第十章 海にて 一
♪金比羅船々
追風に 帆かけて
シュラシュシュシュ
廻れば四国は
讃州 那珂の郡
象頭山金比羅大権現
一度廻れば――
勘吾は船、回天丸の縁に手をかけ、大海原を目にし。ふるさと讃岐の民謡、金比羅船々を口ずさんだ。
服装はだんだら模様の羽織にはかま姿ではない。ボタンというもので絞める上着に、ズボンという筒状のものを履く、洋風の軍服姿であった。その腰に帯を締め、愛刀・播磨住昭重を差していた。
ふるさと讃岐の金比羅宮でまつられている金比羅大権現は、海の神として崇められている。
江戸城無血開城の折り、西郷隆盛と折衝した勝海舟を乗せてアメリカに渡った咸臨丸には三十五名の讃岐の塩飽諸島出身の水夫がいたが、彼らも金比羅大権現を信仰していた。
アメリカへの航海は、ほとんどの日が時化であったそうだが。塩飽の水夫たちもまた、広い海を眺めて金比羅船々を歌ったであろうか。その咸臨丸には、中岡慎太郎と同じ土佐の、といってもこれは西の端の方の出だが、中浜万次郎が乗っていた。
塩飽の水夫は中浜万次郎とどんな話をしたのだろうか。
ふと、それも気になった。
ともあれ、回天丸は波を蹴り、乗る者らを揺らす。
♪金比羅船々
追風に 帆かけて
シュラシュシュシュ
廻れば四国は
讃州 那珂の郡
象頭山金比羅大権現
一度廻れば――
空は曇り波は少し高いが、初めて見る大海原に興奮を隠しきれず。勘吾は縁につかまりながら大海原を眺めて。
金比羅船々を歌った。
歌いながら、
「できれば、勝って歌いたかったのう」
と、ぽそっとつぶやいた。
戦争を起こさないための大政奉還であったが。結局、戦争は起きた。
薩長や土佐をはじめとする「新政府」にとっておとなしく座禅を組むなどもってのほかのようで、どうにもこうにも、刀を振り回して銃を撃ちたくてしかたがないようだった。
最後の将軍徳川慶喜公は戦争を回避しようとしたが、新政府は蛇のような執念で戦争にこぎつけたのであった。
何よりも痛かったのは、新政府は朝廷を抱き込み錦の御旗を手にしたことだった。




