味のないスープ
牧場は、静かだった。
大熊の首を、なかなか諦めきれず、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
見知らぬ馬車がある。扉を叩くが、返事はない。
仕方なく勝手に入った。
知らない顔が居間にいる。多分、御者ねと思う。
明かりが少なく、暗いのは、日が沈んで間もないせい。シンディーちゃんの声が聞こえないのも、多分そう。
お医者さまが、お辞儀をされた。
セバス爺が、あたしの肩を掴んだ。やあねぇ、あたしは、怪我なんてしてないわ……。
あの部屋に入る。
養母のお婆さまは、ベットで寝ていた。
昨晩もそう。彼女は、この時間には、お休みをされてた。だから、そうよね……。
だから、なにか、言ってちょうだい!
「お母さん、寝ちゃった」
ねぇ、そんな顔をしないで……。
「多分、もう目を覚まさないの」
もうっ、あたしを抱きしめないで……。
「ちゃんとお別れを出来なくてごめんなさいって言ってたわ」
いちばん辛いのは……。
「あたくしは、おやすみが出来てよ」
シンディーちゃんは、あたしをしっかりと抱きしめて、頭を優しく撫でてくれた。その表情が笑顔で、とても温かい。
それが、とてもとても……。いいえ、だから、あたしも彼女を見習わないと……、明るく、笑顔で、いつも通りに……。
お婆さまとお別れ……。シンディーちゃんに、手を握るようすすめられた。だから、両手で握る。そこには、まだ体温が残っていた。
脈がある気がした。
胸元が、呼吸で上下に動いて見える。口元だって……。
「明日の葬式には、是非とも参列されてください。家内も喜ぶ」
お爺さまが、ポツリと言った。
夕飯は、新鮮なニワトリのお肉を使ったスープ。
談笑が続く。
お婆さまは、夕方まで元気だったそうだ。
だから、味付けの仕上げは、シンディーちゃんがしたらしい。
「もうっ、だからなのね。このスープ、とても美味しいけど」
味がしないの。香りだって、全然ないじゃない!
もうっ、シンディーちゃん!
鼻水をすする。
あれ、声が出ない……。込み上げてくる感情が喉をつぶす。目頭が熱くなる。
もう、涙が止まらない。
泣いたらダメなのに……。
「ごべんなさい」
本当に、ごめんなさい。ごめん、ごめんね……。
一番、悲しいのは、あなたたちなのに!
なのに、お爺さまが、微笑んでくれる。
「クラリスさま、ありがとう。あたくしは、ここに来れて、良かった」
シンディーは、笑顔で、そう言ってくれた。
そんなに、深い悲しみを、あたしは知らない。
だから、この日のことは、決して忘れない。
ベットの中、浅い眠りのせいか、ほほをワンちゃんに舐められた気がした。
そこを触って確かめる。やっぱり、濡れてない。舐められた時の独特な匂いも無かった。
遠吠えが聞こえた。
これが、そうなら、許せない。
上着を羽織って家を出る。星は、雲に隠れていた。複数の足音が近づく。
「白髪の女が出てきたぞ」
聞き覚えのある声。
「セバス爺は、手を出さないで」
遅れてきた彼に言う。
「黙って首を差し出せ。そうすれば、ここは無事だ」
松明に明かりが灯されていく。
家に火を放つ気?
「お嬢さま、守るより、殺す方が簡単です」
耳にささやく声。
「そうね……」
「物分かりが良いのは、好きだぜ」
困ったわ。勘違いをされちゃった。
まず、松明の炎を消さなきゃ。
大気を凍えさせる。吐息が白くなっていく。
炎に意識を集中させれば、それを消火することが出来た。
剣が鞘から抜かれる音。
いろいろな死があると知った。
それは、食糧にされるため理不尽に奪われたり、最後まで争い生を諦めない死だったりする。
大切な人たちに囲まれ、大好きな人に見送れる死。死期を悟り天寿を全うする命。
いろんな死……、でも、誰だって、みんな、出来ることなら「死にたくない」。そう、願っているに違いない……。
どうやら、狙いは、あたしらしい……。
剣撃が、集中して襲ってくる。
セバス爺は、言いつけどおり、相手に牽制されたまま動いていない。
誰だって死にたくない。あなたたちだって、きっとそう。そして、どんな人でも、誰かにとっては大切な人なのかもしれない。
でも、剣を振るってくる。
剣撃をかわしながら牧場の隅を目指す。
相手の苛立ちが伝わる。
「この女は、人を殺す度胸はねえ。だから、休ませるな!」
そうね……。昨日までの、あたしなら、きっとそう。
でも、あなたたちは、殺意を持って剣を振るう。
それに、邪魔だ。
だから、殺そう。
殺そう!
氷剣で一人目を斬る。剣が触れた瞬間に冷気を流し込む。氷の彫像と化した人体は、たちまち砕ける。のこったチリは、風に運ばれて消えた。
二人目も同じ。
「この女、殺しやがった!」
いちいち、うるさい人ね……。
残り八人?
遠くにも、一人いるのかしら……。
誰一人として、逃さないわ。
「あたしはね、魔法の方が得意なのよ」
距離をとってくれたことで集中できる。
血が凍るような気がした。体全体に魔力が巡る。
あたしの冷たい、氷の魔力。
「銀色の髪……」
「臆するな! 『氷の姫君』なんて、ただの噂だ」
残念ね。魔力は、解放しないわ。
だって、あなたたち弱いもの。
八体の氷像が砕けて散った。
遠くにいる、残りは、足だけを凍らせた。
動くことは、できないはず。
「セバス爺、あれを捉えて!」
御意とばかりに駆け出したセバス爺。
炎が、そこに向け、相手から放たれた。
無駄よ。
その程度の熱量じゃ、あたしの氷は解かせない。
炎は消えた。もう、火種すらつけさせない。
「もう観念なさい」
そして、いろいろと喋ってもらうわよ。
「人殺しの化け物め! この先、何人、殺す気だ!」
「それは、お互いさまでしょっ!」
それで、動揺するとでも思ったの!
馬鹿にしないで!
そんなことで、いちいちウジウジするのは、嫌いなのよ!
「お嬢さま、油断です!」
え!
相手は、胸元から何かを取り出して投げた。
それが、落ちたところに、魔法陣が描かれる。
「あの方より、授かりしクリスタルだ! 上位悪魔が封じられていると聞いた。貴様ら、みんな、怯えながら死ね!」
確かに、魔法陣からは、上半身裸で胸板が厚い巨人が現出した。馬のような顔が人ではないと物語っている。
「上位悪魔ね……」
その上位悪魔は、腕を組んだまま喋らない。
と思ったら、喋りだす。
「愚かな人間よ。地獄の業火に焼かれよ」
馬顔の胸元あたりから、プスーンという黒煙が上がる。
「地獄の業火に焼かれよ!!」
やけになったのか、えらく声が大きい。
でもプスーンと黒煙。
もう少し音量は下げてもらいたい。
シンディーちゃんとお爺さまを起こしたくない。
今度は無言、でもプスーン。あっ、でも、ちょっと光ったかも……。
もうっ、火力が足りてないのよ!
馬顔も、凍らせて砕けさせる。マーリン先生からは、他も習ったけど、それを使う必要は無かった。
「馬鹿な……。上位悪魔だぞ!」
ぶつぶつ言う男を、セバス爺が縛り上げた。
「もう一度、言うけど、あたしは魔法の方が得意なのよ!」
それに、多分、あれは、上位悪魔なんかじゃないわ。それと『あの方』とやらの正体が気になるわ。
でも、一番は……。
「ねえ、ランスロットも、人を斬った経験はあるのかしら?」
セバス爺は、無言で返事した。
経験あるのね。
あたしは、外にはあまり出なかったから……、こういう荒事は知らなかった。
守るより、殺す方が簡単。確かにそうだと思う。
「あまり気分のいいものではないわ」
「人であれば、誰でもそう思います」
そうなのかしら?
でも、あたしは、人を殺したという事実は忘れない。それを、この胸に刻み、しっかりと進むと決めた。




