!」


 その声に反応したロランは右手を握りなおし、距離をとった。ロランがいた場所は赤い光によって穴が開いた。

 ガルダスの周りは何かに守られているような感じがした。まるで壁があるような錯覚。いや、何かがあるというのは分かっている。四年前もアリスの投槍撃を防いだくらいだ。魔力の膜でも張られているのだろう。

 しかしあれは魔法限定であったはず。ロランが攻撃をしているのは明らかに物理攻撃だった。

 ガルダスが立っていた絨毯は皺が寄り、破れる。そこから露出した大理石の床は砕けた。ロランはとっさに剣を前に出すと比類なき怪力がロランを襲う。足が宙に浮き、壁に激突したロランは口から血を吐いた。そしてずるずると座り込む。その無表情の瞳はガルダスを睨んでいた。


「哀れだな。聖炎の騎士よ」

「……」

「あのときからまったく変わっておらぬ。力も求めるものも。全て何も変わっていない。貴様は一体何をしてきたのだ。何のためにこの国を出たのだ。何のために余の前に現れたのだ!」


 ガルダスは剣を振り上げロランへと振り下ろす。ロランは横に体を回転させ避けた。しかし剣圧によって弾かれた破片がロランの体を貫く。


「っが!」


 ロランは苦痛を堪え、ガルダスを睨んだ。

 ガルダスの比類なき力はあの右手にある裏切りの枝が与えている。その力を途絶えれば……ロランは魔力を左手へと集めるとその魔力を燃料にして炎が生まれた。


断罪炎(パラディン)


 ごうと炎がガルダスを焼く。その間にロランはガルダスの剣を落とそうと剣を振り上げる。

 しかしロランの腹にガルダスの蹴りが炸裂する。

 くの字に体を曲げて後ろに跳ぶ。しかしその威力はそんな簡単に威力は消えることがなかった。パキンと軽く朽木のような音が肋骨で鳴った。


「今ので呼吸しにくいだろう?」

「なんで……! 断罪炎が効かないんだ……」


 ロランははっとした。断罪炎はグランシードだけに唯一効く。

 ガントレットの炎も断罪炎から作り出したものだった。


「まさか、グランシードを……」

「ふざけるな」


 パンとはじける音が響いた。断罪炎は蝋燭の火を息で消すように消滅した。

 裏切りの枝をロランに向ける。その剣は氷が凍るような音を響かせると剣を分裂させロランの四肢を縫い付けた。痛みで話した剣はがらんとなって地面へと落ちた。


「つう……!」

「余があんな異物を体内に入れるか」

「……なんで……」

「ははは! 余は契約者のままだ! 力を手に入れようとしたツァエリとは違って余は契約者とのより強い契約をして力を得た。貴様のような非力な『人間』になってはおらぬよ」


 ガルダスはロランの腹を蹴り上げる。縫い付けられていた四肢は蹴りの威力で引き裂かれる。腕は中指を境に枝分かれをして、足は切り落とされた。

 宙に浮いたロランの胴体をガルダスは裏切りの枝で突き刺した。

 そのまま地面に突き刺さると裏切りの枝は脈打ち始める。


「あ……あああああああああああ!」

「どうだ? 生命力が抜かれる感想は、余はその感覚に何度も犯された! 貴様の溢れる生命力はその苦痛を与えたか! 老いを知らぬ体を得てどう思った! 貴様はその力を酷使する度に何があるのか知らないであろう!」

「力……だと?」

「ああ、力だ! 貴様が手に入れた紅炎の緋女の炎だ。その紅炎の緋女体貰い受けた生命だ! その力を使うたびにあやつの生命が消耗することを知っていて使っているのか!」


 命……消耗? ロランは生命力を失いつつある意識で言葉を探る。

 ロランの体は重みでずるりと地面へと落ちてゆく。血で濡れた裏切りの枝はこの上にないくらいに輝いているようだった。


「興ざめだ。まったくあのときの獅子の牙はもう折れたのか……」


 ロランは空ろな目で剣のほうを見た。その剣の柄はすぐ近くにある。

 手を伸ばせば届く距離……手を伸ばせば。


 二股に割れた右腕を伸ばし、ゆっくりと動かす。薬指と小指がつながっているほうの手はほんの紙がめくられたような状態になる。

 その割れた部分から血は流れる。


「届け……アリスを……」

「……」


 ガルダスはその姿を見て何を思ったのだろう? その冷たい瞳と皺がよった顔はまるで虫けらを見ている目だった。


「己の無力さを思い知れ、その生命力を全て紅炎の緋女へと返すのだ」


 ガルダスは告げる。ロランの死を裏切りの剣をしっかりと持つとガルダスはロランの顔のほうへと押した。

 胸骨は砕け、それでも剣は止まらない。そしてロランの横を向いた顔を二つに割った。






 鳥篭の少女は体を震わせた。


 契約者が死んだ。


 涙を流さなかった。


 息を殺した。


 何をする? 紅炎の緋女。


 心が暗くなる。燃える感情。


 尽きる命。


 湧き上がる黒い炎。


 憎しみ(ころす)。


 彼女は目を覚ました。


 ガルダスは剣を引き抜き、刃に付着した血を振ることで払う。その血は線を引くように壁と床を濡らした。そしてしゅるりと鞘走りの音が響く。


「裏切りの枝でも吸いきれない命もあるのだな……」


 火の粉程の生命力になるまで吸い取られたロランの姿を見た。干からびたその姿は死んでもおかしくない状況だ。それでも生きているのはやはり契約者から供給されるからだ。ガルダスはそのロランを殺すことはなかった。次の一撃で死ぬことは確信していたが、その一撃は母体であるアリスを殺すという代償があった。


「貴様は守るものを守れないただの屑だ。貴様ほど無能な戦士はいないだろう」


 唾を吐くようにガルダスは言うとロランのまだ潤いがある目がガルダスを見つめる。だが、眼球を動かす筋肉も枯渇しており、瞳が定まらなかった。

 その姿はしぶとい。腹から二つに割れた頭部から脳が漏れ出たとしてもその生命力はムカデのようだ。彼は剣を収めその場を立ち去ろうとする。


 動け、戦えよ。


 ロランは空気に晒された脳で体に指示をする。

 足はもげ、腕は干物みたいに朽ちたその姿で何ができるのだろうか? その負けた心で何ができるのだろうか?


 闘え……


 何のために闘うのかわからないロランは指を動かす。あと少しで届く剣。その剣に触れてロランは何ができるのだろうか? 腕もまともに治らず。足もなく。燃え滓のような思考で感情を持つ。


 闘え。


 割れた心の中で黒い炎が伝わる。怒っている? 誰が?

 ガルダスは背中を向けている。剣を突き刺せば死ぬ。


 黒い(にくしみ)なんかいらない。


「ア、……リス…」


 お前が怒っているのか? お前は怒らなくていい。

 俺はお前を守るために、助けるために、一緒に隣でいるために俺は生きて勝つんだ。半分の脳で彼女の顔を思い出す。走馬灯のように点滅する彼女の顔が愛おしかった。


 闘え!


 ロランは指を伸ばし剣に触れた。その剣から伝わる炎の熱と、剣に宿した切り落とした命とその剣の重み。それはこれまでロランがしてきたことで間違いない。

 迷いは消えた。

 そしてたくさんの闘志。不思議と体の痛みは引いて行った。不思議と体の治癒が速くなる。

 炎は湧きあがり。命は溢れ出し、生命力が漏れ出す。



 ぼうと暴れるような紅炎が体を燃やしつくす。


 ガルダスはその魔力に気が付き振り返った。その光景は何だろうか。その目の前で起きているものは新たなる誕生を意味している。


「まさか!」


 ガルダスはその息の根を消さんと裏切りの枝を抜き、振り下ろす。振り下ろす力は比類なき怪力による斬撃。この際母体はあきらめるほかないと判断したガルダスは躊躇もしなかった。

 衝撃が地面をたたき割った。大理石の床は捲れ、ロランの体は肉になり果てたとガルダスは思った。


 契約は完了した。


 天井を焼く紅炎は色を変えた。白から青。その青炎は紅炎とは違う熱とその熱を放出する鋭さが違っていた。


「……聖炎(フラムブルー)


 その声はロランの声。紅炎に焼き尽くされた体は新たなる体をもち、アリスから供給されていた生命力から確立した存在へと変わる。

 体中からあふれ出す魔力と炎はすべてを焼き尽くす光だった。闇をも飲み込み、この世に影という存在を消すような姿。その姿は神々しい。


「俺は負けない。アリスを助けるために。アリスを助けるまでは俺は死ねない」


 そう言って構えるその手には春駆ける獅子の愛剣があった。その剣は光に当てられ、鏡のように光っていた。戦争の中数多の人の命と、血を吸いこんだ剣ではなかった。すべてを浄化するような輝き……。

 ガルダスはあの時の感情を思い出す。ロランがこの国を出る前のロランが契約者としての力を発現した時を。同じ舞台に立ったあの姿を。

 あの時はお互いにまだ未熟な存在だった。

 しかし今、お互いが全力で全開の状態で顔を合わせる。


「は、っははははははは!」


 ガルダスは笑った。狂気に駆られた笑顔ではない。その笑顔は対等の力を持った者を見つけたときの顔だった。

 体が歓喜に狂い、目の前にいた屑は強敵となり、そして今目の前に立つ。


「これは面白い! もう紅炎の緋女など関係ない! もっと楽しもうではないか!」


 ガルダスは笑顔で剣を振るう。水平に薙いだ剣は風を巻き起こし、ロランへと向ける。

 ロランは左手を前に出し、青い炎を魔力で導く。

 紅炎とは違う扱いにくさを覚えたが、ロランは瞬時に性質を理解し、集中した。

 感じろ。炎の動きを。ロランは念じると左手に炎は集まり始めた。

 そして作り出された青い篭手。その篭手からはただならぬ熱量を感じた。その篭手を剣に当てると剣は火花を散らして避け、地面へと減り込んだ。


「おおお!」


 その地面と一緒に切り上げる。ロランはその斬撃も篭手で弾いた。ガルダスの剣は横に跳び、胴が開く。そこに入るロランは柄をしっかりと掴み袈裟狩りをした。

 しかし腹から出てくるものは異物だった。肋骨が生き物の牙のようにロランへと襲い掛かる。ロランはその肋骨を切り捨てた。そして距離を置くと、ガルダスは笑う。


「どうだ。余の体は?」


 ガルダスは不敵な笑みをしてロランへと走り出す。剣を振り上げてロランの頭をかち割らんと振り下ろす。ロランは剣を前に出してその攻撃を受ける。足元がずんと減り込んだ。ロランはゆがんだ顔をするとガルダスは左手に赤い光を集め、ロランの顔へと向けた。


「死ねぇ! 貴様の朽ちた姿を見せろぉ!」


 その光はロランの顔に命中した。白銀の紙が針のように跳ねると赤い光は顔を貫いて後ろの壁を貫いた。

 しかしロランは紙一重で避け、その手を掴んでいた。

 そしてその手を捻る。べきべきと骨が捻れ折れる音が響いた。しかしガルダスは苦痛に歪めることなくその折れた手に力を入れる。

 ベリベリとめくれる音が響く。骨がつながる音が響く。そして皮膚の下から棘が現れた。


 ロランは目を細め、剣でその腕を切り落とした。


 その腕は宙に浮くと黒い霧へとなり、そし切れた腕へとくっ付くと形を成した。


「面白い実に……そう思わないかね?」

「さあな」


 ロランは剣を納めると右手に炎を集める。

 そして右手にも青い炎で形成された篭手を作り出す。ズシリと重く感じるその篭手を両手でぶつける。


炎盾(イージス)


 ガルダスの背後をロランは拳を構えていた。ガルダスはとっさに背中に裏切りの枝を守るように出す。その重い拳は剣と衝突する。火花が散り、拳を覆う青い炎は手甲弾(ガントレット)と同じような能力を発揮した。音もなく青く燃え上がる炎が巨大な拳の形を作り出しガルダスを飛ばす。ガルダスは壁に足をつけその反動で跳躍する。一瞬にしてロランの顔に足を埋め、ロランは地面をめり込ませながら飛んだ。ロランは鼻から出る血を親指で拭うと両手で地面をたたく。すると地面は爆発し体を前へと進ませる。爆発的は推進力は床を焼き尽くし、絨毯は燃え上がり、燃え上がる戦場へと変貌した。その速さは音をも超えた。しかし直線的でガルダスは読めるものだった。

 ガルダスは赤い光を放射する。その攻撃をロランは小手を目の前で合わせた。

 衝撃が天井を揺らす。赤い光はロランからはじかれるように飛んでいくと、天井に当たり崩壊を促した。

 崩れだす天井から逃げるようにガルダスは外套を体を包むように防御した。






「……」


 漆黒の男はその崩れる音と砂埃が舞う場所を把握する。

 彼は笑った。あそこにいるのか。


「ハッハア!」


 男は跳躍をする。それはずっと待っていた女の喜びのように。待ち焦がれていた者のように。

 しかしその笑顔はその相手に向けるようなものではなかった。


「おおお!」


 ロランは声を張り上げ、篭手を振り落とす。ガルダスはその拳を避ける。その拳は床を殴ると同時に火柱を立てた。爆発に巻き込まれる破片がガルダスを襲うがガルダスはそれを受けながらロランに切り込んだ。ロランはとっさに左手を出し攻撃を防ぐ。ロランは歯を食いしばりその剣をつかんだ。篭手はバキンと割れる音が響く。ロランは剣の威力を抑えると思いっきりガルダスの顎を蹴り抜いた。

 宙に浮くガルダス。その間にロランは両手を脇腹に収める。


手甲弾(ガントレット)!」


 繰り出される二つの拳はガルダスの腹と顔に直撃する。

 爆発的な威力にガルダスの顔は粉砕した。打ち抜かれた胴は威力を弱めることができず穴が開いた。その穴から血は出ない。

 頭をなくした体は裏切りの枝をロランの首へと襲わせる。


「っ!」


 ロランはその威力を砕け枯れた篭手で受け止める。その篭手は砕け散った。

 ガルダスの体は体制を立て直し、ロランへもう一度突進する。ロランは対処しきれず、ガルダスの体当たりをまともに食らった。壁に追い込まれ、はさまれる。

 ぼこぼこと音が鳴るその音は首からだ。そして生える頭。


「死……ねえ!」


 裏切りの枝の切っ先をロランの右目へと向ける。ロランは反射的に左に反らした。後ろにあった壁は裏切りの枝が突き刺さるだけで消し飛んだ。

 ロランはその間に剣を引き抜き股から切り上げる。

 切り上げた剣は血塗れていた。ガルダスは魚の三枚卸みたいに切り落とされた。

 しかしガルダスの体はそれでも死ぬことはない。

 切り口から臓器は蠢き、くっつきあう。そして体である外郭がぴったりと合わさった。


「……ふう。こんなものか?」

「化け物だな。ガルダス」


 ガルダスは笑うと剣を振るう。ロランは剣でその威力を殺しながら受け止めた。

 そのとき剣がピシリと破滅へのカウントダウンが始まる。ガルダスはその音を聞くと競り合いに持ち込む。ぴしぴしと亀裂の音が響く。ロランは距離多くためにバックステップを仕掛けたが、地面から黒い触手が生えてきた。

 その触手はロランの足を絡めとり、逃げ道を消す。


「どうする? このまま剣ごと切り落としてしまうぞ?」

「……っ!」


 ロランは聖炎で作られた篭手を触手へと向けた。その篭手から青い炎で焼き尽くした。

 そしてロランは距離を置くことに成功する。しかしガルダスはそれを許さなかった。一歩で距離を詰めたガルダスは裏切りの枝を剣に目掛けて薙ぐ。ロランはその剣を引き、篭手で塞いだ。しかしこての耐久性は脆い。硝子みたいに割れる音が響くと腕と一緒に弾かれた。


「おらあ!」


 ガルダスは切り返しに剣を狙う。もう逃げ道はなかった。

 剣の腹が裏切りの剣の刃で切り落とされる。火花が散る。その火花に誘発されるように崩れ去った篭手の破片が爆発した。

 篭手の構造は魔力を燃料にした炎である。

 なら崩れた炎に火花が散ればその魔力は爆発的に燃え上がる。


 その爆発物はガルダスの体を焼く。ロランが持っていた剣は二つに切り落とされる。


「ぐあああ!」


 ガルダスの目は干乾び、肉だった顔の左側が黒く炭になった。その隅の部分から肉が再生始めているが、その治りは遅い。

 折れた部分から先端の刃はがらんと地に落ちた。


「そうか!」


 ロランは剣を構える。その剣に篭る魔力。

 彼は剣が折れるまで炎を剣に纏うことをしなかった。

 そもそも彼の炎は攻撃する炎ではなく、纏う反撃の炎だった。敵が襲い掛かる攻撃を炎の熱で無力化にし敵を切り伏せる。それがロランの戦いのスタイルだった。

 ということは剣にも炎を纏うことをするだろう。


 しかしそれでもロランはしなかった。


 なぜなら剣に愛着があったからとしか言いようがない。彼の持つ剣は春駆ける獅子の形見であり、その剣で漆黒の男を殺すのが彼の目的だったからだ。


 練り上げられる魔力はロランのイメージで形作られてゆく。粘土のように何度も何度も薄い層を重ねてゆくようなイメージ。

 そしてその練り上げが何度も続くがその時間はたった一瞬だった。


「おおお!」


 ガルダスは折れた剣に目掛けて裏切りの枝を振るった。その裏切りの枝は爛々と光る。

 ロランは目をかっと開くと同時に剣が一瞬で解けた。


 これでロランの剣はもう存在しない。


 自分の力に耐え切ることができず、灼熱の地獄に紙を入れたように一瞬にして蒸発した。

 しかしその手に残ろうとする形状はまさに代償として手に入れた新たなる力。周りに飛び散って燃え移った炎がそのロランの手元へと集まる。その炎は赤から聖炎へと変わる。ロランがゆっくりと振り上げて叫ぶ。


戦火(クレイモア)


 その手に残った強大で禍々しい炎が一本の大剣だった。その剣はガルダスの裏切りの枝に衝突する。裏切りの枝と戦火はお互いの体を傷つけあい、火花を散らす。


「ぬうう! こんなもの叩ききってやる!」

「させるかぁぁ!」


 ロランは柄をぎりと掴むと火の勢いは強まった。ガルダスは押される。

 裏切りの枝は火花を散らしながらその火の勢いを堪えている。ガルダスの怪力で支えられているがガルダスの体は壊れ、再生し、そしてまた燃え上がる。

 まるで目の前で太陽が近づいてその巨大な存在を受け止めているような錯覚。


「おおおおお!」


 彼は腕を振りおろした。


 ガルダスの手にしていた裏切りの枝は二つに斬られ、それに続くように彼が二つに切り落とされる。そして燃え上がった。後ろは紅炎の手が広がり、焼き尽くされる。それは勢いを止めることもせず、外へとその炎を舞い上げた。






 鳥篭の少女、アリスの目の前にアルトスが立っていた。

 アルトスは無言のまま少女を見下ろしている。アリスの腹は大きく膨れていた。その膨れた腹は肉われを引き起こしている。臍を中心にして割れているその線はまるで母の証のようだ。


 しかしアルトスは棘が通いた斧を構えた。


 切っ先を腹に向けて落とす。全身の力をこめて落とした棘はアリスの腹に刺さる。



 はずだった。



 アルトスは固まって震えている。

 アリスの腹から生えている触手は青々しい。その青々しさから植物だった。アルトスは口から血を吐き、下ろそうとした斧を床に落とした。


 彼女はゆっくりと目を覚ます。その目は金色の輝く瞳。その瞳と同じくらいに綺麗な赤い唇がゆっくりと開いた。一回呼吸をし、そしてゆっくりと吐く。

 そしてお腹にゆっくりと触れると彼女は立ち上がった。

 触手に刺さったままだったアルトスはもう死んでいた。綺麗に心臓を射抜いた触手はずるりと引き抜かれる。

 そして微笑みながら言った。


「『皆死んじゃえば良いのに……』」


 その言葉はどこで聞いただろうか? 彼女の周りに合った石壁の隙間から蔓の植物が生え始める。何日もかかる成長が数秒、一瞬の間で生い茂り、そして華やかな花が咲き誇った。



 産声があがる。



「まだだ……」


 ロランは片膝をつき呼吸を整えている。そのロランの目の前でゆっくりとだが回復するガルダスがいた。

 たった少しだけ残った肉片から体を再生させる事はもう化け物でしかなかった。それほどガルダスは力を欲していた。ロランはもう闘志を抱くことはなかった。

 ガルダスはそのロランの顔を見ていらだった。


「何もう終わったみたいな顔をしている。まだ生きているぞ余は! ここに敵がいる! 早く殺せ! 切り伏せろ! ずたずたに、ぐちゃぐちゃに憎しみを持って殺せ!」

「俺は、もうお前に敵意は向けない」


 ロランは呟くようにガルダスに向けて言った。

 どうしてなのか分からない。ただその目の前にいる狂戦士はどこか悲しい目をしていたのだ。ロランはその目を良く知っていた。アリスが初めて会った時にしていた目。その澄んでいるのに奥までが見えない濁った水のようにあるその瞳はロランにとって敵意を向けるものではなかったのだ。


「……貴様も似たものだ」

「ガルダス。お前は俺の父さんを憎んでいたのか」


 ガルダスの体は治った。しかしその体は決してロランへと攻撃をしようとしなかった。鎖につながれたようにいるその体は黒く刺青のように彫られた紋章が浮かんでいた。


「……余はアーバインが何故あんなに人望が厚く、そして強かったのか分からなかった。どうしてあんなに敵を綺麗に殺すことができ、人を護ることができ、やさしくでき、そして……何故あの時も余を信用していたのか分からない」


 ガルダスは口からこぼれる言葉は憎しみの言葉ではなかった。ロランはゆっくりと立つ。そういうことかとロランは思った。


 ガルダスが世界樹の味方に入った理由。


 それはもう一度できることならまた一からやり直したいと思ったからであろう。世界の戦争をリセットして、世界の秩序を作り直しそしてまたやり直す。

 そのときのガルダスはどんな顔をしているのだろうか? もしかするとまた同じ力の序列で作り出すのだろうか?


「父さんは多分お前をずっと信用していたんだと思う」


 そう、アーバインはきっとガルダスを心配してずっと傍に居させたのかもしれない。ガルダスが道を外さないように……ずっと傍で手を添えていこうと思っていたのだろう。

 ロランはゆっくりと立ち上がり歩き出す。両手のやけどはすぐには治らなかった。皮膚を焼いて肉が見えるその両手を振るう。空気と触れるだけ激痛が走った。


「また作り直せばいい。今度は間違えないように作り直せばいい」


 ロランはガルダスに手を差し出す。ガルダスはそのロランの手をしばらく見た後、ゆっくりと手を出した。


「残念だが、そこまでだ」


 高揚感溢れるその声音をロランは知っていた。目の前にいたガルダスの背中にはいつか大剣が貫いていた。ロランは焦点を合わせる。だがその判断は遅い。

 さっきまで繋がっていた右腕が切り落とされていた。

 ガルダスの貫いていた剣が天高く……


 ロランの焦点は定まった。


 目の前に広がる『漆黒』。その暗さはまるで窓もない部屋の中のようだ。

 外套も服も全部が漆黒で包まれた人間が目の前にいた。

 そして風が吹く。突風のようにロランの体を押すとロランはその風の強さに耐え切れず後ろの壁に激突した。


「が……っぐ!」


 後頭部を強打し、平衡感覚を失う。ロランは揺らめく視界の中その漆黒の男を睨んだ。

 外套が風で羽ばたき。その羽ばたきの中で鈴が聞こえる。


「……鈴……の音……」


 ロランは体を引きずりながら前へと進む。しかし左腕を剣で突き刺し縫い付けられた。


「誰だ? お前……いや、その白い髪……」

「し、漆黒の男……」

「……」


 漆黒の男は首をかしげるとしゃがみこみ、ロランの顔を覗くように見た。


「お前が……」

「あ? 何だよお前。俺になんかようか?」


「お前があああああああああああああああああああああ!」


 ロランはない右腕を炎で作り出すと、左腕に刺さっていた剣をつかむ。その剣を引き抜くとその右腕を漆黒の男の頬へと叩き込んだ。

 空気が破裂するような音が響く。酸素が一気に二酸化炭素になり、熱によって爆発的に膨らんだ空気が波を作って壁にヒビをいれる。

 全力の攻撃。ロランは歯を食いしばって魔力を解き放つ。右腕から作られたものは巨大な篭手だった。その篭手はロランの体を何倍も大きく、篭手にふれた天井や壁は赤く燃え上がりどろりと融解する。


「手甲弾!」


 大地が揺れた。その大地から砂埃が舞い上がると衝撃がその砂埃を吹き飛ばす。


「……はあっはあ」


 目の前はロランの体から出てくる汗が蒸気になって曇っていた。

 ふらふらになりながら立つその姿は悪魔だろう。陽炎の中、赤い炎が作り出す黒い煙の中で立つその姿は誰もが恐怖に陥るだろう。


 しかしその異端な姿よりも目の前に立つ漆黒の男が恐怖でしかない。あの全力の攻撃を漆黒の男は無傷でいたのだ。


「びっくりした……お前すげえな」

「な……なんで……?」


 何でって言われてもと漆黒の男は頬を掻く。その首に見える黒い紋章はロランを驚かせた。


「ほら、俺契約者だし」


 といって手をすっと出すと前で白い光が生み出された。そしてドンと口で言うと白い光はロランの体を貫いた。腹に穴が開いた。半径六センチほどの穴。その穴から血がどろりとあふれ出た。


「……あ……」

「あれ? 威力間違えたか? いっちばん弱くしたはずだけどなあ……」


 まあ、いいかと口であいまいに言うと体をねじり、ロランの首筋を一蹴した。体は床にバウンドしながら跳んでゆく。そして壁に激突して威力は弱まらなかった。そして六枚ほど壁を貫いた後ロランの体はやっと止まった。

 顔はゆがんでいて、蹴った部分だけが左にずれていた。


 死ぬ。


 ロランの頭によぎった。

 次元が違うその強さに体が震えた。目の前に立つその存在が巨大な龍を思い出す。混沌を呼び起こす悪しき龍。まるで一つの国を滅ぼすこともできるその力。


「……い、……てる……」


 耳が壊れたようだ。ロランは空ろにその男の口を見ていた。そして外套を外すとこちらを覗いてくる。

 ロランはその顔を知っていた。

 かつて、国の軍隊長を任された男。その男は約五年前死んだといわれていた。


「……父……さん」


 ロランはいびつに軋む口を開く。漆黒の男はアーバインだった。


「アーバイン? ああ、この体のことか」

「……」


 漆黒の男は剣を肩に乗せ、けたけたと笑う。ロランはその顔で笑うなと思った。漆黒の男は笑いながらなあとロランに言う。


「泣いてくれねえの?」


 ぐさりと左腕に剣がもう一度刺さった。


「あああああああああああああ!」

「そう、その声だよ。もっと囀らないのかなー?」


 ざくざくと左腕を突き刺してゆく。その痛みはロランの意思を砕いてゆく。


「ロラン!」


 漆黒の男の後ろでロランの名を呼ぶ声が上がった。漆黒の男は緩慢な動きで後ろを振り向くと、そこには黒い槍を携えたハイネがいた。

 漆黒の男に向けて槍を放つと男は右手で槍を弾く。


神殺(ロンギヌス)!」


 左脇腹に向けて気力を放った。その一撃は綺麗に入ると漆黒の男を吹き飛ばした。


「ロラン!」

「はい……ネ?」


 ロランはハイネに肩を貸してもらう。漆黒の男がまだ居ない隙にハイネはスレイプニールの力を発動し、逃走した。


「……」


 漆黒の男は額から血を流していた。その血を手で触れると、べろりと舐める。

 鉄の味。血の匂いが鼻についた。何日ぶりに血を流しただろう。

 自分の体に傷がつくとは……こんなに心が揺さぶられるのか。


「っはは! ……コロス」


 漆黒の男は動き出した。


「何で……」

「何でじゃねえだろ!」


 間髪いれずにハイネはロランの言葉を封じる。ある程度の距離をとった後、ハイネはすぐ近くにある瓦礫の影に入った。そしてロランを座らせる。

 弱弱しい息使いで静かに生きていると証明しているロランはとても弱く感じた。


「あいつがガルダスなのか?」


 ロランはぐっと押し黙った。ハイネはその顔に苛立ちを感じる。


「負けたのかよ! 勝ったのかよ! あんたみたいな情けない面を見るのは嫌いなんだ」

「分からない…」


 それはガルダスは父さんに殺されたから……そんなこといえるわけがなかった。

 ぐいっと胸倉をつかまれる。後ろにあった壁に叩きつけられて痛みに片目を閉じた。首が絞まり、息が詰まり、気管の狭窄によって笛のような高い音が響く。


「アリスをまだ助けてない…戻らないと…」

「その前にあの男をどうにかしなきゃいけないだろう」

「ああ、そうだな」


 ハイネはその声にはっとした瞬間、ハイネは鎖を巻きつけようとしたがそれは遅かった。背中から感じる斬るという殺意はハイネの背中に目掛けて振るわれる。

 後ろに立つ漆黒の男はにやりと笑って振りぬいた。鎖に巻かれたハイネごと吹き飛ばされた。すぐ傍にあった瓦礫を貫き、地面を転げる。その姿を見た後アーバインはけたけたと笑いながら砂埃を見ていた。


「お返しだ」

「父…さ……ん」

「誰が父さんだ。この出来損ない」


 左腕を踏み潰される。穴だらけだった腕からまた血が噴き出た。ロランは苦痛を堪えるために口を食いしばった。

 しかし漆黒の男はただ恐怖に染まった顔を見たかった。その一色でぐいぐいと踏みつけてゆく。

 踏まれていた場所は土にまみれ、傷口に土が入り込んでいた。苦痛でゆがんだ顔を見つめるアーバインは白銀の髪をつかみ顔を覗き込んだ。ハイネは起きる素振りもしない。


「何で……」

「何で? 何でだろうなぁ……あ、そうだった。母体を回収しに来たんだ」


 タクンから聞いた言葉。その言葉はグランシードを入れることで力を得る。その体質を持つものの総称。


「母体……アリスのことか」

「ん? 母体のこと知ってるのか?」

「彼女は母体という名前じゃない……アリス。アリススプリングフィールドだ」


 するとアーバインは噴出すように笑った。大剣を地面に刺して体を支えている。ロランは目を細めて睨んだ。


「何がおかしいんだ」

「あいつがそう言ったのか? それだったらお前は嘘付かれてる」

「え……」

「第一おかしいと思わなかったのか? アリスという器にアリスという精神体が入っていっている所で気付かないのか? まあいいついでだから教えてやるよ」


 ロランの耳元まで顔を寄せるとささやくように言った。


「あいつはこの戦争を引き起こした張本人……十八年前、完全だった世界を壊した罪人だ」

「……まさか」

「気付かなかったのか? いや、分からない振りでもしていたのか? 『アリスの正体が生誕の(オリジナル)……世界樹』だということに。良くあの化け物と一緒に居られたな」

「嘘だ」

「嘘じゃねえよ。嘘だったあの姿でも見てからにしろ」


 突如迷宮の春に木が生えた。その気はピンク色の花を咲かすと花弁を散らし、青々と生い茂る森林へと変わる。


「あの化け物が作り出す紅炎は己の生命力と変わらない。無限大に燃焼される命は時に全ての生命力を枯渇する力を持つ。彼女が触れた赤子は呼吸もできずすぐに老人へと成り果てる」

「……ア……」


 その森林の中から緑色に光る物を見つけた。その光はゆっくりとだがこちらに近づいてきている。


「分かったか? お前は世界樹の神……人類の敵なんだよ」


 その姿は森林にすむ妖精のようだった。背中からひどく透明に近い羽根を生やし、赤く燃え上がるような髪はどこにもなかった。金色の瞳がらんらんと光るその姿は女神。

 ロランの今まで保っていたものが崩れ去った。






 ハイネはゆっくりと目を覚ました。吹き飛ばされたのとほぼ同時に皇帝を発動させたのは正しかった。しかし防御を誇る皇帝ですらいともたやすく砕けていた。

 何という力を持っているんだとハイネは瓦礫の中から起き上がる。

 ハイネが転がった軌跡は土がめくれていた。その土から生えた草は驚異的なスピードで生えていた。


「……ロランッ!」


 ハイネは走り出す。鎖に繋がれた大剣の柄をつかむのも忘れ、皇帝を身に纏い、紅い瞳を光らせて走り出した。


「ロラン!」


 自分が守る者の名を呼ぶ。自分を拾ってくれた者の名を呼ぶ。


 自分が愛する者の名を呼んだ。


「おおおおお!」


 跳躍をし、狙う。鎖を引っ張り、金属質の音が響きながら大剣の柄は彼女の手へと渡った。


三叉槍(ハルバード)!」


 黒い気は柄を覆うと武器を作り出した。その武器をしっかり持つと投擲のように投げる。高速で投げられたハルバードはアーバインの頭にめがけて向かっていった。

 しかしそのハルバードは片手で弾かれる。


不千切鎖(グレイプニール)!」


 鎖を巧みに操り、体を拘束する。そして背後に着地すると、右手から気力を集める。

 その球体をアーバインに向けて放つ。


 しかしその腕は動くことをしなかった。がくんと揺れ、ハイネは後ろを見ると植物の蔓が右腕を絡ませていた。


「何だこれ……」


 その蔓はハイネの四肢を絡み取ると自由を奪った。アーバインは鎖を引きちぎった。鎖の破片が砂埃のように霧散するとアーバインは剣をつかみハイネの首へと振るう。


「ハイネェ! 避けろぉ!」

「……っ!」


 だがハイネは目を強く瞑るしかなかった。時が過ぎるのを待つだけだった。どしゅっと肉を切る音が響いた。しばらく待ってもその斬られたという痛みはこない。ゆっくりと目を開けると、ロランが左手で凶刃を受け止めていた。小指と薬指の間から肘まで切られており、骨の結合部でやっと止まっている。

 しかしその凶刃は腕だけではなかった。

 左胸も斬り惹かれている。肋骨の間をうまくすり抜けて、契約紋を二つに切り落としていた。


「……ロラン!」


 ハイネは強引に蔓を引きちぎる。崩れるロランを受け止めようとするが、引きちぎるのに時間が有した。そしてやっと引きちぎった後、ロランの元へと向かった。


「ロラン!」

「大丈夫か?」

「大丈夫も何も! 何であんたが出てくるのよ!」


 げっげっとロランは咳をすると血が吐き出された。地面にビシャリとつくと、噴出した血がハイネの頬に付着した。


「ごめん汚した……」


 小指の無い手でハイネの頬を拭おうとするが、血が出る左手では更に汚すだけだった。 


「貴様ぁ!」


 獅子をも恐怖を感じるような眼力でアーバインを睨む。そのままハルバードを放った。

 しかしそれ攻撃も手で打ち砕かれた。


「その目、昔の俺にそっくりだ」

「っ!」

「仲間を殺された恨み、憎しみ。その全てが渦巻き、現れる血のような瞳……小娘。お前レギオンか」

「レギオン?」


 まあ、いいや。とアーバインは言った。


「とりあえず、母体を回収しないとなあ」


 頭をぼりぼりと掻く。髪が動くと同時に鈴の音が響く。その鈴の音はロランの髪を括る鈴に良く似た音色だった。


「殺さないのか!」

「っは、誰を殺すといった? 俺は止めに来ただけだ」


 アーバインは離れながら右手を振るう。


「混沌の龍王(バハムント)


 双一言言うと、影からずるりと何かが生み出された。その大きさは何十年も生きる木のように大きな黒い繭。いや、その繭は羽だった。

 バサッと鷲のような風切り羽が空気を裂く。その風はハイネの体を吹き飛ばすほどだった。しかしハイネはロランに抱きつき、飛ばされないように堪える。


「母体……いや、嬰児(みどりこ)を回収だ。良いな? 殺すなよ」


 その翼を有するものは黒くそして人の形を有した龍。その龍の頭には黒い三重の輪が浮かんでいた。


 そこでハイネとロランの記憶は途絶えた。

 最初に起きたのはロランだった。


 体の節々が痛み、体を起こすと体は元に戻っていた。切り落とされた右腕もくっついていた。

 左手にはハイネが丸くなって寝ていた。その姿は穏やかに寝ている子犬のようだ。そして右手に誰かが居ることに気がついた。


 そこにいたのはロランの契約者、アリスだった。

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