表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

とある悪役令嬢の話 皇国の皇子視点

作者: りな

月光のような銀髪を持つ皇国の王子――アレクシス=ヴェルンハルト。

世間は、俺のことを「優秀」「将来有望」「欠点がない」「文武両道」「完璧な美貌」などと、好き勝手に評している。だが、俺はただ、皇子としてすべきことを淡々とこなしているだけだ。美貌に関しては、親譲りだからどうしようもない。


「無学な皇子」「頭脳だけの皇子」――そう呼ばれるのは絶対に嫌だった。だからこそ、剣術も学問も礼儀も、最低限以上の水準で身につけてきた。

だが、最近は少々面倒になってきた。自国では貴族の令嬢たちの視線がやたらと痛いし、親もそろそろ婚約者を決めようと動き始めているらしい。


……やれやれ、厄介ごとから逃げるにはちょうどいい頃合いだ。社会勉強と称して国外を巡ることにしよう。幸い、五か国の言語は不自由なく話せるし、優秀な部下もいる。護衛を二人ほど連れていけば問題はないだろう。


そう考えた俺は、両親に「他国を見ることも皇子としての学びになる」と申し出た。結果、拍子抜けするほどあっさりと許可が下りた。


――そして今、俺はとある王国の図書館にいる。

そこで出会ったのが、一人の女性だった。


彼女は山のように本を積み上げ、次々とページをめくっていく。

その熱心な姿を見て、最初に浮かんだ感想はただひとつ――「本好きだな」。


彼女は毎日、同じ時間に現れては同じ席に座る常連らしい。

だが、当時の俺は別の目的でこの図書館に通っていた。


――転移陣に関する文献を探すためだ。


我が皇国にも転移陣は存在する。だが、どうしてもその陣は巨大になり、実用性に欠ける。

一方、この王国では“小型転移陣”が発明されたという噂を聞いた。

それを確かめ、できれば手に入れたかった――それが、俺の真の目的だった。


……結局、独力での探索は諦めて、司書に尋ねることにした。

すると、ちょうど探している転移陣の本を、あの女性が手にしているという。


――仕方ないな、直接借りてみるか。


俺は軽く息を整え、完璧に作られた笑顔を浮かべて、彼女に声をかけた。


「すみません。転移陣に関する本を探しているのですが」


その瞬間、彼女ははじめて顔を上げた。

目が合う。――赤い瞳だった。


情熱の色、と一瞬思った。

黒髪との対比が見事で、思わず見とれてしまう。


「転移陣の、どんなことを調べたいのですか?」


透き通るような声だった。穏やかで、けれど芯のある響き。


「転移陣の……実用化、というか、簡略化というか……」

言葉が途中で途切れた。なぜか、上手く言葉が出てこなかった。


「小型転移陣ですね」

彼女はすぐに察したように微笑むと、手元の本を開いて数ページを示した。


「それなら、この本のここからここが最適だと思いますよ。

あ、もし既存の陣式を改編するおつもりなら、こちらの本をおすすめします」


そう言って、彼女は棚からもう二冊を取り出し、合計三冊の専門書を俺に差し出した。


「……借りてもいいのですか?」と尋ねると、彼女は小さく首を振った。


「必要なことは、もう全て覚えました。今は確認していただけですから」


そう言って柔らかく微笑み、積み上げていた他の本を静かに片づけ始める。


「それでは、予定がありますので――失礼しますね」


その一言を残して、彼女は本の山を抱え、ゆるやかに去っていった。


残されたのは、三冊の本と、胸の奥に妙な余韻だけだった。


彼女の選んだ本は、驚くほど的確だった。

気になったので、彼女について護衛に調べさせた。

――そして報告を聞いた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。


「……王子の、婚約者だと?」


思いもよらぬ言葉が告げられ、胸の奥にちりりと小さな痛みが走った。

そんなはずはない、と理性は言い聞かせる。だが、その痛みは確かに存在した。


気のせいだ――そう思いたかった。


調査の結果で得られた転移陣の情報は、すぐに整理して速達で皇国へ送っておいた。


実りある成果を得たのだ、彼女に感謝の一つくらい伝えるべきだろう。


……とはいえ、いきなり待ち伏せるのは、どう考えても不審者の行動だ。

結局、あの図書館しかない。

彼女がいつもの時間に現れるのを待つしかなかった。


そしてその日、彼女はいつも通りに現れた。

俺は席を立ち、できるだけ自然に近づいて小声で話しかける。


「先日はありがとうございました。とても助かりました」


彼女は穏やかに微笑んで答えた。

「いいえ、どういたしまして」


その笑顔に、一瞬だけ時間が止まったように感じた。

……微笑む姿も、悪くない。いや、むしろ――。


「何か、お礼でも――」


言いかけた瞬間、彼女は周囲を見回し、声を少し落とした。


「……少し、話せる場所に行きませんか?……アレクシス皇子?」


――心臓が止まるかと思った。


「何故、それを……」

俺は、平常を装うのに精一杯だった。


「その美貌は、一目見たら忘れられませんわ」


どうやら、彼女は俺を知っていたらしい。少し、親に感謝した。


「もう、すでにお調べになっているとは思いますが――」

彼女は周囲を気にしながら、声をひそめて言った。


「現王子、レオンハルト殿下には問題があります。彼が王となり、そしてあの生徒が王妃になったら……きっとこの国は傾きます。だから、その前に――皇国の属国として保護していただくのが、最善だと私は考えています」


淡々とした口調の中に、確かな覚悟があった。

俺は思わず息をのむ。

この小柄な女性が、国の命運を冷静に見据え、進言している――。


彼女はさらに続けた。


「もし、私が婚約を破棄されたなら……その時は、この国を滅ぼしてください」

「……」

「けれど、もし婚約が続くのなら、その時は――皇国と、この国の友好を深めましょう」


俺は思わず口を開いた。


「……君のように優秀な人を、婚約破棄するなんて――あり得ない」


彼女はふっと目を伏せ、悲しそうに、けれどどこか諦めたように笑った。


「ありがとうございます。……では、今回のお礼は“もしもの時の保険”にさせてください」


その声は静かで、美しく、妙に胸に残る響きだった。


「何も起きなければ、今の話は――どうか、忘れてくださいませ」


そう言って、彼女はそっと立ち上がる。

その横顔を見送りながら、俺は何も言えなかった。


――短い時間だった。けれど、あの会話は確かに、濃密だった。

そして、なぜか胸の奥に、消えない余韻が残った。


彼女と数度のやり取りの後、俺はその王国を去った。やるべきことが一つ増えたのだ──彼女の転移陣が起動した瞬間を捉え、奇襲をかけること。親や周囲に話を通し、根回しを済ませ、兵を用意せねばならない。すべてを万全にしてから動くつもりだった。


だが、もう一つ気がかりなことがあった。もし婚約破棄が現実になったら、彼女はどうするのか――。聡い彼女だ。きっと考えているだろう。


結果、まさか俺の目の前で消えるとはな。嘘だろ。

俺は最も魔力に長けた部下を呼び、至急命じた。


「彼女の魔力を拾え。急げ」


人それぞれ魔力には特徴がある。たとえ僅かでも、その痕跡があれば辿ることができる。皇国では常識だ。彼女は、知らなかったのか……?

部下は装置を操作し、転移陣の残滓を探った。やがて、報告が来る。


「……拾えました」

「辿れるか?」と俺は問う。

「……遠いので、ぎりぎりです。もし彼女が移動したら、追跡は難しくなります」


「ならば追え。位置を確保し、動きがあれば直ちに報告しろ」

俺は命じた。……俺は、今この場を収める必要があった。



今の俺には、解決すべき事柄がある——皇国の利益と、そして、あの女性の行方。



しばらくは、君を風のように自由に遊ばせておこう――夜露に濡れる花のように、束の間のやすらぎを。

その間に、俺は密やかに備えを整える。月明かりの下で練った策も、剣も、言葉も、すべて君と出会うための糧にして。


必ず君を見つけ出してみせる。巡り合うその瞬間、身も心も――覚悟しておけ。

今度は逃がさない。君を抱きしめるために、俺は世界ごと手繰り寄せるだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ