選ばれなかった理由(わけ)、選び取った道
夕暮れのリュミエール、魔導局の屋上。
石畳に沈む橙色の光の中で、アイリーン・ヴィステルは待っていた。
やがて、誰かの足音が聞こえる。
「久しぶりだな、アイリーン」
現れたのは――
かつて、彼女の“下”にいたはずの男。今は中央聖堂直属の特任官、ノア・セルゲイド。
冴えない風貌。控えめな物腰。
学院時代、誰もが彼を“そこそこ優秀だが、平凡”と評した。
だが今や彼は、政治、戦略、そして現場のバランスを巧みにまとめあげる、魔導界の最前線に立っていた。
「……あのとき、なぜあなたが選ばれたのか。ずっと納得がいかなかった」
アイリーンははっきりと言った。
「才能も、成績も、魔力量も、私の方が上だった。なのに、重要任務にはあなたが就いた」
ノアは、すぐには答えなかった。
夕日を背に受け、少しだけ目を伏せる。
「それでも、俺を選んだ人たちは“君じゃないと無理だ”とも言っていたよ。インフラ管理を、任せられるのは君だけだって」
「……皮肉ね。あんな雑務を?」
「雑務じゃない。君が管理していた〈風の心臓〉が止まっただけで、街の三分の一が機能を失った」
アイリーンの目が揺れる。
ノアは続けた。
「俺が最前線で扱う魔導兵器も、特異魔法も、全部“都市が回っている”前提の話だ。……君がいなければ、俺は動けない」
「……あなたは、私の代わりに戦ってたつもり?」
「いや。俺は俺で、“人の中で動く”ことを選んだ。君は“人の下を支える”ことを選んだ」
アイリーンは、ハッと息を呑んだ。
選んだ――?
「私は……選んだわけじゃない。押しつけられただけ。そう思ってた」
「でも、君はそれを、もう投げ出してない。今回の事故処理、見させてもらったよ」
ノアは一歩、近づく。
「アイリーン、君は――『自分の才能を、自分以外のために使える人』だ。それは、俺にはできない。君の方がずっと難しい道を歩いてるよ」
沈黙が降りる。
そして、アイリーンは口元を、ほんのわずかに緩めた。
「……昔のあなたは、もっと鈍臭かった」
「よく言われる」
「でも、ありがとう。私のことを、ちゃんと“見てくれてた”のは、あなたが初めてかもしれない」
* * *
その夜、アイリーンは再び魔導図を広げていた。
これまで見えていなかった“都市全体”の連結網。
水、風、魔素、そして人と人との繋がり。
それらを、ただの配線ではなく、“命の線”として見つめ直す。
「私にしか、できないことがある……そういうことなのね、局長」
彼女が嘲っていた“選んだ側”の意図。それが、今になってわかる。
優秀だから前に出るのではない。
本当に必要な人は――誰も見ていない場所で、燃え続ける覚悟を持っている。
そして、彼女はその覚悟を、ようやく“選び取った”。
* * *
翌朝。
彼女は現場に降り、作業服に袖を通していた。
「局長命令だ。魔導冷却網の再設計。全てやり直すわよ。手伝いなさい」
「まじか……また徹夜か……」
「文句言ったら魔導水路に突き落とすわよ?」
技術班の面々は苦笑いしながら、それでもついてくる。
彼女はかつて“天才”と呼ばれた。
今は、“頼れる鬼上司”と呼ばれているらしい。
そんな称号に、アイリーンは少しだけ頬を緩めた。