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びょーきの男  作者: ほかほか


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 男は定職にもつかず、日雇いの生活をたまにすることと親からの仕送りで生活をしていた。ある日男はくだらない理由で仮病をつかい病欠してしまった。日雇い業者によれば、診断書や領収書がなければ出勤希望を今後断ることもあるという。深刻に受け止めた男は、急いで近場の病院へ駆け込むのであった。




 家から車で15分。どうしようもない焦りが胸を駆け回るのを感じながら男は車を走らせた。ただですら金がないから、日雇いの生活なのだ。なぜ診察代まではらわにゃならんのか。そりゃ日雇い業者にだって信用だの効率だのがあるのだ、ということはわかっていたが、それらを差し置いても人を疑うことの合理について嘆くほかなかった。




 大きな坂を上っていく、やがて目に入る清潔感の化身ともいえる白い巨塔。これが棉堂草市総合病院である。男は立体駐車場で車を降りると、病院の自動ドアに書いてある診察時間に目が入った。あと2時間でこの病院は閉まる、ここはかなり人気であるため、自分の仮病の診察のために、もし自分の後ろにいる人間が診察できなかったとしたら。そう考えると、昨日まであまりうずかなかった鼻腔や喉に違和感を意識し始めた。そうだ、自分は病気なのだ、誰が何と言おうがこの違和感は本当なのだ。そう自分に言い聞かせると、男は病院の門をくぐった。




 その時、男の前を親子が通った。きっとあのやけに元気そうにはしゃぐ子供が病気なんだろう。でなきゃ親子では来ないからな。そんなことを考えると、なおさら先ほど脳裏によぎった疑念が濃くなる気がしたため、男は受付へ向かう足を速めた。




 男は受付に着くと、ぎこちなく話しかけた。緊張もあったが、静かすぎる院内に怖気づいたこともあった。




「すみません、初診なんですが」




受付係は慣れたように答えた




「そうなんですね、ではこちらのマイナ保険証か資格証明書ををお預かりさせていただきます」




 男がいつものように、財布の中から保険証を出して見せる。すると受付係は何かわかったように話した。




「あぁ~すみません。保険証はもう使えないんですよ」




 男は、途端に焦りを感じた。受付係が提示したもののどちらも自分は持っていないというのと同時に、自分の目論見を見透かされたような感覚があったからである。そんなことなど気づくはずもなく、受付係は優しく確認した。




「もしどちらもお持ちでないのであれば、10割負担という形にはなってしまいますが、後ほどマイナ保険証や資格証明書と領収書をお持ちいただければ一部返金させていただくこともできますが」




 男はさらに焦った。なぜならば10割といわれたところで、元の金額など保険証を使ってきた男にとっては皆目見当もつかなかったためである。この時ほど自分が自動車でなかった日を恨むことはなかった。自動車だったなら見積もりがとれたであろうから。




 少し、とはいっても男にとっては5分のように感じたが、いずれも悩んだ末に男は言った




「ちょっと一旦確認して出直します」




 家路を進む人間の情けなさに、もしギネス記録があるならば、男はすぐにでも塗り替えただろう。




 次の日になると、男は10割負担の覚悟を決め病院へと舞い戻ってきた。男の足取りは重く、しかしその歩みは昨日の情けなさを忘れるほどに勇猛であったと本人は語る。受付に着いて一言。




 「診察を受けたいのですが、初診です」




 昨日とは違う受付係が、これまた慣れたように答えた。




 「マイナ保険証か資格証明書をお預かりします」




 そう言い終わるとほぼ同じくらいに男は言った。




 「10割、10割負担で」




 すんなり受け入れた受付係が続く




 「10割負担ですね、あとからマイナ保険証か資格証明書、それから領収書お持ちいただければ負担額分の返金がされますので良ければお使いください」




 男はかみしめるような顔で話を聞き、適当な相槌を打った。この病院へ舞い戻るまでの19時間。男の頭の中では莫大な計算が行われていたためである。10割負担、今月の仕送り、クレジットカードの引き落とし、水道光熱費、その他諸々の費用。日頃そのことについて考えないことだけを楽しみとする男が19時間向き合い、財布に一万円を差し込んで来た。これ以上語れることはもうないだろう。そんな男の事情など、知る由もない受付係は話を続けた。




 「では、この17の番号札をお持ちになってお待ちください」




 男は案外すんなりことが進んだことに、少し面を食らいながらも、動揺を隠すためゆっくりと待合席に腰かけた。20分ほどして男の番号が呼ばれた。部屋に入るとまず、診察用のアンケートが手渡された。男がスラスラと書き終えると診察が始まった。最初に医師が口を開いた。




「じゃあね、えぇ~、今日はどしたの」




 男はできる限り眉を寄せ、深刻そうに歯の隙間から息を吸い告げた。




「実はぁ、なんか鼻の奥が腫れてるというか。こう喉の方の鼻の根っこ、のところから変な臭いもするしぃ」




 医者の訝し気な顔を見て、男はスプリンクラーのように言葉をまき散らした。




「なんというかこれは副鼻腔炎みたいなことなんでしょうかね、こうなんか設営のバイトをしたもんでその埃が鼻の中に入って、鼻の中で炎症を起こしたっていうか、もうなんというかそんな感じです」




 医者は何か納得したように、コクコクと頷くと銀色のヘラを取り出して話した。




「じゃ、診てくから口開けてねー」




 男は言われるがままに口を開けた。口に入れられたヘラが徐々に体温になるのを感じた。




「次、鼻みてくよー」




 逆作用ピンセットのようなもので鼻が広げられる。男は願った、自分は鼻炎持ちなのだ優しくしてくれと。一通りの検査が終わり、医者が告げた。




「まあ、軽い炎症はあるね。大丈夫そんなに深刻じゃないから」




 そして、医師は先ほど男が書いたアンケートに目を通し、目を剥いた。食い入るように読みだすと医師は男に向いていった。




「ちょっとほかの先生にも見てもらうから、待っててください」




 何やら大事になる気配を感じたが、男にとっては好都合であったため、なんとでもないような顔で男は了承した。しばらく待って、別の青い白衣の医者が姿を現し男に挨拶をした。




 「どうも、桜井です。先ほどアンケートを読ませていただきました。どこから話せばよいものか」




 男は桜井がしばらく悩んでいるのを見て、遅れて事の重大さに気が付いた。心配になった男が桜井に言った。




「あ、あの僕の体がどうしたんですか、軽い炎症とかじゃ」




 しばらく俯いていた桜井は、何か覚悟を決めたように男の顔を向き言う。




「残念ですが、あなたはホースディア―症候群です」




 男が説明を求めると桜井は続けた。




「従来、天然だとか、注意散漫だとか物忘れが激しいだとか、お金の管理ができないだとか、10割負担で診察代を払うだとかそういったことの原因というのは、性格として捉えられあらぬ差別の元となってきました。しかし現代医療、特に心理学の分野の進歩によってこれらの原因というものが明らかになってきているのです。そして、その病名こそがホースディア―症候群なのです」




 男はなんだか諦めるような顔をした。男は自分がホースディア―症候群であることを薄々気づいていたからである。普段から何かと物を無くしたり、忘れ物をしたり、そのくせ被害者意識が強くどこか社会に馴染めずにいたからである。しかし、もし自分がホースディア―症候群でなかったとしたら、そんなことを考えるだけでなんだか人生が否定される気がしたのだ。そのことをいくらか察したのか、桜井は続けた。




「大丈夫です。治療薬もあります。この国ではホースディア―症候群が発見されたことで、その人口の多さから結構研究も進んでるんです。公表している有名人だっていますよ」




 男は別に、そんなことで安心できるほど悠長ではなかった。むしろその無駄なことにだけ発揮される賢しさが不安を加速させた。有名人はいい、有名であるということは欠点を補えるほどの素晴らしい点があるわけでそれで食っていけるわけであるから。自分はどうだろう。ただですら日雇い、そのうえ親のスネで出汁をとっている。こんな人間に新たな制約が追加されて何になるというのか。こう言うでしかないであろう桜井が話した。




「では、お薬だしときますんで、お大事に」




 男は小さくお辞儀をし、診察室から出た。なんだか同じ室内であったのにさっきより肌寒さを感じた。そのまま通路を進む。これからのことをいくつか考えようと思ったが、そもそも自分は今までと変わるわけでもないし、むしろ改善されるのだと思えばいくつか希望が湧いてきた。待合席に腰かける。なんだか気分は軽く、大きな窓から差し込む日差しが暖かかった。診察代は11000円であった。

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