もう最弱じゃない
うっわぁ、円形闘技場コロッセオまんまじゃない。
試験会場を見て、久々に思う。
ゲームの中の異世界に転生したのを思い出す。
そして、あたしが、主役じゃないことも……。
主役は、隣を歩く、ランスロット。
並んで歩くのは久しぶりね。
あらあら、まあまあ、彼たらっ、背が高くなっちゃって……。あたしの目線は、今では、彼の胸板あたり。
「いつも、こんなに人がいるの?」
闘技場に面した通りには、人が溢れている。
出店では、かき氷? 相変わらず、なんていい加減な世界なの!
氷は、高級品でしょ!
みんなに褒められながら、氷をバンバン作っていた幼い頃を思い出す。みんなで、あたしを製氷機扱いしちゃって……、うーん、もうっ!
「今日は、特別ですよ」
セバス爺は、ランスロットを見る。
口数が少ない人。何を思い、何を考えているの?
「ランスロット殿、おまえ、なんか、しゃべれ!」
おっ、セバス爺の拳骨は、相変わらずキレが良いわね!
その通りよ! 馬鹿っ!
係らしき人が手招きをする。
闘技場の扉が開かれた。
中は、薄暗い。それでも、迷うことはない。壁に掛けられたランタンが等間隔で照らして、行き先を案内してくれる。
ひんやりとして肌寒い空気。体をさすって体温を上げたくなる衝動を抑えた。
壁の石材は立派に磨かれていて、丈夫そうに見える。
会話があれば、気にならない、些細なことに気がまわってしまう。
全部、隣の、この馬鹿のせいね。
この、とうへんぼくっ!
ついでに、ぼくねんじんっ!
と叫びたい。でも我慢は大事!
それにしても遠いわ……。
出口が見えない長い通路。そこに、乾いた足音がこだまする。
「お嬢さまが、緊張されて、どうされますか」
セバスに後ろから肩を叩かれた。
緊張?
「していません」
そんなもの、する訳がないじゃない。セバス爺たらっ!
あたしの試験は、免除された。
実技も学科も……。
ご令嬢の試験免除は珍しくないらしい。
それでも、闘技場に立って見たかったな……。
今の自分を知りたい。それが本音。
なのに……。
「まさか、お嬢さまは、ご遠慮ください」
セバス爺たらっ、ひたいの汗を拭ってごまかす。
なんで? 言葉になってた? それとも表情?
「乱入なんて、しません」
もう、子供じゃないんだから……、あと三年経てば、十五歳、この世界では成人よ。
ちゃんと常識は、わきまえてます!
でも、早いな……。
あたしの人生の終着が、着々と迫ってきている。
だから、なおのこと、自分を試してみたかった……。
もうっ、セバス爺も、マーリン先生も、「お嬢さまのお相手がお可哀想です」とか言っちゃって、なんで、猛反対したのよ!
なによっ!
見習い同士なら、結構、良い勝負になると思うんだけどな。
そうでしょ!
大きく、息を吸って、肺に空気をためる。
でも、辺境伯のご令嬢と剣を交える。そんなことは、ご遠慮したいと思う、相手の気持ちも理解できるし……。
身分社会って、ほんとっ、面倒ね……。
今を、ちゃんと知らないと、あたしが、成長できないじゃない。
「ねぇ、準備はできてる?」
もう出口は、すぐそこ、ランスロットに聞いてみる。
「これぐらい、何でもない」
ランスロットの姿が、出口の光と重なった。
そう、何でもないのね……。
闘技場は、熱気に包まれていた。
通路の空気とは違う。
それに、観客の大歓声が、あたしの耳をふさいでくる。
観客のお目当て、そして、今日の主役。
最年少のドラゴンスレイヤー、そして剣神の加護を持つ王子。
主役はやっぱり、あなた、なのね。
ランスロット、頑張んなさいっ!
彼は、闘技台に登る、階段の一歩手前で止まった。
空模様が悪いせいか、彼の輪郭はぼやけて見えた。
背の低い、あたしには高くて遠い場所。
そこにランスロットは、行こうとしている。
階段を上がり、闘技場にいたれば、そこは、もう、あたしの目線より高くなってしまう。
風が髪に乱されそうなの手で抑える。
セバス爺があたしを急かした。
「お嬢さま、さあ、あちらへ」
爺が誘う方を見ると、階段。その先には、高台になった観覧席がある。
歓声に負けず、ランスロットは、あたしから離れた場所で、ずっと堂々と立っていた。
あなたを、みんなが見てるのね……。
実力と名声を兼ね備えてる、あなたは立派だ。
でも……、放っては、おけない……。
だって、彼たらっ、手が震えてるじゃない!
「セバス、ちょっと待って」
歓声は、もう気にならない。距離があれば、進めば縮まる。
少し駆け、ランスロットの背中を叩く。
「自信を持ちなさい。あそこから、あたしが、見てるんだからね」
隠しスキル『他力本願』で一生懸命に応援するわ。
あたしのスキルの威力は、絶対なんだから……。
もう、だから、返事は、ちゃんと声にして!
「ああ」なんて、うめき声って言うのよ。
ねぇ、こっちを見て!
「ちゃんと、返事!」
「はい!」
うわぁー、いけてない返事。
振り向きもしないなんて……。
なんて、残念な人なのよ!
でも、もう大丈夫かしら。
彼には、もう、震えは見当たらない。
ランスロットの名前が呼ばれた。
だから、
「行ってこい!」
ともう一度、背中を叩いた。
「いってぇなあ」
久しぶりの乱暴な返事。
「だが、気合いは、入った」
彼が階段を登る。
なにを考えているのやら……。
たくっ……。
よっこらっしょっと観覧席に座る。
剣を合わせ、試技を競い合う受験生の付き添いが座るここは、観客席より低い場所。でも、闘技台よりは高く、近くで見える特等席。
歓声が頭の上を飛んでいく。あたしが声を発しても、そこに混じって、もう、彼へは届かないと確信できる。
声援、そんなの、もう、彼には、必要ない。
「お嬢さま、あの赤毛が、バラビー公爵のご子息、アンドリュー様です」
「バラビー?」
「ランスロット殿が、レッドドラゴンを倒した地の領主、そのご子息です」
へぇーー、
「強いのかしら?」
「剣士の称号は、得ていると伺ってます」
そう、剣士なんだ。
なら、丁度良いわね。
あたしだって剣に覚えはある。ランスロットが剣士と打ち合うなら、それを物差しにして……。
今のあたしを知ることができる。
開始を告げる、ドラが鳴らされた。
会場が静まる。
固唾を飲み込む空気を打ち消したのは、アンドリューの掛け声だった。間合いを詰めて、上段から、ランスロットへ斬りつける。
綺麗で美しい型、何度も剣を振らないと、そうはならない隙の少ない形。
あれ、でも、遅い……。
ランスロットは、半身を動かして交わす。
それも、そうだ。あれは、遅い、あたしが十歳の頃より、ずっと、ずっと遅い。
なら、ランスロットにとってはもっとだ。
「お嬢さま、あれが剣士です」
そう、あれが剣士なんだ……。
ランスロットは、数回、相手をかわすと、一撃で勝敗を決した。得物を弾き飛ばされた、アンドリューは、うつむいたまま、しばらく呆然と立っていた。
あら、なにか言葉を交わしたのかしら?
そんな、素振りを見せ、アンドリューは闘技台を降りた。
「彼も、恥じることはない、アンドリュー殿の剣は素晴らしかった。お嬢さま?」
なんだろう。そうか……、あれが、剣士。
きっと、あたしは彼よりは剣を振れる。
もう最弱じゃない。
そう思うと夢を見てしまう。ずっと密かに思ってた、あの夢だ。
運命が決まっているなら、変える。もちろん、そのつもりは変わらない。でも、別の道を探すのではなく、シナリオ通りの未来を真っ向勝負で打ち砕く夢。
そんな、危険をかえりみない、大馬鹿な夢。
ゲーマーなら、誰でも挑戦する無謀な勝負。それに、命をかける資格があるかもしれない……。
そんな、夢……。
「ありがとう……」
これは、セバス爺に言った。「強くなりたい」、その願いが最弱でないという形で叶っている。
「そんな顔で、ランスロット殿の前に出てはいけません」
セバス爺が手渡してきたハンカチを断り、自分のを使う。
「嬉しいだけよ」
これは、自分で自分を、ほめた言葉、半分は、ランスロットにも……、きっと彼も、凄く強くなっているのだろう。
でも、きっとそう。
彼は、ずっと、ずっと、あたしより、頑張ったんだから……。
絶対にそうよ。
あたしなんかより、もっともっと先に、きっといる。そう思う。
「お嬢さまは、既に、『剣士』の資格があります」
セバス爺も唐突ね。それが、女の子にいう言葉なのかしら……。
ここに来る前、セバス爺との試験を思い出す。
あたしは、時間内にセバス爺に一撃を入れることは出来なかった。だから、『剣士』の資格は辞退した……。
「ええ、ごめんなさい」
あれは、あたしが『剣士』の資格を受け入れないのを、セバス爺が驚いていたのね。
まったく、もって、恥ずかしい。あたしって相当、馬鹿じゃないかしら。
自分は最弱とずっと思っていた。でも、人並みになれた。
『辺境伯のご令嬢』という肩書き以外、何もない、自分にも、生きるための最低限の力はあるのだ。
「ここに来て良かった……」
「左様ですな」
お父さまの猛反対を押し切り、ここへ、王立騎士学校に来た。
貴族社会の政治はわずらわしい。それに、政治は嫌い……。
でも、逃げるなんていう、選択肢はない。
稲光がする。空を覆う黒い雲からは、ゴロゴロという音。
そして、雷鳴!
「キャッ!」
「クラリスは、雷が、怖いのか」
立ち上がった場所には、彼の胸板。
やだっ、今は、恥ずかしい……。
泣き顔なんて……。
「ここは、騒がしい、早く出よう」
彼が、あたしの頭にポンと手を置いた。
鼻をすする。みっともない顔を見せたくないので、目線を足元へ、そして、うなずいた。
泣くなんて、子供みたい……。
でも、もっと進める!
できれば、入学前に学園を見ておきたい。
道に迷わないよう、一緒にそれをしたい。
少しの時間、それぐらいなら、雨も降らないわ。
闘技場を出ると、ランスロットの相手をしたアンドリューが待っていた。
お互いの健闘を讃える。そんなことは、貴族政治のうちだ。
そんなの、後でいいじゃない!
ランスロットと並ぶと、赤毛のアンドリューの方が背が高い、それに身体も大きい……。そういえば、彼ってば、パーティーの盾役だったかしら……。
突然。アンドリューは、あたしの手を取った。未だに、慣れない紳士がする、あのご挨拶をする気ね。
「僕は、あの場にいたのですよ。『氷の姫君』、クラリス様」
彼は、手の甲に口づけをした。
気持ち悪いわね。それに、『氷の姫君』ってなに……。
「だから、君は隣にふさわしくない」
彼は、言った。
バラビー公爵の息子、あたしが何も出来ないで気絶した、あの場にいた、その人が言う。「隣にふさわしくない」と言う言葉。
その後、彼がランスロットと何を話したかなんて知らない。そんなに、あたしは強くない。
「セバス爺、帰りましょう」
ランスロットが何か話しかけてくれた。励ましてくれたのかな? でも、ごめんなさい。
「雨は、嫌い。嵐は、雷がこわいから、もっと嫌っ!」
あたしは、何も成長していない。
褒められてばかり、人から叱られることなんて少ない。
だから、あたしの心は、最弱になったんだ。
邪神に挑むなんて、いえ、このままじゃ、卒業してパーティーメンバーになれるかもあやしい。
全然、強くなってない。
心が弱いものは、土壇場で絶対に負ける。
そんなのは、絶対に嫌っ!
屋敷に戻り、学園の下見はしなかった。




