【閑話】メンフィスの歪んだ初恋その1
(なんでこの僕がよりによって『魔力無し』なんて圧倒的下等生物の婚約者候補に……!!)
十三歳のメンフィスはイライラしながらその日、馬車に揺られていた。
一族でも陽気で尊敬を集める人格者のメンショー伯爵である叔父のたっての希望で、今回この話が持ち上がり、メンフィスは両親に言われ泣く泣くこの話を受けるに至る。
しかし、その気持ちはいかにこの婚約を早々にダメにしてやろうか、そんなことばかり考えていた。
(僕は一族でも期待された出世頭なんだぞ!? 父に爵位は無いが、このままいけば子の居ない叔父の跡取りは間違いなく僕になる。なのに、その妻が『魔力無し』であっていいはずがあるかよ!!)
そう、その相手が例えあの名家中の名家『ロナ』家であろうとも。
「お待ちしておりました。メンフィス様……」
ロナ家のカントリー・ハウスに着くと、ずらりと待ち構えていた下僕……いわゆる上級男性使用人が一斉に頭を下げメンフィスを出迎える。
全員一様に背が高くモデルの様ないでたちで、品があり、指先まで教育が行き届いている様が伺えた。
(貴族の見栄の塊である男性使用人はメイドの給与の二から五倍は支払わないといけないのに、しかもこんなに見目が良く洗練された者達なら、下手したら一般的な下僕よりもさらに給与は一・五~ニ倍は支払わないといけないんじゃないか!? さすが……財力は王侯貴族の中でも桁違いっていう噂は本当みたいだな……?)
男性使用人を雇うことは、現代の我々で言えば、ブランド品を身に着け高級外車を乗り回す……いわゆる財力を示すアクセサリー的な部分もかなり大きい。
実際、貴族でも執事を二人も三人も雇えばその家は破産するとまで言われるのだ。
これが、お金の使い方も知らない成金ならいざ知らず、最も古参といわれる名家が、さも当たり前のようにさらりと示し、その気も無くその力を見せつけてくる。
この家が『怪物』や『化け物」に例えられるのも、あながち間違っていないのかもしれない……。
メンフィスが馬車から降りて下僕たちに屋敷内へと案内される中、ちょうど庭先の左の方からわんわんと犬の鳴き声が聞こえてきた。
「ジャスティスだめだよ?」
現れたのは目にも鮮やかに輝く黒髪と青紫の宝石のような瞳の、驚倒するような美少年である。
メンフィスは少年の震えるほどの衝撃的な美しさに、きっと彼は人間でないに違いないと最初そう思った。しかし……。
「ああ、今日だったのか。こんにちは、本日は義姉がお世話になります!」
そう言い彼はにこやかに挨拶をした。
「え、あの……」
戸惑うメンフィスに、今日ここまで連れてきてくれた叔父の執事がそっと耳打ちしてくる。
「ロナ家の御曹司であらせられる『エース』様です。今日会うお嬢様の血の繋がらない弟君になります」
そう言われ目を見開く。この少年が同じ人間であるというのもそうだが……さっそくこの家の複雑さがわずかに垣間見えたためだ。
「……はじめまして。メンフィスです。今日はお招きありがとうございます」
「ええ、こちらこそ!! 我が家が気に入っていただけるかわかりませんが……どうかゆっくりしていってください!」
そう言い、クールな超絶美貌に似合わず、実に可愛い笑顔でエースはにっこりと笑う。
たぶん、メンフィスが女子ならこの笑顔で一発で好きになっていたに違いない。
「ああ、ごめんなさい……足止めしてしまいましたね。では、これにて失礼!」
そう言い、爽やかにエースはその場を飼い犬とともに後にした。
メンフィスは思わず呆然と見送る。
しかし、すぐに叔父の執事に背中を押され、屋敷の中に入って行く。その様子をエースはチラリと横目で観察した。
「…………ジャスティス。匂いはちゃんと覚えたね? いい、いざとなった思いっきりあいつのお尻に噛みつくんだよ? なんなら肉を引きちぎってもいいからね?」
「ワン!!」
「うんうん、よし、いい子だ!」
エースはそう言い、犬の頭をよしよしと撫でた。
そんな恐ろしい会話がなされているとはいざ知らず、メンフィスは屋敷の中へと赴く。
「!!」
まずは、入ってすぐのドーム状のあまりに高い天井に思わず上を見上げる。全く屋敷内も想像以上だった。目に入るもの目に入るもの、どれもこれもあまりに素晴らしい。
そんなメンフィスはまず、第一応接室へと案内された。
中では天女のように麗しきパーラーメイドがすでにお茶用のお湯を沸かし、ベストタイミングで出来上がった茶菓子類を台車に乗せてしずしずと部屋へと運んでくる。
普通、表に女性使用人を置くのは男性使用人のフットマンを雇う余裕がなかったり、忙しくて男性使用人の手が足りない場合に前に出すが…………今彼女たちが給仕をするのはわざとそういう趣向なのだろう。
何しろ、まるで天使の様な……正直、ここまで美しければこんな使用人などせずに、女優や歌手。
あるいは超高級娼婦として貴族の愛人にでもなったほうが絶対に割がいいと思えるほどの女性たちだ。
それがわざわざこんな風に使用人として雇われるのは破格に給与と待遇がよく、また、雇用側も女性特有のきめ細やかさと優しさ、たおやかさを是非とも客人にご提供したいという、そんな旺盛なサービス精神に他ならない!
天女たちにお茶と菓子を甲斐甲斐しく用意され、世話され、メンフィスはカチンコチンに緊張した。
だが、メンフィスは知らなかった。こんな彼女たちのことを一瞬で忘れるような人物がすぐに現れることを……。
「失礼致します。メンフィス様、申し訳ございません。お嬢様の授業の予定が押しておりまして、もうしばらくこちらでお待ちください」
メンフィスは彼が現われ絶句した。
白銀の冴え冴えした銀髪と赤と碧のアレクサンドライトの様な瞳。神の寵姫と言われても思わず頷くほどの圧倒的な美貌そのものが、人の姿を成してそこに立っている。
「…………………………」
「申し遅れました。アニエスお嬢様の専属従者を担っております。アレクサンダー・ライザーマンと申します」
恭しく頭を下げる美の化身。ここまで来ると性別不要な感を受けるが、制服を見るにどうやら彼はこれで少年らしい。
その美しさに思わず全身全霊、屈服しそうになる体験はメンフィスは初めてだった。
(い、一体何なんだ!? ここにいる人間はみな本当に人間か!? もしかして僕は知らぬ間に魔に魅せられ、本来、人の入ってはならない彼らの世界に足を踏み入れでもしているのか!!?)
あまりの世界の違いに、メンフィスは現実を疑う。
「……横から失礼いたします。お嬢様はいま何の授業をお受けなのですか?」
目を白黒するメンフィスに代わり、叔父の執事がアレクサンダーに質問した。
「はい、音楽の授業になります。先生がようやく海外のコンサートの遠征からお戻りになられて、今、熱心にご指導中です。先生は音楽家でも特に気難しい方のため、次に予定があるのは先にお伝えしているのですが、すっかり今はそのことが頭に無いご様子で……」
「そうなのですね……では良ければ、授業の様子を見学しても?」
そう言われ、アレクサンダーは驚いたように目を丸くするが、すぐにいつもの無表情になり頭を下げた。
「伺ってまいります。少々お待ちください」
そう言い、部屋を後にしたが、アレクサンダーはすぐに第一応接室に戻ってくる。
「大丈夫とのことです。どうぞご案内いたします」
「参りましょう。お坊ちゃま」
「あ、ああ……」
ここまで、人外に近いほどの美や圧倒的な富の暴力を受けていたメンフィスはすっかり委縮していた。
「……廊下側のこちらの窓からならご見学をされても構わないとのことです」
アレクサンダーが指し示す位置には扉のように大きな出窓と、その下にはアンティークのビロードの長椅子が備えられ、中を見学できるようになっている。
メンフィスは恐る恐る中を覗いた。
そこには白金髪の十から十一の小さな女の子がピアノを弾く教師の前でフルートを吹いている様子が見える。
(なんか………………しょぼいな)
ここに来てから衝撃の連続だったメンフィスのそれがアニエスに対する第一印象だった。
(やっぱり、『魔力無し』は想像通りみすぼらしいみたいだ……びびって損した!)
彼はここに来てだいぶ激しく揺さぶられた美的感覚に陥っているのと、『魔力無し』に対する魔力持ちがもつ、最初に起こる錯視でバグっていることに気付かず。そう思いアニエスを内心、鼻で笑う。
だが次の瞬間、彼女の演奏を聞いて耳を疑った。
「これは…………また!!」
メンフィスの伯父の執事が思わず破顔する。
アニエスの演奏がほんの子供とは信じられない、プロが指導に熱を入れるのも納得の、圧倒的な実力を有していたためだ。
「あのお嬢様は、実に素晴らしい才能をお持ちですね?!」
叔父の執事がそう言うと、アレクサンダーがほんの少しだけ得意そうに笑う。
「……それに、お嬢様はたいへんな努力の鬼でいらっしゃいますから?」
それを聞き、改めてメンフィスはアニエスを見ると、今度は色鮮やかに色付いて彼女が目に飛び込んできた。
別に、だからといって、アレクサンダーやエースのように圧倒的な美貌に顔を横殴りに殴打されたわけではない。
……なのに、何故かそこから一切、彼女から目が離せなくなった。
彼女の一点を見つめる真剣な眼差しと本気が、メンフィスの魂をざわつかせる。
あの眼差しに見つめられたとき、人はいったいどんな気持ちになるのだろう? そんな好奇心がメンフィスの中に沸き起こる。
「……どうやら、今日の授業は終わりのようです。中へ入りましょう」
アレクサンダーに促され中に入ると、アニエスは緊張が解かれ、ふしゅーっと赤くなった小さな子供に戻っている。そこに先ほどのプロ顔負けの鬼気迫る姿は無い。
「お嬢様、本日のお見合い相手のメンフィス様をお連れしました」
そう言われ、アニエスはまさか見合い相手がここに現れるとは思っていなかったようで驚いて、ひゃっとちょっと一瞬体が宙に浮いた。
「こ、このような姿で失礼いたします! アニエス・ロナ・チャイルズ・アルティミスティアです。ようこそおいでくださいました。心より歓迎いたします!」
ややぎこちない挨拶は、ここに来て出会ったどの人物より野暮ったく見えた。
本当にこの彼女が、先ほどの彼女と同一人物なのだろうか? メンフィスは訝しげな視線を送る。
「お嬢様。お茶の用意が出来ておりますので、応接室へ移動いたしましょう」
「……ええ、あ、そう言えばお母様たちは?」
「奥様たちは、近くご領地に緊急の用があり、申し訳ないがあとで合流なさるとのことです。……ということですので申し訳ございません。メンフィス様……奥様達は遅れていらっしゃいます」
「い、いえ、それはご領地の方が優先されるべきでしょう!」
「で、では……それでは、私一人でホステス役を……?」
「はい、そうなりますね?」
「………………!!」
アニエスが他人の目から見ても明らかに絶望している様が伝わってくる。
(……こんな社交下手で、大丈夫なのかこの子?)
「で、では、お茶の席に参りましょう……」
アニエスが、まるでネジ式の人形のようにギッ……ギッ……と手と足を同時に前に出しては不自然な姿で前に進む。
もはや、逆に人間にはなかなか不可能な直角平行な動きだった。
第一応接室に戻ると、天女たちがまたしても手厚く迎えてくれ、綺麗なお姉さんにチヤホヤされメンフィスは思春期の男子らしく、状況に慣れてからはほくほくと嬉しそうにする。対し、目の前の人物はいまだガチガチに緊張していた。
お茶のカップを持つ手が震え、茶器が震えて歯が鳴るときのようにカタカタと鳴る。
それを目にして、メンフィスの伯父の執事がまたしてもその場に一石を投じた。
「……お庭が初夏の日差しに青々として、とても美しゅうございました。よければお二人で散歩などしてみてはいかがでしょう?」
そう言われ、アニエスは『えッ!?』とびっくり箱の中身のように椅子の上で跳ね上がり、メンフィスもメンフィスで、せっかくお姉さん達にチヤホヤされいい気分なのに「ええ~っ!?」と気乗りがしない。
「ここでお茶をしていても周りが気になり、ロクに話もできないでしょう? 年若いうちは何かを一緒にした方が距離が縮まるというものです。屋敷内の敷地には遊歩道や小川、湖に教会、花畑や牧場など一緒にしたら楽しいことがたくさんございますよ?」
「………………」
「………………」
メンフィスもアニエスもとても気乗りはしなかったが……互いに目を合わせ、唯一の導いてくれる大人がそう言うのに従うしかなく。仕方なく外へと出かけるのだった……。
【世界観モデル:ヴィクトリア朝の使用人の給料とお財布事情】
執事の給与は一般的なハウスメイドの五〜八倍、フットマンならハウスメイドの二倍であった。
だが、実は執事よりコックの方が専門職で給与は高く。ハウスメイドの給与の十から十五倍ということさえあった。
じゃあ、それならコックの方が執事や家令より懐事情が良いか……というと実は、執事には副収入として舞踏会や晩餐会に来た裕福な来賓からのチップや、屋敷の使い終えた日用品の処分で副収入を得ることが許されていたりなど、役得的な収入も多いため、結果コックより高収入な者も多かった。




