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軍神と少女

 それは一瞬の出来事だった。


 家族と一緒に夜の買い物に出かけ、私は両親の真ん中に居て、両手を繋いで笑いあっている。

 そんな幸福な思い出。

 そんな裕福な時間。


 いつまでもいつまでも続くと五歳の私は思っていた。


 突然の轟音。


 爆発が後ろから襲ってくる。破片が飛び、その破片が私を、家族に打ち付ける。

 誰も叫ぶ事は無かった。いや、一瞬の出来事過ぎて何が起きたのか分からない。というのが正しかった。


 そして爆風は止んだ。


 その惨劇は体が小さく当たる物が少ない私が見ていた。

 右腕と右足が抉れていた。骨が見え、激痛が走る。


 涙を流し悲鳴を上げた。叫ばないと痛みを紛らわす事が出来ないと思ったのだ。

 痛みに必死に堪え、目の前の両親を見た。

 体中が蜂の巣のように風穴が開いていた。


 誰がこんな事を……憎しみが芽生える。


 目の前には大きな大きな体を有する化物がいた。その化物は口に人間をくわえている。その人間はまだ生きていた。誰か助けてくれと叫んでいる。


 噛み切られた。


 ひっと叫ぼうとした声が途切れた。胸から上の体がぼとりと落ちる。男の顔は苦悶の顔で固まっていた。


 殺してやる。心の中が悪で満たされる。黒い炎が燃え出すような怒り。


 目の前にいる化物を、殺してやる。

 何もかもを殺してやる!


「コロシテヤル!」


 化物に向かって叫んだ。化物はもうそこに居なかった。





『生きたいか?』


 気が付けば目の前に黒馬に乗った騎士がいた。その騎士は冑を被っている。その姿はまるでどこかの英雄のように見えた。その目の前にいる黒馬に乗った騎士がたずねてきた。生をこうか、死を願うか。私はその姿にも憎しみを持った。まるで見下したような口調に腹を立てる。


『神にすら憎しみを持つか……』

「殺してやる! 何もかも!」

『……何もかも……よかろう』


 騎士は馬から下りた。馬は静かに私を見下ろしている。騎士は重い金属の音を鳴らしながら歩いて来た。黒い馬に黒い甲冑の男。白銀の髪を靡かせ、槍を持つその姿は神を殺す力を持っているようだった。


『貴様を生かすために、私は貴様と契約しよう』


 そういって騎士は槍を私の心臓につきたてた。


「…ぁ」


 そして私の四肢は元に戻っていた。


 生に執着したもの。人外。人間。契約者。戦争。それは人間が行う愚かな事。命を命として扱わず、ただただお互いの存在を拒絶しあい、殺しあうものだ。

 そんな誰もが思っていることを考え直す娼婦は笑っていった。その娼婦は微笑みながら目の前にいる男を見つめ返す。腰を彼女に押し付けるように動いている男は軍人だった。無駄に体つきがよいが、本当にそれだけだった。力もなく、そして女を抱く事にしか見出せない体だった。


「どうだ?」


 少し枯れ声で娼婦に聞いてくる。娼婦は目を潤ませて赤く頬を染める。


「気持ちいい……」


 男は実はそんなに上手くなかった。体を揺すられ、ただそれだけの動作に娼婦は全く感じなかったのだ。しかし体は正直だった。汗を流し、粘質な液体を流し受け入れる。気持ちよくないのに溢れるこれは皮肉な上、ありえない。

 これが生への執着かと彼女は嘲笑した。


 『人外』……それは道を外れし人間のことを言う。戦争によって力を求め、悪魔と契約をする。しかしその契約は不条理なもので仕上がっていた。力を与える代わりに体を開け渡すのだ。精神を冒され、自分を食い尽くされ、その契約者の知識を得た悪魔は体の構造を一から作り直す。そして人外が産声を上げる。

 娼婦は腕で目を隠し冷えた目つきを隠した。唇をぎりりとかみ締め、両親を殺した人外を思い出す。

 まるで人間を大きくしたらああなるのだろうと思っていた。両親を蜂の巣の様に襤褸切れにしたあの憎しみはいまだ消えていなかった。




 もうあの事件から十年経とうとしていたのだ。




 右手が嫌に疼いた。あの時の右腕は切り落とした。そしてまた生まれ変わるように彼女の体から右腕が生まれたのだ。戦いの神は力をくれる痺れるような感覚はその仇をとろうと蠢く。

 右腕は殺せと叫ぶ。内臓を抜き出し、皮を剥いで血を抜き生命という根源を枯らしてやる。

 心臓は高鳴っていた。快感ではなく、憎しみの想像力は快感よりも酷くそして殺したいほどにその人外を愛しく思っていた。


 そして男は果てた。娼婦も演技で果てた振りをするのだった。






 娼婦館から出たハイネは皮袋に入った硬貨を何度か宙に浮かせながら歩いた。適度に入った硬貨。チャリンチャリンと鳴る音がハイネの気持ちを落ち着かせた。


「ハイネー」


 ハイネはその声の方を振り向いた。ハイネが歩いていた道は人が通れるような道ではない。今にも細菌がわっと増殖しむせ返るような腐敗臭を漂わせている。日に当たらない壁にカビが生えていた。そのカビは青くそして石のように硬い印象を与えた。

 その道の中心で振り返るハイネの姿は美しかった。髪の色は灰色で、適当に梳かしただけだが、それに一つの魅力がある。振り返りざまに咲く灰色の華。穢れた道に咲くその少女は誰もが振り返るだろう。その彼女には右腕に黒い手袋が嵌められており、右足にも長くそして黒い靴下を履いていた。服装は露出の高い服装。男が染み付けた臭いは少しも取れず、ハイネは嫌な顔をしていた。契約者の紋章は二つある。右腕全体に痣の様にあるその紋章は他者から見たら異端のほか無かっただろう。

 しかし彼女は下着に近い丈の短いズボンに、キャミソールのような袖が無い服を着ていた。目は両目とも灰色の瞳。誰もが振り返るような美貌だった。


「ハイネ! お金頂戴!」


 ハイネを呼ぶ声はハイネより小さい子供だった。同じ灰色の紙を持っていたが、それは皮脂でベタベタにくっ付いていた。その子供は乞食で人に何かをもらえないと生きていけない人間だった。いや、人間ではない。何も出来ない物を貰うだけの生き物だった。元は奴隷で、売られていたが買った貴族は少年の出来なさに腹を立て、捨てたのだ。


「何でお前みたいな奴に上げなきゃいけねえんだ」


 ハイネは毒を吐き、少年に唾を吐く。唾は少年より後ろに飛んでいった。少年の頬は頬骨によってえくぼが現れていた。その少年はえくぼをより強くあらわすためににっこりと笑った。優しく触れれば折れてしまうほどの鎖骨が見える。肩の細さ。薄幸の少年は冷えた水にずっと浸けたような皸塗れの手を出す。その少年にハイネは母性本能を感じていた。


「ハイネ、お金頂戴。パンを買いたいの」

「分かった分かった。一個だけだ」


 そういって体を売って手に入れたお金を何枚か少年に上げる。その硬貨はパン一個でもお釣りがたんまりと残るものだった。少年は喜び、露店のある道へと消えていった。ハイネはその少年の背中を見送った。少年の笑顔を忘れなかったハイネはその笑顔を忘れないようにその場を後にした。

 少年はその後パンを買うことが出来なかった。その金は身分の上の人間に奪われ、痛めつけられる。


 下種がこんな高価な物を持っている必要はない!


 罵る貴族。その貴族は少年の皸塗れの手から硬貨を全部奪い、少年の顔を爪先で蹴り飛ばした。


 本当、この世こそが不条理だった。






 ハイネは少しばかり離れた酒場に入る。その酒場はその時間帯は誰もいないのだ。それを見計らってきたハイネを見て主人はよう。とハイネに手を上げた。ハイネもそれを真似るように手を上げる。

 コツコツとヒールみたいなもので歩くその姿は美しい。

 主人は口笛を吹き、囃し立てた。


「相変わらずいい胸してんなハイネ」

「うるさい変態。お前なんかタイプじゃねえ」


 私はしっかりとした騎士様がタイプなんだよと吐き捨てる。

 そういってハイネはカウンターにもたれる様に立つ。主人はガラスで出来たコップに水を入れてハイネの前に置いた。ハイネはそれを受け取り、一口だけゆっくりと飲んだ。


「……で、首は? 最近の奴ないの?」


 と唐突にハイネは申し出た。首とはそのままの意味、賞金を賭けられた首の事である。それを聞いた主人はごそごそと紙を幾つか取り出す。主人の右手は口に行き、ぺろりと湿らせた。


「漆黒の男は……四百万」

「先週よりレートが上がったな」

「それはそうだろう? 迷宮の春を潰したという噂があるぞ?」

「……迷宮の春ね」


 四年前に一つの国がたった一人の男に壊滅まで追い込まれたという話。その話は世界中を飛び回って何が本当なのか今では分からなかった。ハイネは手を組み、少し物思いにふける。その姿を見た主人は次の項目を捲った。


「最近というより昨日の奴だが、聖炎の騎士という男が賞金にかけられた」

「聖炎? 何だそりゃ聖といったらそれはいい奴じゃねえのか?」

「紅炎の緋女、迷宮の春の王女を連れ去る誘拐罪、そしてその迷宮の春の軍隊長に瀕死の傷を負わせた反逆罪」

「へえ、強そうじゃん。レートは?」

「二百万。だけど、紅炎の緋女を生かして任務遂行だ。もし回収できなかった場合、その場で報酬金はゼロになる」

「なんていうか……大変な任務だな」


 そういって愛想笑いをする。主人は全くだといってぱらぱらと紙を捲っていった。


「なんか仕事ない? このままだと私の中に男の体液が入って来る仕事しかないよ」


 体を伸ばし、大きく欠伸をする。ハイネは欠伸を抑えるように努力した後、また水を飲んだ。そして全部飲み干す。それを見計らい主人は一枚紙の束から一枚破る。


「じゃあ、一応これやってきな」


 主人はそういって一枚紙をハイネに渡した。その紙には男の顔が特徴的に書かれていた。報酬は三十万。まあまあの音だった。ハイネはその紙を丸め、外に出て行く。とりあえず、夜中までハイネは動こうとはしない。それはハイネの主義だった。


「さて、とりあえず寝て……そっから動こうかな」


 しょぼしょぼと痒い目をこすりながらハイネは宿へと向かった。






 夜。一人の男が逃げていた。その男は汗まみれだが、その汗は運動による疲労の汗ではなく。何者かに狙われている脂汗だった。

 ひゅっと気管支が狭まっている音が鳴る。その音は静かになった路地裏の道に響く。


 その男を追うハイネは背中に大きな柄の大剣を肩ベルトに引っ掛け走っていた。一気に距離を詰めて切り伏せるのもいいと思ったが、それでは遊び足りない。

 頬を緩ませ、にっこりと笑った。狐を追う騎馬隊はこんな感じなのだろうかと思った。

 男は一生懸命に走って息をきらしているがハイネは呼吸一つ乱れがなかった。


「……ああ、もういい加減飽きた」


 そういって軽く跳躍をした。建物より高く跳躍したハイネは男から見たら月に踊らされる女にしか見えないだろう。

 しかしそれは違った。

 男の頭に踵を落とした。男の体はそのまま石畳にめり込むようにして倒れる。ハイネはその男の上を踏み台にして着地をした。


「とりあえず報酬の条件は生かして拘束だったから……」


 あ、でも腕とか切り落としても大丈夫って書いてあるとハイネは独り言をブツブツと言っている。それを見た男は手元からナイフを取り出し、突進してきた。ハイネはそれに驚きとっさに右腕を盾にしてそのナイフを抑える。


「っな! 何で避けねえんだよ!」


 男は声を荒らげ、ハイネに問いただした。ハイネの右腕からは血が流れてゆく。ナイフは貫通していた。


「……何でか?」


 そういってハイネは男に顔を見せた。男は絶句する。

 彼女は笑っていたのだ。痛みも感じないくらいにまるで楽しいと思わせるくらいに笑っていた。


「そりゃあんたにつかまって欲しいからよ」


 左手で大剣を掴むと、振り下ろした。

 その直後、男の絶叫が路地裏を震わせたのは言うまでも無い。


『生きたいか。神を憎み、人外を殺す覚悟はあるのか』


 そう問いただしてくる騎士の男の後ろ黒馬が嘶いた。絶望のふちに立ったハイネを甲冑の隙間から見る赤い瞳は優しい雰囲気を含んだ瞳であった。

 しかしハイネにしては見下しているほかに無かった。その目の前にいるものに憎しみを向けるほかにハイネが出来るものが無かった。右腕と右足が動かないハイネを見下ろして言うその言葉は一言で言うならば、試練だったのだろう。すべての常識から脱却し、日常を捨て、力を得て、非日常の世界へと入る。


 その覚悟はあるのか?


 ハイネは周りで襤褸切れに成り果てた両親。その端切れを握り締めた。涙を流し、頬に触れる温かい水が口に入る。

 塩っぽい味が口の中に広がった。


 そしてハイネは騎士を受け入れた。






 涙を流している事に気が付いてハイネは涙を拭き取った。

 もう何年も流さなかった涙。その涙は昔と違って冷たく感じた。木製の朽ちたベットから起き上がるとそのベットはきしりと寒さに鳴く木材のように鳴り響いた。黒い靴下を履いていない右足を見た。

 大きく描かれた紋章は刺青のように美しかった。迷いの無い烙印はそれはハイネにとって誇りだったのだろう。ハイネは向かいの壁に立てかけてある大剣を見つめた。その剣は昔に軍人から体を売った代わりに譲ってもらったものだった。

 その時、ハイネは処女を無くした。しかしそれでよかったとハイネは思っている。

 生きていくためにはそうしなければならないと思っていたからだ。


 女の存在価値は体を売ること。それがこの町の女に課せられた使命だった。


 机の引き出しから折りたたみ式のバレットナイフをハイネが手にし、巧みな手さばきで開いたりしまったりし、そしてベルトに挟む。

 ハイネは部屋を一瞥した後、木製の扉を押し部屋を跡にした。






「よう、ハイネ」

「よう。眠いわ」


 ハイネは欠伸を漏らしながらまたいつものカウンターに立つ。主人は今日はどうすると聞いてきた。彼女は少しだけ目を泳がせる。


「今日は酒がのみたい気分」

「おいおい、まだ朝だぞ」


 何がいけないのという顔をする。主人はアイコンタクトで忠告を入れたが、ハイネはそれで引き下がるものではなかった。


「いいのよ今日仕事ないし」

「じゃあ、俺が仕事やってもいいんだぜ?」


 ハイネは主人の顔を見た後、いい。と断った。主人はガラスのコップに透明の水のような酒を置く。ハイネはそれを一口含んでから飲んだ。そしてハイネは顔を顰める。


「きっついわ。やっぱり」

「アルコール純度二十超えてるからな」


 笑い飛ばすように主人はその酒をだす。

 ハイネは細い指をコップの中に突っ込み酒で濡れた指を口に運んだ。


「これ十六歳に飲ませるものなの?」

「いや? お前がお酒を飲みたいといったからちゃんとした酒を飲ましてやっただけだ」


 しばらく睨む様に主人を見たが靡かないため、あきらめてそのまま飲む事にした。

 主人は首のリストを取り出し、営業の顔に戻る。


「で? 首はどうなった?」

「売り払った。ちゃんと報酬金ももらったし、しばらくは仕事しなくてもいい感じ」


 結果的に首の腕を切ることをしなかった。ただ軽く脅して無力化を図ったのだ。

 その脅しは効果覿面だったが、そのあと男は失禁して情けなかった。そのまま軍隊に売り払ったが、軍人は嫌そうな顔をしていた。

 まあ、いいかと思いながらハイネは報酬金をもらった。


「ツケを返して欲しいが?」


 ハイネは酒を飲もうとしたが途中で手が止まった。コップを置いてため息を吐く。


「まだ後で良いでしょ? 私まだこの町から出て行こうとしないから」

「嘘つけ、お前随分前からこの町を出て行くといっていたじゃないか」

「そうだったっけ?」


 そうだと主人は催促する。ハイネは嫌そうな顔をしながら胸の谷間から皮の袋を取り出し、銀貨百枚ほど出す。主人はそれを手に取ると数えていく。


「とりあえずツケは全部返してもらった」

「じゃあ、良いでしょ?」


 そういって酒を一気に飲み干す。喉を通る酒が食道を焼くような痛みが走った。翻すようにハイネは外へと向かう。主人は何も言わずただハイネを見送るだけだった。






「……」


 一人の男が検問に引っかかっていた。東門の前で門番がその男を舐め回す様に見ていた。その男に連れが居た。その連れは赤毛の髪を有し、その髪が腰まで伸びている。そしてその色を強調するように赤いドレスを着ていた。その女は静かに男の隣に居座っていた。

 その二人は荷物を持っていなかった。手ぶらで歩き、この街に入って来るものはまともじゃないと門番は長年の経験から理解していた。


「この中に入るなら金が必要だぜ?」


 そう、門番が意地悪そうに言った。彼は周りにいる門番と違って異様だった。『白銀』の髪を有し、茶色の腰帯には片手剣が刺してある。その片手剣は薄汚れているが、綺麗な造りだったのだろう。門番がその剣に手をかけようとした。すると男はぴくりと動いた。

 その動きにあわせて鈴の音が響く。


「触るな」


 男は一言言い放つ。門番はえ、という顔をしていた。それは一瞬の出来事だった。その触ろうとした手を掴むと、ぐいっと捻るようにあげ、肩を外した。ごくんと外れる音は後ろの行商人にも聞こえただろう。誰もがその音に驚きを隠せず、その白銀の男に集中した。門番は苦痛の声を上げている。しかし赤毛の女はその起きた事に動じず、ずっと男のそばで立っていた。

 周りのことがなければ、美しい姫君だが、この光景で何も動かない事で、何か壊れた人にしか見えないだろう。

 絡まれるとやばい。と判断した後ろでつっかえている行商人等は静かにそれを見ていた。


「大丈夫だ。お前の腕は外しただけだ。すぐに戻してやろう」

「あ、ああ! だから早く治してくれ!」

「それはだめだ。まずはここを通らせてもらいたい」


 涙を流しながら苦痛に堪える門番は通れと言った。男はふと笑うと、赤毛の女性に目を向ける。赤毛の女性は男を見返し微笑み、一歩歩いた。


 かつかつとヒールが鳴り響く。それは凱旋をする姫君とそれを護衛する聖騎士のよう。


 二人は門を通ると、男は門番の腕を元に戻したやった。


「ごめんな。謝っておくよ」


 そういって小さい硬貨を三枚置き、去っていった。

 しばらく二人は歩いた。門番が見えなくなるところまで来ると赤毛の女はため息を漏らし、男を睨んだ。


「今のは少し酷かったのではないのか? ロラン」


 すると男は首をすくめ、愛想笑いをする。


「仕方ないだろう。アリスが前の村でたらふく食ったのだから金が無かったんだよ」


 情けない声をロランと呼ばれた男が出す。アリスと呼ばれた女性はむっとした顔をしてロランの太ももに蹴りを入れた。しかしロランは痛がる素振りを見せず。逆にアリスが足を抑えて蹲っていた。


「なあ、貴様と少し話し合いが必要だな?」

「そうだな」


 仲睦まじいのかどうか分からない二人が街に入ったのだった。


 その二人は四年前に壊滅した『迷宮の春』と呼ばれた国家の反逆者。

 『聖炎の騎士』ロランと『紅炎の緋女』アリスだった。


 ハイネはぶらぶらと娼婦館へと向かっていた。別に今日はそんなに急ぐ必要もなく、その仕事をやるのも夜からだった。

 基本彼女は寝たり首の情報収集に回ったりしている。その情報を主人に教え、金をもらったり。その主人から依頼をうけて後始末をしにいったりする。それがハイネの行う一日だった。

 露店で、串に刺さった肉を口に入れゆっくりと歩く。

 まったく表と裏がある変な街だと彼女はつくづく思う。ハイネはもともと上流貴族であり、表の世界しか分からなかった。しかし十年前の人外の所為で裏を知ることになる。その裏で暮らそうとハイネは心に決めたのだ。腕と足を切り捨てたのと一緒に、日常で暮らすことを捨てた。


 肉を全部食い終わったハイネはその串で歯に挟まった肉を取る。貴族であった雰囲気はもう外見だけだった。


「すいません」

「あ?」


 ハイネに話しかける男。その男は一人の女性を連れていた。外套をかぶっているため本当によく分からない。しかし、胸の辺りとか、服装から、女性だと考えた。ハイネはその女性を一瞥し、もう一度男を見る。その男は白銀の髪を肩まで伸ばし、青い紐で結んでいた。男の腰帯には綺麗な装飾を施された剣が引っかかっていた。


「ここらでおいしいご飯が食べられる宿ってある?」

「……」


 どこか、不思議な雰囲気を持っていると思った。

 ハイネはその男の瞳を見つめる。男もそのまっすぐな目に気づき、少しだけ身を引いた。


「ロラン。聞けたか?」


 女性が後ろから男を蹴り飛ばす。ハイネはびっくりし、とっさに身を引いて避けた。あまりの出来事にハイネはびっくりする。その女性は外套をはずし、顔を露にする。

 誰もが振り返る。

 その女性は赤い髪を出したのだ。その髪は燃えるように太陽の光を反射させる。ハイネですら息を呑み、その姿を魅入った。


「勝手に人の尻を蹴り飛ばすなアリス」

「ふんっ。貴様が可愛い女子に惹かれるのを知っているから先に手を打っておいたのだ」

「それならもっと他のやり方があるだろう」


 ロランと呼ばれた男は頭を抑えつつ、アリスと呼んだ女性に抗議の声を出す。ハイネはその会話で察した。


「首だ……」

「は?」


 ロランはハイネの一言を理解していなかった。

 ハイネは折りたたみ式のナイフを取り出すと、走ってロランへと突き出す。ハイネはロランがまだ理解していないと核心をし、腕を伸ばし、深く深く刺し、命を吹き消そうとした。

 しかし、ナイフは止まった。ナイフは指二本で止められていたのだ。


「っ!」

「いけないよ。女の子がこんな獲物を振り回して。昼だから殺人はよくないよ」

「黙れ! 反逆者!」

「反逆者……ああ、迷宮の春のことか」

「あれは私たちが潰したのではない。私たちはその潰した者を探すために旅をしているのだ」


 ハイネは睨み、ナイフを引っ張る。しかしそのナイフはぴたりとも動くことはなかった。なんという馬鹿力だとハイネは歯軋りをする。

 ロランは上にひねるように上げると、ハイネの手からナイフを奪った。ハイネの手にはナイフを奪われた痺れしかなかった。あまりの出来事にハイネですら唖然としていた。


「これは一応没収だ。いい宿屋を教えてくれたら返そう」

「その前に周りにいる賞金稼ぎをどうにかしたほうが良いぞ」


 アリスはロランの背に背を合わせるように立つ。アリスのほうにはたくさんの男たちが並んでいた。


「おめーらが反逆者か!」

「百万の首をもらいにきたぜ!」


 ロランはため息を漏らす。何でこうなっているんだろうと嘆いた。

 ハイネを一瞥し、ナイフをひらひらと見せびらかす。ハイネの手には何も武器がなかった。


「ちょっとこれ借りるね」


 そう言ってナイフを上に投げる。くるくると回るナイフは天高く飛んでいった。その間にロランは腕を右に突き出すように出すと。一言発動の言葉を唱えた。


「抗え(もえろ)」


 まったく別の意味を持つ炎が右手を包むように燃え上がった。その炎は魔力の導きに誘導され、一つの武器へと変貌した。

 赤く燃える篭手。その篭手は盾のように大きく。そして美しかった。

 ナイフが落ちてくる。そのナイフを右手で掴むとナイフは燃え上がった。


「さあ、誰から来る?」


 ロランは微笑み、賞金稼ぎの群れの中に入っていった。

 まず一人が小手調べのように剣を振り下ろしてくる。ロランは体を反らし、いとも容易く避けた。しかし賞金稼ぎは一人で攻撃をしてこなかった。左から剣を振り下ろしてくる。このままいけばロランの首は跳ね飛ぶだろう。しかし、ロランは体をもっと反らした。ぎりぎりで避け、そしてその反らした要領で最初に切りつけてきた男のあごを蹴り上げた。がこんとひどい音が響き、その男の口から血があふれ出た。どうやら舌を噛み切ったらしい。しかしロランはそれを気にすることもなく、左にいた賞金稼ぎの腕をナイフで切り落とした。


「っぐう!」

「大丈夫。ついでに焼いておいたから血は出ない」


 でもくっつけなおす事も出来ないけど。とついでのように言った。

 ハイネはその流れるようなロランの攻撃に驚いた。

 無駄がないのだ。賞金稼ぎの動きは俊敏で手数が多い反面、型が荒い。対するロランはその俊敏な攻撃にたった一回の行動で避けるのだ。さらに隙を作り、反撃をする。

 それがロランの型だった。

 しかし、積極性が見当たらない。好戦的ではなく、ただただ流れるままに避けているだけなのだ。

 もう賞金稼ぎは二人しかいなかった。


「てめえ止まりやがれ!」


 ロランは振り返る。いつの間にか賞金稼ぎの一人がアリスの首に刃物を添えていた。

 男はにやりと笑い、動くなと言い放った。アリスもその首に触れる刃物を見てからロランを見つめ返す。


「こいつは殺さねえ。用があるのはお前だけだ」

「……どけろ」


 男はにやりと笑い、もう一度言ってみろという。アリスはその男の言動にため息をついた。

 ハイネはアリスのため息に疑問だった。どうしてあんなに平気でいられるのだろうか。ロランの右手にある篭手がざわざわと揺れ出す。


「てめえアリスからその手をどけやがれ!」


 そう言ってナイフを捨てる。


 今時誰もが把握できなかった。賞金稼ぎもハイネもアリスに刃物を突きつけた男も誰も一瞬のことに理解できなかった。

 ロランはいつの間にかアリスの首に刃物をつけていた男を壁に叩き付けていた。

 がんがんと石壁と頭蓋骨が擦れ、潰れ、崩れる音が響く。

 ハイネはロランの顔を見た。あの瞳はもうどこにもなかった。狂気に刈られ、男の返り血にまみれ、歓喜の笑顔を有するその顔。

 二十回叩きつけたのだろうか、もう覚えていない。男の体はもう動かなかった。頭も潰れており、あるのは鼻からしただけだろうか。しかしそれもすぐに分からなくなった。

 右手の握力で男の頭を握りつぶした。燃える篭手が右手にこびりついた脳を、血を頭髪を燃やし尽くす。


「さあ、今度は誰だ?」


 そういうと賞金稼ぎ等は全員身を引き、逃げ出した。

 ロランはにやりと笑うと、右手を前に突き出した。狙う葉賞金稼ぎ。

 これが狙うものが狙われる瞬間だった。


投槍撃(ジャベリン)……」


 静かに言い放つ。瞬間篭手は一気に分解、拡散し、そして高速で右手の前に収縮した。

 そして音もなく、熱線が放たれる。その熱線は上下に揺れると、爆散した。その全てが賞金稼ぎの体に当たると、燃え出し、そして炭になって消滅した。

 右手の篭手はなかった。さっきの技で消費されるのだろう。


「……大丈夫?」

「貴様が不気味な笑い方するから、この子が恐怖で怯えているだろう」


 そうアリスはロランに言い放った。ロランは地面に落ちているナイフを拾い、彼女に返した。


「じゃ、宿屋教えてくれないかな?」


 その顔には狂気の笑顔はどこにもなかった。


「で? 何であんたたちがこの町にいるの?」

「ここにいてはいけない法律があるのか小娘」


 場所は主人が経営している酒場。その酒場にアリスとハイネが向き合うようににらみ合っていた。ロランはその二人の間に座り、ちびちびと酒を飲んでいた。

 娼婦と騎士と姫君。なんと言う絵柄の悪いものだろうと誰もが思っただろう。

 しかしそれはそれで綺麗なものだった。

 ハイネは元の素材が綺麗であり、娼婦の中では一二を争う美貌の持ち主であり、アリスもそれに負けないくらいの容姿である。それに同行するロランもちゃんとした身なりであり、白銀の髪を青い紐で一つに結んでおり、そして鈴をつけて鳴らしている。

 ころころと鳴るその鈴は何か理由があるのだろう。


 主人はジョッキを三つ運んできてそれをそれぞれ目の前に置く。アリスのジョッキには酒は入っていなかった。


「ロランどうして私だけはリンゴの絞り汁なのだ」

「お前酒飲めないだろう」

「貴様! 私が酒豪だと忘れているのか!」

「それは酔っている本人が言う言葉じゃあない。へべれけ王女様」


 顔を赤くして睨み、そしてジョッキに入っている物を飲み干した。


「で。私の質問に答えろ」

「情報収集さ」


 ロランは酒を口に含んで飲んでからそう言った。ハイネはロランを見た。どうやら嘘はついていないらしい。


「情報といっても迷宮の春の情報だ。前の町で、迷宮の春が再建されるという話を聞いて。それがなんなのかを知りたくて歩き回っている」

「そんな情報なんか誰も持ってない。この街にいるのは首狩と娼婦と奴隷、後は貴族だけだ」

「だからこそ情報が手に入りやすい。この街には裏があるじゃないか」


 ハイネは舌打ちをした。ロランの口調は似非紳士の口調に似ている。自分の凶器を隠しきれてないような顔をして、本当は何かを企んでいる様にしか見えなかった。


「俺は迷宮の春は再生されないほうが良いと思う」

「知ったこっちゃないね。こちらはまったく関係ない」

「小娘、この町もその迷宮の春に狙われているとしたらどうする?」


 アリスは彼女にそう告げる。ハイネは突然の宣言に唖然とした。主人はいなかった。たぶん厨房で料理でもしているのだろう。もしくは首狩を連れて来ているのか。どちらかだろう。

 アリスの目は金色に光り輝きまるで濁りもない。

 ハイネはこれまで宝石を見たことは無い。しかし彼女は確信をする。


 まるで金色に光り輝く彼女の瞳こそが宝石だと。


「……この街に何かあるのか」

「前の町といったが、その町からこの街に入るまで三つの村に入った」

「しかしその三つの村は全部荒らされ人がいなかった」


 外の世界は異変に包まれている。

 まるで何かに連れ去られた羊のように村は空になっている。ハイネは右手をぎゅっと握り締めた。


「それだけではない。三年前からその空になった村は見てきている。そして三年前から人外が溢れた」

「……」


 ロランはハイネの表情を伺う。これ以上現実を見せて何があるのか分からない。ロランは少し温くなった酒を飲んだ。


「十年前、人外に両親を殺された」

「十年前? ……俺とアリスが迷宮の春から出たのは四年前だから…その前から人外がいたのか」

「いただろう。ノエルが言っていたではないか。『憎しみを持つな。憎しみは力を得るが、代償として道を外れし者へと成り下がる』。ロランは前に言われたことではないのか?」


 ロランはそうだと言った。


「ということはまだあの時は人外という概念が出なかっただけだ。今は人外が増え、そして人を脅かす厄介者とし君臨するのだ」

「……」

「ハイネ? どうかしたか」

「私は契約者だ」

「知っておるわ。小娘。これはまた厄介なものと契約したな」

「知っているのか」

「アリスと俺は契約同士だ。俺の場合アリスが持つ力を使え、生命力を半分に分けてもらっただけだが」

「私の生命量は無尽蔵にあるから半分くれてやっても無限は無限だ」


 胸を張って威張るアリス。ハイネはお嬢様はこういうものなのかと思った。


「で、貴様はその契約者を知っておるのか?」

「黒騎士。黒い馬に乗った騎馬兵」

「本当にそれだけか……よければ貴様の契約者を教えてやることも可能だが」

「いい。彼の名前は私が聞いて知ることに決めている」

「いや、小娘。それは到底叶わんぞ」


 どうしてと彼女は問う。アリスはハイネの足を指差す。


「小娘、お前は『多重契約者』だからだ」






 門より外の世界にロランに肩を外された門番が行商人に検問をしていた。


「よし通れ」


 そう一言言って行商人を門の中へと入れる。

 肩を外されたが、その痛みはもう無く、いつもどおりに肩は動いた。

 まったくあいつは何者なんだと思った。

 白銀の髪を持った二十代といったところの男。と連れ一人。鈴の音がする彼は不思議な雰囲気しかなかった。腰に差す剣もそれは綺麗な装飾。


「……」

「検問よろしくお願いします」

「あ、ああ」


 そう言って門番は次の行商人へと目を配った。



 それが一瞬だった。


 ふと暗くなる。それは太陽が陰るというレベルではない。もっと近いところで暗くなる雲の陰ではなく、木陰のようだった。門番は不思議に思い、ふと上を向く。

 そこには黒く巨大な人がいた。ずしんと門番の体を揺らした。その巨人は門番たちを見ている。

 いつの間にこんなものが……。

 門番たちは恐怖の色が浮き出た。


「じ、……」


 門番は腰が引け、その場で座り込む。行商人たちは一目散に逃げようとしたが、手に掴まれ、握りつぶされた。

 絞り汁のように血が掌から滴り落ちる。それは地面に落ちたが、巨人からしたらそれはただの水溜りだろう。

 手を開けるとそこには人はもういなかった。

 ただの肉の塊。その異様な変貌に門番は胃液を漏らした。


 咽るように胃の中のものを吐き出す。


 そして腐臭の息が門番を覆った。吐息が豪風の中、門番は息が出来なかった。


 そして吐息が止む……後ろに何かがいると門番は確信をした。

 恐る恐る後ろを振り向いた。後ろを見るなという本能を押し切り、ゆっくりと。


 目の前には大きな口があった。


 そして門番は地面ごと食われて胃の中へと入っていった。






 警告を知らせる鐘が鳴る。ハイネは体を震わせる。右手が疼く。


「人外……きたのかっ!」


 ハイネは立ち上がり、上の階へと走っていく。ロランはハイネを追いかけようとしたがアリスはロランの腰帯を引っ張りこれ以上行くなという顔をしていた。

 ロランは察する。人外を滅することがハイネの生きがいなのだ。何もせず彼女の生き様を見送ることが聖炎の騎士の使命だった。


「だがあいつの契約は完全に扱いきれていない。いいのか貴重な契約者なんだろう!」

「たわけるでない。私がそう簡単に小娘を見過ごすと思っているのか? 私にも私なりの策があろう」


 りんごの絞り汁を飲んだ後、にやりと笑った。


「そのためにはまず覚醒をしてもらわないかんからな」


 その笑顔は好戦的な笑顔だった。


 ハイネは部屋に立てかけてある大剣を持つと、ショルダーベルトに引っ掛け外へと走り出した。

 疼く右手からは黒い煙が立ち込めている。目の前にいる人外を殺せといっているのだと彼女は思った。屋根から屋根へと走るその姿は戦いを望む戦士のよう。


 その先にはハイネが入る屋根よりも高い人外だった。

 黒い鱗に覆われたその姿は一言で言うなら化け物だった。人の形をした巨人。まるで世界を破滅に誘う鬼神のようだ。

 人外は体を震わせる。瞬間鱗は剥がれ、町中を攻撃した。


「おおおおおおおおおおおおおおお!」


 雄たけび一つ、彼女は大剣を携えて大きく跳躍をした。


 彼女は不安だった。この目の前にいる人外を殺すことが出来るのだろうか? この人外が持つ能力とは何か。ハイネ、いや基本全ての契約者と契約したものの付加は身体能力の向上である。

 ノタンの生まれつき強い力を持っていたのと同じ、ハイネにもある身体能力の向上は見られていた。

 しかしそれは脚力だけである。

 本来は黒騎士の力を得るはずだったハイネは黒騎士の力を存分に振るうことが出来るはずだった。しかしその力を阻害するようにもう一つの契約者がハイネと契約をしていたのだ。


 それは黒騎士の黒馬。


 黒馬の力は抑止力だった。脚力を得たハイネは人より高く跳べるほか、足の速さは馬よりはやい。しかしそれだけだった。

 どうして黒騎士の馬が契約したのだろうかそれはいまだに分かっていない。


「っ!」


 人外が放った鱗は容赦なくハイネに襲い掛かる。ハイネは大剣の腹でその鱗を受けるが、剣の腹は削れて行く。

 鉄より硬い鱗で覆われる人外の皮膚。こんな大剣(ガラクタ)でどう戦えというのだ。とハイネは嘆く。不安はいずれ、彼女の力を弱める足枷となる。それは当の本人は知らないでいた。

 迫る来る鱗の群れ、跳躍の速度は落ち、落下へと変換される。鱗はそれでも勢いが弱まることがなかった。


「くっ!」


 だんだん鱗の威力は上がってゆき、足を腕を切り裂いていく。血が噴出し、包んでいた手袋もその使用価値を失われてゆく。

 力を振り絞り、ハイネは剣を振り上げ、鱗を一掃する。しかしその行動は防御を捨てるという行動である。

 腹に突き刺さる鱗は中へと侵食した。枝分かれのように根をはり、内臓を貫いた。

 ハイネは口から血を吹き出す。肺に穴はまだ開いておらず、若干呼吸がしにくいだけと考える。


 落下の勢いのまま屋根に落ちる。

 ハイネは起き上がり、目の前にいる人外をにらみつけた。


「この化け物め……」


 唾のように血を吐き出すと、立ち上がり、深くえぐれた剣を前で構える。私は戦うと決めた。神を殺すと決意した。


「おおおおおお!」


 大きな咆哮。その声は野獣のように猛々しく。そして英雄の先陣だった。

 残りの体力も尽きかけていた。あるのは契約者の脚力だけ。ハイネは口を強く縛った。歯が折れるくらいにかみ締める。


 戦うと決めた。両親を殺した人外を殺す。


「コロス!」


 それは光のように早い跳躍、人外の鱗はもう誰もないない屋根に突き刺さる。人外の頭上にはハイネが剣を両手で構え、今にも振り下ろそうとしていた。


「お前だけは絶対殺す! 死なす! 絶対だああああああああああ」


 そして断首塔のように落とされた大きな大きな剣。ハイネが何故大剣にこだわるかには人外にあった。

 すべては一撃で殺せる力を得るため、首を跳ね飛ばすくらい大きな剣が必要だから。いくら重くても、いくら扱いにくくても一撃で殺せばいい。そう思ってハイネは軍人から身の丈もある大剣を自分の体を売ってそれをもらったのだ。


 その剣は首へと向かって落ちてゆく。重さに任せた斬撃。

 ハイネは懇願した。振り下ろす行く先を見ながらこのまま死んでしまえと。


 しかしそれは叶わなかった。


 硝子より鈍い音を上げて砕け落ちる剣。その破片は爆発した破片のようにハイネの体を貫いた。

 体中から血が溢れる。手にあるのは大剣の柄だけ。


 砕け散る大剣を見て彼女は絶望した。


 結局私は無力だ。と。何も出来ない。非力な者。


「……」


 彼女はだからと呟く。だからと契約者に願う。

 涙を流し。嘆きの願いを心に残る黒騎士の姿を思い出す。目の前に黒騎士とであった場面が見えるようだった。


「力を貸してよ……。私を壊しても良いから。もっと私に力をくれよ!」


 契約者の名前を呟いた。



 瞬間右手は黒く燃え上がった。

 その炎はまるで地獄から湧き出るかのような炎。そして彼女の憎しみを象徴とした姿。


「……狙え……必中(グングニール)


 柄が黒く燃え上がりそして顕現した姿は槍だった。その槍は黒くそして禍々しい力を帯びている。ハイネの左手は空気に触れる。瞬間空気は【固まった】。


「やっと起きたか」


 酒場でちびちびと飲むアリスは呟いた。ロランは外を眺めている。


「あれがハイネの力……」

「いや、あれはまだ力の端も見せてない」

「端も?」

「まったくあの小娘はとんでもないものと契約したものだ」


 アリスは笑う。ロランはアリスの元へと向かい、椅子に座った。


「ハイネは……」


 アリスの指がロランの口に触れる。アリスの指はりんごの絞り汁が付いている。それをロランは舐めた。


「契約者の中で一番力を持つものは雷神トール神。トール神は力の暴力による攻撃。あれの力で右に出るものはいないだろう」

「じゃあ、ハイネの契約者は」

「トール神ではない。トール神でも足元に及ばない契約者がいるのだ。契約者の中で最強の力を誇り、そして誰も逃げることの出来ない槍を掲げ、そして数多の怪物たちを蹴散らした神……そしてその神に従え、八つの足を有しその速さは光の如く走り抜けた神馬」


 そしてアリスは笑った。高らかに言うその姿はまるで歌い手のようだ。






「軍神オーディンとスレイプニールだ」






 ハイネは空中で軌道を変えた。容赦なく鱗は落ちてくる中ハイネはまるでそこに壁があるかのように動き回る。


「……なんだこの力」


 それは物質の硬質化だった。ハイネの意思に従い、空気は壁のように固まり、そこに足をつけた瞬間空気はひび割れ、霧散する。

 その空気には足の紋章が浮き上がっている。


「これが足に宿る力……」


 彼女は笑った。こんな力が私の中に宿っていたなんて。


「人外! てめえを   にして殺してやる!」


 そう叫んで鱗を全て叩き落す。槍を構え、狙いを定める。その構えをした刹那、槍の先にある刃は大きく膨れ上がり、一種の杭のように見えた。狙うは心臓。一瞬に動きを止める絶好の場所。


「いっけえええええええええええええええええ!」


 そう叫び、槍を放った。それは神速。人外はその速さに怯え、とっさに避ける。しかしそれは到底無理な話だった。

 槍の軌道が強制的に曲がり、後ろから人外の心臓を貫いた。


 人外の左胸に大きな穴が出来た。

 それを苦しむかのように胸を掻きなぐり、雄たけびを上げて倒れ、灰になって消えた。

 腹に刺さる鱗も灰になり消え去る。


 右腕の紋章はうっすらと灯っているように見えた。


 頭の中で響く。それはあの時彼女を助けたオーディンの声だった。


『代償をもらおう……小娘』


 低く重苦しい声が代償を望んできた。

 人外を倒すことが出来たハイネはもう何も要らなかった。いっそのこと自分の体を与えて自分は消え去ってもいいと思っていた。

 しかしロランの言った言葉がよみがえる。

 それは迷宮の春の国の再建。そしてそれと同時に人外の大量発生。


「……」


 ハイネは口を開けた。その言葉は代償の部位でありそしてこれからハイネには必要のないものだと思ったものだ。


「ハイネ!」


 後ろを振り向けばそこには白銀の髪を有したロランだった。鈴の音が聞こえ、その音が心地よいものだった。


「私、ロランと一緒に旅をする。迷宮の春をぶっ潰すなら私の力が必要だろう?」

「……いいのか?」

「いいんだよ。どうせ私にはもう何もないから。人外をぶっ殺すほかないから」

「ははは、小娘らしい使命だ」


 そう言ってロランの後ろからアリスが現れた。ハイネは睨むようにアリスを睨む。


「契約者は二つ名が必要だ。僭越ながら貴様にその二つ名を授けてやろう」

「いい、だってネーミングセンス悪いと思うし」


 ぐっと、アリスは何もいえなくなった。四年前もある男に名づけの才能がないといわれたのだ。


「二つ名は私がもう考えた」

「なんと言う二つ名だ」


 ロランは聞く。ハイネは笑顔でその言葉を発した。


 かくしてこの世に軍神オーディンを契約者にしたものが現れた瞬間だった。

 そのものの二つ名は……『軍神の戦乙女(ヴァルキリー)』。

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