第二章 朝が来るまで 二
双藤六九郎といえば、取り柄の身軽さで、追っ手をひょひょいと振り切り。どこからどう登ったのか、家屋の屋根の上で夜空を眺めていた。
長屋の屋根を伝い、やや大きめの家屋に飛びうつり、二階の屋根にまで身軽にのぼった。
まるで猿のようである。
「星がきれいだなあ」
屋根に座り、のんきにつぶやき、京の街を眺めれば。武装した武士たちが夜闇の中をひっきりなしに市中を駆けまわっている。
「ご苦労なこって」
ふん、と鼻で笑う。
新選組の隊士の姿はない。制圧した池田屋で夜を過ごすか。
「まんざら馬鹿ではないな」
新選組は壬生に屯所を置き、荒くれものぞろいで、
「あれが武士なものか、狼じゃ」
そう軽蔑されてやまなかった。夜回りでも、一旦は尋問されたものの、あっさりと解放してもらったから。なあんだ、たいしたこたあねえや、と思っていたのだが。
「ありゃあ、出世しねえな」
名を蟻通勘吾と言ったか。讃岐は高松藩の出であるという。相手に氏素性を話させるかわりに、自分の氏素性を話したのである。
「阿呆なやつだ」
と思うことしきりだった。
「高松といやあ、水戸黄門さまの兄上が藩祖で、今の藩主は大老井伊直弼の娘婿だってなあ。苦労するなあ」
伝え聞いた世間の話の中から高松藩に関することを記憶の糸の中から引っ張り出す。
世の中が荒れて、大老井伊直弼は水戸藩士に暗殺されてしまった。世に言う桜田門外の変である。
水戸藩とも井伊大老の彦根藩ともつながりのある高松藩は、板挟みに遭い苦労は絶えぬようだ。
なるほどそんな高松の出であれば、新選組に入隊し幕府のために戦うのも頷ける。もしこれが高松と讃岐を二分する西の丸亀藩であれば、どうなっただろうか。
「まあ、おれが考えても仕方がねえや」
六九郎は夜闇に溶けるように消えて、どこかへと去っていった。
「うどんが食いたいのう」
勘吾はぽそりとつぶやいた。
「またうどんか」
永倉新八だ。ひと仕事を終えて、ゆっくりしているようにも見える。外の殺気立つ騒音を耳にしても、眉ひとつ動かさない。
「讃岐もんは、讃岐のうどんしかだめなのか」
「……はい」
その答えに永倉は苦笑した。