第十章 海にて 三
船も変わった。人力や風の力を借りて波の上を滑るように航海していたのが。蒸気機関なる機械を船につむことで、文字通り波を蹴って海を走るのである。
ことに回天丸は四百馬力、馬四百頭分の力を発揮し、三隻で一番速いのだとか。その回天丸は先の大時化のため三本のマストのうちの一本が折れてしまった。
ともあれ、西洋はこんなものを造っていたのだ。日本はそれを知らなかった。
そしてそれを知ることで、否応なく時代は変化をしはじめたのだ。
勘吾はこの蒸気船に驚かされっぱなしだ。それ以上に驚いたのは、海の広さだった。
波の低い、流れは早いが一見穏やかに見え、対岸もすぐそこに見える瀬戸内海しか見たことがなかった。
戊辰戦争における北上の途上で初めて太平洋を見ることになったが。その広さ、波の高さ、波の音に驚いたものだった。
この海の向こうにアメリカがあるなど、どうして信じられよう。
だが実際にあって、塩飽の水夫たちはこの大海原を越えたのである。
ふるさと讃岐で空海と同等に信仰される金毘羅大権現の巨体が、波を突き破って海から出現しそうだった。
「蟻通ッ!」
土方だ。海を眺め、ぼうっとしている勘吾に怒号を飛ばす。
「やる気がないなら、いらん。今すぐ海に飛びこめ!」
「滅相もない。力の限り戦います!」
「ならば気を抜くな」
「はい」
土方の一喝を受けて勘吾は縮みながらも、気を入れなおしたのであった。
回天丸と高雄丸この二隻で、新政府軍の艦隊を壊滅――。させるのではない。新政府艦隊の、甲鉄という軍艦を、奪いに行くのである。
これを西洋の言葉でアボルダージュという。
甲鉄はアメリカ製の優れた軍艦で、ほんとうならば幕府側の船になるはずだった。しかし、戦争のどたばたで新政府のものにされてしまった。
旧幕府側の頭領をつとめる榎本武揚は考えた。甲鉄を奪い取れば戦局を変えられるのでは、と。
それを実行するのである。
船と船を接舷させて、相手の船に乗り込む。土方や勘吾ら元新選組隊士たちが、その乗り込んで、甲鉄を奪うための切り込み隊となる。
蒸気機関は空を突くような音を立てて、船を走らせる。両舷の外輪が波を蹴る。
ちなみに、船尾には外国の旗を立てている。いわゆる偽装である。これで新政府艦隊を油断させるのである。
陸とは勝手の違う、船の上での戦いである。できるだろうか、という不安を押し殺してもこの戦いに身を投じるのは。
もはや意地しかなかった。
北へ、北へとゆくのは一見逃避行だが。本当に逃げることは許されない。
ともすれば、絶対負ける戦いを強いられている。それでも、意地で戦い続けるのだ。
少なくとも勘吾にはそれしかなかった。




