化け物の義務
朝食の時、シンディーちゃんの養母は、台所に立っていた。
「お母さんのスープは、絶品なのよ!」
彼女は、そう言うと、席を立とうとする、あたしを手で抑え、台所に向かって行った。
笑い声が聞こえる。
すっかり、彼女は、ここの家の娘になっていた。
炊事場から聞こえる料理の音と、彼女らの会話が混ざる。
食材を切る包丁がリズムを刻み、なべから噴き出る蒸気が部屋に香りを運ぶ。
あたたかい家庭、そう思える光景が、ここにあった。
お婆さまは、とても元気そう。
たまたま、昨晩は、寝るのが早かったのね。
だって、あんなに元気じゃない。
危なっかしい手つきで、シンディーちゃんが食事を運ぶ。朝食とは思えない豪華な食事がテーブルに集まってきた。
その最中、ここに来た目的を、養父のお爺さまに告げると、彼は驚いていた。
「魔獣の被害ですと! それは、大変だ。皆に知らせないと!」
セバス爺が、あわてて、彼を引き止めた。
ほんとっ、あたしたちは、公爵さまに騙された、と思う。
でも……。
「さあ、たんとお食べ。お口に合うか心配だわ」
あ婆さまは、若い娘のように可愛らしく言った。
シンディーちゃんを育てたのは、間違いなくこの人たちなのね。
だから来て良かった。
そして、
「おいしい!!」
スープの味ときたら、絶品じゃない!
「ねっ、ねっ、絶対においしいんだから!」
シンディーちゃんの口の周りたらっ、真っ白なスープでいっぱい。おひげを生やした、小人さんみたいっ!
それを、あらあら、といった感じでお婆さまが拭いてあげる。彼女の仕草でメイドのヘンリエッタさんを思い出しちゃった。
ほんとっ、おばあちゃんっ子なのね。
「お嬢さま、お口まわりが」
あらやだ、あたしたらっ! セバス爺の指摘で口元を整えた。
午後からは狩りに行く予定。
その前に、びっくりしたのは、シンディーちゃんが、弓を弾けるということ。
それは、小さな弓で、距離はさほど飛ばないけど、十メートル先の的に、彼女は見事、命中させて見せる。
そして、彼女たらっ、いつもの、むふーと鼻を膨らませたドヤ顔を披露してくれた。
もうがまんできないわ! えいっ!
「だから、抱きつくな! はなれろぉ!」
あなたから、誘っといて、なによ!
お爺さまが、あたしたちを見つめている。
じゃれ合うのは、ダメなのかしら?
「あなたも、貴族の娘さんかい?」
「一応そうです」
「クラリスさまは、一応ではなく、辺境伯のご令嬢です」
セバス爺が、また余計なことを言う。
「ほう、それはそれは。なら、いっそう良かった。もっと堅苦しい世界だと思うておった」
あらやだ、お爺さまたらっ!
「だぁーかぁーらぁー、はなれて!」
いやーん、お爺さまの公認を得たのよ!
離れないわ!
その後、牧場で飼育している羊の毛を手入れして、モフモフを楽しむ。
澄んだ空気。
牧草の匂い、蝶が風に流されながら飛んでいる。
ここだけ、時間がゆっくりと進んでいた。
シンディーちゃんがニワトリの血抜きをして見せた。
今晩の夕飯に、それを頂くことになるらしい。
あたしは、ムリムリムリ、となってしまう。
だって、あの時のニワトリの目……。
「お嬢さまには、狩りでして頂きます」
セバス爺は、そう言った。
そして、シンディーちゃんを牧場に残し、あたしたちは、森へ向かう。
「ねぇ、あのお婆さま、大丈夫よね?」
「それを顔に出さなかった、お嬢さまはお優しいです」
森の中、踏みしめる足が少し滑る。
空は晴れているというのに、そこの土は湿っていた。
「それでは、獲物を探して参ります。お嬢さまは、ここでお待ちください」
セバス爺は森の奥深くへ、入っていった。
人の気配がない場所で一人。
これは、多分、初めての経験。いつも、誰かがそばにいた。
さみしいと思うとき。世界がとても意地悪に見える。
狼の声をふと思い出す。あれは、多分、あたしにしか聞こえてなかったみたい……。そら耳? それは違う。どちらにしろ、あれが聞こえたとき、なにかの知らせだと覚えておこう。
気配なんてものじゃない騒ぎが遠くから聞こえた。
それは、ドンドン、こちらへ迫ってくる。
きっとセバス爺の仕業。
彼はなにを連れてくる気。
木が数本、倒れたと分かる地響き。
うさぎじゃないわよね……。
「お嬢さまの剣は、あれより遥かに強い。それを、ちゃんと自覚して頂きたい」
あっ、セバス爺が、あたしを置いて逃げた。
「攻撃魔法は禁止ですぞー!」
だって……。
氷剣を、構える……。これは、許してもらえるわよね。
この熊……、てっ、熊?
ちょっと大き過ぎない!
木の上から、平手が落ちてくる。
肉球が見えるそれは、熊そのもの。
でもでも、背丈が木より大きいなんて!
平手は、木々を巻き込み、地面に衝突すると、辺りはちょっとした惨事になった。
高く跳び、森の上空へ抜けると全貌が明らかになる。
もうっ、あんな化け物より、強いなんて……。
平手が横から飛んでくる。
うそ! こんなに離れてるのに……。
咄嗟に、足元の空気を凍らせ、そこを足場とする。
そこを蹴って、落下方向を変更。
平手が通り過ぎる風圧を体で感じた。
地面に着地。体勢は万全。視界も良好。
大熊? でいいかしら……、の動きも手に取るように把握できた。
距離をとりながら、数度、あれの攻撃をやり過ごす。
力は多分、あの子が上ね。
でも、スピードは、あたしが遥かに勝っている。
次の一撃が迫ってきた。
それを潜るようにして、距離を詰める。
剣の届く位置にきたら、斬り上げるようにして、大熊の腕を落とした。
苦しそうな悲鳴。
そして、残った腕で放たれる、苦し紛れの平手……。この子、もしかして、怖がってるのかしら……。
よく見れば、体全体に傷がある。
セバス爺たらっ、この子を挑発したのね。
なら、それは怒りや憎悪といった感情かもしれない……。
セバス爺の言うとおり、あたしは、目の前にいる化け物より、はるかに強いらしい。
だって余裕があるから、余計なことを考えてしまう。可哀想だと思ってしまう。
この子の攻撃は、多分、あたしには当たらない。
このまま、見逃すこともできそう……。
一撃、二撃、そして突進……。
全て、あたしには届かない。届くはずもない。
見逃す? ここは、村に近い。そんな場所で……。
こんな、凶暴な子を……。
低い唸り声。目を血走らせ、牙を剥き出しにして、健気に威嚇をしている。
ああ、この子は、怒りや憎悪で凶暴になっているわけではない。
この子、怖がってる……。死ぬのは誰だって怖いよね……。
言葉が通じれば、「森の奥深くへ帰れ」と説得できるかもしれない。そんなお伽噺は通用しない。
大熊は、ジワリジワリと距離を詰めてくる。彼の手は、あたしには届くまい。
でも、そこは、もう、あたしの間合いよ。
冷静に線を思い描く。
思い返せば、出会った時から、この子は、もうチェックメイト。
ごめんね……。
あたしが、怖いよね。
なら、終わらしてあげる。
少し息を吸う。そして、止める。
大地をしっかりと蹴り、決意を持って前へ進む。
あとは、線をなぞるようにして、剣を滑らせた。
背後の気配が生気を失う。
落ちる音が聞こえる。それは、首だと確信できた。
振り返ると、巨体は地に伏していた。




