メリーさんから家に向かってるって電話がかかってきたんだが、俺今旅行中なんだよな
ぺらり、ぺらりと本のページを捲る音が、小さな部屋に響く。
今日は十二月三十一日、いわゆる大晦日で、時刻は二十一時。俺は一度やってみたかった自分探しの旅というやつを、この冬休みの間に実行していた。旅行先の神奈川県で年越しをする予定である。
狭いホテルの一室でスマホの明かりを頼りに本を読む。普段とやっていることは大して変わらないが、雰囲気が出ていて気持ちが盛り上がった。
いつものように家族と一緒に過ごしたり、友人とパーティをするというのにも心惹かれたが、それらを断りノリと勢いで旅行をしてみて正解だった。ここまで心躍るものになるとは。もちろん寂しさは感じるが、その孤独感も楽しさを生み出すスパイスとなっている。
本当は昨年できた彼女と過ごしたかったのだが、あいにく彼女は海外留学をしているため遠距離恋愛。そう簡単には会えないのだ。まあ、残念ではあるが仕方がないものは仕方がない。切り替えて楽しもう。
今回はホテルに泊まったが、次はもっと暖かい季節にキャンプをしてみるのもいいかもしれない。そんなことを考えていると――
プルルルっと、スマホから着信音が鳴った。
「はい、もしもし」
片手で本を捲りながら、耳元にスマホを当て電話に出る。
『あたしメリーさん。今品川駅にいるの……』
「……はい?」
些か理解するのに時間がかかりそうな言葉が聞こえてきた。え、聞き間違いじゃないよな?
「えっと、あの、今なんて……?」
混乱した頭で聞き返してみると、
『…………』
プツっと音がして電話が切れてしまった。なんだったんだ一体……。
動揺を抑えきれず、頭の中が疑問符だらけになる。ま、まあ、いたずら電話の一種だったのだろうか。情報量が少なすぎるし、考えても仕方ないよな。
思考に区切りをつけて、再び俺は本を読み始めた。
「ん……っと、また電話か」
三十分くらいすると再び軽快な着信音が鳴った。少々警戒しながら電話に出てみる。
「はい、もしもし」
『あたしメリーさん。今池袋駅にいるの……』
「……っ!?」
聞こえてきたのは先ほどと同じ少女の声。しかし内容は前回と違い、場所が移動していた。
適当に聞き流したくもなるが、品川から池袋ということは俺の家に近づいているということ。……いや、この情報だけで俺の家に向かっていると決めつけるのは早計かもしれないが、相手はメリーさんを名乗っているのだ。それってつまり、そういうことだろう。
これは……どうしたものか。放っておけばこのまま俺の家にたどり着いてしまいそうである。
しかし、俺今旅行中なんだよな。更に家族は父の実家に帰省しており、家には誰もいない状態。まあ、メリーさんが窃盗に及ぶとは考えられないが、無視するわけにもいかないだろう。
そんなことを考えていると、いつのまにか電話が切れていた。
うーん、これは……。
「はい、もしもし」
プルルルルっと、今度はきっかり二十分くらいしてから、電話がかかってきた。
『あたしメリーさん。今池袋駅の有楽町線のホームにいるの』
「お前迷っただろ」
『……っ、…………』
指摘をすると、動揺したように言葉を詰まらせるメリーさん。彼女は慌てて電話を切った。
……いや、普通池袋で二十分も迷うか? 確かに結構大きい駅ではあるけど、新宿とかに比べれば遥かにわかりやすいだろう。しかも何故それをわざわざ報告してきたのか。黙っておけばよかったのに。ポンコツかわいい。
今池袋ということは、次の報告はうちの最寄り駅である氷川台かな。
またまた十分後、スマホに電話がかかってきた。
「はい、もしもし」
『あたしメリーさん。今新桜台駅にいるの……』
「電車乗り間違えてんじゃねえか」
元気のない声で報告してくるメリーさん。池袋から出ている電車には方向が二種類あり、氷川台の一つ手前である小竹向原駅で分岐しているのだ。新桜台は氷川台とは違う方向の、分岐してから一駅目である。
『う、うぅ……』
力なくうめき声をあげるメリーさん。やっぱりこのメリーさん可愛いな。萌える。
夜景を見ながら、そう思った。
『あたしメリーさん。今氷川台駅にいるの……』
またまた十分くらいして電話がかかってきた。今度はちゃんとたどり着くことができたようだ。
「よかったな、頑張ったじゃないか」
『…………、……っ!』
褒めてみると、電話の向こうから『からかわないで』的な照れ隠しっぽい雰囲気が伝わってきた。可愛い。一人でニヤニヤしていると電話が切れてしまった。
……そういえば、日本以外では年越し蕎麦のような文化はあるのだろうか。我が愛しの彼女は留学先で何か食べたりしたのかな。
吐いた息が白くなっているのをなんだか感慨深く思いながらいると、電話がかかってくる。
「はい、もしもし」
『あたしメリーさん。今神社の前の交差点にいるの……』
「おお、もうすぐじゃないか」
『…………』
返ってくるのは沈黙で、すぐに電話は切れてしまった。今回はドジらなかったなメリーさん。よかったよかった。
『あたしメリーさん。今氷川台駅にいるの……』
「結局迷ったのかよ」
『ま、迷ってないもんっ』
「嘘つけ」
十分後、かかってきた電話でされた報告は残念なものであった。……まあ、なんとなくこうなる気はした。
「えっと、ナビ要る?」
『……いらない』
親切心から聞いてみると、一言そう返してから電話を切られた。意地でも自分の力だけでたどり着きたいということなのだろう。やっぱり可愛い。
『あたしメリーさん。今交番の前にいるの……』
「意地はどこに行った」
ナビ要らないんじゃなかったのかよ。
まあ、迷ってしまったのなら仕方ないだろう。自力だけでなんとかできないことは世の中に溢れている。
交番に行くくらいなら俺に聞けばよかったじゃないかと言いたくなるが、そこはメリーさんとしてのプライドが邪魔をしたんだろうなぁ。
すぐに電話は切れてしまったので、冷えた手をポケットの中に入れた。
「はい、もしもし」
そこから十分。再び電話がかかってくる。到着の連絡だろうか。かじかむ指でなんとかスマホを操作し、電話に出た。
『あたしメリーさん。今氷川台駅にいるの……』
「なんで!? 交番行ったんじゃなかったのかよ!?」
『…………』
びっくりして聞き返すと黙り込んでしまう彼女。また切れてしまうのだろうかと思ったが、どうやら今回は様子が違う。
『おまわりさんいなかった』
「ど、ドンマイ」
『……うそ。本当は住所知らないから交番で聞いても無駄だと気づいただけ』
「気づくのが遅えよ」
実は、スマホのマップで検索していない時点でメリーさんが俺の住所を知らないということには気がついていたのだが、黙っていた方が面白そうだったのでつい何も言わなかった。罪悪感はあるが、可愛いので仕方ない。
『…………』
流石にもう切れるかと思ったのだが、メリーさんは沈黙するだけで電話を継続している。どうしたのだろうか。
『 』
「……? なんか言ったか?」
『 』
「えっと……」
『家までの道教えてって言ってるの!』
「お、おう、悪い」
わざと聞こえないフリをしていたら、メリーさんは怒ったように懇願してきた。若干涙声である。すごく可愛いがやりすぎたかな。少し反省しよう。
「まずは……近くの中学校がどこにあるかわかるか?」
『中学校……? ……うん、わかる』
「そうか、じゃあその中学校の正門から背くように、しばらくまっすぐ進んでくれ」
『うん』
俺の言葉を素直に聞き、相槌を打つメリーさん。もうそこにメリーさんとしてのプライドはかけらもない。
「しばらく行くと左手にパン屋があるから、そこで左に曲がって、あとは道なりに少し進むと右側に俺の家がある、はず」
『わかった、ありがとう!』
「どういたしまして」
喜色のこもった感謝を告げて、彼女は電話をプツリと切った。
俺はスマホをポケットにしまい、すっかり冷え切ってしまった両手にハァと息を吐きかける。ああ、手袋を持って来ればよかったなぁ。
しばらくの間待っていると、電話がかかってきた。
「はい、もしもし」
意気揚々と電話に出る。すると、弾むような声で、
『あたしメリーさん。今あなたの家の前にいるの……』
「やったじゃないか! よかったなぁ」
『うんっ!』
ついにあのセリフを……! 感動して涙が出そうになる。ああ、ここまで長かったなぁ。
でもメリーさん嬉しそうにしすぎじゃね? キャラ的に大丈夫なの? って、今更か。
電話が切れる。
「はい、もしもし」
『…………』
間を置かずにかかってきた電話に出ると、彼女は少し前の嬉しそうなテンションを消し、泣きそうな気配を漂わせていた。
『ねぇ……チャイムを押したら誰も出なかったんだけど……』
「うん」
『家に電気が全くついてないんだけど……』
「うん」
メリーさんの言葉に頷く俺。彼女はどんどん泣きそうな雰囲気を強めていく。
『もしかして……留守だったりする?』
「おう、旅行行ってた」
『…………』
同じ調子で答えると、彼女は黙りこくってしまった。
『…………』
「…………」
『……ひぐっ、ぐすっ……』
そして聞こえてくる嗚咽。泣き出してしまったようだ。
流石に今のは酷かったか。ここまで頑張ってきた相手にこの仕打ちは外道だった。あまりにも可哀想すぎて、可愛いなどとはとても言えない。
「大丈夫か、悪かったから泣かないでくれ」
『うぅ……だって、だってだって……うぅ……』
「…………」
声をかけるも効果はない。メリーさんはしゃがみこんで、本格的に泣き出してしまいそうになる。
「……なあ、ところで、メリーさん」
『…………』
話しかけても全く反応はない。一応通話は切っておらず、聞いてくれてはいるようだ。
俺はめげずに次の言葉を発した。
「――俺は今、君の後ろにいるんだけど」
『………………ふぇ?』
気の抜けたような返答が、二つの方向から聞こえてくる。一つはスマホから。そしてもう一つは……。
『…………っ!」
飛び跳ねるように後ろを振り向いた彼女を、――俺は力一杯抱きしめた。
彼女の息遣いや体温が、ダイレクトに届いてくる。
「悪かったな、意地悪なことして」
「……ぇ、うそ、なんで……」
動揺したように揺れる彼女の瞳。端には雫を貯めており、少し赤く充血している。
そんな彼女を撫でてから、俺は微笑んだ。
「電話がかかってきたから、急いで帰ってきたんだよ。間に合ってよかった」
そう、俺は彼女が池袋駅に着いたと聞いた時から、ホテルを飛び出して家に全力で向かっていた。正直間に合うかは賭けだったが、彼女が迷ってくれたおかげでなんとか来ることができたのだ。
「でも、旅行行ってたんじゃ……?」
「何言ってんだよ。わざわざ大晦日に留学先から駆けつけてくれた彼女を置いて旅行先でくつろぐなんてこと、するわけないだろ?」
「…………ぁ」
メリーさんの正体は、海外に留学してしまっていた俺の彼女、その人だ。まあ、正体って言ってもスマホには電話をかけてきた相手の名前が表示されていたのだから、最初からわかっていたのだが。
「ほら、外は寒いだろ。早く中に入ろうぜ」
抱きついていた手を離してから、俺はそう言って笑いかける。
彼女は涙を拭うと、笑顔で頷いた。
「あたしを泣かせたお詫び、してもらうからね?」
ドアを開けて玄関で靴を脱いでいると、彼女はそんなことを言ってきた。
「……ああ、何をすればいいんだ?」
聞き返すと、彼女は更に、満面の笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「来年も、再来年も、その次もその次も、ずーーっと二人で一緒に年を越すこと!」
「……おう」
俺は彼女の言葉に、頷いた。