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冬薔薇の咲く庭 ーー「一目惚れです」と告白されて付き合ったのに、賭けでしたーー

作者: 三香

「もうさ、好きだの愛しているだの言われてウンザリしているんだよね。明日はクッキーを作ってくるって、伯爵家の俺にだよ? クッキーなんて貧乏臭いもの、やっぱり男爵家の娘はダメだね」

「えー!? おまえが2ヶ月かけてまだクッキーなのか? いつもならさっさとベッドに引きこんで勝利宣言をしているのに」

「ガードがかたくてね。今までの女性のように貞操が緩くないんだよ」

「信じられない。百戦錬磨のおまえが手こずるなんて。じゃあさ、賭けは3ヶ月以内に花を散らせるかだから、今回は俺たちの勝ちかも?」

「いやいや、あと1ヶ月ある。多少強引に関係をもったとしても相手は男爵家、いつものように伯爵家の力と金で黙らせるし。今回も俺が勝たせてもらうよ」


 バルコニーから聞こえてくる最低な会話にセシリアは、全身から力が抜けて床に座りこみそうになった。

 しかしセシリアの背後には、父カザン男爵と夜会の主催者であり王宮に勤める父の上司であるニクラウス公爵とご子息がいる。最底辺の男爵の娘であるセシリアにとて、貴族としての矜持があった。


 花の盛りの過ぎた向日葵のように垂れそうになる頭をセシリアは必死で持ち上げるが、心はバラバラになりそうだった。せり上がってくる感情に細い喉がぐぅと鳴る。


 賭けだから一目惚れだなんて言って告白してきたの? 好きでないならば近付かないでほしかった。優しくされて嬉しいと思って、いっしょにいると楽しいと思って、貴方といる時間を幸せだと感じてしまった。


 彼の声が聞こえる。耳が聞こえなくなればいいのに、とセシリアは思った。

 彼の姿が見える。目が見えなくなればいいのに、とセシリアは思った。


 家は最下位の男爵家で、相続する財産もたいしてないから政略など考えずに好きな人と結婚して良いんだよ、と父は言ってくれたのに、初めて恋した相手は……。


 食いしばった歯の隙間から、か細い息が涙のように漏れる。

 セシリアは静かに静かに呼吸を繰り返して、心を決めた。逃げない、彼から逃げない。胸の奥で小さな火が灯った。


 彼らから見えない位置に立っていたセシリアは、震える足で一歩を踏み出した。


「いいえ、貴方の負けです。私は貴方と今夜でお別れしますので」


 バッと彼らが振り返る。全てを聞かれていたと悟り、その迂闊さにピシッと身を引いた。

 恋人の小刻みに戦慄く青い顔を、ありったけの侮蔑をこめて強く睨みつける。そうしないと、目に力をこめないと、睫毛が痙攣を起こして涙が溢れてしまいそうだった。


 悪さを見つかった子どものように彼らが恋人を引っ張って、セシリアを避けるようにバタバタと足音を立てて夜風を切って去っていく。恋人はセシリアに手を伸ばそうとしたが、公爵家の夜会で問題を起こすのはマズイと友人たちが取り囲んで強引に背を押す。

 恋人がセシリアの名前を何度も何度もすがるみたいに最後には悲鳴のように呼んでいたが、セシリアは振り返らなかった。好きだったのに、本当に愛していたのに、行き場のない言葉がセシリアの喉を詰まらせる。

 バルコニーから流れ入ってくる冷たい空気にかじかむ手を握り締め、セシリアは鉛のように重い体に鞭を打ち背筋をピンと伸ばす。せめて人前で醜態を晒したくない、と。


 嗚咽を寸前で抑えるセシリアを後ろから抱きしめる者がいた。

 父と思い顔を向けたセシリアは、公爵家ご子息の玲瓏とした美貌にびくりとかたまる。


「許可なく貴女に触れた無礼を許して下さい」

 公爵子息は、涙をたたえたセシリアの瞳を覗き込んで、目線を熱く合わせる。

「傷ついても、薔薇のように頭を上げる貴女は美しい。庭に……、冬薔薇が一本だけ咲いているのです。緑の葉は病気になってボロボロで凍てつく寒い風にいじめられながら、それでも花弁の先から茎の根元まで揺るぎなく立って咲く冬薔薇は、まるで貴女のようだ。貴女が恋を失ったばかりだということは承知しています。今の貴女に、このようなことを言うのはつけこむようで不本意なのですが」


 公爵子息は片膝を落とし、恭しく手を差し伸べた。

「貴女に一目惚れをしました。どうか貴女の虜となった男を憐れと思い、この手を取って下さいませんか?」


 セシリアは息をするのを忘れたかの如く凍りつく。同時にぶわっと全身から汗が吹き出した。

 最底辺の男爵家の娘が最高位の公爵家のご子息に求婚されているのだ。感極まるよりも、不安と恐ろしさに身が震えた。


 父の心配そうな顔と貴族らしく僅かに口を笑みの形にしたニクラウス公爵の姿が、セシリアの瞳の端に映る。

 そして正面には、突き刺さるほど真っ直ぐで焼けるような熱を孕んだ眼差しを向ける公爵子息の輝く美貌。


 もう許容量が完全に超えてしまったセシリアは、パン!と自分を賭けの対象とした伯爵子息のことなど弾けとんでしまった。高位貴族からの申し込みを下位貴族のセシリアが断ることなどできないが、失恋、はい次、と恋ができるほどセシリアの気持ちは吹っ切れていない。ぐるぐる思考が回って思わず体がぐらりと傾いて、公爵子息の手に触れてしまった。


「ああ、嬉しいよ! すぐに婚約をしよう!!」

 事故的接触と理解していながら、都合良く解釈をするしたたかな公爵子息。

「ようやく嫁がっ!」

 見合いを断り続けた息子の恋に喜色満面な公爵。

「あの、その、身分が……」

 弱々しくすぼむ声を絞るカザン男爵に、

「問題ない!!」

 と声を揃えて返答する公爵父子は、我が世の春の如く上機嫌だ。


「嫁じゃ! 嫁じゃ! 孫が見られる~!」

 喝采を上げ夜会会場へ駆けていった公爵は、踊る足取りで数分で戻ってきた。公爵夫人を連れて。


「まあ! まあ! まあ! なんて綺麗なお嬢さんなのでしょう、ユリウスのお嫁さんは!」

 10分前まで女性に欠片も興味を示したことのなかった息子の恋に、公爵夫人も大喜びである。

 雅やかな身のこなしの気品ある公爵夫人が、いそいそと嬉しげにセシリアの片手を取った。もう片手は公爵子息のユリウスがしっかり握っている。その目が物騒に光っていて、怖い。


 父、母、息子で勝手に盛り上がり、すでに結婚式の日程さえ決まりかけている。

 焦りは募るが、一方でここまでくるとセシリアは、もう腹をくくるしかないと覚悟を決めた。

 父カザン男爵は夢でも見ているかのように、ぼうと立っているままなので頼りにはならない。もはや父男爵は考えることを放棄していた。わかる。気持ちはわかるし、この場からセシリアとて脱兎のごとく逃げ出したいが、かかっているのは自分の結婚だ。


 なんとか抵抗しようとするセシリアであったが、イイ笑顔の公爵ご家族がホホホ、フフフと笑いながら完全に退路を塞いでしまう。

 そうして失恋だの騙されたショックだの言う間もなく、セシリアとユリウスの婚約は結ばれたのだった。


 冬の夜会での出来事であった。


 その後、一途なユリウスの愛情にセシリアの心も溶けて行き、やがて相愛の仲睦まじい夫婦となった。

 子沢山の夫婦で、ニクラウス公爵と夫人が嫁自慢孫自慢をする毎日であったという。




 セシリアを賭けの対象とした伯爵子息と友人たちが、貴族社会からも国からもひっそりと姿を消したが、騒ぎたてる者は誰もいなかった。彼らが賭けの恋愛をしていたのが、セシリアだけではなかったからだ――深い深い恨みと憎しみを、彼らはその身をもって知ることになったのだった。






〈ちょこっと〉


 冬が終わり、雪が積もり色彩を失っていた公爵家の庭に春の花が咲いた。

 冬は天から香りのない小さく冷たい花を白一色に降らしたが、春は樹冠をひろげた木々から、赤、薄桃、白、薄紅、黄色、と様々な花色の花が舞い散り蝶の羽のように美しい。


 けれども、ユリウスにとって世界で一番美しいものはセシリアだった。


「ユリウス様」

 ああ、声まで可愛い。可愛すぎる。小鳥の囀ずりのように可憐で、耳に心地良い。

 ユリウスは熱いため息をもらした。初恋に身体中が喜び、幸福感に陶然と血が沸き立つ。

「君の可愛い声で、もう一度僕の名前を呼んでくれる幸せを僕に与えてくれないか?」

 セシリアの頬を愛おしげに、貴族らしく整えられた爪の麗しい指先ですりりと撫でる。


 ユリウスの指先からじわじわと熱が伝染するように、セシリアは熟れたさくらんぼの如く染まり真っ赤になった。


 ユリウスを愛する以外の選択肢は存在しないとばかりに、毎日蕩けるように、心を尽くし行動を尽くし愛を捧げられセシリアは心臓が止まりそうだった。

「愛しているよ。世界で一番かわいいセシリア」

 愛も言葉も花吹雪のように降り注ぎ、セシリアはもう身動きすることも叶わない。目移りは許さないと、セシリアの視界にはユリウスだけが映った。


 冬が終わり、春が来て、セシリアの恋の花が大輪となって咲くまで、後もう少し。




読んでいただき、ありがとうございました。

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[気になる点] どうしても喰い物にされてきた下位貴族のご令嬢方が気になってしまう。 主人公はハッピーでエンドでゴミ令息達は因果応報って形ではあるけど、読んでて過去の行為の胸糞悪さの方が前面に出てきちゃ…
[良い点] 他の方も感想で書かれてますか、ジェットコースターのような展開、そして溺愛、大好きです。 今回もすてきな作品ありがとうございます。
[一言] はぁ♡ やっぱり三香さんの作品好きです✨ 背筋を真っ直ぐ伸ばした主人公の儚く散った恋心が涙を誘うと同時に、友人たちに唆されてしまった元恋人は実は主人公の事を本気だったのかなぁ、と。 今回も…
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