10. 凹
数年前…今の会社に入る前のことなんですけど。
当時働いてた飲食系のお店が閉店することになって、転職活動をしてたんです。接客はもういいかな、という気分があったので、そのお店の前にやってた事務系の仕事に戻ろうと思って、色々探してたんですが、なかなか希望の条件に合うところが無くて。それでも何とかして見つけたところがいくつかあって…三個か四個だったかな。すぐに就活サイトから応募を送って、それで面接まで通ったのが二つの会社でした。で、何月何日の何時に来てください、という連絡をメールで貰って…。
その連絡を貰った日の…四日後ぐらいだったかな。その日は友達と遊んでて、ちょっとお酒を飲んだんですよ。でも私ふだんはそこまでお酒弱くないんですけど、その日はなんか妙に酔いが回ったんですよね。いつもより量が少ないぐらいなのに。なんか体調がおかしいのかな?と思って…あと私、気圧の影響を受けやすいタイプなんで、もしかして気圧が良くなかったのかな?とも思いましたね。とにかく頭がフラフラしちゃったんで、少し予定を早めに切り上げて帰ったんです。
それで家に着いたら、酔いに加えて、急に疲れがどっと押し寄せてきて。なんか…蓄積された疲れが一気に噴出した感覚。石をどけたら水がドカンと出てきたような、そんな感じで。なんとかしてシャワーを浴びて歯磨きも済ませたんですけど、正直そうした日常の所作に対して何度かくじけそうになるぐらいの疲労感がありましたね。今までお酒を飲んでもそこまで疲れを感じたことが無かったので、自分でもすごく驚いてたのを何となく覚えてます。そんな状態だったんで、部屋に戻った瞬間にベッドに倒れ込んじゃいました。
横になったら少し余裕が出てきて、転職活動のせいでストレスが溜まってるのかな、もしも明日もこんな感じだったら病院に行かなきゃな、なんて考え事も一瞬した記憶があるんですけど、結局それからすぐ気を失うように眠っちゃって。
そしたら夢を見たんです。
車の後部座席に乗せられてるんですよ。ただその車が何なのかはわからない。バスとかタクシーとか、そういう交通機関の車ではない。どちらかと言えば、家族とか親戚とか友達の車に乗せられているような感覚でした。運転しているのは誰なんだろう、と思って運転席の方を見ても、なんだろうな…顔が見れない、とか、誰もいない、とかじゃなくて、確かに人が運転しているっぽいんだけど、どうも要領を得ない感じ、というか。ああ、これは誰かだ、とか、知らない人だな、とか、そういう普段、人間を見て頭の中で下す判断が全然できないんです。視界に入ってはいるんだけど、認識ができない。でも夢ならではのアバウトさで、まあそんなこともあるか、で流しちゃいました。
すると、
「ここですよ」
って声がする。気付いたら車も止まってて、ああ、ここが目的地なんだな、と思って。ありがとうございました、って礼を言って車から降りて。
それで降りると、そこに建物がある。そっかそっか、ここに来たんだった、って納得しながらその建物の中に入っていくんです。階段を上がって、二階か三階へ行く。するとそこにはドアがあって、中に入るとちょっとした…部屋というか…広めの空間がありました。こう…夢っぽいアバウトさで、どういう感じの空間なのかはよく分からないんですけど。
その空間のなかをしばらく歩いてると、ここだけ妙にはっきりとしてるんですけど…廊下があって。そこに人が立ってたんです。どんな人なのかは例によってよく分からない…よく見えないんだけど、どんな姿勢なのかだけはちゃんとわかって。壁の方を向いて、片方の手を壁に当てて。それで何をするでもなく、ただ立ってるんです。
この人なにしてるんだろう?って思ったところで、目が覚めました。
…まあ、別段気にしてなかったんですよ。なんか変な夢だな~、と起きた後にちょっと思ったぐらいで、その日の昼にはもう忘れてる感じで。
それでその夢を見た二日後ぐらいに、会社の面接に行って。書類審査を通った二つの会社のうちのひとつめの方ですね。最寄り駅で降りて、案内図に書いてあった通りに進んだら、五階建てぐらいのビルがあって。会社はそこの三階にありました。
それで三階まで行って、入り口のドアを開けたところに受付があって、そこにいた受付の人に採用希望のものです、って伝えて…ここ、たぶん普段は会議室なんだろうな、って感じの部屋に通されて、面接が始まりました。
面接自体は本当に…びっくりするぐらい滞りなく進んで、最後の方は面接官を担当していた人事のおじさんとちょっと雑談をして盛り上がるぐらいうまくいったんですよ。面接終わりの「結果は後日改めて連絡します」みたいな挨拶も、「じゃあ後日結果の方連絡入れるんで~」みたいなすごいフランクな言い方だったんで、正直「これはもう勝ち確だな」と。椅子から立ち上がる頃にはだいぶ浮かれた気持ちになってましたね。そんな浮かれた気持ちのまま、失礼します!って愛想よく挨拶して、部屋を出たんです。
で、部屋の扉を閉めて、振り返って、ふ、って前見たところで、壁に目が行って。
面接の前には…緊張とかもあったし、まあそもそも壁をそんなに見てなかったんで気付かなかったんですけど、壁に凹みがあるんですよ。
その壁というのが、コンクリートの壁の前に板かなんかを張って、そこに壁紙が貼ってある、みたいな感じの作りになっていて、そこの一部が…何かで壊したような感じで、ぼこ、って凹んでるんです。サイズはそんなに大きくなかったです。そうですね…野球のボールが嵌るぐらいの大きさ…だったかなあ。
で、その凹みを見た瞬間、不意に
(そっか、あれ、壁を殴ってたんだ)
って思ったんですよ。なんか…長いあいだ答えが出てなかった問題の答えが、やっとわかった時みたいな感じ…うーん…納得…?というか、とにかくそんな感じで。
そこから一呼吸置いて、数日前に見た夢のことを…こう…バーッて思い出して。そこで今見ている廊下の風景が、ほぼほぼあの夢の中で見た光景と同じだってことにはじめて気付いたんですよ。うわ、いま私がいる廊下、完全にあの夢の中に出てきた廊下だ!ってなって。最初のうちは、うわ、こんなことあるんだ、って純粋に驚いてたんですけど、そこから十秒ぐらい経ったときに、あれ?と思って。じゃあ凹みって、あの夢の中に立ってた人が作った凹み…ってこと…?ってなるわけですよ。だって私はさっきこの凹みを見て「壁殴ってたんだ~!」って納得してるから。
その瞬間、なんだか全身がぞわぞわしはじめて。
そもそもこの会社は、なんでこんな目立つ凹みを直してないんだろう、ってことも気になりだしたんですよ。ポスターを張って目隠しするとか、多少不自然になってもそこに新しい壁紙を張るとか、いくらでも方法はあるわけじゃないですか。ましてや面接で使うような部屋の前ですよ。いくらでもやりようあるだろ?って思って。
うわ、なんか全部気持ち悪い!ってなって。廊下を早足で歩いて、受付の人に軽く挨拶をして。…あとから思えば挨拶が軽すぎてちょっと焦ってるように見えたかもしれないですけど、その時はとにかくビルから早く出たかったんで、そんなことを気にしている余裕はなかったです。
それで…ちょうど会社の入口のドアを閉めたぐらいのときに、どこかから「ドンッ」って大きめの音がして。なんか…それが、ちょうど…人が何かを強く叩いた時のような音だったんですよ。
(え?もしかしてどこかで誰かが壁叩いた?)
って脳裏に過ぎった瞬間もう限界になっちゃって、…振り返らずに階段をバーッて駆け下りて。ビルから出た後も、もうビルの方を振り返らないようにして急いで駅まで行って。帰りの電車の中で、「ここはやめよう、もう絶対やめよう」って繰り返し思ったのをよく覚えてます。逆に言うと…その日はそれ以降の記憶があんまりないですね。あとで家計簿付けてたら、その日の夕方にコンビニに行った時のレシートが出てきたんです。お弁当とか買ってたらしいんですよね。でもそれ、全然覚えてませんでした。
面接の数日後に内定通知が来たんですけど、ちょっと…まだその時はもう一つの面接先の結果が出てなかった時なんですけど、そっちで内定が出たから、って言って断って。これもう一つの会社の方受かってなかったらどうしよう、とも思ったんですけど、運良くそっちの会社の方も内定が出たんで、今はそっちの会社の方で働いてます。
あ、えーっと…はい?あ、そのビルについて…はいはい。
…全然調べてないんですよ。ほら、事故物件とか調べられるサイトあるでしょう?あそこで見てみようかなって思ったこともあったんだけど、なんか…曰くとか過去に事故とかなんとか、そういうのがあった、って確定するのがすごい怖くて。全然勇気がなくて調べられたことないんです。このこと自体を思い出すのも、友達とかに怖い話ある?って振られたらこの体験を話すときぐらいですかね…。その時も、わざと明確な場所をぼかして話してます。だって友達が何か知ってて、「そのビルはねえ…」って言い出したら…嫌じゃないですか。
今はそのビルの前を通らなくても問題なく生活できるんで、出来るだけ気にしないようにしてます。