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聖炎の騎士

 いつまでも戦争は続いていた。いや、この戦争に終わりはなかった。

 人が人を拒絶する世界。人を剣で切り裂き、矢で射殺し、槍で突き立て、何もかもを焼き尽くす獄炎の世界で人間は生きていた。殺しあっていた。全ては十五年前に起こったあの『瞬きの日』から始まる。全てが完全で何もかもが永遠に続くと思われた世界は一変し、空は黒く燃えるような光を孕み、黒い涙を降らし、地上を蠢く人間を見下ろす空は目を閉じる。


 今回の主人公が所属する国も戦争に加担していた。

 彼が所属する国はそれほど強くない。普通の国家には僅差で兵力を上回るが名のある国家には負ける力を持っていた。しかし、その国は誰も攻めようとも、占領しようとも思わない。

 彼の国は『迷宮の(ラビリンス)』という異名があったからだ。難攻不落の国家。戦略で迎撃し、全てを国家の力に変え、萌えるように力が増えるという噂があった。

 その国に住む主人公はロランという。彼は迷宮の春の軍隊長である父を持っていた。その父は国王に『春駆ける獅子』という英雄名で呼ばれていた。

 誰もが羨ましがる家系で生まれた彼は誰もが異形、異端と忌み嫌う存在だった。

 彼の髪は白髪に近い銀であり、目は赤く燃え上がるような鮮赤だったのだ。その姿を見た父と母は嘆き、誇りと思い、そして恐怖した。

 その異端の姿に合い、誰よりも力のある男だった。


 ロランが十七の時、彼の父は殺される。直轄区(ちょっかつく)に向かった父の部隊は全滅という形で終えた。ロランは父の部隊に入っていた一人の騎士に話しを聞く。


『隻眼の赤黒く、血を吸い続けたような身の丈もあるほどの剣を持った漆黒の男』


 騎士は呟き、その後日、自害した。

 ロランは復讐に燃え、騎士団に入ることを決意する。幼いことから父と何度合わせた稽古の経験は脊髄に叩き込まれた、何百何千という稽古から掌は肉刺で硬く分厚くなり、反射的に剣を振る技術を習得する。そして迷宮の春、薔薇騎士団(ローズナイツ)の騎士認定試験で首席で合格する事が出来るのはそれほど遠い時間は有していなかった。






「ごきげんよう諸君」


 軍隊長の座にロランの父の代わりに座る男がロランが並ぶ新米騎士に言った。軍隊長の名はガルダス。迷宮の(ラビリンス)第四代目軍隊長である。国王に『刈り取る者』と英雄名をつけてもらっている。新米騎士はその声に驚きを隠せず、緊張を張り巡らせていた。


「そんなに緊張するでない。緊張は体を束縛する足枷だ。気を病まずにいるがいい」


 流暢に話すその言葉にロランは不快を感じた。刈り取る者の意味が躊躇をしない冷酷な団長と言われているからである。前軍隊長の『春駆ける獅子』は人望があり、誰にでも優しかったといわれていた。その軍隊長の差に違和感を感じたからである。ガルダスの座の左右には二つずつ、席がありその席には四人の騎士が座っている。右から、『深静の巫女(しんせいのみこ)』ツァエリ第一隊長、『業炎の斧夫(ごうえんのふふ)』アルトス第二隊長、『妖艶の玉燐(ようえんのぎょくりん)』フェール第三隊長、そして最後に『永遠の少年(とわのしょうねん)』ノエル第四隊長が牛耳るように座っていた。

 全員が戦歴は無い。一年前の前隊長の面子とがらりと変わった。ただノエルだけは以前、ロランの父と一緒に戦ったという話をロランは耳にした事があった。


「今日は宴だ。皆の者祝おうじゃないか!」


 ガルダスの宴の始まりの言葉を唱えた後、新米騎士たちはバラバラに動き、机に飾られた食べ物を取り食べ始める。

 ロランは真っ直ぐガルダスを見つめていた。

 その姿に気づいたのか、ガルダスは椅子から立ち上がり、ゆっくりと降りてくる。その歩く姿はまるで威厳を持つ死神。その死神に付き添い歩く隊長を避けるように騎士たちは道を開ける。圧巻。壮観。向こうにある軍隊長の椅子が小さく見えた。


「君が春駆ける獅子の……」

「はい、ロランと申します。今日はこのような宴に招待していただきありがとうございます」

「堅苦しい普通に話せ」

「いえ、それは……」


 お世辞の言い合いにツァエリが鼻で笑う。


「全く変な言い合いね。ガルダス軍隊長はそんなにこの子がお気に入りなんですカー? 白髪なだけで他は何も変わらないでショー?」

「ツァエリ、先代軍隊長様の息子の前だ自重しろ」


 はーイと軽い口調で返事をする。軍隊長の前でも敬語を使わないこの軍隊はとても歪でおかしいことばかりだった。ツァエリは青いワンピースを細い体に被るようにして着ていた。左肩には甲冑を身に付けていて、右手はその左腕を掴むようにしてくねくねと動いていた。


「ロラン、騎士に入れたことを心から祝います」

「ありがとうございます、ノエル第四隊長」


 ノエル隊長は子どもの体だ。ゆえに国王から『永遠の少年』と呼ばれる所以。金色と茶色を混ぜた髪を整えた髪はまるでそこらに居る貴族の雰囲気を持っていた。長い裾を引き摺るようにしているその姿はどこかあどけない。


「父がお世話になりました。これからはご迷惑をおかけしますが今後ともよろしくお願いします」

「いえ、僕の方こそお世話になりました。とても残念でしたね」

「漆黒の男……」

「君、漆黒の男に憎しみを持っているのか?」


 ガルダスは漆黒の男という言葉に反応して話しに入って来る。ガルダスは髭を生やし、厳つい顔をしている。身長はロランより一回りも大きい。そのガルダスとノエルが並ぶとどこか子連れのように見えた。ロランは少し目を泳がせ、首を縦に振る。


「父の仇です。奴を倒してこそ父の無念が報われる」

「いけません。ロラン」


 ノエルは話を折った。ロランは憎しみの感情を混ぜた言葉を抑える。ノエルは右手を胸の上に置く。そしてゆっくりと悲しそうに口を開く。


「憎しみは自分の心を滅ぼします。力を得ようともがいたものは力に溺れ、そしていつかは、魔物へと成り下がる。生に依存したものは生に執着し、いつかは狂人となるのです」

「すみません。以後気をつけます」


 はい、とノエルは笑った。

 ガルダスはその二人の会話を見て眉を顰めた。


「ガルダス軍隊長! 伝令です!」


 ダルダスの後ろに伝令を伝えに来た騎士が走ってきた。その騎士はガルダスに近付かず、一メートルほど間を開けて片膝をつける。

 ガルダスはその騎士を見下ろした。


「なんだ?」

「直轄区にて狂人が侵略! 援護部隊が直ちに援軍要請と!」

「うむ……分かった今すぐにそっちに援軍を送ると伝えろ。明日の夕刻までには向かわせる。」


 はっ! といって騎士は立ち走ってゆく。ガルダスはしばらく目を閉じると、ロランを見た。


「ロラン今回は援軍に入って行け」

「え、ですが……」

「聞いた話、そこらの騎士と変わらない実力を持っているそうじゃないか。いって力を振るって来い」

「……」


 団長命令だときつい言葉を放つ。上から圧し掛かる重圧。ロランはぐっと堪えると、分かりましたとだけ言った。


「フェール第三隊長は直轄区援軍隊長として敵を蹴散らして来い」

「分かりました。私の美しい力をお見せいたしましょう」


 では迎えとガルデスは命令をした。ロランはフェールに付いて行く様に、宴の会場を後にした。


「フェール隊長」

「なんですか? ロラン」


 フェールは目もあわせずに返事をする。フェールは身なりのいい気品な雰囲気を持った男だ。赤い羽根付き帽子を被っていた。ロランは腰にある剣を抑えた。その剣に惹かれたフェールは顔を動かし、ロランの剣を見る。


「それは、前軍団長の」

「はい。父の形見です」


 その剣は黄金の装飾を施された片手剣だった。手を護る部分は蒼色の布が巻かれている。父の遺品から十七のロランはその片手剣だけを取ったのだ。漆黒の男を討つために。ロランの生きる意味はそれしかなかった。漆黒の男を討ち取る事が己の使命。


「剣は人を切るために振るうものではありませんよ」


 フェールは寂しい顔をする。そして腰にあるサーベルのような細い剣を掴んだ。


「剣とは人を護るために創られたもの。人を護るためにあるからあるからこそ、その剣の本当の役割が得られるのです」

「人を護るため……」


 ロランは考えた。フェールはガルデスとは違う、考えがあると思ったからだ。統一感のない指標。その違いにロランは悲しくなった。


「で? 質問とは?」

「フェール隊長は力はなんだと思いますか?」

「力……?」


 フェールは少し考えた後、歩くのを遅くする。ロランは後ろを付いていくだけだった。石柱を三つほど歩いてぼそりという。


「力とは魅力です。人を惹かせるものこそ力だと私は思います。そなたのその白髪も魅力の一つなのですよ」


 フェールはフフフと笑った。狂人のように。


「そういうロランは私たちのことをどう思っているのですか?」


 私たちとはガルデスのことなのかと考えた。力を持った盲人の様だと少なくともロランは思っていた。しかし、その言葉を発してどうなるのか予想が付かなかった。

 彼は返事を待っていた。


「私たちは契約者です。それは知っていますね?」


 『契約者』それは精霊やそのほかの神に値する力を持つものと契約をしたものの事。そのものは百の軍隊を一人でなぎ払える力を持つと聞いていた。


「ツァエリも、昔とだいぶ変わりました。彼女は美しい容姿をした射手だったのに」

「……フェール隊長も」


 悲しそうな顔をし、さあ、行きましょうと話を折った。

 華やかな宴の裏には争い。その争いの火は、迷宮の春と呼ばれたこの国を燃やそうとしていた。






 争いによって生まれた火は、ロランの体を焼いた。ロランは歯を砕く勢いでぎりりと食い縛り、目の前にいる騎士の剣を受けきる。

 ロランの手には赤く染め上げられた布が巻かれている金色の装飾を施された剣。


「おおお!!」


 苦しみの中から漏れ出す力を吐き、騎士の剣を弾いた。その隙にロランは騎士の足に目掛けて剣を振るう。足は音もなく斬れ、足首から下は宙に舞った。

 騎士の叫び声は周りの争いの音により無音にされる。ロランは騎士の胸に剣を突き立てた。


 どうしてこうなったのだろう。とロランは思った。


 彼と一緒に入った騎士団は首を撥ねられたものもいれば、胸に剣を突かれた者もいた。まるで地獄絵図だ。

 ロランに向かって切りかかる騎士、それに反応したロランはその騎士に向かって走り込む。ロランの持つ剣は長くなかった。騎士が持つ両手剣は大きく振るわれ、そして遠心力を利用しロランへと向かっていく。ロランはその剣の軌道を読み、深く深く膝を畳み、そしてバネのように弾きとんだ。剣を騎士の頭へとむける。冑の隙間に剣が入ると、騎士はぎゃあと断末魔の叫びのように吼え、そこで絶命した。

 大きく息を吸う。

 ロランの白銀の髪が今では赤黒い漆黒の男と変わらぬ姿だった。目に返り血が入り、視界が悪い。節くれだった腕は剣の握りすぎで重く感じていた。


「これが戦争…」


 回りには臓器が漏れ出る男たちが息をしていなかった。腐臭がただよるこの世界は本当に自分の世界か不思議に思うくらいだった。

 背後から声を張り上げて向かってくる。ロランは振り返り、右手をとっさに出した。剣の軌道は外れていた。しかし、右手の中指から右が削ぎ落とされる。


「ああっ!」


 左手に掲げられた剣を強引に振り回した。胴を切り落とし、手を切り落とした男は絶命した。右手から流れ出る鮮血。

 ロランはその場に崩れ、痛みと必死に戦った。赤く血を吸った剣の布を右手に巻きつけて止血をした。


「国土に敵が侵入! 死守せよ!」


 迷宮の春と呼ばれた国に敵が入った。ロランはその言葉を耳にし、立ち上がった。まだ戦える。まだ抗える。

 行けロラン! と自分に言い聞かせる。ぎしぎしと鳴り響く関節。剣を杖のように体を支え、起き上がる。中にはロランの母が居たのだ。敵をこのまま入れると危ない。歯を食いしばる。足はもうガタガタと震えていた。恐怖? 生への執着? そんなものはとっくに捨てたとロランは覚悟をした。


「あああああああああああああああああああ!」


 ロランの口が裂けんばかりに声を張り上げ、ロランは国の中へと走っていった。立ちはだかる敵を剣で首を切り落とし、首から吹き上がる血を浴びた。

 このとき見方の騎士たちはその姿を見ていた。まるで戦場を駆ける獅子のような姿だと。


 広場に入ると敵と残りの騎士が剣を振り合っていた。突貫。ロランは一人目の敵に背後から心臓を突き破るように刺した。騎士は痛みに堪えれず思わず叫ぶ。他の敵が気づいた時にはロランは二人目の首をはね飛ばしていた。冑と一緒に頭が敵の中に落ちていく。首と別れをした体は泣くかのように血を噴出していた。ロランはその姿をもう十分すぎるほど見た。足で体を蹴り、踏み台にする。白銀の髪が、綺麗だった銀の篭手は赤くそして邪悪なくらいに黒かった。

 その姿を見た見方は恐怖のあまり固まってしまう。敵も同じく、固まったままロランを見ていた。


「ははっ!」


 彼は笑った。声もなく、掠れた声で放たれた声はまるで雷鳴の如く低かった。


「うわああああ!」


 敵の一人が上段に構えて剣を振り下ろした。それをロランは篭手でいなした。

 あまりの出来事に剣を振り下ろした本人すらびっくりしていた。右手に巻きつくようにあるその剣。その剣は血に塗れていなかった。まるで鞘から抜いてばかりといわんばかりに白く光り輝いている。この剣がこれまで何十人もの敵を切ってきたというのに、血糊も全くこびり付いていなかった。

 絶対歯切れが悪くならない剣。

 これが彼の父、『春駆ける獅子』の剣だった。

 ロランはその剣で敵の胸に突きたてる。いともたやすく貫通し、それを上へと切り上げた。頭が真っ二つに割れ、男の脳は零れ落ちる。


 敵は一斉にロランへと向かった。西方八方から向かってきたら、対処が出来ないと思ったからだろう。全員が一斉に振り上げ、彼へと落とした。

 しかし彼はそれを相手にしない。

 腰を捻る様にして剣を構え、そして一閃。

 踏みしめた石造りの隙間から円を描くように砂埃が舞い上がった。それに遅れるように敵の血が舞い上がる。

 周りに居た敵は背骨を残して切り落とされた。骨一本で支えられる力はない。騎士たちの腹から臓腑が湧き出るように出ると、敵は全て絶命した。


 そこに立つ彼は異端だった。まさに異形であり、異端の騎士だった。


「フェール隊長に続けー!」


 騎士隊の騎士は突撃していく。騎士たちは陣形を崩さないように前衛は大きく頑丈な盾を持ち、二列目は槍を携えていた。

 まだ生きていた猛者たちは剣で切り込みをしようとここ見たが、頑丈な盾の前では無意味だった。盾はフェールの契約者が作った魔法で強化したものだった。

 石のように硬いその盾は騎士の持っていた剣を折り捨てる。


「槍隊! 攻撃開始!」


 盾の隙間から槍が突き出てきた。切込みを試み、そして剣を折られたものは命をなくした。


「フェール隊長!」

「なんですか?」


 フェールは返り血一つしていなかった。ただ隊列を後ろから傍観しているだけだった。そのフェールは伝令係を見返す。


「国内に敵が侵入。それを追うようにロランが走っていきました!」

「そう、……大丈夫でしょう。彼は強い力を持ち合わせている。気にする必要はありません」

「王女が見当たらないんです」


 その一言にフェールは目を見開いた。

 王女。それは迷宮の春の王女で間違いなかった。

 フェールは少し悩んだ。彼の魔法は彼の周りでしか発動しないのだ。盾を壊し、また作り直すのには時間がかかる。

 彼は考えた結果、いつもと同じように笑った。しかし狂ったように笑う姿は伝令係には恐怖でしかなかっただろう。フェールは笑うのをやめる。そしてあやすように彼を見る。


「大丈夫ですよ『紅炎の緋女(こうえんのひめ)』が彼に靡く事はないでしょう……」


 しかし彼には不安一つしかなかった。目が合った伝令係は突然苦しみだし、そして命が燃え尽きた。






「母さん!」


 ロランは家の中に入る。母さんはここに居ると思ってここに入ったのだ。しかし返事がなかった。

 嫌な予感しかなかった。胸を苦しめるようなこの気持ちが痛かった。喉を通らない針のように刺さっていた。


「母さん!」


 彼は奥へと入っていく。静かなその空間にロランの髪にこびりついた血がぽたぽたと落ちた。

 その落ちた血を足で踏みながら、彼はさらに奥へと向かった。


 ふと、見えた光景。


「かあ……さん」


 壁に磔られた聖女のように、彼の母は居た。胸に身の丈もあるような剣を貫かれ、服は引き剥がされ彼を育て上げた胸は削ぎ落とされ、腹部は『空っぽ』だった。下から生えるように垂れ下がるその腸は一本の紐のように彼の元へと伸びている。

 一歩下がると何かに足をぶつけた。軽く、それで居て水が入った袋のように重いそれ……。


「……」


 彼の口から言葉を失った。膝を突き、左手で吐き気を抑えるために口を押さえる。

 競りあがる血なまぐさい母の姿。その母の顔は優しい顔をしていた。


「かあ…さん!」


 少しずつ母の元へと向かう。途中で血の海に乗り込み、左手は血に浸るように触れる。

 そしてやっとの事で母の元までこれた。母の冷たくなった頬を撫で、愛しむように見る。母さんともう一度呼ぶ。しかし彼女が呼び戻る事はなかった。涙が溢れ、目の前にいる母の顔は歪んだ。


 どこかで叫び声が上がった。その声は間違いなく女性だった。


 ロランはその声の主を助けるために立ち上がる。母さんは静かに眠っていた。


「行ってくる」


 そういってロランは歩き出す。これが母との最後の別れになった。

 彼は家から出るとその叫び声がしたほうを見た。口を開き、脳裏に焼きつく戦場を思い浮かべる。ここは戦場だ。人を殺す事が俺の仕事と言い聞かせる。不思議と体が軽かった。

 彼は走り出す。その声の主を助けるために。






 噴水の広場に、敵の騎士が群がっていた。まるで一つの死肉に群がる鷹のように。

 ロランは息を潜め機会をうかがっていた。今が絶好の機会と見た。

 距離は十メートルもない。ロランの脚力にすればすぐに背後を取れた。一人目を背中から切り落とす。右肩から左腰にかけて斬られた騎士の上半身は斜面を滑るように落ちた。それに気づいたほかの騎士は彼に向かって槍を突きつける。彼にとっては容易い攻撃のはずが、一本が腹部に刺さった。

 苦痛を堪え、槍の持ち手を切り落とし、その騎士との間合いを詰める。そして切り上げるように首を切った。浅く斬れたが、首の生命線は切り落としたと推察する。

 後の二人も横一線で切り伏せた。


 腹部に刺さる切っ先を引き抜く。溢れるように血は流れた。石畳の溝に吸い込まれるように血は流れた。

 血が溢れるのが止まらない事から急所に刺さったみたいだとロランは思った。


「大丈夫か……」


 ロランはその者に声をかけようとし途中で声が止まった。

 燃えるような赤毛の真っ直ぐな髪。目は少女のような大きな瞳で虹彩は金色に輝き、胸は膨らんでいた。そして服装も赤く。炎のように煌々としている。まるで神秘的と言わせるような存在感を持っていた。

 そして彼女は裸足だった。


「殺すのか?」


 その目は強く真っ直ぐな目をし、彼女は低く言った。ロランでもその視線に耐え切れず目を逸らしてしまう。意志の強い彼女だった。


「俺は殺さない」


 助けに来たんだと説得しようと思ったが、高飛車な性格から多分聞くわけがないだろうと思い言葉を呑んだ。その彼女はプライドが高く、お嬢様とでも見える。


「殺したければ殺せ! 体が燃え尽きても、魂は絶対貴様にやるものか!」


 荒い息でもう返す返事がなかった。目の前にいる女がもう霞んで見えない。ロランは横になるように倒れる。右手に巻きつけられた布は解け、剣はがらんと金属のように鳴り響いた。

 虫の息でゆっくりと呼吸をする。視界は悪かった。辺りは燃えるような音が響き、男の吼える声が聞こえる。頬に当たる風は生暖かかった。左手の甲に、さっき切り落とした男の血が付いた。

 その姿を見た彼女は見下ろしている。ロランは微笑み、口を開いた。


「よかったな。……殺そうとした奴が死んで」

「……」


 ロランは目を閉じた。苦痛とかもう麻痺して何も感じない。今目の前で死に掛けている命を目の前にして彼女は何を思うのだろうか。傲慢な性格から推測してロランは虫のような命なのだろう。


「これでもういい……」

「生きたいのだろう?」


 それは試されているようだった。彼女は答えろと言ってくる。

 彼はもう意識がほとんどなかった。息も苦しい、髪は赤黒く干乾びている。体が重い。さっきまで軽かった体が石のように重い。母を最後に見れて幸せだった。もう、生きる必要もない。何も護るものがなくなったのだ。もう、生に執着を失くしたロランは虚ろの目になっていた。


「生きたい?」

「もう……いい。護る者も……全部……なくなったから。もう生きる事も……疲れた」


 干乾びたような声。これまでに敵を切り落とす時に声を張り上げたからか。もう声帯が壊れているのか。よく分からない。


「まだ残しているものはないの?」

「もう……ない」


 母さんの姿を思い出し、今までやってきた事が走馬灯のように蘇った。本当はあった。父を殺した漆黒の男を殺したかった。彼は薄れ行く意識の中、そのことだけを思い出す。心の中で溢れ出す負の感情。憎しみ、怒り。護れなかった絶望。その思いを感じ取ったのか赤毛の女はロランの髪を撫でる。その髪は酷く乾燥していて、血で固められていた。


 殺してやる。漆黒の男……。


「……分かった」






 ロランの意識がふわりと元に戻る。一瞬の目覚めがあまりにもすっきりしすぎて思わず起き上がってしまった。


「起きたのか?」


 隣に噴水の縁石に座る赤毛の女性が居た。ロランは彼女を見て自分の体を見回す。

 傷一つどころか、全てが元に戻っていた。削ぎ落とされた右手もちゃんと五本生えている。それを確認するかのように一本ずつ指を折り、そしてゆっくりと開いた。


「お前、何をした」

「恩人に言う言葉がそれならば貴様は人に感謝という言葉を知らないだろう。そうだったら私はすぐに殺してやってもいい」


 ロランは起き上がる。回りには騎士は一人も居なかった。彼が殺した騎士の姿も跡形もない。まるで時間が遡ったみたいに血の後も一つなかった。彼を助けた彼女は足を揺らして機嫌がよさそうだった。


「周りに集る蝿どもは蹴散らしたが……邪魔だったか?」

「……どうやって?」


 彼女は右手を前に出す。盛り上がるような力の臨片が見えた気がした。すると血のような赤い炎が彼女の掌から現れる。その炎は伸び、剣のような形を保った。

 ロランは口を開けている。その反応が面白かったのか彼女は笑った。


「自己紹介だ」


 そう言って彼に向かってその炎を投げる。燃えると思ったが目の前で火花が散り、そして霧散した。しかし炎が有していた熱気は確かに目の前にあった。


「私の名はアリス。アリススプリングフィールド。この国迷宮の春の王女だ」

「王女……お前が?」

「信用していないな。貴様」

「証拠がないじゃないか。王族だという証拠はないのか」


 彼女は少し考えると、立ち上がり、不機嫌な顔をする。


「分かった証拠だ」


 といって服を脱ぎ始めた。ロランは目の前で起きた事にびっくりする。すらりと服を脱いで行き背中を見せた。アリスの背中に会ったのはまるで火傷のように皮が引き連れたような痕。その痕はまるで羽のような痕があった。


「私たち王族は背中に翼のような痕を持つ。その翼は左右一対であり、それこそが王族の紋章である。これでいいか?」

「それはいいが、王女がこんな格好を晒していいのか」

「ほう? 貴様が証拠を見せろといって見せたのに感想の一つもないのか?」


 瞳に殺意の炎が宿る。ロランは慌てたようにアリスに謝罪した。


「綺麗だった」

「……三十点だ」

「それはそうと、どうして俺は生きているんだ」


 そう、確かにロランは致命傷を受けたはずだった。槍を腹部に突き刺され、臓器が潰れたと思っていた。服を着終えたアリスはロランの顔を見て言い放った。


「契約だ」

「……契約?」


 ああ、契約ともう一度強く言った。ロランは右手を見たり尽くさされた腹を見たりする。しかし傷一つなかった。


「貴様に私の生命力を与えた。私の生命力は無尽蔵にあるから半分くれてやっても寿命は尽きないのだよ」


 ありえないとロランは思った。

 契約とは、精霊や、神に等しい者が有する能力だ。そもそも契約は双方の同意がなければそれを成立させえる事が出来ない。契約者は契約を申し込んだ精霊から、精霊の力をもらう事が出来、その代償に『体の一部』を与えなければならない。しかし、目の前にいる彼女は人間だった。


「どうして契約できる……」

「私は『人間』ではないからだよ」


 ロランの追及を潰す。アリスは手を胸の上に持って行き、俯いた。


「私は人の形で生まれた存在。アリスという『肉体』があり、アリスという『魂』が保管された存在」

「……?」

「まあ、知らない事もある。貴様は私と運命共同体となった。それだけは覚えておけ」


 争いの音が消え去った。勝利を確信した声が上がっている。国の外から濛々と上がる煙は不思議なくらいに綺麗に感じた。


「そうだ、契約をしたのだから貴様に二つ名をくれてやろう」

「貴様じゃない。俺はロランだ」

「気が変わったら言ってやろう。貴様も私のことはアリスと呼べ」


 分かったと彼は言った。ふふんと殊勝な顔をしてロランの二つ名を考える。


「よし、貴様の二つ名は皆殺しの悪魔だ」

「名前をつけるセンスが全くないと俺は思うのだが」

「ならこれはどうだ! 『聖炎の騎士』。聖騎士に私の力をつけた二つ名だ。私の二つ名は『紅炎の緋女』であるから、私の炎を貴様にくれてやろう」

「……」


 少なかれまともな二つ名だった。


「これからその名を名乗ろう」

「よかろう。では契約の最後だ」


 手の甲をロランに向ける。その甲には紋章が描かれていた。十字に羽根の様な紋章。その紋章に接吻をしろと目が訴えていた。

 彼は変なものにつかまったと思い、片膝を血に付け、アリスの手を取った。


「アリススプリングフィールド。私は貴方のために身を使う事を誓う」


 誓いの言葉。ロランの父がはるか昔、国王の手の甲にそう誓ったというのを聞いた事があった。それを見様見真似でやった誓いの言葉。

 そして、アリスの手の甲にある紋章に接吻をする。



 『迷宮の春』に聖炎の騎士が生まれた瞬間だった。



 戦争でなくなった人の数は騎士と国民を合わせて七百人だった。そのほとんどは新米の騎士団であり、生存者の中で残った騎士の数は二百人と少なかった。その二百人の中にロランは入っていた。

 ロランは傷の手当をしてもらった後、彼の母を火葬した。中身も全て元に戻し、そして家の中に塗られていたちも全て拭き取られ、母が残すものは無くなった。平和が来ると思っていた。このまま続いていくとロランは思っていた。アリスと『契約』をしてから、どうも体の調子がおかしかった。まだ微妙になれない生命の流れがあるのか、それとも昨日の戦争に夜からだの疲れなのか彼は知らなかった。


「ロランだな?」


 騎士団詰め所にロランが入ると位の高い騎士がロランに話し駆ける。新米の騎士は基本両肩に銀の甲冑を付け、そして胴は鎖帷子で戦場に向かっていたが、位が上がると、その装備から、金の刺繍を施された服に変わる。その服は魔法によって強化された甲冑だとフェールから以前聴いたことがあった。

 契約者たちは神獣の一部である力を服に宿らせ、並の甲冑と比べ物にならない防御力があると聞いている。


「はい」

「お前を称えるらしい。身形を整えてガルデス軍隊長の元へ行け」

「……」

「なに嫌そうな顔をしている。もしかすると昇進かもしれないのだぞ」

「光栄な話ですが……俺にはもったいない話です」


 あの時の彼は勝つ事ではなく、自分を護るために、母を護るために、漆黒の男に憎しみを持って戦ったのだ。国のために戦ったという事は一切していない。称されるとしても、彼はとてもされる気ではなかった。

 しかし、軍団長の命令は絶対である。

 上位職の人間の命令は下位職側の人間は受けなければならなかった。それはどこの国でも同じ事であろう。


「分かりました。行って来ます」


 ロランはそういって詰め所を後にした。






 軍団長の広間は詰め所と同じくらいに広い。ロランが軍団長ガルダスの間に入ったのは過去に二回ほどしかなかった。一回は騎士入団試験の説明の時、もう一つは父が国の軍団長をしていた時だ。ロランは扉をノックし、中に入る。ガルダスは歴代の軍隊長の肖像を見ていた。


「ガルダス軍隊長。お呼びでしょうか」

「おお、君に話があったんだよ」


 ロランは右手を左胸に添えるように礼をした。ガルダスは顔をあげよと言った。ロランは顔を上げると、ガルダスは穏やかな顔をしていた。


「君を上に上げようと思うのだが、どう思うか?」

「俺は上に上がるつもりはありません。この騎士団に入って自分の目標を目指しているだけです」

「……そうか」


 低い声が鳴り響く。ロランは少し身震いした。


「酒は飲むか?」

「いただきます」


 ガルダスは机にある酒をグラスに入れ、一つをロランに手渡した。ロランは酒を見つめた。透明に近いぶどう酒はかすかにアルコールの匂いがした。ロランはそれを飲む。

 彼が酒に頼ったのは理由がある。ガルデスと二人、面と面とむけて話すのは初めてだったのだ。過去はノエルが相席して話していたため、ガルダスはあまり話そうとしていなかった。しかし今二人で立って見るガルデスはとても大きかった。ガルデスも酒をあおった後、グラスを机に置く。


「どうだ? 一つ手合わせしないか?」


 舌を出して髭に付いた酒を舐める。そして机にもたれるようにあった全部が刃のような剣を掴み取った。


「……どうしてですか?」

「どうもこうもないだろう? 俺はいま君の力を見たくてな」


 その剣を掴んだ手から血が流れ出る。その剣は血に濡れ、そして刃に『吸い取られた』。


「……!」


 ロランは剣を引き抜く。引き抜く前に根元にその剣が叩き込まれた。


「っぐ!」


 比類なき怪力。圧倒的な剣圧。ロランは威力をいなすために剣を後ろに引き、体ごと後ろにとんだ。一メートルほど後ろに飛んだはずが、軍団長の怪力によって壁まで追い込まれる。剣に添えた左手が痺れていた。


「昨日の君はどこに行ったのだ! あの憎しみで燃え上がった漆黒の男のような容姿は!」


 軍団長は高らかに笑い、剣の峰を舐める。ロランは冷や汗を流した。頬に掠った切り傷。痺れる左手でぐいっと拭う。

 人間じゃないと本能で確信する。剣を構え、睨むように目の前にいる敵を見る。


「そうだ! その目だ。お前の目はまるであの男によく似ている」


 ブツブツと呟くようにロランを見下ろす。


「その目が俺を狂わせた。その目が俺の狂気を走らせる。その目が俺より下のクセに何故そんな目をするのだ!」


 一気に間を詰め、剣を袈裟斬りする軌道に乗せる。その剣はロランには見えなかった。剣で守るようにとっさに横に出した。

 金属同士がこすれる音が響く。


「その剣が俺の心を切り裂いた! お前は俺を狂わせる元凶だ!」

「それはエゴだ!」


 剣を弾き、しゃがみ、ガルデスの足を蹴る。ガルデスの体を崩した所を剣で切り上げる。しかし手ごたえがなかった。左手でロランが振るう剣を握っていた。


「っつ!」

「所詮貴様は子供だ。春駆ける獅子という御曹司なだけで他は何もない。速さがあるだけで力も剣もなっていない」


 剣を引いた。ぱたたと線上に血痕が引かれる。ガルデスは左手を開けると掌の肉は深く切り裂けていた。しかし痛みがないかのように傷口を口まで持って行き、舐めた。


「痛いな。体が鈍っているのだろうか……ははは。それはそうだ。軍団長になってからまともに体を動かしていないからな」

「……」

「そんな顔をするな。貴様は悪くない。その剣を握った俺が悪いのだ」


 左手を横に出した。血がぼとぼとと肉と一緒に落ちる。ロランはもう一度同じ構えをする。


「貴様は契約者を四人だけだと思っているだろう?」

「何?」

「残念ながらそれはデマだ。契約者はこの国の中で五人居るのだ」


 左手に空気中から赤い光が集まりだす。ロランはその光景に驚きを隠せなかった。ガルデスは笑う。邪悪なその顔はもう人間ではない。


「俺も契約者の一人なのだよ」


 そういって左手を掲げ、振り落とす。

 軍団長の部屋が二つに切れた。






 ぱらぱらと瓦礫が落ちた。その二つに割れた部屋の中にガルデスは居た。左手に顕現した赤い光はもうなく、そして傷跡もなかった。

 砂埃で見えない部屋に辟易したガルデスは砂埃の中を歩いた。じゃりと瓦礫と床がこすれる音が響く。

 風が吹き、砂埃は消え去った。


「……」


 ロランはそこに居た。ロランはうつ伏せに倒れており、彼を中心にして血が広がっていた。ガルデスはその姿を見て口を歪めた。


「全く情けないな、貴様は。こんな出来損ないに負けるとは……」


 ガルデスは笑顔を消す。部外者がそこに居たのだ。

 赤毛を有した女性、赤いドレスを着こなし、まるで気品のある口調で話す彼女はアリスだった。彼女はロランを守るようにして右手を前に出し、さらにその目の前に赤い十字架に羽根の紋章が大きく隔てていた。ロランは何も応えず、その場で静かに倒れている。しかし、アリスはそれでも心配する必要はないと思った。彼の右手に父の剣は無い。その剣は少し離れたところに床に突き刺さっていた。


「お姫様がどうしてここに居るのだ?」

「悪いが、この男は私の契約者でね……」


 ガルデスは顔をしかめた。対するアリスはふと笑う。ガルデスはアリスの素性を知っていた。


「ガルデス。いくらなんでもやりすぎではないのか? この男の父に対する嫉妬をこの男にぶつけるのはお門違いだ」

「黙れ、化物が」


 笑止と言わんばかりに声を上げる。アリスは紋章を消すと立ち上がり、瞬間的に作り出した炎の剣でガルデスの首に振るった。その姿を見たガルデスは左手に赤い光を作り出し、アリスの首元に添えた。まさに一瞬の出来事だった。

 その光をアリスは一瞥すると、右手でその光を握る。その光は燃え上がり消え去った。


「紅炎の緋女に手を出すなんて愚か者だな? 『刈り取るもの』よ」


 ガルデスは睨むようにアリスを見た。アリスは余裕の顔でガルデスを見返す。今にも火花が散りそうな空気が張り詰めた。


「ガルデス軍隊長! 大丈夫ですか!」


 タイミングが悪く、騎士が何人か入り込んでくる。ガルデスは彼らを一瞥し、大丈夫だと言った。このときの状況を騎士は思った。この部屋を壊した犯人はそこで寝ているロランだと。

 騎士はロランへと向かう。

 するとロランを守るように炎が湧き出た。


「っ! これは……!」

「私の契約者に触れるな下種ども」


 そういってアリスはロランと騎士の間に入る。金色に光るその目を見て騎士は怖気付いた。


「アリス。ダメだ」


 突然のアリスを止める声。アリスの後ろで寝ていたロランは起き上がった。騎士はロランを見ていた。アリスはその姿を見て苛立った。


「何がダメなのか教えろ」

「そこに居る騎士はお前を守るために居る騎士だ。殺す事を許さない。契約者として命令する」


 アリスはふんと鼻息を吐き攻撃態勢を解き、ロランの手を掴もうと手を伸ばした。ロランはそれを好意だと思った。手を握り、引っ張る力を利用して起き上がった。


「情けない騎士だ。貴様なんぞ騎士を名乗る資格はない」

「裏切りの(レーヴァテイン)。貴様の持っている剣だ」


 アリスは腕を組み、ガルデスを睨んだ。ガルデスはその言葉に眉をしかめ、厳しい顔をした。ロランはその意味が分からなかった。アリスはロランの心を読んだのか、振り返り、ガルデスに背後を向ける。


「奴が持っているのは裏切りの枝。あれは所有者の血を媒介にして怪力と剣圧を生み出す。自分を犠牲にしなければただの剣だ」

「そんなものをどうしてガルデスが」

「この剣は私のものだ。我ら家族が代々受け継いできた剣だ」


 そういって一振り薙いだ。剣圧は衝撃となって走る。


「下がれ、ここは私の分野だ」


 そう言って、もう一度紋章を作り出した。その紋章は壁のように衝撃をふさいだ。

 しかし部屋に入ってきた騎士は衝撃に『喰われた』。

 抉るように甲冑が砕け散り、腹の皮膚と筋肉は食われるように抉れた。


「俺に出来る事はないのか」

「ない。 強いて言うなら、契約者なら私の力が貴様にも半分あるという事だ」

「何を話しているのだ! ロラン!」


 走り向かってくるガルデスの手には赤い光が球体の状態で掌にあった。アリスの目の前にある紋章は一層赤く光り、その紋章に魔力が宿った。


 ぎしい。と魔力同士が犇く音。ガルデスは歪んだ笑顔でぐいぐいと押し込んでくる。


「貴様と私は契約した関係だ。という事は私の力を貴様に渡したのと同じ……ガルデスを打ち倒せるかもしれない」

「俺が……出来る事……」


 剣を振るう。剣。いや。金で装飾されたあの剣では裏切りの枝の間合いに入ってしまい、先に斬られるのはロランのほうだった。


「貴様が考えたとこで何も現状は変わらない。貴様に出来るのは火を操るだけだ」

「火……それだ」


 ロランは床に突き刺さる父の剣を取るために走った。それを目で追ったガルダスはアリスに攻撃をする意味をなくし、跳躍と共にロランの首を蹴り抜く。ロランの視界はぶれた。しかし、意識はまだ持っていかれてない。後一メートルで剣に届く。


「さっさと倒れんか! 貴様!」

「倒れるのは貴様だ! 狂人!」


 ガルデスはその声にはっとし、アリスを見返した。彼女は右手をガルデスに向かって突きつけている。


「小娘!」

「はは、私も落ちぶれたものだ。しかしな、私の契約者を蹴り飛ばしていいのは……」


 右手を包むように真紅の炎が燃え上がる。その炎は揺らめいた炎から魔力の導きにより、紅く光る篭手へと形創る。創造の力。炎を司る二つ名。彼女の力はこの顕現の力に秘められていた。


「私だけだ」


 そしてその篭手は分解するように拡散し、そして一点に集まり放出された。紅い高密度を有した熱線。

 それは触れながらもガルデスへと直撃した。

 熱風が爆発を引き起こし、部屋の中にある生け花が瞬間にして灰燼へと帰した。その花を生かした水も、全てが無へと帰す。


「……やったか……」

「残念だが、俺は契約者だ」


 服が、右腕の服が燃えていた。


「クソ、もう魔力が尽きたか……」

「貴様とは違って契約者の力は自分の身を守るためだけに使うのだよ」


 コツコツと靴音を立て、歩み寄るガルデス。アリスはにやりと笑った。


「何がおかしい」

「いや、私の契約者はどうしたのかなと思ってね」

「何?」




「ガルデス。お前もここまでだ」




 業と灼熱の炎が燃え上がる。

 煙が突然に消え去る。爆風に弾かれたその中心にロランが居た。


「何だ……その力は」


 ガルダスは狼狽する。煙などの視界を妨げるものはどこにもなかった。逆に今目の前にいる存在があまりにも強大だった。その目の前にいるのはさっきまで紅炎の緋女に守られるような弱い人間だった。しかし、もう一度敵対すると同時に光り輝く力が体から溢れているように見えた。ガルダスの手にある裏切りの(レーヴァテイン)はロランから放たれる光に煌く。切先は地面とぎりぎりの線で触れているかどうか分からない。しかし、カチカチとなっている事からそれは恐怖か武者震いか。

 ロランはアリスを横目で見た。アリスはへたり込むように座り汗を流している。若干疲れているように見えたがその顔は笑っていた。


「遅いぞ。馬鹿者」


 その憎まれ口は変わり無かった。彼女は息を整えるために静かに彼らを見ることにした。


「ごめん。後はこっちで大丈夫だから」

「ッ! 貴様ァ!」


 ガルダスはこちらを見ないその態度に腹を立てる。さっきまで震えていた剣を振り上げ、距離を詰めてくる。ガルダスは確かにこの目の前にいる一人の青年に底知れぬ何かを感じていた。恐怖も、何も感じるその体は目の前で切り伏せようとする相手の気にやられていた。しかし、その完全に気が散っている姿からは勝利を確信していた。ぐんと体の体重を加えて振り落とす。まるで降れる剣が一本の光線のような軌道。上から投石が投げ込まれたような衝撃がアリスを巻き込む。軍団長室の床はひび割れ、煙が沸きあがった。

 裏切りの剣は下に降ろされ、地面へと突き刺さっている。

 真っ二つに切られていると確信する。頭蓋から股間までが全て割れているに違いないと。


 砂埃が一瞬にして消え去った。


「……!」


 ロランは無傷だった。唯一、右手が横に出されており、その掌には一本の赤い線が引かれている。その線は血だった。

 ガルダスは理解をした。裏切りの剣が彼を『避ける』ように降りたのだ。


「馬鹿な……」


 裏切りの(レーヴァテイン)は所有者の血と代償にどこの者よりも強大な怪力と、空間を切り裂くような剣圧を生み出す。その力は契約者でも苦戦する力だ。しかし、目の前にいる契約者のロランは先日なったばかり。

 それなのに何故……。


「……軍団長、俺はもうこれ以上戦いたくない」


 ロランはガルダスを真っ直ぐ見つめる。ガルダスは以前と変わらず睨むだけだった。

 対する彼にはもう殺意などの負の感情は無い。このまま殺しあっても何も変わらないのだ。


「負け犬だな。貴様は」

「挑発されても俺は、もう戦わない。この国から出て行きます」


 剣を収め、もう攻撃をしないという態度を出す。その態度にガルダスは怒れた。ざわざわと体から魔力が溢れ出し、額に血管が浮き出る。


「貴様はこの俺にそんな事をしていいと思うのか! 貴様はそんなに俺より上なのか!」


 裏切りの枝を凪ぐ。高速の剣圧をロランは避けた。ガルデスは切り返しをする。しかし怪力で振るわれた剣は重く、腰の筋肉、腕の筋肉が引きちぎれる音がロランの耳に入る。

 ロランはその切り返しも交わして、剣を抜いた。


 一閃。ガルダスが気づいた時にはロランはガルダスの後ろに立っていた。剣を上に振り上げた格好で止まっている。そして剣に付着した血を払い、収めると、ガルダスの腹から血がどっとあふれ出した。


「っぐ!」

「致命傷は避けました。俺はもう、ここに入られない。軍隊長、もう一度言っておきます」

「……」

「俺は上に上がる資格はありません。そしてここから出て行きます。反逆者になりますから……」


 ロランはそういって部屋から出て行った。ガルダスは手に持っていた裏切りの剣を放した。ガルダスの体に重度の疲労が襲い掛かってきた。

 長く使いすぎたかとガルデスは思った。血は裏切りの枝に吸わせ続けている以上、体力の消耗は激しいのだ。


「刈り取るものよ」


 窓からアリスが歩いてきた。体力は回復したのか、ゆっくりとした歩調で歩いてくる。ガルデスはその姿を横目で見た。首も疲労で動かす事も出来なかったのだ。

 アリスはその姿を見下ろし、鼻で笑う。


「何が……おかしい」

「お前も昔は力を純粋に欲しがっていたものだと思ってな。もう昔の事だが」

「……」

「そんなに春駆ける獅子が憎いのか。お前の力を認めず、いつまでも一部隊の隊長を頼まれていた」

「もう、昔の事だ」

「だけど、その昔の事を引き摺るお前が居る。その嫉妬を、憎しみを春駆ける獅子の息子に向けるというのは場違いだと思うが?」


 アリスは説教するように説き伏せている。ガルデスはゆっくりと立ちあがる。もう、さっきまでの殺意はどこにもなかった。

 荒い呼吸をしたまま、ゆっくりと軍隊長の椅子に座る。


「俺の考えは国の考えだ。国王亡き今、反逆者となった紅炎の緋女を追い出すしか他に無い」


 ふっと口を歪める様に笑う。

 紅炎の緋女はそうか。と理解した。


 何故こうもロランと戦う必要があったのか。


 それは邪魔者をこの国から排斥する事に理由があったのだ。アリスは苦い顔をした。その顔を見てガルダスはもう一度笑う。


「さあ、早く出て行きたまえ」


 アリスはガルデスを睨んだ後、軍団長の部屋から出て行った。






 ロランは鞄一つも持っていなかった。服を軍隊服から私服へと変え、国の門まで歩いていた。

 彼は何も失くすものは無かった。これ以上失くすものがあるといえばこの腰に刺さる剣だけだろう。その剣は大事なもので他の剣よりも頑丈に出来ている。

 だから、滅多に折れるものではないとロラン自身も思っていた。


「おい! 私の契約者!」


 後ろから声がし、ロランは振り返った。そこにはアリスが居た。


「何だ」

「なんだじゃないだろう! 私も反逆者になってしまった」

「それでどうすると言われても困る」


 なぜなら、ロランは助けなど呼んでいなかった。勝手に出てきたアリスが手を出した事によっての反逆だったのだ。もしこのまま何もしないでいれば、アリスは反逆者として国から出る事は無かった。

 だからといって、ロランはあの時動けるわけではなかったのだ。しかし、助けなど全く必要としていなかった。

 自分が死ねば、母さんの元に行く事が出来るからと思ったからだ。


「俺が死ねば、軍隊長の憎しみは取り払われた……」

「馬鹿じゃないのか!」


 アリスは走ってきてロランの胸倉を掴む。アリスの金色の瞳が目の前にあった。その目には涙が流れていた。


「貴様が居なくなって悲しむものは確かに少ない。誰だって誰かを憎しみ、怒り、愛しみ、悲しむ。だけどな、誰もがその人が居なくなってもいいと思ってないのだ! 少なくともロランお前は死んではいけない存在なのだ! 私にとって死んではいけないのだ!」


 ぎりりとただでさえアリスの白い肌である手が力を込めすぎて蒼白に鳴る。もしこのまま握り続ければ皮膚は裂け、血が滲むだろう。


「どうしてそんなこといえる。俺とアリスはまだ昨日あったばかりだ」

「そんなの関係ない!」


 一刀両断する。アリスは声を張り上げて彼の前で叫んだ。

 ロランはその声と、彼女の必死な説得に驚いていた。

 どうして、そんな事がいえる。どうして、俺に生きて欲しいと思っているのか。よく分からなかった。


「ロランが護っていた大切なものは確かに無くなった。貴様を大切に育て上げてくれた春駆ける獅子も、昨日の戦争で殺されたお前の母も、大切なものは無くなって死んでもいいと思うのは間違っていない。だけど、私が居るじゃないか!」

「お前?」

「私とロランは契約した! 私たちは契約した以上、離れる事も許されない仲なのだ! だから私はロランのために生きて生き延びて逃げ切ってやるから、貴さ……ロランの隣に居るから! ……貴様は私を護ってくれ! そして私の隣に居てくれ! 私の大切なものはロランだけなんだ!」

「……」


 必死な顔で、ロランを説得するアリアを見て、彼はなんと言うわがままな奴なんだと思っていた。

 言ってる事は横暴で、無茶なこと言って、必死な顔をして、俺を生きさせようとするその姿に、ロランは……。


「分かった。俺はお前を護るために生きよう」


 そういって彼女の条件を飲み込んだのだった。その答えに彼女は笑顔になる。全くとんでもない者と契約してしまったなと彼は思った。


 そして二人は肩を並べて国を出る。一人は軍隊長を負傷させた事による反逆罪。そのものは前隊長の息子であり、国から異端の子として畏怖されていた。

 対するもう一人は、国の王女。彼女は人の形をしていながらも神の力を有しており、契約をしていないながらも、『紅炎の緋女』という異名を持っていた。


 その二人の話はとりあえずここまでとなる。

 その後の話しだが、迷宮の春と呼ばれた国はその二人が去った一月後に滅んでしまった。その話を聞いた二人はその時青ざめたという。


 一人の幼い少女が国を滅ぼしたという話だった。

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