ep12:魔物の眼
視界が、割れている。
世界が、ひび割れている。
目の前が濁って、滲んで。
目の奥が、痛い、熱い、壊れる。
……っ、何だ、これ。
「……神経の接続は良好、適合後の拒否反応も見られない、のぉ。この種故の結果なのか、小僧が特殊なのか。ふむ、まとめておくかの」
施術は終わったのか、白衣の老害は、ボクになんの説明もなく離れていく。
「えぇ? ねぇ、おーい、聞こえてますー? 何で放置するのさ、えっ、これ本当は施術ミスしてて隠蔽工作でも「黙っとれ」
──トスッ。
何かが、刺さる。
見れば、注射器が刺さって……え?
遅れて、体中にぼんやりとした感覚が広がる。
あれ、なんか、これ、ぼんやり、して……あれ?
「ま、すい? ない、って……」
ボクの声に振り返った白衣のジジィは、ニヤリと嗤い
「あれは嘘じャ。ほっほぉ」
……フハッ、なんて、愉快でクソッタレな老害なんだ。
視界が、滲む。
老体の輪郭が、二重にブレる。
目の前が、真っ黒に、なっ──
◇◆◇
目の前が、濁っている。
視界の全てが、同じように濁って見える訳ではない。
右の視界からは、目に映るものによって、濁り方が違って見えた。
よく見ると、空気中にも微細な濁り、淀みが映る。
左目を閉じ、右目だけを開く。
中央のひび割れた硝子みたいな視界が、クッキリとする。
……そういえば、ボクの効き目は右目だったらしい。
調べた事すらなかった。
微妙に、焦点の合わない視界だ。
目の前にあるコップも、いつものように取ろうとすれば、手が横にズレていて、コップが床に落ちるだけ。
手の中には、何も無い。
「フフハッ! やってくれたねェ、クソジジィ。」
「なんじゃ、嫌だったかのぉ?」
「いいや、最高だね」
"いつも"を失う事に悲しみや苦しみなんて浮かばない。
『日常』のままだったら、こんな体験、到底起き得なかったのだろう。
「楽しいなぁ。この濁りは何なのかな? このひび割れは? 見えにくいなぁ、面白いなぁ、フハハ♪」
「騒がしいのぉ、クソガキめ、ククッ」
狭くボロい部屋の中、笑い声が響く。
ボクと老害の『笑い』は、同じように見えて、交わらない。
あぁ、痛い。
赤い雫が、床に一滴。
◇◆◇
手を動かすと、それと同時に、向こう側の手も同じように動く。
顔を近づけていく。
濁りぼやけた視界が晴れていき、色が鮮明に映る。
綺麗な紫色だ。
瞳孔は、中央のひび割れた硝子みたい。
見た事のない、異様な形状。
それが、右眼だけ。
左は黒で、右眼だけが異常な容貌。
フハハ、歪なものだね。
「それで? これは、なんのやつから?」
「スライムからじゃ。その眼と同じような色をした、その眼を譲ってくれおった連中が言うには、『ポイズンスライム』と言っておったのぉ……。てっきり、毒で視神経ごと焼け落ちるものかと思っておったが……」
相変わらず、倫理を知らないジジィだ。
せめて、その事実を言わなきゃいいものを。
……いや、そんなだから被験者がいなくなるのか。
なんて、どうでもいい事を考える。
無意識に、もはや手癖のように、あの熱を弄っていた。前よりも心なしか、柔らかい。
「なんかこれ、濁って見えるんだけど、何、これ」
「濁る、とな? 元が魔物じゃしのぉ。人型魔物の眼球は、他にも実験しているやつがいるから比較出来るが、いかんせんスライムだからのぉ。ポイズンスライムの性質から考えるしかない、かのぉ。ふむ」
…………。
さっきからよく回る口だな。
糸目、というか、瞳孔すらも見えない老害を見て、ぼんやりと、そう思った。
怪訝そうな顔をした老害を見る限り、多分口にも出ていた。
「さっきからよく回る口だね」
「……二度も言うな。クソガキめ」
思わず、笑みがこぼれた。フハハ♪
◇◆◇
「──と、まぁ観察した限りはこんな感じじゃ」
ボロッボロのホワイトボードに指差して、一通りの説明を、白衣の老人が終えた。
……殆ど聞き流していたけど、それでもある程度の理解が出来ている。
さてはこの老害、頭いいな?
…………。
……そもそも、頭良くないと手術なんて出来ないか。
「じゃあ、毒関係の性質があるってコト?」
「……それは前提じゃ。小僧、ほとんど話を聞いておらんかったのか? ……はぁ、まぁよい。とりあえず何が濁って見えるか教えろ」
即座に、老人を指差す。
そうすると、老害は青筋を立てて
「煽って、おるのかのォ。クソガキ」
「いいや? 事実さ。君の顔も濁って見えるんだ。……ん? ていう事は……」
自分の顔が濁っている。
そんな自覚があったのだろうか。老化とは哀れな。
ニヤケながら、びみょーに俯く老人の顔を覗き込む。
──トスッ。
視界が暗転した。図星かよ、クソジジィめ。
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ep12:魔物の眼




