初めての友達
それからいくらかの日が経ち、この日もリニは城の厨房で仕事をしていた。
ミクリモ親方からの尻ビンタはまだまだお見舞いされている。
それでもめげないのは、唯一の楽しみである賄いという存在があるからだ。
「仕事、慣れてきた?」
そう声をかけてきたのは十年も料理人見習いのモコズだ。
「当たり前でしょ。私に出来ないことなんて無いんだから」
おろしたての布巾を畳みながら、リニはそう返す。
毎日同じことを繰り返しているだけあって、ほんの少しだけ畳み方が上手くなってきていた。
「リニって、いつも前向きだよね。…あのさ、ちょっと聞きたいんだけど君って今、その…恋人とか、いる?」
顔に似合わず、モコズはもじもじしながらそう訊ねた。
リニは手を止めると、彼の目をじっと見つめた。
お人形の様に完璧な容姿のリニに見つめられたモコズの顔は、みるみるうちに赤くなっていく。
日に焼けた肌でも分かるくらいに赤く染まっている。
「恋人なんていないわよ。夫ならいるけど」
そう言って、リニはミクリモから尻ビンタされないように手早く布巾を畳み続けた。
「えっ…お、夫⁉…リニって冗談とか言うんだ。面白いとこあるんだね。なんか意外だなぁ」
ヘラヘラと笑っていると、モコズは料理長から怒られて、厨房の奥へと素早く姿を消したのだった。
「何なのあいつ。…変なの」
そう呟いて、リニはひたすら布巾を畳み続けるのだった。
昼時になり、リニは待ってましたとばかりに賄いを貰いに行こうとした時だった。
誰かがリニの腕を乱暴に掴むと、食料庫へと無理矢理連れて行ったのだ。
「離してよ痛いわね!」
そう叫んで腕を振り払ったとき、ジュディの顔が見えたのだった。
彼女は一目で分かるほど怒りをあらわにしている。
「あんたここに男を漁りにきたわけ?ちょっと可愛いからって調子にのらないでよ!簡単な仕事も出来ないグズでポンコツのくせに男からチヤホヤされて、気に入らないのよ!」
そう言われて、リニも頭に血が昇ってくるのは性格上仕方のない事だった。
「何であんたにそんな事を言われなきゃいけないのよ!私が美しいのは仕方ないでしょ!しかも男漁りなんてそんな下衆なことしないわ!私の目的はただひとつ、賄いを食べに来てるの!」
「賄い…⁉嘘つかないでよ!モコズに色目使ってるでしょ!最近、彼ってば何かとリニがリニがってあんたの話ばっかり…!モコズが元気ないときは私がいつも励ましてたのに…!それなのにあんたがモコズと…」
ジュディの言葉を聞いて、リニはニヤニヤと笑い始めた。
「あんただって、モコズモコズって、モコズの話ばかりね。彼のこと好きなんだ。ふーん」
リニがそう言うと、ジュディはハッとしたように顔を赤くしたのだった。
そんな彼女を見て、リニは続けた。
「勘違いしないでよね。私は彼に少しも興味無いし、モコズのこと全然好みじゃないから。あんなオリーブオイル男なんて…。私にも選ぶ権利ってものがあるの。むしろあんたが彼のこと好きなら応援するわよ。お似合いだと思うわ。頑張って」
そう言うと、ジュディから急に威勢がかき消えたように思えた。
「えっ?それ、ほ、本当に言ってるの…?私、てっきりあんたがモコズの事狙ってるのかと思ってた…。ほら、いつもお昼の時間とか一緒にいてイチャイチャしてるから…」
「イチャイチャなんてしてないわよ。失礼ね。しかも私、一般庶民なんかよりも王族にしか興味無いから」
「…えっ王族…?そうなの?ま、まあ、あんたなら玉の輿狙えると思うけど………。な、なんかごめん。私、あんたにひどい事したわ…」
すっかり人が変わったようなジュディに、リニはくすりと笑った。
「別に気にしてないわ。ほら、私って心が広すぎるから。それに早くしないと賄いのおかわり出来なくなっちゃうからそろそろ行くわね」
そう告げて、リニはプラチナブロンドのポニーテールを翻しながら厨房へと駆けていったのだった。
夕方、私服に着替えて帰り支度をしていると、声をかけられた気がして、リニは振り返った。
「ね、ねえ。…もしよかったら、途中まで一緒に帰らない?」
はにかみながら、そこにジュディが立っていた。
「別にいいけど?」
リニがそう返事をする。
なんだか、ジュディがいつもより小さく見えた気がした。
石垣が連なる道を、二人並んで歩く。
しっとりとした夕暮れが二人を包んでいた。
「あ、あの…今まで本当にごめんね。言い訳に聞こえるかもしれないけど、リニってすごい美人だから、私なんて何をしても勝てないと思って、だから…。でも、あれってイジメよね…。本当にごめん…」
ジュディが小さく言った。
「だからさっきも気にしてないって言ったでしょ?それにしても本当にモコズのこと好きなのね。…ねえ、彼のどこがいいの?」
そう訊ねると、ジュディは再び頬を赤く染めた。
「彼ってばオリーブオイルのこと話してると、すごく生き生きしてて輝いて見えるの。特に、料理にオリーブオイルかける仕草とか。そんな高いところからオリーブオイル…?とか思っちゃうと、彼にときめいちゃうのよね」
「…ふーん」
リニには全く理解できなかった。
「ねぇ、リニは好きな人とかいないの?まあ、あんた美人だからそんな悩みもないと思うけど」
ジュディに訊ねられて、リニは首を傾げた。
「好きな人…?」
そんな事、今まで考えたことも無かったし、人を好きになった事も無い。
けれど、なぜかウィルの姿が頭の中に浮かんだ。
「…いやいやいや、それはないわよね」
家にお風呂も無くて、三食お腹いっぱいまともに食べられなくて、スイーツも買えないくらい貧乏なのに。
上品で美しくて麗しい妻を働かせるくらいの貧乏なのに。
顔だって、あんなズタボロ雑巾みたいなローブで隠すくらいなのに。
ウィルなんかにときめいた事は一度もない。
「もしかして好きな人いないの?リニって恋人の三人か四人くらいいるのかと思ってた」
そう言って、ジュディは笑った。
何と返していいか分からない。
この手の話は苦手だと、リニは思った。
ジュディは恋について熱く語っているが、リニにはいまいちよく分からなかった。
そうして歩いていくとジュディが立ち止まった。
「私の家あっちなんだ。…ねえ、そういえば、市場の外れに、新しくスイーツのお店開いたんだって!今度一緒に行こう!じゃあまた明日ね!」
そう言って、ジュディは手を振って行ってしまったのだった。
リニもジュディの後ろ姿に、ぎこちなく手を振ってみた。
そして手を降ろしたとき、言いようの無い感情が込み上げて来た事に気が付いた。
「あれ?もしかして、これって…友達って呼ばれるやつ…?」
彼女を友達と呼んでいいのだろうか。
生まれて初めての友達。
17歳にしてやっと出来た、初めての友達。
女の子の友達と、一緒に並んで話をしながら帰える。
しかも、出掛ける約束までしてしまった。
嬉しいと思ってしまった。
生まれて初めての経験だった。
この話を、無性に誰かに聞いてもらいたかった。
だから、リニは走った。
森の中の小さな家を目指して、とにかく走った。
息が切れて苦しくても平気だった。
なぜか、口角が自然と上がってくるのだ。
家の明かりが点いている。
ドアを開けると、ウィルが台所に立って料理をしていた。
夕食のいい匂いがする。
リニの帰宅に気付いた夫が振り返る。
「お帰り、リニ」
優しくて柔らかな笑顔が、リニを出迎えた。
息を整えて夫の元へ駆け寄る。
「あ、あのねウィル!聞いて!今日ね、ジュディって娘がね…」
リニの弾んだ声が家の外まで聞こえてくる。
そんな彼女の話を、夫はいつまでもにこにこしながら、そして友達が出来たことに、とても喜びながら聞いてくれていたのだった。
それからというもの、リニとジュディは仲良く仕事をこなした。
リニの仕事がなかなか終わらなかったり、分からないことがあると、ジュディが率先して手を貸してくれるのだ。
リニは昼食の時間になると、誰よりもたくさんのスイーツを手に入れ、それをこっそりとジュディと分け合って食べるのだ。
それが、たまらなく楽しかった。
リニが仕事に行く目的は、賄いだけではなくなっていた。
友達のおかげで仕事もよく覚えられたし、何よりも楽しかった。
たまにミクリモから尻ビンタをされるけれど、それもジュディと笑い合っていたのだった。
だからリニは、仕事での出来事を毎日のように夫に話した。
彼は微笑みながら何度もうなずいて、どんな長話でも嫌な顔ひとつせずに聞いてくれるのだった。