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私が育てたのは駄犬か、それとも忠犬か 〜婚姻を断ったのに麗しの騎士様に捕まって舐められています〜  作者: 日室千種


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これはなんだと騎士が問う


「やっぱり、嫌だな」


 呟いた後は、時折口を開いては、また閉じるを繰り返す。

 慎重に言葉を吟味しているようだ。つい先程まで従姉妹と軽快にやり合っていた様子とは、天と地の差。

 やはり、心のままに向き合えるのは、ジョゼットではないのだ。


 ジョゼットの心の隅で、迷子がスンスンと泣いた。否定され続けて居場所をなくし、どこへ行っていいのかわからずにずっと泣いている子供が。

 ランドリックが自分の心を鍛錬し続けたのに比べて、なんと弱く卑しいのだろう。


「……ジョゼ」


 ようやく、ランドリックが声を発した。

 

「ジョゼ」


 俯いたままのジョゼットを促す、二度目の呼びかけ。

 仕方なく顔を上げて、ジョゼットは驚いた。


 想定していたのは。

 ジョゼが言うならわかったよ、という言葉。

 そしてきっと、いつも見せてくれる、まるで自分の手柄のように誇らしげな笑み。

 それでお別れが決まる。きっとそうなる。


 けれどもしかすると、もう一歩進んでしまって、ジョゼットを令嬢扱いするかもしれない。

 実家から迎えが寄越されれば、ジョゼットはもう、侯爵家預かりではない。他家の令嬢で、間違いはない。

 ランドリックは顔を上げたジョゼットに向かって丁寧に膝を折り、初めて会った時のように完璧な蕩ける笑顔で、手の甲にキスをして。

「良い縁談に巡り合うよう、心から祈ってるよ」

 そう、言うかもしれない。

 二人の間の四年間などなかったかのように。

 ジョゼットはあまりの喪失感に耐えられず、叫んでしまいそう、だったのに。


 ランドリックは、笑みどころか、途方に暮れた顔をして顔色悪く息も浅く。まるで悪夢に飛び起きた子供、いや、子犬のような哀れな有様だった。

 ジョゼットが、思わず手を伸ばしてしまうほど。

 けれど二人の間に保たれていた適正な距離のせいで、指先はどこにも触れずにきゅっと握り込まれた。

 ランドリックはそれを、クン、という鳴き声が聞こえてきそうな悲しげな目で見ていた。

 

「ジョゼ、教えて。さっきから俺の胸の奥、鳩尾の上あたりが、焼いた剣で刺したように熱くて痛いし、そのせいか思考が不快でねばついている。これはなんだろう」


 ランドリックが、大きな手で自分の胸の真ん中を握った。そこが、潰れそうなのだと。


「俺の立場では、君が幸せになれるかどうかを考えなければならないのに、自分のこの苦しさだけに意識が向く。今、君が近くにいる幸運を、絶対に、何をしてでも手放したくないと思う。これはなんだろうか」


 教えてくれと、ランドリックは胸に当てていた手で、ジョゼットの手を捕まえた。

 子犬に見えていたのに、ジョゼットが諦めた距離をあっさりと飛び越した。


 いつものようにジョゼットの手首を上から掴んで、初めて、その細さに驚いたように手を緩めた。それから、手を滑らせて移動させ、掌同士を重ねて下から捧げ持つようにした。

 すると、騎士らしい固い手にジョゼットの手は甲まですっぽりと覆われる。少し手を引いても、びくともしない。

 決して逃さないように捕まえながら、まるで懇願するように、太い親指が華奢な手首の骨をゆっくりと撫でる。

 今までされたことのない甘い拘束に、ジョゼットは首まで真っ赤になった。

 もうすでに、熱烈な告白を受けた気分になって、酔ったように頭が空回りしている。


 ランドリックは、ジョゼットの答えを待っていた。親指とは別人格だと言わんばかりの、恐ろしく真面目な顔で。

 答えなければ、納得してもらえなそうだと気がついて、ジョゼットは一層頭が働かなくなった。


 ただ、一つ決めていることがある。

 ジョゼットは、ランドリックに嘘をつくつもりはない。

 嘘をつくと、それがランドリックの中では偽の前例として刻まれる。そしてずっと後の人生でもその前例に惑わされるかもしれない。

 学びと積み重ねで人との共感を探っているランドリックにとって、それは酷すぎる。


 かといって、ではなんと言えばいいのだろう。

 それは、恋です?

 それは、好きということです。

 それは……。

 どれもこれも、面映くてとても言えない言葉ばかり。

 ジョゼットだって、少々洞察に優れていても、実体験はランドリックへの淡い気持ちしか知らない、初心者だ。


「大切にしたい気持ちとか、幸せになって欲しいとか、一緒にいて楽しい心地いいとかは、きっと友情とか親愛とか呼ぶのだろう? そんな気持ちなら、ずっと前からジョゼに対して持っていた。だがこれは違う」


 いよいよ、逃げ道を塞がれてきた。

 このままでは、追い詰められる。

 苦し紛れに、ジョゼットはほんのわずかに芯を外してすり抜けようとした。


「――それは、執着です、ランドリック様。ランドリック様は、私を、その、気に入っていて、独占して側に置きたいと、思っていらっしゃる……のかもしれません」


「執着? 人でも物でも執着したのは初めてだ。こんなに、ドロドロとした気持ちなのか。そうか、執着は避けるべきと古典にもある教えは、このためか」


「ドロドロ? あの、あまり生々しいことは、口に出されないほうがよいかもしれません」


 そういう内面の話は、どんな話であれ、大きな弱みにもなり得るから。

 なにより、ジョゼットが恥ずかしくて死にそうな予感がする。

 なのに。


「そうかわかった、気を付ける。で、そのドロドロというのはだな」


「わかってない! わかってないですね! 他人に聞かせるものではありませんよ」


 しれっと説明しようとするランドリックを遮って、ジョゼットが叫んだ。

 少し考えたランドリックは、閃いたという顔をした後、ジョゼットの手を引いて応接室を出た。

 息を潜めて固まっていた従姉妹はジョゼットたちを食い入るように見ていたが、それを振り返りもしなかった。


 ざかざかと歩いて執務室に辿り着き、ジョゼットを奥に導くと、扉に戻ってひたりと閉め、鍵までかけた。

 いつもと同じ執務室に、二人きり。

 けれどいつもと違って、飼い主に呼ばれた犬のように戻ってきたランドリックは、今度はジョゼットの両手を優しく拘束した。


「これでいいだろう? もうジョゼしか聞いてる人はいない」


 またも、ジョゼットにはわかってしまった。

 ランドリックにとって、ジョゼットは紛れもなく一番近くにいる女性なのだ。

 どんな自分を見せても大丈夫だと信じつつ、相手にどう聞こえるか真剣に考えて言葉を選ぶ。従姉妹よりも内側にいて、従姉妹より失えない存在。

 よくわかった。

 癒しの動物扱いだとか、男女の情が生じ得ないとか、随分と勝手に失礼なことを考えていたものだ。


 いや、あるいはランドリックは、ジョゼットよりも遅れて、今、ゆっくりと自分の気持ちを知ろうとしているのかもしれない。


「まだ、今も酷くドロドロとしている。この執着のせいで、君の意志を無視してでも、思い通りにしたくなる。滅多にない暴力的な気持ちだ」


 恐ろしいことを言いながら、その手は優しい。決して力を入れすぎないように、ジョゼットを繋ぎ止めている。

 ランドリックがその手を胸に当てたので、引っ張られてジョゼットの両手もたくましい胸に当たる。その中で力強く打つ、鼓動に触れる。

 近い。

 ジョゼットは、吐息まで絡め取られる気がして身を引いたが、その分ランドリックが詰め寄った。


「俺は、君が隣にいるのが当然だと思っていたから、その形は何だってよかったし、君が婚姻を望まないなら、他のどんな関係だってよかったんだ。――だけど、別の誰かの元に行ってしまうと思ったら、急に、体の底から粘ついたものが吹き出てきたよ。

 執着って怖いね。手に入らないなら壊してしまいたいなんて、何に対しても思ったことなんかなかったのに。

 そうしてもいいくらい、手元にいて欲しい。でも、今の君を失いたくはない。いつでも、いつまでも見ていたいし、笑ってて欲しい、なのに、壊して泣かせてもみたい。ぐるぐる、ドロドロする。――これが、本当に執着?」


 ジョゼットの様子にお構いなしに喋ってから、ランドリックは口づけを乞うように、覗き込んできた。

 端正な顔立ちの中、いつもより鋭い輝きを宿した緑の目と目が合う。

 日頃は明るい森のような色をしたランドリックの目が、今は深い淵の色に見えた。

 瞳孔が、大きく開いているからだ。

 その丸く暗い穴に、呆然としたジョゼットが、閉じ込められている。


 ごくりと唾を飲み込んで、ジョゼットは覚悟を決めた。

 逃げられない。

 ごまかせない。

 嘘をつくつもりはない。

 ならば、正直に対話するのみだ。四年間そうだったように。



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