ep8:都合良く、なんて。
赤鉄の大剣が、落ちてくる。
背後で、そんな気配がした。
終わる、終わってしまう。
こんなところで。
せっかく、こんなに楽しいのに。
今までで、一番笑えたのに。
ようやく、色鮮やかに見えたのに。
終わってしまう……。
──終わってしまう、はずなのに。
……熱い。
熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い熱い。
頭がぼーっとする。
目を向けた先にある大剣は、ものすごい速度で振り下ろされているはずなのに、やけに、ゆっくりと見えた。
なんだか、妙に冴える。
肌に触れる空気の動きが、鈍い。
呼吸の間隔が、ものすごく、長く感じて。
右腕は動かない──はずなのに、感覚もなしに、身体が勝手に立ち上がった。
なんで、動けるんだろうか。
身体が、とっても熱い。
ぼんやりとした思考の中。
のんびりと、水の中のように揺れ動く、世界の中。
そんな事を、考えた。
……ふと、魔物の方を見る。
驚愕。
そんな色を見せて、魔物は、その動きを止めていた。
◇◆◇
……なんだか、あぁ。
出来る。
全能感、とでも言うのだろうか。
理由なんて分からない。
けれど、今なら何でも出来てしまいそうな、そんな感覚が、熱く、身体の奥底から、湧き出てくる。
「…………」
左の拳を、握る。
踏み込み。
地面が砕け、視界が、一瞬で魔物に迫る。
左腕を、振りかぶって、
急な変化に驚いた魔物は、すぐに赤鉄の大剣を、己の身を守るかのように構えていた。
熱が、集中する。
空気が、震える。
足元の瓦礫が、触れてもいないのに、じり、と焼け焦げる。
拳の周囲だけ、景色が歪んでいた。
逃げ場が、削られていく。
空間そのものが、圧縮されているようだった。
一撃。
人間には到底出せない、ありえない、轟速。
身体から湧き出る、尋常じゃない程の熱が、意志もなく、一点に収束する。
血管が裂けても構わない。
骨が軋んでも止まらない。
左腕の中で暴れるナニカを、そのままにして、解き放つ。
直撃すれば、終わる。
赤鉄の大剣ごと。
外殻も、肉も、核も。
潰れ、弾け、形を失い、跡形もなくなる。
そういう未来しか、思い浮かばない。
それだけの、一撃。
ただ、あの魔物にぶつけて──
──コツンッ
「ぁ、え?」
軽い。
あまりにも軽すぎる、音。
想定外。潰れない、弾けない……ふははっ──
──次の瞬間、腹に衝撃。
とんでもない勢いで、飛ばされる。
視界が、グワン、グワンと、回転する。
壁を突き抜け、瓦礫を突き破って……
「ゴハッ、ァ、ァ……」
ここ、ど、こ?
息が、出来、ない。
暗い、何処か。
埃。
身体が、沈む。
……甘い、よなぁ。
覚醒して、大逆転、なんて。
そんな都合のいい、絵空事、あるわけないのに。
僅かに残る思考で、そんな事を考えながら。
◆◆◆
──ズン、ズン
重々しいナニカに押しつぶされる、瓦礫の音が。
ガタガタと引きずられる、巨鉄の音が。
ゆっくり。確実に。
こちらへ。
ボクの元へと、近づいてくる。
……さ、むい。
さっきまでの熱が、嘘のように、消えている。
身体中の傷口から、血が流れ出している。
握りしめて、引き絞った左腕からも、もうほとんど感覚がない。
踏み込んだ足は、今にも壊れてしまいそうだ。
頭が、ぼーっと、して。
とっても、痛くて、寒くて。
「 」
口からは、空気だけ。
声も、出てこない。
あ、ぁ。
──ギィィィィン!!!
遠くから、崩れ落ちる、瓦礫の音。
前に、目を向ける。
壁の隙間から、ソレは姿をのぞかせて。
そこには、やっぱり、赤色に輝く、巨大な鉄の剣を持った、魔物がいて。
「 」
見つかっちゃった、なんて言うように、口を動かして、そして口端を持ち上げて、魔物を見る。
……あぁ。
足音が、鉄の匂いが、魔物の気配が、どんどん、近づいてくる。
死の気配が、こちらへ向かってくる。
嫌だ、まだ嫌だ。
まだ死にたくなんてない。
まだこの人生を生きていたい。
やっと楽しくなってきたのに。
やっと素晴らしくなってきたのに。
ふざけるな、こんなところで死ぬなんて、つまらなすぎる。
少しでも、逃げようとして。もっと、生きようとして。
必死に足掻こうと、もうほとんど動かない左腕を、足を、皮膚が削れ血が出ようと、必死動かして、火事場の馬鹿力でも、内に秘める力でも、なんでもいいから捻り出そうとして……。
──ギィィィィン!!
近くの壁が、吹き飛んだ。
見れば、魔物はもうすぐそこまで来ていて、しっかりと、ボクの姿だけを見て、迫っていて。
あぁ、嫌だ、ダメだ、ダメだダメだ。
まだダメだ。死ぬのはダメだ、嫌だ、嫌だ。
まだ嫌だ。まだ楽しみたい。あぁ、あぁ、嫌だ。
何か出ろよ、出てくれよ。
あの熱は、もうないのか? もう出てきてはくれないのか。
嫌だ。まだ楽しんでいたい。楽しめなくなるなんて、面白くない、つまらない、楽しくない、嫌だ嫌だ。
って、ぁ、れ?
何? 煙? なんだ、これ。
何故か、身体から、湯気みたいのが出ていた。
……でも、ただ、それだけだった。
たった、それだけ。
それ以外、何も出ない。
期待していた、秘めた力なんて、火事場の馬鹿力なんて、出てこない。
そんな、つまらない現実を叩きつけられた気がして。
でも、それでも諦めきれなくて。
何か、何でもいいから、そんなナニカを必死に探して……
……?
僅かな、ほんの僅かの違和感に、
ようやく、気がつけた。
──魔物が、ボクを見失っていることに。
身体から出た、変な湯気のようなものに、目が行っていることに。
これだ、これだ……ッ。
感覚は、身体で覚えている。
いける、これなら。
身体中の何もかもを出し切るように、意識が朦朧としてきても、とにかく出し切るように、この煙を、唯一の道筋を。
煙はそこら中に広がって、
やがて魔物は、ボクを完全に見失っているようだった。
ボロボロの身体で、どうにか壁に擦り寄って立ち上がり、逃げ──
──ギィィィィン!
──ギギィィィィン!!
──ギギギィィィィン!!!
大量の、空気すらも断ち切るような、鉄の轟音。
魔物は、ボクの居場所ごと吹き飛ばすように暴れて、その余波で、また吹っ飛ばされる。
「ゴ、べぇッ」
こ、これで4回目。
なんだか、しまらないなぁ。
なんて思いながら逃げて、逃げて逃げて……やっとの思いで、逃げ切った。
◇◆◇
夜風が、やけに心地良かった。
息が荒い。
肺が痛い。
ひんやりとした風が、傷口に酷く沁み込む。
喉の奥は、鉄の味が張り付いている。
痛い、寒い、苦しい、辛い。
……でも、何だろうか。
「……ははっ、ふははっ」
何なのかな、あの魔物。
強すぎるよなぁ。
あんなでっかい大剣片手でブンブン振り回すし。
しかも一振で建物を何個も吹き飛ばすし……やっぱ強いよなぁ。
あんなのが最初に出てくるとか、まったく、なんて理不尽だ。
……でも、ああいう理不尽、嫌いじゃあない。
フハハッ。
……少し、悔しい。
別に、強さが欲しくなった訳じゃあない。
ボロ負けして悔しい訳でもない。
ちゃんと逃げ切った。
あの熱も味わえた。
今までより、何倍も楽しかった。
何より──まだ、生きてる
……でも。
もっと、何か楽しくすることが、出来た気がする。
もっと暴れて。
もっと遊んで。
もっと、笑えた気がする。
……それが、ちょっとだけ、気に食わない。
次はもっと、楽しもう。
あの、赤鉄の大剣を思い出しながら、そんなことを考える。
完全な敗北。惨めな逃走。醜い容貌。
……どれも結構じゃあないか。
それがあって今がある。
敗北を正当化したい訳じゃあない。
ただ、やっぱり、勝ち負けよりも、楽しみた──
──いや、何か、違うな。
もうろくに力の入らない左手で、ガシッ、と頭を掴む。間違いを直すように。違和感を壊すように。
変に理屈っぽくなるのは、なんか違う。
湿っぽくなったからかな。
もっと、単純でいい。
楽しければそれでいい。
楽しくて、笑って、ぃ、られたい。
意識が朦朧とする。
足取りが、おぼつかなくなって、フラフラと。
血は音を立てて、流れ落ちて。
そんな音すらも、ぼやけてきて。
薄暗い、路地裏で。
崩れ落ちるように、壁に背もたれを着く。
「さぁて、次は、何をして、遊ぼうかな」
そう、呟いて、意識を手放した。
夜空に月が輝く……なんてことはなく、未だ曇った空のまま。
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ep8:都合良く、なんて。




