第八章 ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃなあいかあ~ 一
年は明けて、さらに季節もめぐって、慶応三年(1867年)の秋。
とんでもないことが起こった。
幕府が政権を朝廷に返上する、大政奉還があった。
これにより、徳川幕府の幕藩体制の時代は終わり。各藩も順次、藩籍を朝廷に奉還してゆくことになる。
将軍ながら勘吾としては微妙な気持ちにさせられる徳川慶喜公は、支持者である土佐藩の山内容堂の助言により、大政奉還を行った。
山内容堂は家来の助言を受けて、意を決して慶喜に進言したとされるが。その前に、坂本龍馬や中岡慎太郎の働きがあったことは確かだった。
「幕府が終わったのか」
新選組は、飼い主を失った犬のような動揺が広がった。
新選組もいろいろある。
新選組から分派する者もあれば、激動の時代に斬り合いするのに疲れて逃げ出す者もあった。
いいこともあるにはあった。
必死に働いてきた甲斐あって幕臣に取り立てられて、その地位は一気に上がり、収入も安定した。
が、どうにも局長の近藤勇は得意になりすぎて、傲慢さが目立つようになり。それに対する反発やわだかまりもあった。そのため、心に何かが刺さったような、すっきりしない気持ちをぬぐえなかった。
そのため、妙に雰囲気がぎすぎすしていた。
何とかしないととは思っても、なぜか、どうにも打つ手なく。
土方や沖田、永倉に原田らがどうにか自制を促して隊士たちをまとめているところだった。
そんなときの、大政奉還であった。
「飯野山(讃岐富士)がひっくりかえったようじゃ」
勘吾は事の次第を知り、ただただ唖然とするしかなかった。
これから自分たちはどうなるのか。だれもわからない。
そんな大政奉還以前に、勘吾たちを惑わせるものがあった。まさにこのために、新選組の動揺はぬぐうにぬぐえぬものとなっていた。
それは、
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃなあいかあ~」
と叫びながらもろ手を挙げて、珍妙な踊りにふける大衆の、狂ったとしか言いようのない光景であった。
新選組もこれには面食らった。
時はさかのぼって――。
あれは夏のある日のことだった。
「天からお札が降ってくる」
などという話を、京雀たちがまことしやかに話し出した。
「これは何かの慶事のはじまりだ」
そういった期待の声も上がった。
いったい何の話なのか。民衆が与太話に興じるのはよくあることではあるが、宗教めいた話で、徐々にでも熱を帯びてきているのを新選組をはじめとする京づとめの武士たちは見逃さなかった。
「戦国の昔の、一向一揆のような蜂起があるかもしれん。おのおの用心せよ」
というお達しが下りて。言われずともそうしていると、隊士たちは真面目に頷いた。




