松の兄貴
斎藤の兄さんには、庭にある松の木をながめる習慣があった。小学生だった俺たちがゲームで遊んでいるときも、じっと松の木をながめている。俺たちは宿題を手伝ってもらったとき、松の木を眺めている理由をたずねた。斎藤の兄さんは、
「大きくも立派でもないけれど、枝ぶりが、なんかエロい」
と、冗談にはみえない顔つきで、眺めつづける理由を教えてくれた。まったく理解はできなかったが、「なんかすげぇ」と感心していたことを覚えている。俺たちは斎藤の兄さんのことを「松の兄貴」とよび、いつしか斎藤も「松の兄貴」と呼ぶようになっていた。
かつて武士たちは、昼間は線香の炎と煙を、夜にはロウソクの炎を眺めつづけていたという。何年間も金魚の動きを観察しつづけることで、常人には理解しがたい領域に到達した武道家もいる。なにかひとつのものを見つづけるという行為には、秘められた能力を開発する力があるのかもしれない。
数年後、「松の兄貴」は、飛び抜けて優秀な成績で国立の大学に進学した。そして、久しぶりに遊びに行った斎藤の家には、一体のフィギュアを真剣に見つめつづける、「松の兄貴」の弟がいた。
「なんかエロいだろ?」
「ああ、しっかりとエロいな」
あれから数か月。美少女フィギュアを眺めつづけたせいか、気がつけばニヤニヤとする斎藤がいた。その習慣により、斎藤のイメージ能力は飛躍的に向上したのだろう。このままゆけば常人には理解できないレベルの妄想力を会得するのかもしれないし、それはそれで、天才とよばれる逸材になるのかもしれない。