置いて行かれるのは嫌だ ~ステップ・バイno.5
STELLA-Rootsの収録が終わったのは、夜の9時を回った頃だった。
テレビ局の廊下には、まだ慌ただしい空気が残っている。スタッフが台車を押し、別番組の出演者が行き交い、どこかのスタジオから微かに拍手の音が漏れてくる。
その喧騒の中を、紬は楽屋へ戻った。
「お疲れー」
ドアを開けると、メンバー達が思い思いに荷物を纏めている。
「つむちゃん、明日誕生日じゃん。おめでとー」
飛雅が言った。
「だから?」
「だからって。普通はもうちょい嬉しそうにするだろ」
「28とか別に嬉しくねぇし」
「うわ、老けた」
「28で老けたとか言うな」
笑い声が上がる。
いつもなら紬も笑って返していた。でも今日は気分が乗らなかった。スマホが視界に入る。数週間前に届いたメッセージ。結流ちゃんからの。
『ごめんなさい。仕事で、誕生日一緒に過ごせなくなりました』
それだけ。
誕生日、一緒に過ごそう。・・・紬にしては珍しく、何度も書き直して送った誘いだった。
返事はすぐに来た。
『お願いします』
その短い一言が嬉しくて、柄にもなく何度も画面を見返した。
なのに数日後。届いたのは、約束を断るメッセージだった。
悲しかった。
淋しかった。
色んな感情がごちゃ混ぜになっていた。
別に自分の誕生日なんてどうでもいい。誘う口実の一つくらい。そう思っていた。思っていたはずなのに。
結流ちゃんだけは違ったと思っていた。俺だけは特別だって、そう言ってくれると思っていた。売れ出したばかりの結流ちゃんに仕事が増えるのは、素直に嬉しい。急に仕事が入ってダメになるのもわかる。
でも。
ほんの1時間でも2時間でも会えないのかと。
期待していた、勝手に。だから余計に腹が立つ。
「つむちゃん?」
飛雅の声で我に返る。
「何」
いつもより無愛想な態度の自覚はある。
「聞いてる?」
「聞いてない」
「素直かよ」
また笑いが起きる。
紬も適当に笑った。誤魔化すように。
「俺先帰る」
「あーい、お疲れ」
「明日祝ってやるからな」
「いらねぇ」
「強がるなって。誕生日配信やろう」
「俺も、行くわ。連絡ちょうだーい」
「うるせぇ」
軽く手を振って楽屋を出る。
ドアが閉まる。
笑い声が遠ざかる。
蛍光灯の白い光が床に反射している。
その光景が、ふと昔を思い出させた。
まだデビュー前。
研修生時代。何年も何年もバックで踊っていた頃、隣にはいつも同じ奴がいた。コンビみたいなものだった。『ショウツム』と一部のファンからは呼ばれていた。
振り入れも一緒。レッスンも一緒。終電逃してファミレスで朝まで一緒に時間潰した事もある。お互いデビューして売れると信じていた。信じるしかなかった。
だけど。
『俺、就職するわ』
もう大学も卒業。
区切り。
現実。
そいつは普通にスーツを着て、普通に社会人になった。
あっさり。
俺を置いて。
アイツだって、夢を諦めたわけじゃない。
ただ選んだだけだ、まともな人生を。
だから責められなかった。責められなかったけど、置いていかれた側の淋しさは残った。
デビューできない。未来が見えない。・・・いつまで、この生活を続けられる?
・・・いつまで続くのか?
そう思うのは、自分より年下の、研修生歴も短い奴等がデビューしていくのを見てしまったからだ。
紬は、昔から顔は少しイイ自覚はあった。ダンスも歌も頑張ってる。
でも一番じゃない。
上手いね。すごいね。
その評価で終わる。
もっと上手い奴がいる。もっと華のある奴がいる。
一番じゃなければ埋もれる。
でも一番でも売れるとは限らない。
・・・そんな世界。
何度も辞めようと思った。
何度も置いていかれた。
その度に紬は一人残った。
だから・・・。
置いていかれるのは嫌だ。
大嫌いだ。
「佐伯さん?」
不意に声を掛けられた。
紬が顔を上げると、最近少しずつバラエティ番組で見かけるようになった若手タレントがいた。
二十代前半。茶色く巻いた髪。流行りを詰め込んだような服装。
「あっ、やっぱり佐伯さんだっ!」
「どうも」
「私、ファンなんですっ!」
「ありがと」
「本当に? めちゃくちゃ嬉しい!」
距離が近い。近いというか近すぎる、初対面のはずなのに。
「今日収録だったんですか?」
「うん」
「すごい偶然ですねっ!」
そう言いながら、自然な動作で腕に触れてくる。馴れ馴れしい。普段なら営業スマイルで流す。でも今日の紬は何も言う気になれなかった。
「佐伯さん、この後予定あります?」
「別に」
「じゃあご飯行きません?」
「は?」
「一回話してみたかったんです」
にこにこ笑う。そして当たり前みたいに腕を組んできた。
香水の匂い。甘い香り。少しきつい。
紬は眉を寄せた。・・・結流ちゃんなら、柑橘系のをほんの少し。わかるかわからないかくらい・・・思い出しかけたものを振り払う。
腕にふれられた瞬間、視界に入ったものがある。腕時計。海外高級ブランド。100万を超えるやつ。妙にギラついて見えた。
その時、また結流ちゃんを思い出した。結流ちゃんの腕時計。国産メーカーの量産品。そこらの店で買ったと言いそうなやつだった。文字盤のガラスに傷も少し付いていて。たぶん値段だって全然高くない。
でも。
会う度に似合っていた。・・・結流ちゃんらしいなって。
そんな事を思っていた。
思い出した瞬間、胸が痛くなる。
だから紬は無理やり考えるのをやめた。
振り払う。
押し込める。
「佐伯さん?」
「・・・どこ行くの」
「え?」
「飯」
女性がぱっと顔を輝かせた。
「行ってくれるんですか!?」
「腹減った」
「やった!」
腕にしがみつく力が強くなる。
紬はそれを振り払わなかった。一人でいたくなかった。結流ちゃんの事を考えたくなかった。このまま家に帰れば、ずっと考えてしまいそうだった。
だから。
それだけの理由で、紬はそのまま彼女と並んで歩き出した。
テレビ局の自動ドアが開く。
夜風が吹く。
なのに胸の中だけが、ひどく重かった。
紬が事務所に呼ばれたのは、本当に久しぶりだった。
STELLA-Rootsほどの売れ方になると、本当に細かな調整まで全てマネージャーが処理する。
スケジュール管理。移動の手配。テレビ局との交渉。雑誌取材の事前打ち合わせ。企業案件。何なら、その打ち合わせすら移動中の車内で済む事も珍しくない。
だからこそ。
わざわざ事務所へ来いと言われた時点で、ろくな話ではないと分かっていた。
会議室の窓の外には、夜の街が広がっている。
高層階。
ガラスに映る自分の顔は、思った以上に疲れて見えた。
「それで?」
紬はソファに深く腰掛けたまま言った。
「何の話ですか」
向かいには担当マネージャー。隣には法務担当までいる。
嫌な予感しかしない。
マネージャーは資料を机に置いた。
「週刊誌に写真が出る」
「何の?」
「熱愛発覚」
紬は思わず鼻で笑った。
「止めてもらえません?」
「何を」
「いつものやつですよ」
紬は肩を竦める。以前、何回か写真を撮られて、ごまかしてもらった事があった。まあ、それも紬のためというより、売り出し中のタレントのイメージ維持のためだ。それくらいはわかっている。
「発売前に差し替えとか、掲載見送りとか。得意でしょう、そういうの」
「今回は無理だ」
即答だった。
「何でですか」
その答えに、紬はようやく違和感を覚える。売れ始めてからは、無理な事も、多少は融通してもらう事は何度もあった。それが出来ない?
「熱愛なんてしてませんよ」
「知ってる」
「知ってるなら終わりでしょう」
「終わらない」
会議室の空気が重い。マネージャーは珍しく煙草も吸わずに腕を組んでいた。
「相手が悪かった」
「だから誰ですか。おれ、最近何もやってませんよ」
結流ちゃんの顔がちらつく。思わず抱きしめた・・・あの時の、柑橘系の香水を思い出した。同じものをつけていても、結流ちゃんがつけていると違って感じた。
思わず軽くキスしたけど、それ以上何もやっていない。あのまま腕を緩めず、何なら口先だけで丸め込んで、部屋まで入る事も出来ただろう。
でも、やっていない。やろうと思えば簡単にできただろうけど、・・・やっていない。
最近、会ってもいない。メッセージも見ただけで、返信さえしていない。
机の上に、雑誌のゲラ刷りが投げられる。
紬は一瞬、目を見開いた。
先日、声をかけてきたタレントだった。
腕を組まれた瞬間。
店へ入るところ。
店を出るところ。
見事なまでに撮られていた。
「うわ」
思わず声が出た。撮る角度、両方の顔がしっかりわかる点、周囲の雰囲気まで写っている。
「・・・プロだな」
「感想そこか」
「だって綺麗に撮れてるじゃん」
軽口を叩きながらも、内心は冷えていた。完全にはめられた。そんな感覚があった。
「相手の事務所から連絡が来てる」
「は?」
「今後とも良いお付き合いをお願いします、だそうだ」
一瞬意味が分からなかった。
「・・・何それ」
「そのままの意味だ」
「意味分かんないんですけど」
マネージャーがため息を吐く。
そして、ある事務所名を口にした。芸能界にいる人間なら誰でも知っている、大手。影響力も資金力も桁違い。テレビ局への発言権も強い。
「それがどうしたんですか」
紬は眉を寄せた。
するとマネージャーは苦々しい顔で言った。
「このタレント、最近やたら売り出してるだろ」
「ああ」
「ごり押しが酷いと思ってたんだが」
そこで一度言葉を切る。
「社長が愛人に産ませた娘らしい」
沈黙。
「・・・は?」
「俺も昨日聞いた」
「いやいやいや」
紬は思わず笑ってしまった。笑うしかなかった。
「何その昼ドラ」
「笑えねぇんだよ」
「マジですか?」
「マジらしい」
頭が痛くなる。芸能界なんてそこまで綺麗な場所じゃない。売れなくなって、・・・一般人の生活に戻れる奴はいい。金銭感覚も、生活感覚も、全てが一般人とは違う。それができない奴は落ちていくしかない。誰かのヒモになるなら、まだマシな方だ。
そんな事は分かっている。分かっているけれど、だからと言って納得できる話でもない。
「待って」
紬は額を押さえた。そのおままごとに付き合わされるのか、俺。
「冗談じゃないんだけど」
「だろうな」
「付き合ってません」
「知ってる」
「今回、本当にちょっと飯行っただけです」
「知ってる」
「俺、相手の名前すらうろ覚えなんですけど」
「知ってる」
「じゃあ何でこうなるんですか」
「芸能界だからだ」
あまりにも身も蓋もない答えだった。
紬は舌打ちした。
「最悪」
「まだ続きがある」
「聞きたくない」
「聞け」
マネージャーはスマホを取り出した。
「二回目のお誘いも来てる」
「嫌ですよ」
即答だった。それ以外、紬に答えはない。
「絶対嫌」
「だろうな」
「断ってください」
「断れない」
「何でですか」
「オマエが行かないと」
マネージャーが静かに言う。
「・・・どこかの仕事が飛ぶ」
会議室が静まり返る。窓の外では無数の灯りが輝いている。
なのに急に息苦しくなった。
「・・・」
冗談ではない。
紬一人の問題なら断る。幾らでも断る。
だが。
飛ぶのは自分の仕事だけじゃない。
グループかもしれない。
メンバーの仕事かもしれない。同じ事務所の、他のグループかもしれない。
スタッフかもしれない。
誰かの生活かもしれない。
それが分かる年齢になってしまった。
「最低っ」
紬は絞り出すように言った。
「芸能界って最低っ」
「今さら気付いたのか」
マネージャーは苦笑した。
紬はそれには答えなかった。脳裏に浮かぶのは結流ちゃんだった。真っ直ぐで、不器用で。一所懸命で。こういう世界の汚さにまだ慣れていない。・・・まだ綺麗なまま。
もし結流ちゃんがここにいたら、どんな顔をするだろう。
多分。
怒る。
そして泣きそうな顔をする。
そんな姿を想像してしまって、紬は余計に苛立った。
会いたくてたまらない相手とは会えなくて。どうでもいい相手との食事だけが増えていく。
それがひどく滑稽だった。
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