最終章 北の大地に死す
蝦夷共和国。
儚い夢であった……。
勘吾は北へ北へとゆきながら、ふるさと讃岐が遠ざかり、もう帰れぬと泣くことはなかった。
むしろ、蝦夷に新しく建国される蝦夷共和国にすべてを懸けてもよいとさえ思っていた。
本土での旧幕府側の居場所はないのだ。そのため、北に新天地を求めざるを得なかった。
その新天地を求めるはずの旅は、敗残兵が追われる逃避行も同然であり。少々の抵抗も、意味をなさず。ただ死屍累々の有様。
数々の苦難の末に蝦夷にたどり着き、新政府に組する松前藩の抵抗をはねのけて、制圧し。
ここに蝦夷共和国がはじまるはずであったが。
新政府は貪欲に戦いを、勝利を、完全制覇を求めた。
戦局を変えるために、無謀ともいえる作戦をもって臨んだ宮古湾海戦だったが。作戦に失敗し、ほうほうの体で退却し。
それから蝦夷共和国の首都である函館にこもり、錦の御旗持つ新政府と最後の戦いを強いられた。
「寒川……」
その地名にはからずも懐かしさを禁じ得なかった。
勘吾は函館山にいた。
周囲をよく展望できる函館山の山頂から、新政府軍の動きを監視、および砲撃するための部隊が配されて、勘吾ら元新選組隊士はその警護の任が与えられた。
必要に応じて地図を見るのだが、その地図にあった地名に懐かしさを覚えてしまったのだ。
讃岐にも、同じ漢字の寒川なるところがあるが、昔からの讃岐の名族の姓でもあった。
「空海さんや金比羅さんは、なんちゅういじわるをしてくるんや」
読みが違うとはいえ、地図のその地名を見て、どうにもならぬ思いが駆け巡る。
蝦夷の亀田半島の東側に、少し海に突き出た小さな半島がある。そこに函館山があり、その西南方向の海沿いの地点が寒川であった。
(中岡、お前もふるさとに帰りたいと思ったことがあるか)
ふと、天に向かいそんな問いかけをしたが。答えが返ってくるはずもない。
時は明治二年(1869年)、五月十一日未明。
旧幕府軍および土方歳三は奮戦し新政府軍を手こずらせていた。
函館山および配属された部隊はそのために必要不可欠な存在であった。山頂から新政府軍の動向をとらえて、狼煙や伝令で報せ。あるいは、山頂からの砲撃によって新政府軍を足止めさせることもあった。
この函館山は、函館での戦いのキモであった。
函館山は断崖絶壁に囲まれている。登り口は限られて、もちろん抑えている。そのため、新政府軍も迂闊に函館山には手出しできまいと踏んでいたのだが。
「敵襲ー!」
絶叫が轟いた。
あろうことか、真夜中に、新政府軍は函館山の裏、寒川方面から上陸して断崖絶壁を登り。函館山の頂にいたったのであった。
にわかに火も灯された。山頂に登った新政府軍は次々と松明に火をつけ、夜闇を払うのである。
「そんな馬鹿な!」
「なんという執念だ!」
「迎え撃て!」
様々な絶叫が夜闇の中でこだまする。
陣地が築かれて、野営の支度も整えられて。それなりに生活できる環境も整えられていた。
寝ずの番は数名いたが、それ以外は寝ていたようである。勘吾も軍服のままながら、横になっていた。
それが目を見開き、飛び起きて。愛刀・播磨住昭重を押っ取り、咄嗟に抜く。
「ぎゃあ――」
痛切な悲鳴がこだまする。
新政府軍は不意を突かれた旧幕府兵や元新選組隊士たちを滅多切りにし、あるいは銃撃で蜂の巣にしてゆく。
もはや戦いと呼べるものではなかった。
「終わった」
勘吾はつぶやいた。
夜闇を払う松明の火が、戦友たちの討たれる様を、逃げる様を見せる。
柄を握る手に力がこもる。
断崖を登る新政府軍にきりがなく、気が付けば四方を囲まれている。
「もう、終わりや。あとのことはみんな、土方さんに任せて。おれは先にゆこう」
播磨住昭重を構えて、絶叫や悲鳴のこだまする中へ駆けてゆく。駆けながら、ふと、
「我ながら、へらこいのう」
そう、つぶやけば。
銃弾が勘吾を貫いた――
完




